とある吟遊詩人の話
始まりはいつの日だったのだろうか
世界に生まれた時だろうか
意思を持った時だろうか
自分を知った時だろうか
いや
どれも違うのだろう
きっと私はあの子と出会った時に
その子を受け取った瞬間に
始まったのだろう
小さな子が居た
生まれてから一年も経っていないような
まだまだ小さな幼子だった
廃墟の街の瓦礫の中で
真っ赤に染まった母親の腕に抱かれ
母親の歌う唄を聴きながら
ぼんやりとした様子でこちらを見る幼子が居た
母親は既に助からないほどの怪我だった
きっと幼子を庇ったのであろう
背中には多くの傷があり
幼子にはかすり傷すら付いていなかった
私が居ることに気がついた母親は唄を止め
そっと幼子を差し出した
「どうかこの子だけでも助けてください」
最期の力を振り絞って母親はそう言った
私は母親から幼子を受け取った
それは何かの気まぐれだったのか
それとも母親に同情したのだろうか
よく覚えてはいないのだが
確かに私は幼子を受け取った
母親は幼子だと思われる名を数度呼び
そのまま息を引き取った
幼子はほとんど何も持っていなかった
廃墟に残るものは無く
母親も既に事切れた
幼子が持っていたものは
母親から貰った名と一つの唄だけだった
私は自分の住処へと幼子を連れ帰った
誰も居なかった私の場所に
新たな生命が来た瞬間だった
幼子はすぐに大きくなった
年を経るごとにすくすくと成長していった
病気もなく怪我もなく平穏無事に育っていった
手足で這うことを覚えた
2つの足で立つことを覚えた
人の言葉を覚えた
幼子はいつしか少女となった
明るく優しい少女となった
少女は人の世へと足を踏み入れた
大切な友を見つけた
様々な知識を学んだ
人の世界の理を知った
少女はいつしか女性となった
どこかあの母親に似た女性となった
女性は社会へと旅立った
様々な出会いと別れがあった
辛いことも楽しいこともたくさん経験した
そしてここに帰ってきた
女性はいつしか老婆となった
穏やかな微笑みを浮かべる老婆となった
老婆は私と共にいた
最期は私と共にいた
私はどうすればよいのかわからなかった
最期の時が来ることを理解できていなかった
「何かしてほしいことはないか?」
私は尋ねる事しかできなかった
彼女は笑ってこう言った
「貴方の唄が聞きたいわ」
私はそれを聞き入れた
彼女が持っていた始まりの唄
母親が唄った幼子のための子守唄
私はそれを歌い続けた
彼女はいつしか冷たくなった
安心したような表情をしていた
私は彼女を葬った
どうかあの優しい母親と
向こうで再会できますようにと
どこかの街のどこかの酒場に
1人の吟遊詩人が居た
様々な地を巡り様々な唄を唄った彼は
いつも最後に同じ唄を唄ったという
どこか寂しそうな哀しそうな
でも何かを懐かしむような表情で
いつか流行った子守唄を唄ったという