古い記憶
それは前王、セイル=アシュトルスが国を治めていた時代より更に前の話。
「ジャック! 城下町に行くぞ!」
バタン! と大きく開かれた扉から現れた青年。彼は幼き頃のセイル=アシュトルスである。
小さな領地の貴族の息子であるジャックは、剣の腕前と王子と同い年の齢15という若さが理由で、王子の側近となって久しい。
「また行くのですか? また王様に叱られますよ」
「その時はその時さ」
セイルは、城にいる時間よりも町にいる時間の方が長い。
毎回こっそりと城を出ては王に叱られているのだが、彼は懲りるという事を知らない。
「はぁ……それで、今日は何処に行くんですか?」
「イリスが作る旨い菓子を食べにな」
幼なじみである平民の少女の名を出したセイルは、既に手荷物片手に行く気満々だ。
「菓子なんて執事に頼めば「甘い! この前出された砂糖の塊みたいなあの菓子より甘い!」……それは甘過ぎじゃないですか?」
少し前に毒見として食べた献上物の菓子を思い出して、ジャックは顔を歪ませた。
この世界では、甘味は味より見た目なのだ。
「いいか? 菓子……いや、美味なものというのは多少の苦労があってこそ旨いのであって、なにもしないでただ食うだけなんて味気ないだけなのだ」
「それはまぁ分からない事もないですが」
剣の鍛練をした後の食事を思い出して同意するジャック。
空腹になって食べるのと空腹にしてから食べるのとでは満足の度合いが雲泥の差程にあるのを、まだ食べ盛りであるジャックは知っている。
「それにな? この城で出される菓子なんて、見栄張ってるのか知らないが砂糖の味ばかりで口の中が変になる。この前イリスが作ってくれた『ぱい』とやらを思い出せ。あれに比べたら、この城の菓子がどれだけ酷いものか理解できるだろう?」
確かに。と先程から同意しかしていないジャックは、もう一度砂糖だけの菓子を、イリスが作ってくれた菓子の味と共に思い出して、
「……今回だけですよ」
「分かってくれたか! それでこそ我が側近であり友よ!」
「……よし、今日は上手くいったな」
城の地下から無事に脱走した二人は、そのままとある見知った道を進んでいった。
「何を持ってきたんですか?」
「菓子にしたら旨そうなやつをいつものやつと一緒に」
麻袋からゴソゴソと取り出したのは、新鮮なものから乾燥させたものまで多種多様な果物と、イリスと会う度に渡している、とある贈り物だった。
「……イリスも愛されてますね」
「叶わぬ恋というのは分かっているからな」
セイルは特に動じる事なくそう言ってのける。
思春期とも言える年齢の彼は、異性の幼なじみに恋心を抱いているのだ。
しかし貴族……ましてや王族のセイルはいずれ王位を継ぐ人間。お互いが良くても周囲からの反対で確実に結ばれる事は無いだろう。という事はセイルも理解している。
「将来、名も知らない者と結ばれるのは分かりきっている。ならばその時まで恋した相手と過ごすというのも悪い事ではないだろう?」
「そういう気恥ずかしい事を普通に言う王子が羨ましいですよ」
話している内に小さな建物に到着した二人は、
「イリス! 今日も会いに来たぞ!」
「ちょっ、せめてもう少し声を小さくしてくださいよ……」
「なんで……なんでイリス様が……?」
ルーガの顔を見て子供時代の光景がフラッシュバックしたジャックは、無意識の内にルーガをイリスと重ねていた。
「……イリス?」
思わず呟いてしまった言葉に、俯いていたソウガが反応して顔を上げる。
はっと我に返ったジャックは、
「……人違いだ、忘れてくれ」
ずり落ちたファルを背負い直してルーガから目を逸らした。
「一旦皆さんの所へ戻りましょう」
ルーガの骸を優しく抱き抱えたソウガは、そう言って集落跡の出口へ向かって歩いていった。
ジャックも、大地の死体を念入りに焼いてからソウガについていった。
「歩きながらで申し訳ありませんが、先程の『イリス』とは誰ですか? どうやら……ルーガさんに関係がありそうな風でしたが」
「顔が似ていただけだ「教えて下さい」……妃だ。前王のな」
十年以上前の事になるか、と喋り始めるジャックの言葉に耳を傾けるソウガ。
自身と前王、そしてイリスの関係、そして最期を包み隠さず話し終えたジャックは苦笑いを浮かべている。
「二人の間にできた子供……セリスって言うんだがその赤子は、その時のどさくさに紛れて俺の部下が安全な所へって逃がしたんだ。……次の日に部下は死体で発見、赤子は行方不明だったよ」
「……十数年前、と言いましたよね?」
「ああそうだ」
もしかしたら、とルーガの生い立ちについて、この前オーガから聞いた事をオーガに説明した。
「ルーガさんは十代で、親の顔を知りません。物心ついた時にはオーガ様に育てられたと言ってました」
「オーガ?」
「私やルーガさんを拾って育ててくれた親のような存在です。ファルさんも拾われたみたいですが……」
「ファルが……。しかしそのオーガって人物が代わりに育てたからって「アシュト……デイペッシュで拾ったと言ってました」……おいおい」
「母親が黒猫の獣人で瓜二つ、例の事件の時その赤子は産まれて間もない……今はその十数年後です。あまりに出来すぎていて、とても偶然とは思えません」
「という事は……この少女はセリス様だってのか?」
「可能性は十分あると思いま「強い魔力を感じて来てみたら……なんなんですか、これ!?」……シャロンさん?」
突然何もない空間から転移してきたシャロンは、驚きの声を上げている。
「へ? あ、ソウガさんですか。お久し振りです」
「誰だ?」
「しがない記者ですよ。シャロンとでも呼んで下さい。と・い・う・か、なんで集落が半壊してるんですか!」
やって来たばかりでいまいち空気の読めていないシャロンは、そう一気に捲し立てて説明を催促する。
ルーガの骸に目を落としているソウガの雰囲気に、シャロンも何かを察した様子で「ありがとうございます。もう大丈夫ですよ」と制止させた。
「彼女が、ファルさんの言っていたルーガという娘ですか」
「ファルと知り合いなのか?」
「ええまぁ、取材相手として良くして頂いて……ってファルさん、こんなところに!」
今頃ジャックに背負われているファルを発見したシャロン。そして、
「ってあれ? なんか大きくなってる気が……」
「俺達も良くは知らないが、今は体力を使い果たして寝てるみたいだ」
だいぶ安らかになったファルの寝顔を覗いたシャロンは、納得の表情で頷いていた。
「まぁ王国からでも感じ取れた程の魔力でしたから、ファルさんの肉体ではすぐに限界が来てしまいますよね」
「ファルさんには感謝してもしきれません。……集落の人々とルーガさんの仇を討ってくれましたから」
ソウガの中でルーガとは、歳の離れた親友という存在だっただけに、ショックや悲しみは人一倍大きい。
そんなソウガの表情を見てかシャロンが……、
「えーと、ルーガさん? を生き返らせる事は可能ですよ」
彼女次第ですけどね。サラッとシャロンが口にした言葉に、呆然となったジャックが誤ってファルを落としてしまった。
強い衝撃と共に意識を取り戻した俺は、第一に身体の違和感に気付いた。
(……あれ? 動けない)
まるで自分の身体じゃ無いように、指先から瞼まで動かす事ができないのだ。更には五感までもが正常に機能していないらしく、外部から聞こえる音にノイズのようなものが走っている。
(まいったな……やっぱりルシアの警告に従っとくんだった)
『――――!』
と、一人反省していると、頭に直接声が響く。
謎の声さんだ。しかし、今回は少し違った。
(この声……ルーガ!?)
言葉ならない声であるが、確かにルーガの声が頭に響いているのだ。
そして次の瞬間、瞼の裏側に広がる空間にルーガの姿が現れた。
幻影かと思ったが、どうやら違うらしく口の動きと声にならない言葉が一致していた。
(ルーガの……霊?)
『――……―――――、―――?』
(俺に何を伝えたいの?)
ルーガの……お前の最期を見届ける事しか出来なかったのに、と自棄になり始めた俺にルーガは首を左右に振って喋るのを続けた。
『―――、―――――――!』
何を喋っているのか分からないが、俺に何かを伝えているように見える。
暫くするとルーガの姿が薄れ始めた。
『――――! ――……』
(ルーガ!)
全てを言い終わらない内に消えたルーガ。直後に俺の意識も闇に消えた。




