64話 大学の夏休み
子供の頃、早く大人になりたいと思った覚えがある人は、どのくらい居るだろうか。
勉学の強要、ライフスタイルの強制、行動の制約、精神的な束縛、不条理な要求。
それら保護者の様々な干渉に対する平和的な解決手段が大人になる事であり、そうあろうとする事は極めて正常な思考である。
しかし大人になる事で失われる物もいくつか存在する。
その最たる例の一つが、夏休みであろう。
もちろん社会人の中には、年に三~四ヵ月だけカニ漁船に乗って年収一〇〇〇万以上を稼ぎ、残りは長期休暇という特別な職業もある。
だが大多数の職業に就くと、かつての保護者からの干渉を大幅にシャットアウト出来る事と引き替えに、学生時代に得られたような夏休みは失われる。
次郎たちの大学では、夏休みは八月の初旬から九月の下旬までだ。
北海道の夏は短いが、それにも拘わらず本州並みの長期休暇である。その理由に思いを馳せた次郎は、教授達が休みたいだけではないかと疑った。
実際には相応の理由があるのかも知れないが、次郎の周囲にはテレパシーを使える人間が居ないため、脳内に突っ込みを入れる者は居ない。
もっともテレパシーは使えないが、魔法を使える知り合いならば沢山いる。
それは、現在進行形で次郎が携帯端末のネット対戦をしている大学の同期であり、所属しているダンジョン研究会のメンバー達である。
「おいジロウ、開始ボタン押せよ」
「いや、熊さん。そろそろ到着だろ。大富豪は終わり」
「もうそんな時間か。空海、翔馬、終わりだってよ」
「おう、分かった」
「札幌から新青森までの三六〇キロを約二時間。やっぱり新幹線は速いね」
次郎の周囲には、魔法を習得している者が多い。
サークルメンバーの掛け持ち先でも、ダンジョンウォーカー、UMAクラブ、北大魔導師連盟、北大冒険者ギルドなどは、揃いも揃ってレベルを持つ者たちの集まりだ。
二〇四七年現在、レベルを得る事で生命力や身体能力の向上などのメリットはあっても、明確なデメリットは見つかっていない。また生計を立てる手段としては確立していないが、力や健康を得る事は、生計を立てる事の補助的な位置付けには成り得る。
そのため次郎たちと同学年でレベルを持つ人間は、日本全体で三分の一を越えている。
そんな魔法使い集団の末端に名を連ねるダン研は、高校生たちの夏休みが終わってダンジョンが空く九月上旬の平日に、青森ダンジョンに挑戦する計画を立てた。
本当はダンジョン公開から一年を記念して九月五日の土曜日に入りたかったが、流石に混雑が予想されたため、その日は避けて九月二日から四日までを予定した。
レベルを得るメリットとデメリットを見比べれば、夏休みの機会を逃す理由が無い。ダン研メンバー七〇名のうち八割近い五三名が探索に参加を表明した。
なお不参加者の理由は多様で、ダンジョン入場許可証が北海道・東北ブロック以外にあって青森ダンジョンに入れない者、成績が芳しくなかった者、資格取得の日程が被った者、抜けられないアルバイトがあった者などである。
「次郎嫁は参加できなくて惜しかったな」
「まあ、医学部だからなぁ」
不参加だった一七人の中には、美也も名を連ねている。
学部を言い訳にしてまで来るのを拒んだ理由は、レベル上げの意味が無いからではなく、女性にとって下級ダンジョンのトイレ事情が好ましくないからだ。
次郎たちしか入らない高難易度のダンジョンでは、単独で大きく距離を取って、風の防壁で音を遮断して、土魔法で周辺を埋め尽くすという手法を採っていた。
しかし公開された下級ダンジョンでは、ゲート内側の入り口前にこそ大量の仮設トイレが設置されているものの、ダンジョン内では周囲に魔物を警戒する仲間が居る中で、『簡易テント、簡易トイレ、凝固剤』の三点セットでトイレを済まさなければならない。
凝固剤で固めた袋は、その辺に棄てておけば灰色スライムが処分してくれるので持ち帰り不要だが、女性にとってはそういう問題では無いらしい。
そのためダンジョンに潜る女性の多くが、入り口付近ばかりで活動する。
そこではコウモリの数が常に不足し、女性の大半は経験値不足で低レベルに留まってしまう。
「全国のダンジョンに入れるようにすれば良いのに、どうして駄目な決まりになっているんだ」
「確かに。マイナンバーカードの流用だから全国何処でも使えるだろうしな」
「そうだよね。それは制度の不備だから改善すべきだよね」
次郎たちの疑問に、火曜日グループが横から入ってきて賛同の意を示した。
北海道・東北ブロックに住所がある者は、当該地域の初級ダンジョンに入れる。
北海道から青森県までは新幹線一本で行けるため、道民がダンジョンに潜るときは、青森ダンジョンを選択する事が多い。
停車駅次第で到着時間は変動するが、六時三五分に札幌を発車する始発の新幹線なら、停車駅が少ないので新青森に着くのは八時三五分となる。
新幹線は料金が高いために、車に乗り合わせる青春まっしぐらなチームもあるが、次郎は新幹線に乗ってきた。
「全員そろそろ時間だ。旅館の場所は分かっているだろうから、はぐれても置いていく。旅館に荷物を預けたら、全員で青森ダンジョンに移動だ」
「了解ですー」
ダン研の探索予定は、二泊三日となっている。最低目標は、参加者がそれぞれ一つレベルを上げる事だ。
もっとも次郎たちは既に限界値と思われるレベル一〇〇に達しており、ステータスからレベル表示が消えているため、目標達成は不可能であろうが。
高校生の綾香が夏休みだった七月二〇日の土曜日から、八月一八日の日曜日まで、次郎たちは自由時間の大半を最上級ダンジョンの探索活動に費やした。
それは探索と言うよりも、ダンジョン内部の破壊活動であった。
回復する最上級ダンジョンの魔物達に辟易した三人は魔法を重ねて、第二階層から第十階層までの各森林地帯を炎と風で焼き払い、土を引っ繰り返し、何も無い荒野に変えた。
その結果、膨大な魔物を倒している。
大魔法を使う二人に比べると次郎の撃破数は伸び難いが、そもそも普段参加できない二人の撃破数を引き上げるのが長期休みの目標なので、結果は期待通りだ。
そうして夏休みの自主的な課題を終えた現在は、インターバル中であった。
働き過ぎの日本人として、少しは休まないといけない。
そんな考えの元、次郎はダン研主催のイベントに旅行気分で参加していた。
「潜るぞ潜るぞーっ」
「「おーっ!」」
女子力の解釈に新たな一文を書き加えたダン研の女性陣が、意気揚々と新青森駅のホームに降り立った。
そんな彼女らの進撃に男共が付き従い、新青森駅を出てから二手に分かれた。
下級ダンジョンが解放されて以来、下級ダンジョン周辺のホテルは予約が多い。
いかに九月の平日と言えど、五三名が泊まれるホテルは流石に無かった為、ホテルを分けたのだ。
次郎が泊まるホテルは新青森駅と青森ダンジョンの中間に位置しており、一泊六〇〇〇円台で朝食も付いてくる。
暫く歩くと、すぐにお値段相応のホテルが見えてきた。
そこからは会長の津田が先頭に立ち、ホテルに入っていく。
「今日から予約の北大ダンジョン研究会の津田です。事前にメールでお願いしていた荷物の預かりをお願いします」
「畏まりました。こちらの方へどうぞ」
津田は随分と慣れた様子でフロントマンとやり取りを済ませると、月曜日と火曜日の合計二八名をロビーへ誘導した。
ロビーに入ると各自が荷物から装備品を取り出して身に纏い、残る荷物を預けると直ぐにホテルを出て、水曜日と木曜日のチームと合流する。そして水と食料を調達すべくコンビニを経由し、青森ダンジョンに向かって歩き出した。
各々の装備は様々だが、槍の持ち運びが面倒だった次郎は、懐かしのナタを二本用意した。
周囲も日本刀や槍、弓などで武装しており、武器だけ見ると戦国時代にタイムスリップしたかのようである。但しリュックサックや背負い袋には、魔石を取り出し易いナイフやL型バールがはみ出していたが。
防具は、ヘルメット、ゴーグル、ネックガード、肘や膝のプロテクター、グローブ、安全靴などが真っ当な装備だとして推奨されている。予算が豊富にあれば、着衣や手袋を防刃のケブラー繊維で揃える人もいる。
道具は、水筒や簡易テントと簡易トイレと凝固剤のセットなどが必須だ。他にも長時間潜るなら携帯型の簡易折り畳み椅子は欲しいし、深くまで潜るなら寝袋なども必要になる。
照明は、ヘルメットやベストに取り付けるタイプのLEDライトや、リュックなどにぶら下げるLEDランタンが主流だ。なお洞窟内では、いくら焚き火を起こしても酸素濃度が変わらなかったため、今では火や光魔法の照明も認められている。
その他にも、奥まで潜るチームは貸自転車屋で自転車を借りる場合がある。殆ど買うのと同じくらいの保証金が発生するが、自転車が無事なら保証金は返して貰える。
なお事故が予想されるため、原動機付きの乗り物は入口で止められている。
ここまで武装したダン研は、一昔前であれば銃刀法違反で現行犯逮捕されただろう。
しかし、人を襲う魔物が大量に氾濫するようになった現在、『違法性阻却事由によって罪に問われないと解される』とする見解が関係機関・都道府県警に通達されており、武装してもそれだけで逮捕される事は無い。
解釈の根拠は、日本国憲法第二五条の生存権だ。
憲法優位説によって、生存権が銃刀法を上回ると解されている。もっとも、武器を以て人を傷つければ、相応の罪に問われる事に変わりはないが。
武装したダン研は堂々と青森市内を歩き、ダンジョン関連の土産物屋や屋台を通り過ぎて、途中で貸自転車屋に寄ってから入場ゲートを通ってダンジョン内に侵入した。
時刻は一〇時を過ぎたところで、この大集団であれば素早く行動できた方だろう。
ダンジョン内部に入って坂道を下った津田は、人が沢山群れている大広場に出ると、空いている近場に移動し、引き連れてきた五二名に指示を出す。
「それじゃあ入り口、中間A、中間B、奥までの四チームに分かれる。入り口は留美衣君、中間Aは僕、中間Bは択海君がリーダー。奥は陽彩君がリーダーで、鋼君が副リーダーの二人体勢になる。各自、リーダーの元に集合」
次郎は津田の号令に従い、長谷空海、大熊騎士、穂刈翔馬らと共に奥までチームに加わった。
「リーダーは名簿を確認しながら点呼。確認後は移動して良し。それでは健闘を祈るよ」
自分以外の三チームを追い払うように右手を振った津田は、自身が受け持つチームの点呼を始めた。
次郎が所属した奥までチームも津田から離れた場所に集まり、リーダーの笹森に点呼を取られた。
「ルールは一個。コウモリを一匹倒したら、次は周りにも譲ってね。それじゃあ出発―っ」
「「「おー」」」
奥までチームの一五人は、陣形も役割分担も無く、撤退時間すら定めずに、地下二階を目指して自転車で走り始めた。
初級ダンジョンの通路幅は、大半が片側三車線の国道並に広い。
そのため人々は、中央付近を二輪車の左側通行として使うルールを生み出し、自転車での移動を可能とした。
「追い越し車線は右側だからね」
「了解です」
「荷台付きの緊急車輌は、一番右側だから。サイレンが聞こえたら左に寄ってね」
「そんな物まであるんかい!」
笹森の指示が飛び、ダン研は通路の追い越し車線を走り始めた。
初級ダンジョンの各階層は、一般公開されて日本中の人々に調べられた結果、おおよそ四〇〇平方キロメートルであると判明している。日本の市は、平均一七〇平方キロメートルなので、ダンジョンの一階層は平均的な市の二倍以上三倍未満だ。
仮にダンジョン内が正方形で、最奥まで直線で行けるのならば、二〇キロほど走れば地下二階へ辿り着ける事になる。
だがダンジョン内部は、迷路のように入り組んでいる。
そのためどこのダンジョンでも、実際の移動距離は三倍以上となる。
北海道ダンジョンの地下一階から地下二階への道は、コウモリとの戦闘を回避しながら迷わずに進んだとしても、レベルを持つ者が乗る自転車で片道三時間は掛かる。
つまり午前一〇時の出発であれば、地下二階への到着は早くとも午後一時だ。
地下二階で二時間ほど滞在してから帰路に着けば、ダンジョン脱出は午後六時。
(…………絶対にスムーズには行かないだろ)
なにしろ陣形も役割分担も定めず、撤退時間すら示さないチームである。従って地下二階まで辿り着き、感覚的に満足したら撤退なのだろうと推察された。
それでも破綻とまでは行かないのは、会長が事前準備させていた地図や道具があるからだ。
スライムが何でも消化してしまうために標識などは一切設置されていないが、ネットで印刷した地図に蛍光ペンで曲がった道などを記入していけば、現在地と帰り道には迷わないで済む。
次郎が自転車のハンドルに肘を付けながら走行と同時に地図を見ていると、背後から魔力の流れが感じられた。
「炎の精霊達よ、僕に力を、ファイヤーボール!」
次郎の後方から詠唱が響き、炎の魔法が飛び出して見事にコウモリへ命中した。
飛び回っていたレベル一のコウモリは火魔法の直壁を受けて、警察の拳銃で発砲されたときよりも呆気なく撃ち落とされる
「おおっ、翔馬やるじゃん!」
「前を照らそうと思ったら、丁度居たからね」
魔法攻撃は、コウモリの肉体的な防御力とは無関係にダメージを与える。
墜落したコウモリに二度目の魔法を放った翔馬は、堅実にトドメを刺した。
彼はそこから直ぐに自転車を降りて、短刀で胸部を切り裂いて魔石に触れ、力を吸収してから直ぐに自転車の列に復帰する。
集団を待たせた翔馬が一言謝った後、笹森が号令を出して集団は再び移動を開始した。
停車から再出発まで、僅か一分足らずの出来事である。
次郎は翔馬の効率の良さに、思わず目を見張った。
先行者として効率性を高めてきた次郎にとっても、彼の稼ぎ方は悪く無いものだった。
道理で人々のBPの割り振りが、魔法一辺倒に偏る訳である。もしかすると効率的な稼ぎ方などがネットに載っているのかも知れない。
「手慣れているな」
「僕もレベル三だからね。堂下君はダンジョンの外でレベルを上げる事が多かったんだっけ」
「ああ。俺は森林で稼いだんだ」
「それは大変だったね」
「いやホント、自転車での経験は初だわ。最初は金が無かったから、こういう稼ぎ方は無理だったしなぁ」
入り口付近は混んでおり、そこかしこでコウモリと戯れる人々が視界に入る。
国内二四ヵ所のダンジョンに対して、潜る候補者は一〇〇〇万人以上。一ヵ所に五〇万人が登録している中、火曜日と言えど一万人くらいは入り込んでいるのだろう。
地図に示された道順で二階に向かっている以上、遭遇率が高いのも道理である。
「風の刃よ、吹き荒れろっ、エアカッター!」
「水よ集え、そして駆け抜けろ、ウォーターブレット!」
ダン研の面々は掛け声を掛けながら、魔法で次々とコウモリを撃ち落として進撃を続けた。
一五人が連携して一匹ずつコウモリを倒し、やがて二匹目を倒す者も現われ始める。
各自がレベル相応の戦闘力で、危なげない堅実な動きを続けた。
「…………すまん、ちょっと聞いても良いか」
「どうしたジロウ」
「皆は魔法を使うときに、どうして呪文を唱えるんだ。無言でも撃てるだろう」
「それは当然、気合いが入るからだ」
「そもそも魔法は呪文を唱えるものだろう」
「無言で魔法を使うと、周りが危ないからじゃないかな」
次郎のふとした疑問に対して、空海、騎士、翔馬の三人から三者三様の答えが返ってきた。
前の二人は兎も角、翔馬の言い分は理解できなくも無い。
魔法を撃つと宣言しても、魔物側は身構えたり避けたりする恐れが無い。一方で、周囲の人間は宣言した者と魔物の位置を把握して射線上に入らないように注意する事が出来る。
「つまり纏めると、呪文は唱えた方が良い訳か」
「その通りだ。ジロウも唱えてみろ。最低でも二節だ」
「…………マジで?」
「こういうものは、恥ずかしいと思うから恥ずかしいのだ。皆が唱えている当たり前の事だと思えば何も問題ない」
「受験していた一年で、随分と常識が変わったなぁ」
次郎は感慨に耽る振りをして、厳しい現実から目を逸らした。
























