31話 北海道ダンジョン
二〇四五年七月一日、土曜日。
修学旅行の三日目となった。
本日は最初に札幌駅から時計塔に向かい、そこから午後三時までグループ単位で自由行動という、極めて自由度の高い行程になっている。
これは生徒達に見知らぬ土地での事前調査・計画立案・現地行動をグループ単位で体験させる事により、段取りや役割分担を学ばせ、自主性や自立性を養わせようという学校側の教育の一環だ。
高校卒業後に進学せず社会人になる生徒もそれなりにいるため、修学旅行は最良にして最大、かつ最後の機会でもある。
そのため生徒達が立案した行動計画は、時間的に達成不可能など最初から明らかに破綻していない限りは一切口を出されなかった。
午後三時までは生徒達にやらせてみて、集合時間に間に合わなかったグループを教師が回収して宿泊先のホテルまで連れて行き、四日目に飛行機で帰路に就くというのが学校側の計画である。
かくして堂下・中川・北村・奈部・鳥内の一組第三班は、解散となった時計塔前から一〇分ほど歩き、目的地である北海道ダンジョンまでやって来た。
そのうち四人は学校指定のブレザーで堂々とやって来ているが、次郎だけは監視カメラでデモの集団を撮影されているだろうと説明して、時計塔のトイレの個室内で着替えた。さらに個室の内側には鍵を掛け、いざとなれば転移で逃げる算段まで整えている。
服装は、収納能力で持ち込んだ使い捨ての安い私服とニット帽、その辺のコンビニで買える白いマスクと色つき眼鏡という怪しげな格好だ。
加えて監視カメラを警戒して北村達から少し離れた後ろから、速度を変えながら四人の集団とは別だと言わんばかりの動きをするという念の入れ様で、お前は実際にデモに参加する気なのかと四人を呆れさせた。
北海道ダンジョンは、昨年五月に北海道大学植物園があった場所に出現した。
元々背の高い樹木に覆われた迷路のような場所だったが、今では本当の迷宮と化している。
周囲の北海道県警本部、年金事務所や病院、高校や幼稚園、電化製品販売店やマンションなどは全て無事だったが、これらは警察本部を除き、憲法二九条第三項の基に全て国に接収された。
憲法二十九条第三項では『私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる』と定められており、全国の巨大構造物の周辺は大抵同じようなことになっている。
南西にあった電化製品販売店や、高校・幼稚園・年金事務所などは自衛隊基地と化して重機関銃や対空砲などが並べられ、魔物出現時のクロスファイヤポイントになっている。
マンションは自衛隊員や機動隊員たちの宿舎に変わり、病院には自衛隊の駐屯地業務隊衛生科長を筆頭とした医官が詰めている。
国側が巨大構造物の周囲を完全に覆い尽くさないのは、それをすると奇数月の四日に発生する魔物氾濫時に壁が自動的に転移させられて、道を全開放させられてしまうからだ。
それならば最初から跳ばされない程度に道を空けておいて、攻撃できる位置に誘導するしかない。
だが多少の魔物は包囲を突破してしまうため、奇数月の四日は警戒区域が指定されて、民間人が避難させられている。
なお外周では、レベルを求める民間人が集団で武器を持ち集う。
だが無辜の市民が被害に遭うより、自発的意思に基づく自己責任の人間が魔物と遭遇して、自衛隊が駆け付けるまで足止めになってくれた方が良いのか、彼らは完全には排除されていない。
そんな巨大構造物の周囲で市民が合法的に入れるのは、周囲の一区画内では警察本部だけだ。それ以外はコンクリートと規制線で囲まれており、それを越えると不法侵入で取り押さえられる。
それ以外で最も近いのは警察本部の向かいにある北海道庁だが、その隣には北海道札幌方面中央警察署があるためおかしな事は出来ない。
だが建物や規制線の外側で抗議活動を行う人たちは、一向に減る様子が無い。
北海道にいるデモ隊の主張は、概ね次の通りだ。
一.国民が法律を守る義務を負うように、国家も憲法を守る義務を負っている。
二.その国家が、国民の生命・財産を守る憲法上の責務を果たさずに国権乱用に走ったのは、国民の法律違反と同様に、国家による憲法違反である。
三.現政府は、自己の利益のために不当に国民の生命・財産を脅かす違法集団であり、国家を統治する資格は無い。直ちに退陣せよ。
マスコミ各社の調べでは、国民の約七割が政党の支持度合いで『ドームから多階層円柱に変える処置地域』を変更するのはおかしいと感じており、国会でも取り分け野党が大反発している。
そんな政府に怒りや危機感を抱いた国民、理不尽な損害を被る企業、犠牲者に近しい個人などが抗議の声を上げるのは、彼らの主張をよく聞けば正常な行動のようにも思われる。もしも一切抗議しなければ、政治家は権力を悪用してどんどん腐敗していく。
おかしくないと回答した三割の人達も、実際には本当に全くおかしくないと思っているわけでは無く、優先順位が上げられた宮城県民や広島県民、あるいは安定した生活が保障されている公務員の一部や天下り法人、随意契約団体など諸々の人々とその家族が、損得などを差し引きして大人の対応をしているだけだ。
結局のところ民主主義とは最大多数の最大幸福であり、各自の利害で判断される。
だが今回の場合、政府が多数の幸福を示す前に内部告発されてしまい、状況の改善前だった三九都道府県に暮らす人達の多くが批判に回り、多数派と少数派が入れ替わったわけである。
問題は、そんな普段は分かり易い民主主義に、レベル上げは権利や機会だと捉える人々が乗って主張が変質してしまった事だ。
具体的には、抗議活動の一~三までは論理的に整合性が取れていたが、いつの間にか項目に四番目の巨大構造物内部を公開しろという内容が増えていた。
追加された大義名分は生存権を根拠とする魔物対策で、レベルを上げて魔物に対する自衛手段を持つ事や、政府の代わりに自力で処置して魔物を出なくするのが目的らしいが、そこに利己的な部分が見え隠れするのは否めない。
おかげで峰岸官房長官の「明らかに危険だと分かっているため、そのような予定はありません」という回答に、一見すると正当性が生まれてしまった。
ようするに、レベルを上げたい人々の本音が漏れ過ぎたわけである。
また国際的にも、悪魔の一種であるインプを見て、宗教上の思想から打倒すべきだと考えた世界人口の半数以上を占める世界三大宗教の信者たちが各国で運動を起こし、色々な国の政府もそれに乗って日本に情報開示と封鎖の解除をするよう働きかけた。
圧力をかける各国政府も、出遅れまいとする本音が漏れ過ぎである。
だが三大宗教色の弱い日本では、宗教上の思想で要求されても日本人の賛同者が得られず、内政不干渉の壁を通りはしない。
それにも拘わらず各国は自国民の支持を得て外交圧力を掛けられるため、当初単純明快だった問題は様々な個人や組織の思惑が複雑に絡み合って、もはや収拾不可能になってしまった。
「うわぁ、これはすげぇな」
札幌の北海道ダンジョンには、土曜日とあって数千人が集まっていた。
次郎たちのような修学旅行生や外国人旅行者、観光やお祭り気分で見に来た人、偶々通りかかった人なども沢山いるのだろうが、東京以外でこの動員数はそれなりに多いと思われる。これだけ多くの人影に隠れれば、個人の識別は困難なはずだ。
抗議している人の声に耳を傾けると、面白い言葉も聞こえてくる。
『昨日発売された週刊文秋に、高瀬総務大臣の孫が脳性麻痺から回復して、下半身が動くようになったと書かれていた。政府は税金で運用している警察や自衛隊を使い、自分たちだけで私的に独占している。ふざけるなっ!』
「そうだっ、特権階級で国家を私物化するな!」
「国民を馬鹿にするのも大概にしろ!」
男性は右手に拡声器を持ち、左手で週刊文秋を高らかに掲げながらダンジョン前を封鎖する警察官を罵倒して盛り上がっていた。
巨大構造物ドームに至る正面門は、転移を繰り返されたためか、コンクリートでは塞がれていなかった。
但し出入口は、コンクリート製の防壁と巨大な門扉でしっかりと塞がれている。
政府が門を作って巨大構造物を閉じても転送で跳ばされないのは、魔物氾濫時に巨大構造物の外壁が開いて、そこから魔物を放出できるからだろう。
明らかに魔物ではなく、人間の出入りを禁止する対策だった。
その前に居並ぶのは、二〇余名の警察官。
彼らは規制線の奥で両手を後ろに組み、憤る群衆の声を無視しながら視線を虚空に向けて無反応を貫いていた。
おそらく警察官が居なくても、大型重機を大量に持ち込まなければ破壊して内部には入り込めないだろう。そして重機を持ち込めば、即座に周辺から警察と自衛隊の応援を呼んで、凶悪犯を逮捕である。
相手が門を越えられないと知っている為なのか、警察官達は黙々と佇んだままだった。
「週刊文秋ってどこから情報集めてくるんだろうな」
「また内部告発じゃないのか。情報提供料も大きいらしいぞ」
「へぇ、いくらくらい?」
「そりゃあピンキリだろう。でも今の話なら、一〇〇万は硬いな」
中川と北村は抗議している人を面白そうに眺めながら、どんどん前の方に進んでいった。そして奈部と鳥内は、なぜか他校の生徒たちをナンパし始めた。
「ねぇ君たち、修学旅行中?」
「そうですよー」
「俺らも修学旅行なんだ。どこから来たの?」
「えー、京都」
「マジで。超イケてるじゃん。俺らなんて山中県だぜ。山中県って何処にあるか分かる?」
「えー、九州?」
「あはははっ」
奈部が機嫌を取り、彼女たちのグループを話に引き込んでいく。
すると状況を察した中川と北村が素早く引き返してきて、デモ集団の一角にナンパ集団が混じるという摩訶不思議な光景が生み出された。
京都が出身地だという女子高生たちは、若干色白で、明るく、山中県の女子に比べて仕草が洗練されていた。加えて奈部は、相手の容姿だけではなく、人数まで見定めて声を掛けたらしい。
落ち着いた紺色のワンピースに長めのプリーツスカートの女子四人と、ブレザーを着ていない次郎を除いた七村高校の男子生徒四人が、政治とは別の攻防を始めた。
そしてブレザーを着ていない次郎は、クラスで一二を争う利己主義者である奈部の戦略上、動員戦力から省かれたようである。
それどころか、さり気なく後ろに回された左手で追い払うような仕草までされた。
「マジか」
不審者スタイルの次郎が省かれたのは自業自得だとは言え、納得しがたい感情も芽生えざるを得ない。見捨てられた感や、置き去りにされた感が、さざ波のようにヒシヒシと押し寄せてくる。
だが粘ったところで見苦しいだけだ。
奈部たち男女八人が、デモ活動から離れた大通公園側へ歩いていくのを見届けた次郎は、渋々とその場を離れて警察に抗議している人達の所へと向かった。
(ナンパは兎も角として、これで遠慮する理由が無くなったな)
奈部たちの姿が完全に見えなくなった頃、次郎は群衆の前の方に辿り着いた。
少し先には規制線が張られており、その奥には分厚いコンクリート製の壁があって、金属製の大きな扉の前には二〇人以上の警察官が整列している。
次郎はポケットに右手を突っ込むと、掌に石を生み出して握り締めた。
そして右手を出すと、四方八方のカメラから死角となる人壁の隙間からコンクリート製の防壁に向かって、掴んでいた石を最小限の動作で素早く投げ放った。
その動作を視認できた人間は、一人も居なかった。
だが上に放り投げられた石が上り切った後、ゆっくりと弧線を描いて防壁に落ちていく様は、多くの人が目撃していた。
弧を描きながら速度を落とした石は、なぜか拳大まで巨大化していた。そして最後にゴンッと大きな音を立てて防壁に当たり、弾かれて地面に落ちていく。
その刹那、防壁の命中部分を睨め付けた次郎は、土魔法で生み出した見えない魔力の塊を伸ばした。
砂浜の砂山に両手を突っ込むように、石が命中した部分から一気に魔力を突き入れる。
するとコンクリートの防壁に、亀裂が生じて広がっていった。
『従って我々は、不当な封鎖と権力の乱用を続ける労働党に対し、速やかな退陣を………………お…………お、おおおおっ!?』
コンクリート製の防壁に向き合っていた群衆の悲鳴が波及し、警官隊が異常事態に顔を上げて後ろを振り向く。
そこへ防壁に土系統の魔力を突っ込んだ次郎が、砂山の砂を掻き出すように、警官隊に向かってコンクリートの津波を流し出した。
「うわぁあああああっ!?」
「きゃあああああぁっ!」
局地的なコンクリートの鉄砲水が、警官隊と悲鳴を上げた人々の声を飲み込んでいく。
警察官は、当然のごとく押し寄せてくるコンクリートを素早く避けようとした。
しかしコンクリートの津波は次郎の操作に従って、警察官を追いかけながら方向を変えて、身体や両足を押さえ付けるように次々とのし掛かった。
同時に防壁に埋まっていた巨大な金属製の扉も支えを失い、地面に倒れて周囲に轟音を響かせる。
その怒濤の流れに、立ち並んでいた二〇余名もの警官の下半身が全て波に飲み込まれた後、崩れたコンクリートは、防壁だった場所と規制線の中間辺りで突然停止した。
直後、何の前触れも無く風が吹いて、巻き上がった土煙を吹き払う。
すると群衆の前には、巨大構造物の入り口が堂々と開いているのが見えた。
警察官たちはその場から脱出を図ろうとするも、砂のように流れたコンクリートが下半身を抑えるように固まっており、一向に抜け出せないでいる。
あくまでコンクリートを崩して固めただけなので、増援が電動ブレーカーなどを持ち込めば抜け出せるようになるが、術者側にとってはそれで充分だった。
「い、入り口が開いたぞ!?」
「おい、救急車を呼べ」
『ダンジョン内にも流れ込んだ。中にいる警官たちを助けに行ってくれ!』
人々が様々に叫ぶ中、最後の声だけは風に乗って、大勢の人の耳に運ばれた。
直後、突然風が生まれて、人々の背中をダンジョン側に押し始める。
すると何人かの男性が、倒れて動かない警察官ではなく、ダンジョンの入り口に向かって走り出した。
既にコンクリート製の防壁は入り口を塞ぐ体を為しておらず、正面に居た二〇人以上の警官も今は一人も立っていない。
駆け出した彼らを遮るものは、何一つ存在しなかった。
『コウモリを一匹でも倒して回復魔法を覚えれば、皆助けられるぞ』
布越しなのか、低く抑えられたくぐもった声が、何故か広範囲に響き渡る。それと同時に薄らと、黒い影のようなものが群集の足元に生まれて、音も無く人々の足に纏わり付いていった。
すると今度は、黒い影が差し込んだ数十人が一斉に入り口に向かって走り出した。
そんな先行集団の後を追い、やがて沢山の人達が駆け始める。
『急げ』
ついに群集心理が作用したのか、彼らは遅れまいと、前の人を押しながら入り口に殺到していく。
もしも『どこかから投げ付けられた石が命中し、その部分から亀裂が走り始め、やがて崩れていった』という過程を踏まずに突然コンクリートが崩れた場合、人々は恐怖を覚えて、ダンジョン内部に入るのを躊躇っただろう。
しかし先に過程を踏まえた事で、一部の人達は混乱しつつも、『コンクリート製の防壁は、内部の魔物の攻撃で脆くなっていたのかも知れない』だとか、『突貫工事で作ったから構造に問題があったのだ』などと、自分が理解できる常識と願望とで物事を解釈したのだ。
一度決壊したダンジョンの入り口には、湯船の栓を抜いた時にお湯が排水溝に流れ込むようにして、人々を引き込む流れが生まれていた。
日本人は、周りの人がやっていると同調して真似をする特性を持つ。
次郎はその流れに身体を押し込むと、周りの人を押したり、逆に押されたり、あるいは腕を掴まれて支えにされたりと、揉みくちゃにされながら、ダンジョン内へ入り込んでいった。
























