主食は三次元
「夜に神社とかエロいですよね」
元々住んでいた場所では聞き慣れない訛りを含んだ声に、ゆっくりと顔を上げる。
しかし、声の主と視線が合うことはなく、相手はテレビ画面を見たままだ。
合わせて同じ方向を見れば、ベリーショートの女の子が、瞬きをしながら何か喋っている。
「はぁ。童貞の極みですね」
緩く頷きながらそう返せば、直ぐ様「童貞とちゃいますけど」と言われてしまった。
そんなこと知ってるよ、とは言わずに、読んでいた小説を閉じて膝を抱える。
カチャカチャと無機質に響くコントローラーの音は、もうすっかり耳に馴染んでしまった。
テレビ画面の中の女の子は、思ったよりも表情豊かで笑顔が可愛らしい。
うんうん、やっぱりええわぁ、なんて呟きも聞こえてくるので、彼もそう思っているようだ。
しかし、彼女がいるのに目の前で恋愛シミュレーションゲームをするとは何事か。
「……そっちのおっぱい大きい方が可愛い」
画面が移り変わって出てきた女の子を指し示せば、いやいや、と言われてしまう。
ベリーショートよりも、長い髪の方が女の子らしくて私は好きだ。
それにおっぱいが大きい女の子は、全体的に女らしいし柔らかそうで、好きだ。
それでも、残念なことに彼はお気に召さないようで、あの子の方が可愛いですわ、と繰り返す。
どうやら、趣味嗜好に食い違いがあるようだ。
残念、とどこか他人事めいた呟きは、彼に届いたのか分からない。
まぁ、届いていても届いていなくても、気にするような内容ではないので、私はよいしょ、と立ち上がる。
それに気付いた彼は、炭酸、と一言発するので、私も私で適当に答えて台所へ向かった。
彼はゲームをし始めると長い。
冷蔵庫を開ければ、飲み物は炭酸飲料ばかりで、一本だけ、五百ミリリットルの小さなほうじ茶のペットボトルを見つけて頬が緩む。
それにしたって、冷蔵庫の中身が寂しい。
まともな食材が入っておらず、何となく冷凍庫や野菜室も開けてみたが、ほぼほぼ空。
ここ数日の食生活がどんなだったのか、聞きたいような、聞きたくないような。
私は、私用に用意されていたペットボトルと、大きめの炭酸飲料を一本持ち出し、適当なガラスのコップを持っていく。
彼は相変わらず私に背を向けて、コントローラーをガチャガチャ言わせている。
「はい、どーぞ」
ゴトンと音を立てて置いたペットボトルとコップを見て、ありがとう、と動こうとした彼の口が止まり、きゅっと真一文字に結ばれた。
私は気にせずにほうじ茶のペットボトルを開けて、自分のコップに注ぐ。
トクトクと響く音が心地良い。
「普通、ですよ」
「はい?」
「……普通、私の分もそうやってコップに入れてから渡しません?いや、渡すでしょ」
はぁ、曖昧な私の返事に、彼は眉を寄せた。
少し長めの前髪のせいで、その表情の変化は分かりにくくなってしまう。
仕方なく、黙ってしまった彼のために炭酸飲料の蓋を開け、中身をコップに注ぐ。
コポコポという音に混ざって、小さくパチパチと弾ける音がした。
並々注いだそれを差し出せば、やっと彼は満足したように、ありがとう、と言って受け取る。
面倒臭い人、なんだろうな。
目を細めながら、私もほうじ茶を飲んだ。
座り込んだ位置は、小説を置いた場所から遠ざかり、ゲームをする彼の横だった。
カチャカチャ、忙しなくボタンを押しては、流れ出るテキストに視線を注いでいる。
先程のベリーショートの女の子が、私服から浴衣に衣装チェンジをして、彼に微笑んでいた。
「やっぱり、夏は浴衣に神社ですわ……」
「夏祭り、嫌いなくせに」
はふ、と吐き出した息で、ほうじ茶に波紋が広がっていく。
表情の変化が分かりにくい彼の満足そうな声に、ほんの少しの意地悪くらい、許して欲しい。
実際に今の季節は冬に近い秋であり、今年の夏に夏祭りなんて行った記憶がなかった。
玉砕覚悟で誘ってみれば「あー、私、人混み嫌いなんで。ええですわ」と断れ、他の人と行く気にも慣れずに今年の夏祭りを見送ったのだ。
何となく遠い目になる私を振り返った彼は、ゲームですから、と答える。
そうですね、ゲームですとも。
「……でもまぁ、浴衣は見たかったですわ」
独り言のような言葉に顔を上げれば、不健康とも言えるくらい白い肌を染める彼がいた。
カチャカチャ、カチャカチャ、コントローラーは絶えず動かされ続け、画面の中に浮き出る選択肢は、残念なコトに好感度が上がらないものだったようだ。
「えっちなことするの?」
「言い掛かりは止めてくれます?」
「私を口説くならそのゲーム止めてからにして欲しかったんだけど」
残念な選択肢を選んだ彼に、ベリーショートの女の子は苦笑を浮かべていた。
膝を抱えるようにしてほうじ茶を啜っていた私だが、コントローラーを投げ捨てた彼にコップを奪われてしまう。
細い骨張った指だった。
小さな音を立ててコップはテーブルの上へ。
コントローラーを握っていた手は、私の足を撫でて、頬を撫でて、折角梳かした髪をぐちゃぐちゃにしていく。
「……夜の神社じゃなくて良いの?」柔らかく押されるのを、甘んじて受け入れながら問い掛ける。
目の前ではずり落ちた眼鏡を押し上げる彼がいて、ほんの少し、困ったように眉を下げた。
その顔は、凄く、凄く、可愛い。
「ムードのないこと、言わんでくれます?」可愛い顔に、怒気を孕んだ声だったので、私は何も言わずに笑って見せた。