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2本のテープ起こし

作者: 押水武

 昔、編集プロダクションでバイトをしていた。たったの2ヶ月だけだが。

 とにかくいつも人手が足りなくて、そのくせやらなくちゃいけないことは山盛りの大盛りで、忙しくて忙しくて当時のことはもう殆ど覚えていない。長期記憶を脳細胞に定着させる暇もないほど働き続けだったってことだ。そして給料は安い。

 別にライターや編集者を志望していたわけでもなく、ただ何となく応募しただけなので「こんな割に合わない仕事やってられるか」と思い、すぐに辞めてしまったわけだ。

 やらされた仕事の内容は、さっきも言ったとおり、もう覚えていない。だがほとんど唯一といっていいだろう、記憶に残っているのがテープ起こし。カセットテープやicレコーダに記録された取材音声を、文章に書き起こす作業だ。

 俺がバイトをしていた編プロでは、テープ起こしを外注していた。ただし頼めるのは『原音声ママ』で起こすことだけ。

 どういうことかというと、例えば音声の中の「あー」とか「うーん」とかいう繋ぎの言葉、あるいは咳払い、そういうものも全部作業者が聞こえたままに書き起こすのだ。また口語なら伝わるが文章に起こすと不自然になるような部分も、当然そのまま。

 で俺たちバイトがそれを綺麗に整文するというわけ。できあがった文章は社員さんに渡し、社員さんはライターに送って原稿を作らせる。らしい。

 本当は金さえ払えば外注先で文章を整えるところまでやってくれるらしいが、外注した場合の金額とバイトの時給を誰かが比較したらしく、その結果こういう形態となったとのこと。

 結構たくさんのテープを書き起こしたが、その中の2本のテープが記憶にはっきりと残っている。

 

 1本目は業績を急激に伸ばしているリフォーム業者社長とアナリストの対談音声。経済雑誌の特集記事用だという。

 作業を始めて少しして気付いた。業者が納品してきた文章のところどころに『シバサキさん』という言葉が脈絡無く挟み込まれている。

 テープを自分で聞いてみたが『シバサキさん』なんて単語は初めから終わりまで一度も出てこない。

 なんだこりゃと思い、業者に確認の電話を入れてみた。その当時テープ起こしの外注業者と俺は既に何度もやり取りをしたことがあり、割と気安い関係だったので電話もかけやすかったのだ。

 馴染みの担当者にちょっとした世間話の後で、「この間納品もらったテープのやつ、なんか変な言葉が途中に入ってるんだけどコレ何? 『シバサキさん』っていうの」

 と尋ねた。


 残念なことに問題のテープの作業者がその日は体調を崩して休んでいるとのことで、『シバサキさん』の謎は明かされることがなかった。

 一応社員さんに報告すると「関係ない言葉だったら削除しちゃって」と指示され、それに従った。

 ところが、後になってその社員さんから

「入ってんじゃん『シバサキさん』って」

 と真顔で言われた。

 どうやら社員さんも気になったらしく自分でそのテープを聞いて確認したらしい。結果、起こされた文章どおりの箇所で『シバサキさん』という小さい声が聞こえたのだという。

「女の声だよ。中年っぽい女の」

 と社員さんは言った。対談しているリフォーム業者社長とアナリストはどちらも男なので、その声ではない。取材スタッフか、あるいは近くの部屋の声を拾ったのか。いずれにしても

「間違いなく聞こえる」

 ということだった。だが奇妙なことに、俺には何度聞き直してもその声は聞こえない。

「キミはまだ若いのに、耳が遠いなあ」

 と肩をバンバン叩かれた。

 それにしても無機質で感情がこもってなくて何だか不気味な声だな、とその社員さんんは続けた。機械の信号音じみた声だ、と。

 翌日から2日間、法事で実家に帰省するため俺はバイトを休んだ。そして休み明け初日。

「お前、取材テープ無くしたんだってな」

 と主任にいきなり怒鳴りつけられた。

 どういうことかわからなかったが、確認してみると、例の『シバサキさん』のテープが紛失し、それが俺の仕業ということになっていた。

 『シバサキさん』が聞こえたと言っていたあの社員さんが主任にそう報告したとのことだった。

 当然「俺はそんなことしていない」と釈明したが、聞く耳を持ってもらえなかった。あの社員さんを問いつめてどういうことか説明させたかったが、あいにく「彼は高熱を出してダウンしているから今日は休み」とのことだった。

 諸事情であの対談は記事にしないことになったためテープについては「今回は不問。ただし次はない」ということになった。

 理不尽に濡れ衣を着せられて憤懣やるかたない俺だったが、残念なことにその怒りをぶつけるべき例の社員さんは、そのまま復帰することなく会社を辞めてしまった。社員といえども突然辞めることが珍しくない会社だったため、立ち入った事情までは聞けなかった。

 その後、テープ内で対談していたリフォーム業者社長が自殺したというニュースが流れた。過去に悪質なリフォーム詐欺に荷担していたらしい。それが発覚して逮捕直前だったようだ。詐欺被害者の中には老後の生活資金を失って自殺した人間もいたらしい。その被害者の名前が「芝崎総一郎」だった。偶然だろうか。


 俺がバイトをやめたずっと後のことだが、たまたま別の場所で主任に出くわしたことがあった。そのときにはもう主任もあの編プロを辞めており、中堅の出版社に転職していた。主任は「あのときは悪かったな。本当はお前がテープを無くしたわけじゃないことは俺もわかってた」と言った。「あのテープは俺とアイツで燃やしたんだよ」と。アイツというのは『シバサキさん』が聞こえたと言っていたあの社員さんのことらしかった。

 何故テープを燃やしたのかは、主任は決して教えてくれなかった。外注業者であのテープの起こしを担当した人は、その後出社することなく、連絡もとれなくなり、現在でも行方不明らしい。


 今から考えると、あれは呪われたテープだったなと思う。主任がテープを燃やしたのは正しい判断だったのだろう。とはいえ俺に濡れ衣を着せたことは許せないが。


 もう1本、記憶に残っているテープがある。

 こちらも前のテープに負けず劣らず呪われている。ただしこちらはテープそのものではなく、テープの中で体験を語っている人間が呪われている。

 語り手は中年男性。

 終始泣きじゃくりながら語っているため、聞き取りが非常に困難なテープだ。

 記憶している限りの内容を説明しよう。

 ある日曜日、行きつけの居酒屋から帰った彼は、家の前に子供がいるのを見かけた。中学生くらいの女の子だ。

 もしかして息子の同級生かもしれないと考えた彼は声をかけてみた。すると果たして、その女の子は息子の同級生であり、息子に会いに来たのだという。

 それならばと玄関の鍵を開けて彼女を招き入れ「おーい帰ったぞ。翔太、学校のお友達がきてるぞ」と大声を張り上げた。

 家族が玄関に集まってきたのであらためて「ほら。この子が翔太に用事があるって」と彼女の方を向き直ると、奇妙なことにそこには誰もいなかった。

 それ以来だ。

 家の中でおかしなことが起こるようになった。

 視線を感じる。

 誰もいないはずの部屋でドタドタ音が聞こえる。

 鍵を閉めたはずの扉が勝手にギイと開く。

 視界の端を黒い人影がかすめる。

 台風かと思う強い風が窓に打ち付けられガラスが割れてしまう。しかし外に出てみると、雲一つない綺麗な晴れ空である。

 といった具合だ。

 彼を含め、家族は皆幽霊の類をいっさい信じないタイプだったが、さすがにコレはおかしいと感じていた。

 そんなある日、彼の妻が家の階段から転げ落ち大けがをしてしまう。妻は「誰かに背中を押された」と言うが平日の昼間であり、彼は会社に、息子は学校にいる時間であった。

 それでとうとう、もう我慢できないと、お祓いをしてもらうことにした。

 やってきたお祓い師はギラギラと貴金属の装飾品を身に付けた太った女だった。彼女は家の中を一渡り見た後で

「何もいないね。この家には何も憑いてない。いないものは祓えないよ」

 と帰ろうとした。拍子抜けしたものの、とりあえず出て行くお祓い師の女を見送り玄関まで出ると、ドアを閉めようとした瞬間に女が血相を変えて戻ってきた。

「アタシとしたことが騙されるところだった。でもアタシが出て行ききる寸前で気を弛めたんだろうね。気配を消し切れていなかったよ。この家、本当に厄介なものに憑かれてるね」

 それからお祓い師の女は4時間もかけて家の中を一室残らずお経のような文言を唱えながらゆっくりと拝んでいった。

 拝むときには体中に付けた指輪だのネックレスだのを全部外して部屋の外に置いて、拝み終わったらいちいちまた身に付け直すことを全ての部屋で繰り返したらしい。

 で、最後に一階の和室を拝み終わった後で

「何かを招き入れただろう。すっかり居着かれちまってるよ。とりあえず一旦は大人しくさせたけど、あんたらこのままこの家に住んでいると家族全員死ぬよ。1000日以内には引っ越すことだね」

 と言って表に待たせた外車に乗って去っていったらしい。

 後日請求された祈祷料は70万円だった。

 彼は支払ったらしいよ。 

 で、泣きながら、「あの人の言うとおり引っ越せば良かったんです。そうすればこんなことには」と彼は続けた。

 ピタリと異変は収まった。

 気配も音も、何もかも。

 だから「引っ越せ」というお祓い師の女の言葉など家族の誰も忘れていた。忘れていたというか、気にしていなかった。

 で、お祓いを受けてからちょうど1000日目。息子がセンター試験の会場に向かう途中で交通事故にあった。

 死ぬことは無かったが頭を強く打ったせいで視力をほとんど失い、また足の腱を切って自力では歩けなくなった。

 程なくして今度は彼の妻が事故にあった。

 駅前の歩道をあるいているところにバイクが突っ込んできたのだそうだ。救急車の到着を待つことなく、亡くなった。息子はいまだ病室を離れることができない状態だったので、葬式に参加することもできなかった。

 一人家に残された彼は、いつの間にかあの音や気配がまた戻っていることに気付いた。時には「あなたちょっと来て」という妻の声が聞こえたような気になることがあったが、気のせいなのか、そうでないナニかの声が本当に聞こえているのかはわからなかった。

 妻が死んで一年後、会社の健康診断で彼の体に肺ガンができていることがわかった。

 お祓い師の女にもう一度連絡してみたが「もう今さらどうにもならないよ」と冷たく言われた。

 インタビュアーが彼に「家はどうしました? 引っ越したんですか?」と尋ねると、「どうせもう手遅れですしそのまま住んでますよ。私が手放して、他人様をあんな家に住まわせるわけにもいかないですしね」と答えて少し卑屈に笑った後、また泣いた。


 このテープを起こした時には本当に暗い気持ちになった。で、起こした文章ファイルを社員さんに渡すと

「あー。このテープはやんなくて良かったのに」

と言われた。

「このテープは没なんだよ。悲惨な話すぎて読者が引いちゃうから」

と。


 テープの冒頭で問題の家の住所が語られていたので、俺はそこを訪れたことがある。バイトを辞めて半年くらいたった頃だったと思う。

 そのときにはそこはすっかり更地になっていた。あの彼は、やはりもうガンで死んでしまっていたのだろうか。残された目の見えない息子はどうなったのだろうか。



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― 新着の感想 ―
[良い点] これ実話ではないのでしょうか? 作者さまの体験談かと思いました。創作だとしても、実話と言い張ってくれたら信じます。それくらい、リアリティのある書き方でした。少なくとも私は、ホラー小説として…
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