表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世紀末でも屑はクズ  作者: パクス・ハシビローナ
らすとおぶあす
64/93

短い旅、遠いところ


 いつ行くかは分からない。ただ、いつか早いうちに出ようと言っていた朝の手前になった。それに気づいたのは、やはり味噌汁の匂いのおかげであった。掛布団を引きずるぐらい重くなった腰をあげて、辿るように縁側を歩く。洗い立ての清らかな風が体に透き通る。


 居間に着くと、おはようという言葉と共に月見里と東台に出迎えられる。そして、味噌汁。


 今日は何が入っているのかと聞くと、見てからのお楽しみとニッタリと笑っていつもの言葉で返されたが、確かに浮かんでいるものを見たら一目瞭然である。

 

「とっておきのやつで、作ってみました」


 プカプカと浮かぶ小魚の切れ端。それを見るだけでもこちらが釣ったものだと気づくのだが、これがとっておきとはなんだか嬉しいような気を使われて恥ずかしいような。


「ありがとう」


「よく味わってね」


 朝っぱらから頭を働かせるほどの器用さはなかったので、そのまま気にせずいただきますと合掌。


 やはり、東台の味噌汁はうまい。体の隅々に染み渡るような気がしてなんだかほっこりとした気分になる。とっておきというのは嘘ではなかったみたいだ。それにしても、箸で容易く握りつぶせるような小魚がこれほど旨くなるとは、料理とは素晴らしい。


 そんな風に至福のひとときを味わうものの、朝であるためか2人の反応は大人しい。いや、そう思っていたのも束の間、東台は月見里の頬袋を突いて揶揄っている。

 月見里は文句を言っているが、東台に通じるわけも無く美味しいかどうかを聞いていて、その煽りは止まらない。月見里には悪いが、これもある意味日常になってしまった風景だろうか。

 ただ、今日はいたずらっぽい笑みではなく、穏やかな笑みを浮かべていた。これもいい景色なんだろうなと肴にしつつ、こちらは味噌汁を深く味わった。まだ東台の目的地は聞いていない。


 こちらは一番最後に食事終え自分の食器を洗い、家の掃除を手伝う。おそいよーと、一番最初に食べ終わった東台に揶揄われたが、味噌汁を飲み物のように吸われたら仕方がないだろう。

 

 布団はもう押し入れに仕舞われていて、月見里と東台が畳を箒で掃いていたので、井戸に行って机を吊るしたヒモの成れの果てで濡れ雑巾を作り縁側を拭いてみる。畳を拭こうとしたら、カビが生えちゃうから駄目だと東台に怒られた。自分は張り切ると失敗するタチである。


 そうして、やたら広いと思っていた室内は3人だと狭く、それほど時間もかからずに掃除が終わり、目の前には入った時よりもずっとスッキリした空間になっていた。

 それを封じ込めるようにして雨戸を閉め切ってしまえば、もう後はバイクで出発するしかやることがない。トイレに行っている月見里を待つことを除けばの話だが。


「あっ、そういえば、ここの家の人にお礼言うの忘れた」


 隣で同じように家を眺めて待っている東台がそんなことを言ってきた。そういえば、おもちゃ屋にあった仏壇に手を合わせたりしたよなと懐かしんでしまう。 


「……ここにそういう人はいない」


「そうなの?だいぶ綺麗なところだったけど」


「ああ、ここに――最初に来た時にはもう誰にもいなかった」


 自分で言ってて、それは若干の嘘になってしまうだろうと思った。でも、初めて来たときには、あの食事をした机のところに、真っ赤な封筒一枚になってここの住民である()が残っていたのみである。それだけでは、名前と性別ぐらいしか分からない。赤の他人がその程度で祈るのは、どうも失礼が勝つような気がする。


「そうなんだ。なんだか、寂しいね」


 東台はそういいつつも、家に向かって気持ち程度頭を下げていた。自分もひとまず頭を下げておいた。俺は信念の無い人間である。


「ただいま」


「ゆいちゃん、おかえり。どうだった?」


「どうって、どうもない」


 少しの間頭を下げていると、月見里が帰ってきたようである。初っ端、下世話な話をするとは、中々に高度な会話だ。


月見里も小さく頭を下げて、3人頭が揃う。家を出る際は、お邪魔しましたと心の中で言っていたので、今回はその代わりにもしておこう。


 ひとしきり終われば、後は3人の荷物がバイクに詰め込み、意気揚々と乗り込んでみる。それが出来たのはすんなりと荷物を片せたおかげであるが、やはり出発前の重たさはなかった。

 

 エンジンはスイッチ一つで快調に動いてくれている、まるで急かすようだった。再び大きな階段のような地形を駆け抜けると、東台は先ほどの分では足りなかったのかバイバーイと手を振っていた。


 不気味なほど雲一つなく、青々とした空。まるで見送られているようなそんな晴れやかなものがが広がってくれている。


 しかし、どうしてだろうか、後ろを振り向くと家が何時にも増して小さく見えた。そんなふとした疑問を抱く隙はすぐに無くなるほど、また再び森の中へと埋もれていく。


 また、あの山に挟まれたうねうね道に苦しみ、トンネルを潜り抜けて古びた警告文の成りかけを通過して、もう一度封鎖しなおすとまた遊園地か街へと続く分かれ道へとたどり着いた。


 もちろん、遊園地に帰るわけも無く、もう街へ行く意味もない。このまま、目的地に行くのはもう決まっている。


 だが、東台から目的の場所をまだ聞いていない。


「東台、どっちに行けばいい?」


「ほんとに、いいの?」

 

 しかし、そう聞くと荷台にいる東台が躊躇うように言ってくる。いや、今更だ。行くと決めたなら最後までやり遂げた方がすっきりする。

 

「それは昨日聞いた。さっさと行こ」


 背中にいる月見里も考えは同じである。


「うん。八雲、左の方に行って」


「あっ、ああ」


 街の方面へは行かないだろうと右に切っていたハンドルを戻し、左へと舵を切れ。意気揚々とは行かないようである。

 

 人間勢いが大事だ。巻き返すように気分と道を戻し、やがて草の深いところからコンクリートが薄く塗られたものへと戻っていく。不安と期待以外を感じつつ、ある時からどうしようもなさを感じた、これも馴染み深い道である。

 しかし、今はどうして胸がざわつく。まるで遅刻しているのは分かっているのに時間が分からぬまま、通学路を突っ走ったあの感覚に似ていた。 

 あのひび割れながらも赤いレンガブロックはめ込まれた鮮やかな道とは違い、先に映る道は何度見てもやはり見慣れたひび割れアスファルト道。

 東台の導かれるまま進んでいくが、田舎という単語とは裏腹にアスファルトに生える緑の量はそれほど増えてもおらずむしろ減っていて、それほど狭くもない。

 

 一体どこに行こうとしているのか。走っている道は分かるのだが、手綱を握られていてはどう走っているのか分からない。

 

 いや、分かりたくなかっただけかもしれない。彼女が誘導する先に何があるかはわかっているが、どうかそちらへ行かないでくれと願っているだけである。だが、東台がどうして自分に対してお願いをした理由に合点がいった。

 

 残念ながら、その場所へと着々と近づいているようである。もうブレーキを切った方がいいのではと焦っている自分を涼しい顔をしている東台はともかく、月見里が理解しているわけもなく、彼女たちは後ろでずっと会話を続けているようだった。


「ふぅー、やっぱり、バイクはいいですねえ。風が気持ちいい」


「そこ元々、私の場所だったの忘れてない?」


「ふふーん、お借りしてまーす。いやあ、いい座り心地ですねえ」


「あっそ、後で洗って返してね」


「うん、ラッピングもしておくね。観光ツアー付けてあげる」


「……それでさ、東台の故郷って、どんな感じ?」


「それは行ってからのお楽しみかな」


「ケチ、じゃあ、風呂とかはある?」


「うーん、あるっていいたいけどねえ……流石にもうわかんないや」


どこに行くかヒントだけでもいいからと耳をそばだててみるが、あまり実のある話でもなかった。風呂が好きなのはわかるが、インフラ保証されてませんと言われているところに期待しても仕方がない。

 バイクを運転しているというのに後ろの会話が聞こえてしまうのは、ノロノロと進んでいるせいだろう。


「なあ、東台」


「ん?あれどうしたの八雲?」


 別に入り組んだ道ではなく、大きな青い看板が時折ぶら下げられるぐらいの広い道。目の前に現れたものを見て、こちらはようやくバイクを止められた。


 道を塞ぐように設置された金網フェンス。あの家へ行く前にあるトンネルと同じものがびっしりと張り巡らされている。状態はこちらの方が古いが、立てかけられた看板がもうすでに封鎖済みとなっていることと、この先のインフラ保証しませんと強い言葉で警告しているのでより強固とも言えるのだろう。少なくとも自分にとっては。


 東台はこちらがわざわざバイクを止めて、呼びかけられたのを未だに不思議に思っているような表情をしていた。まあ、当たり前の話だ。

 これを設置した人はその文言通り、堅固に作ろうとしたのだろう。道一杯までに広がった若干高めのフェンスの裏側に鉄パイプが組まれており、ちょっとやそっとでは到底倒れることはないだろう。


「開いてるみたいだけど、何か手伝った方がいい?」

 

 しかし、それを支えるぐらいの気概はもうないらしい。フェンスを支える残りの鉄パイプが馬鹿らしいじゃないかと思えるほどに、少なくないフェンスが倒れて大きな隙間が作られていた。おそらく、動物が何かが通り抜けた時に潰れたのだろう。

 前に来たときはあちこちに太い毛が絡まっていたので、きっと猪か鹿かがぶつかって崩れ落ちてしまったのだ。出来ればそうであってほしい。

 

 バイクも十分通れる広さであったが、どうしてもアクセルを回すことが出来なかった。


 月見里も何も言わない。その代わり、こちらの服を帆のように小さく引っ張って何かを伝えられていても、クラッチから手を離すことができなかった。


 東台のどうしていいか分からないような顔を見せられても、看板の赤い文字を見ると先に進むことができなかった。


 なんて俺は小心者なのだ。街中の横断歩道を平気で歩いている癖に、それ以上のことをしているというのに何を心を小さくするところがある。


 結局は信号が色を灯すことがないから俺は通れているだけで、トンネルを通ったのもまだ封鎖されていなかっただからであって。今も褪せない赤信号に自分はビビっている。


 否、この立ち入り禁止の先に『あれ』の巣窟があるかもしれない。いや、ありあえない。こんな町から遥か離れているところで『あれ』を見ることは無いし、そもそも立ち入り禁止と『あれ』は全く関係がないではないか。


 いや、もしかしたら、この先インフラ保証されていないと書かれていることにビビっているのかもしれない。それなら合点がいく。この先土砂崩れで崩壊しているかもしれないし、もしかしたら、この先に箸があって既に崩落しているのかもしれない。


「八雲、ちょっと待っててね」


 心臓がバクバクと激しく動く自分の横を、東台は通り過ぎた。


何をするのかと見ると、転がるフェンスを手に持って、悶絶するような声と共に道の隅へと追いやろうとする。

 鉄パイプも引っ付いているので相当な重さなのかと思ったが、老朽化したそれは簡単に取れてしまってあっさりと退かされた。

 

「ごめん、ごめん、気が利いてなかった。これで通れるなったよね。いこ、八雲」


 そんな風に朗らかに言う東台。有無も言わさず、どかりと荷台へと座りなおす。これでは行かないと理由が出来るわけが無くなった。


「行かないの?」

 

 月見里に、馬に見立てられたように、服を後ろへと引っ張りあげられた。

 

「ああ」


 流石にあからさまだと、月見里にはこちらの不安が伝わってしまうのだろう。今は気にしないでくれ、躊躇している方が猶更頭がおかしい。


 アクセルを回し、ゆっくりと進める。東台にまた訝しまれるぐらいの遅いものではあったが、それでもやはりいつかはフェンスの外側へと抜けてしまう。

 

 まるで国境を超えるような感覚を覚えたが、フェンスを越えても、何も起こりはしない。当たり前だ、綺麗な制帽被った誰かが止めに来るとでも思ったのか。

 それでも、酷くがっかりした。こんなものだったのかと、じりじりと焦燥感に胸を焦がしている自分が馬鹿らしくなってくる。だからか、胸の中にある重たかったものが、どこか抜けて行ってしまうような感覚を覚えて、気味の悪い充足感が燻る。


 そのためか、緩んでいたアクセルはまた回っていく、目の前に広がる道は相変わらず開けた道。多少、速度を飛ばしても問題ない。

 小心者の自分は、早くフェンスから遠ざかりたかった。


 遠く遠く、回せ回せと進んでいけば、比較的綺麗なアスファルト道路が敷かれてあって、先ほどまで綺麗な白線が引かれていたと思うぐらいの舗装がずっと続いている。どうしてか、続いている。

 

 封鎖された道の先、きっと道なき道を行くのだと思っていた自分はますます肩透かしを食らう。しかし、がっかりとしたわけでもなく、でも、ほっとしたわけでもなく、どうしてか奇妙さを覚えていた。ここは素直に喜べばいいというのに。


 東台はこのまま道なりだと言い終えると、そのまま何も喋ることはなかった。自分は裏腹に口に出したいことがいろいろとある。だが、バイクの運転をしながら、ごちゃごちゃした頭の中から言葉を出すことはやはり難しい。パッと出してしまえばいいのだが、いろいろとオブラートに包まなければきっと地雷を踏んでしまうような気がしたからだ。


 いや、ここはいっそのこと気さくに東台の故郷は封鎖されたところにあったのだなと聞いてしまえばいいのかもしれない。

 でも、ニュースで見た数両程度のバスに揺られ自分たちの故郷が小さくなっていくのを、もう見たくないとばかりに顔をくしゃくしゃにする老人たちの姿を思い起こしてしまって、どう口に出しても墓穴を掘ってしまうような気がする。それでも、何度も彼女の顔を見てしまうが、それでも彼女は何も反応することがない。


 あの老婆はどうなったのだろうか。今更、どうでもいい話だ。どうせ、そんなことは珍しくもなかったのだから。

 今は自分の、フェンスの外側へと抜けて破裂寸前の風船みたく膨らんだり縮んだりする心臓を落ち着かせてから、また聞けばいい。


 やはり、心臓の高ぶりはあまり落ち着きそうにはなかった。されど、バイクは進む。


 グレーのアスファルト道は緑にのまれることもなく、左右に映っていた森が消えて、青一色。右側に海が見えた。初めて見たというわけではないが、閉塞感のある森から際限のつかぬ水平線に曝露されれば胸を震わすにはいられない。


 月見里は初めて海を見るのだろうか、それは分からないがこちらの服を必死引っ張り静かに感動をしているように思えた。

 しかし、東台からは相変わらず反応もなく、ただそんなものかと静かに眺めていた。見慣れた風景というのは、時に難儀のものだ。きっと、表層からは見えない深い深い感動があるのか、こんなものだったのかと失望しているのか。


 まだ、東台の案内は続く。


 そうはいっても、海と並走するようになっても、ただ目の前に広がるもののとおり、まだ道なりを進んでいくだけらしい。

 

 時折見つかるさび付いた標識を目で追いながら、変わらぬ海の景色にぽっかりと空いた解放感を覚え、まるでかわらぬ緩やかなカーブの続く道を辿っていった。


 いつになったら変わってくれるのかとスピードを上げるも、景色が変わったのは少し後。海の景色が木々に遮られ、


「霧?」


 時間違いの薄い霧と共にそれから通り過ぎると、すぐに街並みが見えてきた。とてつもなく、セピアに輝いた街並みが見えた。砂浜にへばりついた街が見えた。


「綺麗だ……」


 思わず、そんな言葉が漏れる。だからか、俺は海に晒された時よりも息をのみ、視線が釘付けになった。

 先ほどよりも潮風が肌に纏わりついてくるように感じるのは、月見里に服を強く引っ張られているせいか。


 東台は相変わらずそんなものかと薄い表情を張り付けて、それを見ていた。


「あそこ、あそこが目的地」

 

それだけ。指をさしてそう言っただけで、目的地へ向かう旅はいとも簡単に終わったようだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ