雨の日の少し湿ったジャージ
……あの人、名前なんて言うんだろう?
ザアザアというかもはやダアダアと言った感じに降り注ぐ雨の中、どうにかザアザアのうちに家に辿り着けたのは、雨宿りしたシャッター商店街で会ったあの人が、ジャージを貸してくれたからだ。
全く、私も大概馬鹿だよね。予報で雨だってわかってたのに、傘を忘れて行くなんて。
でも、そのことが幸いだったように、今は思う。だって、そうじゃなかったら、私はあの人に出会えなかった。
幸い──ちょっと恥ずかしい言い方をすると、運命、だったのかも。
あ、そういえば、あの人の名前聞いてない。私と同じくらいの年のような気もするけれど、私服だったし、学生さんではないのかな。
ああ、私にジャージを渡して、随分薄着になってしまって、そのまま雨の中を行ってしまった。どうしよう。このジャージ、後で返さなきゃならないのに。
いや、本当はそういう義務感とかじゃなくて。
もう一回、逢いたいんだよ。
あの人、何かを焦っていた。自分が意気地なしみたいな感じで、自分で自分を貶めて、追い込まれて、苦しんでいるように見えたんだ。
最後まで話を聞いた感じでもそうだった。
全然、そんなことないのに。
雨の中を躊躇いなく駆け出す背中、とってもかっこよかったんだよ。
咄嗟に絞って渡してくれたジャージとか、
私に雨が当たらないようにって屋根の際にいてくれた気遣いとか、
ありがとう、なんて素直に言えるところとか、
あなたを思い浮かべると、かっこいいところしか思いつかない。
最後のあのありがとうと一緒に贈られた笑顔が。
脳裏に焼き付いて離れないの。
ジャージ、まだなんだかほんのりあの人の温もりが残っている気がする。雨に濡れて、湿っぽいのに、温かいんだ。
すごく嬉しい。
ぎゅ
ずっとこうして、温もりを感じていたいな。
洗うのが勿体ない。
でも、洗って返さなきゃ。
なんでだろう。
温かいな。
嬉しいな。
逢いたいな。
込み上げる想いはこんなに幸せなのに、
なんでか、涙が出ちゃう。
もし、あのとき帰らずにあの人の背中を追えていたら。
なんでそんなこと考えちゃうんだろう?
なんでそんなので、ちょっぴり、悲しくなっちゃうんだろう?
私、きっとさ。
あの人のこと、好きになっちゃったんだよね。
ははは。ひどいお姉ちゃんだ。
あの人には、妹がいるって言ってたけど、私には弟がいるの。
居場所をなくした弟が。
あの子を探す勇気もない私の方がよっぽどカッコ悪いよ。
いつも悲鳴を上げないで、代わりにただひたすら走って、
もう見えないところまで行っちゃった。
あの子を助けることもできないのに、私が恋なんて幸せなこと、していいのかな?
いや
なら、今から一歩、踏み出せばいいんじゃない?
「一歩を踏み出す勇気が足りないんだ」
「話してるうちに決心がついた」
そう言って去っていったあの人のように、私も駆け出せばいいんだ。
行こう。
ジャージは……ごめんね、後で。──決心が揺らがないうちに。
私は傘を二本、手に取った。