表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
右手の恋人  作者: 志摩鯵
2/3




その夜、俺は彼女が布団を抜け出した後をつけた。

しかし彼女は、家具の裏に滑り込むと、そのまま出てこなかった。


やられた。

ネズミのように家の壁や天井裏を這い回っていたのだ。

通りで家族にも怪しまれずに普段は、家で過ごしている訳だ。


だが彼女が家を抜け出し、秘密の場所に通っているのなら良い考えがある。


俺は、仕事の都合でしばらく帰れなくなると家族や彼女に言い含めた。

その上で家の外で彼女を待ち構える計画を立てたのだ。


しかし相手は、地を這う片手だ。

街灯も少ない夜道では、彼女を見失うことも十分に考えられた。

それに灯りを使う訳にはいかない。


俺は、部の悪い勝負を挑んだのだ。


「仕事の用事でしばらく帰れないんだ。

 だから今まで通り、家族に見つからないようにするんだぜ。」


夜の散歩をしながら俺は、彼女にそういった。

彼女は、指を鳴らすと親指を立てて了解したことを返事した。


さあ、次の夜は、彼女を追跡するぞ。

俺は、胸の奥で決心を固め、深く息を吸い込んだ。


翌日。

仕事を終わらせると彼女が通りそうな場所に待ち構えた。


腕時計を見る。

夜の零時になった。


しびれを切らして待っていると白くて小さな塊が道を滑る様に進んでいく。

彼女だ。


彼女は、いつの間に作ったのか、何やら小さな台車のようなものを引いている。

台車の上には、何やら荷物が乗せられていた。


彼女は、ガラゴロと台車を引きながら夜道を這い回っていった。

俺は、いよいよ神経を研ぎ澄ませ、真っ暗な闇の中、彼女を追いかけていった。


酒屋の前を曲がり、床屋を通り過ぎ、彼女は、Y字路を右に曲がる。


おや。

これは、彼女を拾った、例の母親が自殺して子供たちが飢え死にした家に向かう道じゃないか。


俺は、思わず身震いした。

あの呪われた家に彼女は、通っていたのだ。


急に背筋が寒くなった。

あの凄惨な、近所から見捨てられた家に。

あのおぞましい過去を孕んだ場所に、夜中に訊ねるなんて。


第一、あの死臭漂う家に片手だけの女が出入りしているなんて、血の凍り付くような秘密があるに違いない。


何か世間も知らない事件が、あの場所では起こっていたのだ。

俺は、そう考えると足が止まった。

そんな真実を知る勇気がなかったのだ。


結局、俺は、その日、彼女の後を追うのを止めた。

だが家族と彼女に告げた期間のあいだ、俺は一週間、彼女を見張った。


その間、彼女は、ずっと台車を引いて例の家に通い詰めていた。

1日も欠かさずにである。


俺は、あまりの恐怖に食事も喉が通らなくなった。

ゾッとする闇の中に吸い込まれて行く彼女の姿が頭から離れない。


しかし俺は、悪夢の中にまみえた、奇怪な秘密を暴きたいという欲求にも駆られた。

そこで彼女に俺は、率直な質問を打ち明けた。


「なあ。

 悪いと思ったんだが俺、お前が夜中に一家が全滅した、あの家に通ってるのを見たんだ。

 その理由を俺に教えてくれないか?」


俺の質問に彼女は、指をパタパタと動かして動揺した。

カリカリと爪で畳を引っ掻き、あわただしく紙と鉛筆を拾って戻って来た。


彼女は、走り書きで俺へ手記を寄越した。


分かりました。

私の正体をお教えしましょう。


手記を見て俺は、いつものように夜の散歩に出ると家族に告げ、彼女を連れ出した。

そして近所の道を通り、例の家に向かった。


もう例の家は、すっかり自然に返り始めていた。

庭や家の周りが草むらになり、背の高い雑草が茂っている。

俺は、そこを?き分けて入っていった。


彼女は、指をさして方向を示した。

俺は、懐中電灯で廃屋の中を照らし、恐怖に冷たい汗を流しつつ進んだ。


彼女は、壁や天井の暗闇を普段は、進んでいるのだろう。

今回は、人間の身体を持っている俺が来ているので、もう半年は開かれていない戸を開け、奥に進んでいった。


彼女は、風呂場の辺りまで来ると床下を指差した。

一旦、俺は彼女を床に降ろして、子細な場所を案内させる。

腕だけの彼女は、床の一角を指し示した。


確かに、そこは床ハッチ(タラップ)になっている。


俺は、跳ね上げ戸の取っ手を握ると放棄された地下への入り口を開けた。

この地下は、作りの粗雑さからして、あのレイプ犯が自分で作ったものではないだろうか。

そう考えるだけで俺は、ますます気分が悪くなった。


「あああっ…!」


俺は、見るもおぞましい光景に、ゾッとした。

そして咄嗟に足元に居た彼女を掴むと俺は、その場から逃げ出した。

廃屋から飛び出し、草むらになった庭を駆け抜けて、息を切らせて敷地から離れた。


「はああ…、ふうっ。

 はあああ…、ふっ、ふー…。

 ふ、ふう…。」


俺は、今夜、廃屋の地下で見た光景を誰にも話そうとは思わなかった。


だが、そう。

あれは、確かに右腕のない女が辛うじて生きていた。

糞尿に塗れ、光も差さない地下で、どういう訳か生きながらえているらしい。


きっと彼女の残りの部分なのだろう。

そして、おそらく人間ではあるまい。




俺は、落ち着くまでしばらくかかった。

翌日は、仕事を休んでしまうほどショックを受けていた。


あの信じ難い光景が、今でもまざまざと思い出された。


何のためにあんなことを。

どうして彼女は、肘から上の残りの部分を廃屋に残していったのだろう。

俺に相談してくれれば、残りの部分を助け出すことぐらい、いつでも請け負ったのに。


俺は、彼女を信じたい。

こうなった以上、やはり彼女は人間ではないさ。

でも、今日まで気の合う恋人としてやって来た。


しかし彼女の動機が分からない。

自分の身体を取り戻したいというのが人情ではないか?


それとも妖怪には、妖怪の価値観、考えがあるのだろうか。

だとすれば、人間の思考とは、随分とかけ離れている。

まさに不可解だ。


何日か置いて、俺は彼女に改めて事実を訊こうと試みた。


彼女は、なぜ、あの場所に自分の”残り”が居るのか。

その理由は、随分と昔からなのだと答えるだけで仔細までは明かそうとしなかった。

だが、あのままにしておくことが安全だという事は、仄めかしていた。


俺の予想通り、あれは妖怪であり、ああしておく方が良いのだと。


彼女は、あれの右腕だけが別の妖怪になったものなのだという。

彼女には、別個の人格があり、残りの部分とは、いわば別人になっているらしいのだ。

だから、自分の残りの部分とは言え、あの暗い廃屋の地下に残しておく方が良いと主張する訳だった。


それに実際の問題として、もしあれが元の一部として自分を取り込んでしまうと右手に芽生えた人格である彼女は、消滅するのだという。


そういった彼女なりの事情、実害もあり、あれは、あのままにしておいて欲しいという。

彼女が夜な夜な、あれを見に行くのは、あれがあの場所から離れていないか確認するためだという。


いや。

本当に妖怪の複雑怪奇な事情である。


俺は、全ての事情を納得したと答えた。




しかし人間にとって恐怖とは拭い難い物である。

最初は、単なる恐れが、やがて脅威に変わり、廃屋の下に転がる妖怪を何とかしなければならないと考えるようになっていった。


それでも、あれは彼女の残りの部分なのだ。

あれに何かあれば、彼女の身にも危険が及ぶのではないか。

なら、あれを殺すとか傷つけるなんて以ての外だ。


俺は、次第にそう考えるようになって、あれをなんとか見つからないようにしようと計画した。


まず俺は、人間の女房を探した。

そして家から出るという手段で、あの廃屋を手に入れた。

元の持ち主は、蒸発してしまったし、済し崩し的に、これは上手くいった。


近所の人たちも廃屋が隣にあっては、色々困るということもあって不信がりはしたが了承した。

第一、どの辺りでも昔まで遡れば全ての家で何かあったに違いないのだ。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ