第一話 召喚 その1
とある中学校の体育館にて。体育の授業中。
「おい、藤代今度こそちゃんとやれよ」
「う、うん。頑張る」
来週、うちの中学校では運動会があって、僕ら三年と二年は最後の大トリとして組体操をやることになっている。今はその中でのトリである『三段タワー』の練習をしているのが、ついさっき僕がバランスを崩したせいで成功しかけていたのに崩れて、全員倒れてしまったところだ。
三段タワーはまず始めに六人がキツめに円陣を組んでしゃがむ。次に三人が六人の肩の上に登って円陣を組む次に一人が三人のうちの二人の肩の上に登る。そして最後に一番下の段から順に立ってタワーをつくる、という技だ。十人全員がしっかり支えたり、バランスをとることで初めて成功できる。
「せーのー。いちにさんしーごッ!」
本日何度目かの円陣を組んだ六人が掛け声をしながらしゃがんだ。
僕は二人の肩に両手と片足を置く。そして勢いをつけてもう片方の足を乗せーーようとしたのだが、なぜか手足がブルブルと震えてしまって乗れない。もう一度試みるができない。それから何回も何回も試みるが、できない。
ついに痺れをきらした一人が「早く、乗れよッ!!」と声を張り上げる。その人を皮切りに他の人たちも急かし始めた。
「おーいッ! もたもたしてんじゃねぇーぞ!!」「時間もったいないんだよ!!」「早くしろよ!!」「片足上げるだけじゃねぇかよ!?」「ふざけてんのか!?」「あと四分でチャイム鳴るんだよッ!!」
「ふざけてない! 足が上がらないんだ!」
「ハァ!? 何言ってんだコイツ?」「とりあえず乗っちまえばいいんだよ!!」
自棄になった僕は思いっきり踏み込んで足を上げた。ーーが、勢い余って円陣の中に突っ込んでしまう。
「つッ……!」
「っぐぁッ!」
「イーデッ!」
「土台、一回離れろ」
見ていた一人の男子が告げた。
「あ、ああ」
土台の人たちが僕がぶつかってしまったところを押さえながら立ち上がる。
「お前いい加減にしろよ!」
「ご、ごめん。でもわざとじゃない……」
「ハァ!? ここまで酷いとわざとやってるようにしか思えないんですけど」
うん、僕は本当に真面目にやっている。これは事実だ。でもできないもんはできない。これは言い訳かもしれないが、人には限界がある。僕にとってのそれがここである。
ちなみに体育教師は何をしているのかといえば、見て見ぬふりをしている。
それはそうであろう。何故ならば今年の運動会はうちの中学校が五十周年の節目を迎えることを記念して、校長先生は今までのものより盛大にしたいと考えているらしい。例えば、会場だ。例年は校庭で執り行うのだが今年は競技場を借りるそうだ。また、今までの卒業生たちを招待して『母校は健在です。むしろもっと立派になりました』といったことをアピールしたいらしい。
そのため体育教師たちには何としても全てを成功させなければならないという重圧がかかっている。本来なら自分が一番怒鳴りたいはずだ。でも怒りに身を任せてしまうと教育的な問題に発展しかねない。だから抑えているのだ。
また生徒達も教師のムードに乗せられて最近は常にピリピリしている気がする。
他の人たちが文句を言っている間にチャイムが鳴った。
「集合!」
体育教師が声を張り上げると生徒たちが四列横隊になるように並び始める。
周囲はわざと聞こえるようにヒソヒソ話をしている。
「俺藤代のこと嫌いだわ」
「え? 逆に嫌わない奴なんている?」
「いなくね?」
数十秒後全員が並び終える。それを確認した体育委員の生徒が号令をかける。
「これで体育の授業を終わります! 気をつけ! 礼ッ!」
『ありがとうございました!』
「解散!」
『オーッ!』
終わりの挨拶が終わり、僕らは散り散りに教室に戻っていく。
「あーあー! 誰かさんのせーで、また出来なかったねー?」
「おい、どこの誰だよ! 三段タワーで乗れない臆病者はよッ!」
誰にでも『誰かさん』が判るような言い方をわざと僕のすぐ近くを歩きながら言う。悪いのは全て自分だ、ということは判っているのだが、全てを訊いていると心の脆い堤防が決壊してしまうかもしれないので無視をする。
数秒後あからさまな舌打ちの連打が聞こえてくる。
また少し離れたところでは、
「俺たち終わったよな」
「なぁ!」
とノリで笑っている者もいるが、その声からは恨みが滲み出ているように感じられた。
「ねえ」
ん? 僕に話かけてくれてるのかな? ……いや、そんなわけないか。
「ねぇ!」
おい誰だよ、無視してる奴は。せっかく声掛けられているのに可哀想じゃないか。
「ねぇ、藤代君!」
「……え……? あ、僕なの?」
「うん。そうだよ。それでさ、次の学活ってなにするんだっけ?」
この人学級委員だから次の授業くらい把握出来てるはずなんだけどな。まあきっと気を遣ってくれてるのだからちゃんと答えないと。
「えっと、確かこの前の中間テストの個人成績表をもらうんだと思う。ああ、それと身体測定がそろそろうちのクラスに回ってくると思う」
「そうなんだ。そういえば中間どうだった?」
「んーまあまあかな。あーでも偏差値六十とれてるといいな」
「へーすごいね。俺なんかいつも五十五くらいだよ」
「そうなんだ」
あーこの人ホントいい人だな。
保健室。身体測定にて。
僕は体重を量った後に数字を覗き込んでみた。
四十八キロ、か。二週間くらい前は五十キロ越えてたのに。まぁ最近食欲ないからこうなるか。
最近食事をする度に僕なんかが皆と同じくらい食べてもいいのだろうか、と罪悪感を覚えてしまい給食を残すようになったからかな。まぁしょうがない。それにいつも僕の乗る位置が悪いせいで痛いって言われるから軽い方がいいか。
「ハハ」
思わず自虐的な笑みを漏らしていた。周囲は何も反応しない。ああ、そうか。嫌いを通り越して興味が失せたんだ。いない者として扱われるのか。まぁ最早他人の評価なんてどうでもよくなったけど。
二十分後。教室にて。
「藤代ー」
先生に呼ばれて個人成績表を渡される。この表には教科ごとの偏差値と五教科の偏差値、合計点の自分の順位が書かれているのだ。
表を見る。…………最悪だ。いや、他の人からすればそこそこ良い成績かもしれないが、僕にとって、というか母親にとってこの成績はアウトである。ああ、またやられるのか。でもあれはきっと虐待じゃない。こんな成績をとった自分が悪いんだ。そう思わなくちゃ。
ちなみに周囲では成績を仲間同士で見せ合っている。
とあるグループではテストを作った教師の愚痴を言い合っている。
別のグループでは馬鹿同士が
「お前五教科の合計何点だった?」
「俺? 百五点」
「勝ったー。オレ百八点」
といった具合でどんぐりの背比べをしている。
上位者たちは誰が自分より上なのか、今回はあの人に勝てただろうか、と色々聞き回っている。
一人だけ暇なのでファンタジー小説の世界へ逃げることにした。
今読んでいるのは自分と同じような境遇の少年が異世界へ転生して、特別な異能を手に入れて敵をバッタバッタ倒して無双する、という所謂『異世界召喚モノ』や『俺TUEEEEE系』に分類される作品だ。
こういうのはいいな。自分で言うのも何だが辛い現実を一時的ではあるが忘れられるし、下劣な悪役が主人公の手によってコテンパンにされる様子を読むと、なんかこう……スカッとする。
帰宅後、どこからか今日個人成績表を渡されたことを知ったお母さんが、それを見せるように求めてきた
僕は身構えてから、恐る恐る手渡した。
予想どおりお母さんは柔和そうに見える真顔を少しづづ変化させて、顔を上げる頃にはまさに『鬼の形相』と呼ぶのに相応しい表情になっていた。
「おい。……これはどういうことだ。偏差値五十八ってなんなんだよ?」
……始まった。実は僕の両親は高学歴というやつで二人共偏差値が七十くらいある。だから息子である僕にもそれなりの成績を求める。その最低ラインが偏差値でいうと六十なのだ。
『両親高学歴なら子供頭良くね?』と思う人がいるかもしれないが、それは違う。実はおばあちゃんが勉強苦手だったらしく、僕はその遺伝子を継いでしまったのだ、と思う。
「どういうことだって訊いてんだよ! 周りが本気で勉強し出すからちゃんとやっとけって言っただろうが!」
そう言って手近にある小皿を投げつける。なんとか直撃を避けたが、飛び散った欠片の一部が手に刺さった。浅かったのですぐに抜き取れた。
「皿、もったいないんだけど」
「それはあたしの金で買ったものだ。あたしがどうしようとお前には関係ないだろ」
「いやいやそういう問題じゃないよ」
「うるさい。皿、片付けろ」
「は? なんで? 投げたのそっちじゃん」
「誰があたしに投げさせたと思っているんだ!? アァン!?」
「じ、自分でしょ」
「ハァ!? おめぇざけてんじゃねぇぞおらぁ!!」
と言ってずんずん迫ってきて部屋の隅の方まで追い込んで、殴りかかってきた。一発目は手で防げたが、二発目には対応できずにそのまま受けてしまう。
「うッ!」
そのまま今度は腹に膝蹴りをお見舞いされた。
「かぁッ! ……クソッ!」
やられっぱなしなのは悔しいので拳を握りしめて叩き込もうとしたが、あっさりと腕を掴まれてしまい、もう一発膝蹴りを打ち込まれる。それはそうだ。ここは三次元。インドア派が強いわけがない。
掴まれた腕を開放させるためにもう片方の手で指を引き剥がそうとするが、むしろ強い力で圧迫されてしまう。
「ぐぅぅぅッ」
「お前親に向かって『クソッ』って言いやがったな!? それに塾代いくら掛かってるのか知ってんのか!? 誰に払ってもらってんだ!? 誰のおかげで生活出来ていると思ってんだ!? アァンッ!? 答えてみろや!!」
そして、渾身のパンチを腹に打ち込む。
「がぁッ!」
それで気がすんだのか、はたまた理性が働いたのか、僕を開放してからお母さんは言った。
「いいか? ちゃんと復習しておけ。全教科同じ問題でなら百点をとれるようにしておけ」
「………………」
「返事は?」
「……は、はい」
数十分後。
気分転換と一回家から離れるために散歩をしていた。
「はぁ」
なんでこんな時に限って空が晴れ渡っているのだろう。アニメやラノベ、漫画みたいに気利かせて雨でも降ってくれればいいのに。
「ーーていうか、なんなんだよ……僕の人生。……なんで報われないんだよ……」
思わず呟いていた。
学校では重大な運動会まで一週間しかないのに、僕は未だにできないままだ。そのせいでいろんな人を不快にしている。
三段タワーが出来なくて迷惑を掛けるのは本当に嫌だ。心ゆくまで練習したい。でも失敗する度に他の九人は痛みを味わう。そして文句を言う。
あれらはわざとじゃない。自分の意志によるものではない。むしろ下手なりに一生懸命取り組んでいる。
けれど、悪いのは全て、自分。分かっているけれど、なんか心が暗くなる。悲しくなる。
世の中組体操で出来てるわけじゃない。分かっているけれど、気分は沈んだまま。
複雑だ。こんなのさっさと終わってほしいと思う自分と、これから始まる校庭での練習、そして本番を迎えるのが怖いと思う自分がいる。
これ以上進みたくない。けど、時間というものは停滞という言葉を知らない。
でもやっぱりこんなつっかえなんて早く無くしてしまいたい。
複雑。
心の中に相反する感情が互いに渦巻いているようだ。
さらに問題はこれだけではない。
勉強だ。
いよいよ中学三年生。受験が始まった。今のところ上手くいってない。なぜなら中二の二学期期末テストまではずっと偏差値六十以上を保てていたのだ。それが今は五十代。周りが本気になり始めたために、置いてけぼりになりそうになってしまった。
運動が得意じゃないのに、勉強も出来なくなりつつある。今の僕に何が残っているのだろうか? ……いや、考えないようにしよう。でないと心を保てない気がする。
「……即死級の交通事故に都合良く巻き込まれたい。こんな日常なんて嫌だ」
そうだ。そうやって死ねば誰にも迷惑かけないじゃん。なにこれ。最高だ。
「……ん?」
ふと上の方を見るとまだ東南にある月から黄色い光が伸びてきているように見えた。なんだろう、あれ。
心なしか、こちらに向かってきているように見えるけどきっと気のせいであろう。そんな二次元くさいことが三次元で起こるわけがない、はず……なん……だ、けど……。
ハッと気づいたときは光に包まれていた。
「え!? 何!? ーーって、ああああああああああああッ!!」
突然、足が浮き空へ昇り始めていた! そして月のサイズがどんどん大きくなっているように感じた。否、なぜだかは全くもって意味不明で理解不能で、もしかしたらというかきっと夢なんだろうけれど、月に向かって飛んじゃっているんだ!
そして急にあたりが暗闇に覆われた。
ああ夢か。もし二次元なら異世界召喚だ、なんて思い始めた。……はい、思考停止ッス!
また急に景色が変わった。辺りは暗めな空色だ。って
「うぎゃああああああああああああああああああああああああああッッ!!」
今度は急降下し始めた。これ、ジェットコースターなんてレベルじゃない! すごく怖いですけど! しかも風のせいで制服が上にたなびくから腹周りがすごく冷える。というか痛い!
ちょっと慣れてきたので下に目を向けた。
「エエエエエエエエエエエエエエエエッッ!!」
地面がすぐ近くまで迫って来ていた。……あっこれ死亡フラグですわ。僕はまぶたを下ろした。
ドッッッガァーーーン!!
…………僕は無意識に起き上がって座り込んだ。
しばらくすると獣人のような女の子が何かを言ってこちらを見下ろした。
「………………え?」
呆然と呟く。
この時の僕の頭は真っ白だった。