ばかんす
数日ぶりに動かしたバイクは凸凹の道をものともしないほど、快調気味なピストン音を鳴らしていた。
あれほどまでに高く聳え立つビル群もいつの間にか山の後ろに消えて行ってしまう。
都市からだいぶ離れたところだというのに、相も変わらず広く状態も良い一本道。
少なくとも、月見里がつまらなさそうな顔をするぐらいには安全である。おそらく、最後の最後まで道であり続けたのだろう。小さなトラックが道端に転がっているのをよく見かける。
否、一本道というのには、いささか分岐点が多すぎる。ただ、そちらへ行っても、既に行き詰まりになっているだけで、死んだ道があるだけだ。
だから、これは独り置き去りにされた道と呼んだ方がいいかもしれない。
だからこそ、慣れ親しんだのだろう。今では地図を見ずとも拠点へと帰れる。一本道なので覚えてない方がおかしいのだが。
今はその道を巻き戻るようにして矢小間遊園地に向かっている形となるのだが、この道をずっと行くと一回だけ分岐点となるところがある。
それが見えてきたので、こちらはそちらの方へと舵を切る。進んでいけば、岩をくりぬいたトンネルが現れるので、その中へと進んでいった。
車一台通れるかどうかの小さなトンネルであっても、音が反響して自分のバイクから化け物みたいな音が出てきてビビるが、月見里と東台は大声をあげて喜んでいた。
こちらも試しに叫んでみたが、橋前でバイクが止まった時のことを思い出して若干テンションが下がる。
そこまで長くない距離を抜け、トンネルの出口に、褪せた白いゲートが見えてくる。
恐る恐るバイクを止めて状態を確かめてみると、以前見た時と同じように閉じられていてほっと胸を撫でおろす。
「あれ?行き止まりだよ?」
「ああ、ちょっと待っておいてくれ」
東台にそういって、バイクから降りてそれへと近づいた。
公園で見るようなフェンスが張り巡らされたゲート。どこにでもある平凡なデザインそのものだが、張り付けられた看板に緊急事態宣言により10月17日より封鎖予定。この先インフラ保証できませんと赤く記しているのが目を引く。
鎖を巻き付けているものの、強く押せば倒れそうなほど薄いものだがそのような形跡はない。
元々巻き付けてあった鎖をもう一度適当に巻き付けてあるだけなので、フェンスに掛けている鎖の端を引っ張ってしまえば簡単に外れてしまう。
外してしまえば支えるもののなくなったゲートは、ガラガラと軋む音を出して開かれる。
「バイクを押すから、ちょっと降りてくれ」
「はいはーい、後ろから押すね」
東台は決まりきったかのようにバイクを下りて、バイクのテールの片側を掴んで押してくれる。
もう片方はいつものように月見里が押してくれるが、これも当たり前のように思えてくるのはいつからだろう。自分たちは相当濃い体験をしてしまったらしい。
3人態勢で押したバイクはスムーズに前へと進み、若干坂道加減のトンネルから再び外の太陽を浴びる。
未だにトンネルを超える時には仄暗い爽快感を覚えてしまう。なんだか、ギリギリ赤信号の時に横断歩道を渡っている気分。
この気分に浸っていたいものだが、冷めぬうちに鎖を巻き付けてフェンスを封印しておく、このあたりで『あれ』を見かけたことは一度くらいしかないが、出来る用心ならやっておきたかった。
「結構、キツイ注意書きだったけど大丈夫?」
「さあな、書いた本人に聞いてみないと分からん」
不安げな表情を浮かべる東台。こちらは肩をすくめてみせた。まあ、大丈夫だろう。10月17日はもう二度と来ないのだから。
「八雲。なかなかの悪だね」
「赤信号も皆で渡れば怖くないだろ?」
「流石。文殊の知恵!」
その用法は違う気がする。でも、文殊の知恵に入れられた月見里は気にしてもなかったので、自分も気にしないようにしておこう。いや、バイクの上で尻尾みたく足をブラブラしているので、待っているだけだ。
このまま待ちぼうけを食らわせるのはかわいそうなので会話を切り上げて、バイクに跨って残りの道を進んでいく。
矢小間遊園地と同じく、看板に偽りなしというのはクソという意味である。インフラは保証しませんと豪語されたならば、道もそれ相応の酷さである。
広さ自体、大型の自動車が載せられるくらいのものだが、長年放置されたそれは苔むしている。しかし、通れないほどではない。
しばらくは左隣にある川が引き続き引っ付いてくるだけで代わり映えはしない。あるとすれば、左側の岩肌が近づいたり、若干遠ざかっって狭い森が見えるぐらいである。
ただ、山道ではあるため、ところどころ体を大きめに傾けるぐらいのカーブが頻繁にあって、東台から歓声があがる。
車酔いが激しい人なら根をあげそうなところだか、東台も月見里も涼しい顔をして楽しんでいるようである。月見里なんかは普通に地図を読んでいたりして、三半規管がかなり丈夫に出来ているようだ。
そういう風に誉めてみるが、実際のところこちらがあまり速度を出していないからかもしれない。当時は推定40kmで走れそうなところを半分程度の速度で走っていれば、カーブを曲がる時の頭を押さえ付けられるような圧もそれほどでもない。
でも、スピードを上げてこそのバイクであるので、アクセルを回してやりたいが少しでもスピードをあげようものなら、ただでさえ揺れている車体がガタガタと大きく揺れて制御どころじゃなくなってくる。
砂利だらけの道に大穴が開いてたり、それ以上に断裂していたりするせいなのだが、これでも道として機能しているのだからいいだろう。それでも、何度も通ってきた道だとつまらなさも感じる。
相変わらず東台はアトラクションのように楽しんでいるが、地図でもなく漫画を読みだした月見里を見るとこちらの感覚は間違いではないようだ。
残念ながら、まだ目的地から距離はある。まあいい、誰にも彼にもバイクにもバケーションが必要だ。
東台と月見里とで漫画の回し読みが本格化するぐらいまで、気が遠くなるほど何度もカーブを曲がってしまえば、川は遠ざかっていき、岩肌の圧も消える。
そうして、やがて狭かった視界が広がっていくと段々と階段上に積み重ねられた地形が左右に広がり一気に道が広がった。
この時だけは解放感に身を洗われるようだが、東台も感嘆の声をあげており彼女の琴線にも触れたようだ。こちらも声をあげておいた。やっぱり、恥ずかしくなってトーンが落ちるのはご愛嬌。
そういえば昔、やまびこは本当に存在しているのかと月見里と一緒に山の上で叫んでみたことがあった。あの時は、反響する自分たちの暴言に爽快感を覚えていたのだが、平べったい地面だとどうも恥ずかしい。
ところどころ、家屋が見えるのが更に場違い感に拍車をかけるが、そこに住んでいる人はおらずほとんどは潰れているので自意識過剰でしかない。
ここまで来ると地面が割れたアスファルトから殆ど砂利になっているので、揺れはともかく走りやすくなる。
アクセルを回し、所々に生える崩れた木造住宅を抜けて行くと、ぽつりと三角屋根の大きな一軒家が段々の地形の向こう側から見えてきた。
月見里が漫画を読むのをやめて、足でバイクを漕いで今か今かと到着を待ちわびている。しかし、用心は必要である。
Uターンが出来そうなひらけた場所にバイクを止めた。その意味を月見里は知っているが、どこか不服そうである。
仕方がないだろうとこちらは腰の銃を抜いて空へと向けた。
「耳を塞いでろ」
「ん、どうしたの?」
「いいから、塞いでて」
イラつく月見里に、東台は「はいはい」ととぼけた感じで耳を塞いだ。
2人耳を閉じたのを見計らい、クラックションを鳴らした。くぐもった音がずっと広がり続ける段々の地形の隅々へと波及していく。
視界から見えてくるのは同じような景色。どこかが歪んだり、理性をなくした獣の声はない。
そして、もう一度鳴らす。特に変わらず。安心してもいいだろう。
「どう?終わった?」
「ああ、『あれ』はいなさそうだ」
「こんなところにも、いるんだね」
「見たことはないが、用心に越したことはない」
「確かにね。私も自転車乗るときはヘルメット被ってたし」
「いや、あれは義務だったろ」
「え、八雲のとこってそうなの?」
「もういいから、早くいこ」
一度会話をすると抜け道が分からないのが嫌なところである。しびれを切らした月見里が、せかすようにバイクタンクの上で漕いでいた。
悪い悪いとタンクをぺちぺち叩いて、出発。
三角の屋根。見た目上、日本家屋であるとは分かるが、屋根に家本体が覆われていることが特に目を引く。
これ以外で見たことがあるのは、広告棚で挟まれていた雑誌の表紙ぐらいだろうか。しかし、それで見たようなモコモコではなく、ソーラパネルが張り付けられ、その下地としてべったりとした銅板が張り付けられている。
どこも壊れていなかったようで安心した。どこに止めようが誰にも怒られないので、家の真ん前にバイクを駐車。
ここは玄関から入らずとも、家の中からベロを出したようなところがあって、どこからでも入れてしまう。雑誌から引用すれば、どうやらこれを縁側と呼ぶらしい。開放的で結構好きな方である。
「もう降りていいぞ」
そういうと、月見里がバイクから飛び降りて、一目散に縁側へと寝転がった。こちらも縁側へと寝転ぶ。
これがただいま代わりの儀式である。
「ただいまー、疲れたー」
そう言って、東台も縁側に参戦。3人川の字の出来上がり。空を見るともう夕方近い淡い空である。
時間も遅いから、ご褒美は明日でいいか。それでも、これから、東台に家の案内をしたり、部屋に溜まったごみを掃う必要があるし、それに汚れた服を洗剤漬けにしないといけない。
クソ、やることが多い。それでも、縁側に身を預けてしまえば予定がなくなってしまうのか。
足もだるくて腰が重い。2人もどうやら同じらしく、すやすやと眠りに落ちていた。まあ、後でもいいか――――。
そうして、真っ赤な夕日に起こされた。
2人はまだ寝ていたので起こさぬように洗濯の準備をする。
当然ながら水道や電気は死んでいるので、縁側の横についている井戸から水をくみ上げないといけない。
とりあえず、台所から桶を取り出してきて、バイクに詰め込んでいた服を押し込む。
大抵は水道の通う矢小間遊園地で洗濯しているので、適当に洗剤に漬けている程度なのだが、服がもうバイクに置いてきていたものしかないため全部洗わないといけない。
数日分の服が3人分。結構なお山が出来てしまった。頂上にはブラジャーやパンティーが鎮座している。これを洗うのか、本当に。
月見里のものはともかく、東台のものとなると抵抗感がある。どうせ洗ってしまうのだから自分が触っても問題はないか――――。
やはり、ダメだ。東台の――おそらく仲は良い方の妙齢の女の子を包んでいたものと考えると酷く抵抗がある。
とりあえず、桶は3つある。後で東台にお願いしよう。
そういえば、洗剤を持ってきていなかった。再び台所へと戻る。
近道である縁側を通ると、気怠そうに目を擦っている2人が見えた。いろいろ歩き回っていたから起こしてしまったのだろうか。申し訳ないことをした。
「おはよー、八雲。今何時?」
「さあな、6時くらいじゃないか?」
「え?嘘お、夕飯の支度しようと思ったのに」
「缶詰あるから別にいいぞ」
「え?そうなの?でも、またあのシーチキンでしょ?流石に連続で食べるのはやだな」
「いや、鶏肉とか果物とかあるぞ」
「すごっ、大金持ちだね」
そういって、目を見開く東台。昔流行っていた財テクは無理だが、無駄にため込むことだけは得意である。無論、エリクサー症候群も得意な方だ。
いろいろあったし、今日ぐらいは食べても罰は当たらないだろう。そんな風に消費する理由はひねり出していると、月見里も興味を持ったようである、
「ねえ、スパムの赤ちゃんは残ってる?」
「多分、あるんじゃないのか」
「え、何、なになに?そんなのがあるの?」
スパムの赤ちゃんと聞くと心もとないが、脂っこいのにあのザラザラとした食感を思い出して余裕で涎を垂らしてしまう。
少なくとも、東台の琴線にも触れたようである。
「とりあえず、ついてこい。見てからのお楽しみだ」
そういって二人を連れて台所へと赴く。そういえば、部屋に案内していなかったが、そういうのはまた飯を食う時でいいだろう。
縁側を端まで行くと玄関に行きつくので、そこを背にして廊下を辿って突き当りに行けばすぐに台所へと行けた。月見里直伝の近道である。
「うわぁ、かわいい」
かわいいと言われたキッチンは、錆びたアルミのシンクとクリーム色のキャビネットに満ちた哀愁通り越してどこにでもあるようものである。
強いてそこに可愛さを見出すのなら、広く取られた空間のくせにこじんまりとしているところだろうか。もしくは、おたまやフライ返しが吊られていることだろうか、湯を沸かすだけなのにどこでどう間違えたらここまででかくなった湯沸かし器なのか。
吊られているやつは確かにカラフルだが、使いもしないからくすみ切って不衛生極まりないし、湯沸かし器は冷や水のようなお湯しか出なくて腹が立つ。
カワイイは世界共通だというが、その世界の広さには舌を巻くしかない。少なくとも、月見里は東台をこいつやっぱ変人だわと訝しむ表情をしている。
「かわいい?」
「うん、茅葺屋根でザ日本家屋なのに、ここだけ昭和って感じがしてなんかかわいいよね」
昭和とは令和の仲間なのだろうか。囲炉裏とか筒で火を調整するデカいカマドとかを連想したが、流石にそんなものはない。
いや、コンロのところだけは、携帯ガスコンロをそのまま大きくしたようなものなので、古臭いといえば古臭いが。可愛さは何処へ?
「ちょっと分かるかも」
「でしょでしょ、ゆいちゃんもいい趣味してるね」
「いいから、そういうの」
「ゆいちゃん。冷たいですねー」
しかし、月見里の琴線にも触れたらしい。本人は悔しそうだが、これで俺は一人。世界から置き去りにされた。こういう時は流されるのが一番である。
「あっ、ああ、そうだな。カワイイ」
「それで、ここってまだ使えるの?八雲?」
しかし、世界はすぐに戻ってくる。
「あっ、ああ、そうだな。水道はもう使えないが、コンロの方はまだ使えるぞ」
「へぇー――あっ、本当だ。すごーい」
そういって、コンロのつまみを回す東台。綺麗な火の輪っかが咲くのが在りし日の生活感を感じさせてくれる。
どうして、こんな人も住まない辺鄙なところで火が付くのかというと外にデカいボンベみたいなのからガスを供給しているかららしい。それを使って火を起こしているのだと、月見里から教えてもらったことがあった。昔から勉強熱心である。
ならば、井戸が使えるのだから、水道も使えるのかと意気揚々と回したときに一滴も出なかったのは未だに恥ずかしい。
「これしか使えないけどな。あっても、あんまり役に立たんしな」
「そう?料理が作るとき便利だよ。それに、遊園地だとコンロ使えないし。逆に新鮮じゃん」
「ああ、スパムの赤ちゃんだったよな」
「あっ、そうだった。早く見せて。見せて」
たださえ丸みを帯びた目をクリクリさせて、期待の表情を浮かべる東台。そこまで期待されると、ガッカリされてしまいそうで不安だ。でも、キッチンも可愛いといってくれたので問題もないだろう。
棚から出して、宝物のようにして彼女に見せる。可愛いだろう?
東台はポカンと口を開けていた。
「これコーンビーフだよ?」
「よく知ってるな。コンビーフもといスパムの赤ちゃんだ」
パッケージに書いてあるか誰だって分かるよなと、言ってて気づく。そういうことか、東台も名前が全く違うことに驚いているのだ。
自分も分かる。初めて見た時驚いたが、形が同じなのですぐにスパムだと分かった。要するに子供の時と大人の時で名前が変わる魚と同じだろう。いつかこいつもコンビーフからスパムへと成長するのだ。
食感だとか味も歴然とした差があって、どっちが旨いかは甲乙つけがたいものがある。月見里はこっちの方が旨いと言っていたが。
さてさて、東台はどっちが好きだろうと顔を見ていると、何故だか気まずそうにしていた。
「どうした?」
「あー…ね。出世魚的なやつね。八雲、夢を潰すようで悪いんだけどさ。それスパムとは全然関係ないやつよ」
「え?いや、形同じだぞ」
「あっ、あー、あーね。確かに似てるよね。別のところが作ってる缶詰だから――――。パッケージを見てごらん」
「いやいや、それは――」
そんなまさかとパッケージを見ると、無地の色の背景の中に優しいタッチの牛。確かにまるっきり違う。
いや、でもそれはスパムの赤ちゃんだからだろう。裏にある原材料表を確認してみると、製造国と製造会社がまるっきり違っていて、ようやく気付いた。
そもそも、アメリカンなバーガーがド派手に載ったパッケージに収められたものと、こいつが同じなわけがあるわけもない。
「ほらね、コーンビーフは日本の会社が作ってて、スパムはポーランドの会社が作ってるやつだからまるっきり違うの」
「知らなかったな……」
衝撃的な事実に打ちのめされてしまう。ずっと常識だと思っていたことがこうも簡単に打ち崩されてしまうのか。
月見里はさして驚いていないようで、なんというか思い込みと言うのは恐ろしい。
まあ、いいさ。うまかったらなんでもいいのだ。
「ん、それじゃあ、コンロも使えるっていうし、腕を奮っちゃおうかな」
そういって、腕まくりをする東台。しかし、長年使われなかったキッチンの惨状を前に、その前に掃除かなと言って腕まくりを半分戻したのを見て、洗濯物がないか聞いてなかったことに気付いた。
「それもありがたいんだが、先に汚れている服とかあったら出しておいてくれないか」
「え?それでなにすんの?」
今度は自分の身を庇うように抱きしめる東台。昔見た女の子の表情を思い出して挽回しようとするが、乾いた口からは何も出てこない。どうして、俺は勘違いされるような話し方しかできないのか。
「あっ、ああ、すまない。そういう意味じゃ……」
「プッ、冗談だよ。冗談。リュックサックに突っ込んだままだから、勝手に持ってって」
「いや、それはまずいだろ。こっちが言い出したことだが、自分で出しておいてくれ」
「ええ、別にいいじゃん。私たちの仲でしょ?」
「仲って……それでも、な」
そんなことをしでもしたら、後々東台のことを直視できなさそうだ。言い出したのは自分だが、衣服に虫が湧いていたのを見たら嫌でも汚れた服を洗いたくなるだろう。
忌避感を覚えるものだが、自分の中には裏腹に生臭い期待感があって、なんと言えばいいのかまた分からなくなってくる。どうすればいい。
「東台のは、私がやるからいい」
しどろもどろになっていると、月見里が割って入ってきた。
「本当に?じゃあ、ゆいちゃんにお願いしようかな」
どうやら、東台の許しを得られたらしい。そういうと、キッチンに目を向けて、再び腕まくりをしている。
「私は東台のやつやるから、私のやつもやっといて」
そういって、月見里はキッチンの床に転がしていた洗剤とゴム手袋を拾うと、早速とばかりに洗濯へと向かう。
雑念に殺される自分が東台と2人きりの状況にいられるはずもなく、無言で月見里の背中を追いかけた。
月見里は来た道を戻るようにして縁側へと戻る。月見里が縁側に野ざらしにした東台の荷物を躊躇うこともなく開けて衣服を抜き取っていたので、こちらは目を逸らして心の落ち着きを取り戻す。
「……桶を取ってくるからな」
「うん、いってらっしゃい」
流石にバカ面引っ提げて見ているわけにもいかないので、さっさと桶を取に行ってヨチヨチと月見里のところへと戻る。桶2つを両脇に抱えて、後一つを股に挟んで運ぶのはなんともマヌケな姿に映るのだろう。
戻った頃には、既に全部取り出ししたようであった。少しばかり残念に思う自分がいて、なんだか嫌だ。
器用に腕の中に東台の洗濯物を抱えていたので、内容物を見ないように桶へと入れるように促した。
まるでゴミ箱に入れる時のように雑に放り込んでいるが、間口が広い桶なのですべてキャッチ。ちょっと悔しそうな顔を浮かべているが、器用な彼女では狙いを外すことの方が難しいだろう。
自分と月見里の衣服をそれぞれの桶に放り込んでいく、分けてみるとそこまで量は多くないようで両脇に抱えておけば大丈夫だろう。
「私の入れてもそんなにないじゃん。混ぜてもいいよ」
「いや、だめだ。いろいろと混じるとダメだろ。色物だしな」
「別にいい」
「まあいいから、早くいくぞ」
流石に月見里であっても女の子の服を自分のと一緒に洗うのは気が引ける。それに分けていた方が後々仕分けしなくていいので楽だ。
「そっちは、重くないか?」
「うん、大丈夫。平気」
そんなことを話していると湿った粘土のような匂いがした。やっぱり、汗と言うのは塩と水だけではないらしい。東台のはどうだろうと考えたが、彼女の服を見てしまう前に月見里の目に当たった。
「なに?」
「いや……いろいろと放置しすぎたよな」
「うん、ちょっと臭いよね」
そういって、月見里は顔をしかめて鼻を空へと逃がした。どうやら、東台のも臭うらしい。
なんだか変な気分が引っ付いてくるが、ひとまずこちらも鼻を別のところへ逃がそう。どうせ洗剤の匂いに塗りつぶされるものだから、いちいち考えていても仕方がない。
喋っているうちに井戸についたので、さっさと自分と月見里の桶に水を入れて洗剤をぶちまけて自分の手にゴム手袋被せてオペ開始。
ただ単に揉み洗い。昔は荒れた海を作れるぐらいにごちゃごちゃにかき混ぜていたが、勢い余って月見里の服を千切ってしまったことがあったのでさざ波を作る程度にしている。
それでも、汚れは落ちるようで、自分がやっていたことが無駄だったのだと分かっただけで良しとしたい。
ただ、襟の厚いところとかはどうしても擦っておかないと汚れが取れないので、なんというか衣服と言うのはわがままである。
そんなことを考えていると、月見里の衣服の一つにダルダルになっているのを見つけた。
「おい、月見里。お前のパンツ伸びてるぞ」
そういって、彼女のパンツを引っ張って見せる。なんの反発もなく、だらだらと地面に垂れる姿はまるで抜け殻のようである。そろそろ、ゴムを変える時期か。
月見里はその様子をちらりとみると、興味なさげに自分の桶に目を戻す。
「ああ、それもう穿いてないから、いらない」
「ん?ゴムを交換したらまだ使えるぞ」
「いらない、ずっと奥に押し込んでたやつだから。もうそんな子供っぽいの穿く歳じゃないし」
「そうか……」
こんなご時世、物を大事にしろというべきかもしれないが、無理やり履かせ続けるのも違う気がする。
これ何年前のやつだったろうか、お尻のあたりにでかでかとウサギさんがウインクしている。確かに、今の彼女が穿くにはいささか幼すぎる気がする。
「流石に、そこまで見られると恥ずかしい」
「あっ――ああ、悪かった。でも、これは一応洗っておくからな」
「別に洗っても穿かないからね」
「分かってる。分かってる。それでも、何かに使えるかもしれないだろう」
「うへぇ、何に使うの?」
わざとらしく顔をしかめる月見里に、雑巾に使うと口に出そうとしたが寸前で押しとどめた。流石にそれはデリカシーがなさすぎだろう。
「……タンスのかさ増しぐらいには出来るだろ」
「肥やしにすんの?次開けた時にはもう一つ生えてそう」
「その時はお前にやるよ」
「いらない、代わりに穿いといて」
「穿いてもいいのか?」
「うへえ」
月見里は吐くマネをすると、小さな笑みをこぼした。こちらも笑ってしまった。
そうして、桶に視線を戻すと、手もとが微妙に見えなくなっていた。そうだった、今は夕方だった。早く済ませておかないとと思い立ったが、手がとまった。
どうして、俺は何食わぬ顔で女の子のパンツを洗っているのだろうか。
「うわ、でっか。ねえねえ、これ見てよ。」
「やめろ」
横から東台の包んでいたものが現れる。電光石火のごとく、目を明後日の方向へと飛ばした。危なかった、グレーが見えそうになっていた。
「私もこんなにでっかくなるもんかな」
「でっかくなりたいのか?」
「……一応。大は小を兼ねるっていうし」
「いろいろ大変だと思うぞ」
東台の走っているときとか、壁にはまった姿を思い出す。傍から見れば、なんだか大変そうに思える。
「そういえば、東台が谷間あたりにすごい汗かくから拭くとき大変だって言ってた」
「そ、そうか」
クソ、墓穴を掘った。落ち着きを取り戻しかけた頭に、東台の胸がいっぱい湧いてきて嫌になってくる。それでもいろんなところが熱くなって、体だけは嫌に正直だ。
「たわわに実る――」
「やめろ」
成人向けの金言が出てきて思わず月見里の方を見るが、彼女が東台のカラフルなものをブラブラさせているのが見えて目を逸らす。
頭が熱くなって、罪悪感でどうしようもなくなる、それでも手だけはずっと早くなって、いつの間にか自分の目の前には黒ずんだ液体に浸かった衣服が出来上がっていた。
急いで水を洗い流して、再びきらきらとした水を入れなおす。明日にはまた黒ずんでいるだろうなと遠い目をしてみるが、月見里が洗い流したばかりの東台の服を見せつけてきたので、勢いママ水をぶちまけて早く黒い水になれと願ってみるが多分それは逆効果である。
そして、多分に漏れず噂をすれば影。すっかり綺麗な洗濯物が出来ると、東台がご飯だと縁側から呼んできた。
野ざらしにするわけにもいかないので桶を縁側に移動させると、肉の焼けるいい匂いが漂ってきた。
犬のように鼻を剥ければ、畳広がる部屋の中に座布団に取り囲まれたちゃぶ台が一つあって、その上にいつか見た白い食器に照り立った肉と何かキラキラとした黄色いものが見える。綺麗だ。
「おかえり。さあさあ、好きに座って」
「ああ、ちょっと待っておいてくれ」
これが文化的で最低限度の生活というのか。ともに桶を運んでいた月見里は最低限の理性ある表情をしていた。
「月見里、残りはやっておくから行ってこい」
「いいの?」
「二人がかりで桶を運んでも仕方がないだろ」
そういうと月見里は縁側に桶を放って、ちゃぶ台へと駆けていく。
急いで桶を屋根のあるところにおいて、ラストスパート。座布団へと直行する。
うまい飯の匂い。彼女たちが綺麗な姿勢でちゃぶ台で待つ姿に雑な対応をしてはいけない気がして、こちらも膝を折りたたんで、座布団の上へと座った。
目の前に東台がいて、不敵な笑みを浮かべているように見えた。今の彼女にはとても頭が上がりそうになかった。彼女の采配一つでいつ食えるか決まるのである。
「うん、皆集まりましたね。いただきます」
「「いただきます」」
なんだかんだで、三重奏。食べ方は相変わらずの三者三様である。月見里は箸を駆使して丁寧に口に運んでいき、こちらはスプーンを使っているのが不思議なぐらい食い散らかし、東台はその中間よりちょい上の食べ方をしている。
それでも、表情は同じ。コーンビーフのしっとりとした食感に、肉汁の沁みこんだ黄色い粒々が口の中で弾ける。コーンよ、俺が悪かった。すごく旨い。もう月見里と共に我慢比べをしなくてもよくなったのだ。改めて料理のすごさを思い知られた。
しかし、楽しい時間は過ぎ去る。コーンビーフよ、何故お前はすぐに無くなる。
東台と月見里が未だに食べているが、負けず嫌いの幼女は東台に追いつこうとしている、やめとけ、やめとけ、味わわなければ勿体ない。
こちらは井戸から汲んできた水を飲んだ。塩気が中和していくような清涼感に喉を鳴らした。
物足りなさはあるけれど、この胃袋の隅っこが開いている感覚がどうしてか居心地の良いものだと思えた。
つまようじが欲しくなるほどの余韻を楽しみ、ごちそうさまと3人で言った。そうして事が終われば、後は後始末だけなのだが、外はすっかり暗くぼけてしまって危険である。
なので、引き続き3人でちゃぶ台を囲み、洗剤に浸したペーパータオルで洗うことになった。
食器洗う時の定番なので別に手間なくやれるが、せっかく井戸があるのだから水を使って洗い流してやりたい欲求がある。
東台によると一度水をもらおうと来たそうなのだが、水を入れる道具が見つからなくて諦めて戻ったという。戸棚のところにバケツが一つあった気がするが、言わなければ分からないだろう。
「言ってくれたら、渡してたぞ」
「いやあ、2人とも楽しそうだったし、水を差すのも悪いかなって」
そういわれるとなんだか気恥ずかしいが、自分たちが東台の衣服で遊んでいたので背中にヒヤリとしたものを感じた。
「ゆいちゃん」
「ヴッェ」
東台に呼びかけられた月見里は異様に驚いた表情をしていた。どうやら、彼女も同じことを考えていたらしい。
「私のやつ、洗ってありがとね」
「ああ、うん、別に」
なんとも平静を保とうとしているが、ばっちり目が泳いでいる。月見里もあまり嘘を付けない人間だと思うが、若干気まずそうにしてチラチラと胸を見るのはやめた方がいい。
確かに、屈託のない笑みでお礼を言われると、こちらも気まずくなる。それに、今目の前にするとそりゃああれぐらいの大きさになるよなと感心してしまう自分がいるので別の意味でも気まずい。こちらも目を逸らしておかないといけない。
「二人ともどうしたの?」
「「いや、なんでも」」
それでも、自分の体は皿洗いのやり方を覚えていてくれているようで、ピカピカの食器が目の前に出来ていた。自分を褒め称えてやりたくなるが、月見里も東台の食器がそれ以上に輝いているので心の中に留めていた。
そのころには外の景色は真っ黒に潰されて、虫とカエルの声がひっきりなしに聞こえてくる真夜中。
入れ替わるように白い光が部屋の中に満たされているので、ソーラーパネルはまだ健在なようである。
かといって、何かやることもあるわけでもなく、バイクに揺すられた体ではトランプゲームとかに興じる余裕も無い。食後の休憩とばかりにちゃぶ台にもたれ掛かって外を眺めている。
それなら、おしゃべり好きな東台が何か話しそうではあるのだが、当の彼女はこくりこくりと首を揺らして半分の夢の中である。自分たちも人の事を言えないが。
いっそのこと、畳が柔らかい。いっそここで寝てやろうかと思ったけれど、せっかく布団があるので瞼が落ちる前に寝室にある押し入れへと向かい用意する。
何故だか布団は大量にある。人数分出して、床に敷いて準備完了。2人を起こして、台所でぼーっとしながら歯を磨いて布団へ誘導。
「おかあさん、おやすみい」
東台が何か言ったと思ったら、布団に飛び込み羽毛の感触に穏やかな表情を浮かべて寝息を立てていた。
月見里も髪を括ると布団に倒れこんで眠りについた。どうやら、月見里の方が寝息が小さいようだ。
朝は冷えるから2人に掛布団をかけといて、こちらは自分の布団に転がった。
しかし、眠ろうとするとどうしてか目が覚めてしまい。しばらく眠れなかった。




