プロローグ1
だんだんとゆっくり時間をかけて空が闇のような深い藍色から鮮やかな青い空の色へと移り変っていく。
もうしばらくしたら東の方に曙色の光が見えるようになるだろう。
朝ぼらけや夜明けよりは早いけれど、深夜とは言い難い。今はそんな微妙な時間帯。
「ーー姉様。いつかきっと……いえ、近いうちに必ず助け出すです。……その日が来るまで頑張って待っててほしいです」
だだっ広い草原のなかで精霊の少女がまだまだ幼さを残した声でうつむきながら呟いた。
身体は宙に浮いていて、頭には小さめで茶色い獣耳が生えている。容姿はまるでリスを擬人化したようだ。この特徴は全ての精霊に共通している。
それから少女は地面に置いていた、先端に水晶玉のついた四本の棒を拾い、正方形の頂点を打つかのようにそれを地面に突き刺す。
昨日雨が降ったおかげか、土が軟らかかったため案外早く終わった。
「……ふぅ。では、始めるです」
昨日の夜まではあんなにドキドキしていたのに今はそうでもない。何でだろう。
まぶたを閉じて意識を集中し、実体のない精霊機関へとアクセスをする。
精霊機関とは精霊のチカラを司ったり、全ての精霊の情報が集積されているところだ。精霊はここにアクセスし、申請をしないと自らのチカラを使えない。
繋がったので呪文を詠唱し始める。
「我ハ精霊コトハ也。精霊機関ヨ、今コソ我ニチカラヲ与エタマエ。ーージャンル:特殊、内容:人間の召喚と《力の連結》、条件:語彙力が豊富でこの環境に順応しやすい者。That's all」
呪文に反応して四つの水晶玉から黄色い光が生じて中心に集まった。
光がだんだん強くなっていく。
ま、眩しい……! 精霊の少女ーーコトハは目をつむった。
光はビュンッという音を立ててまだ沈んでない月に向かって翔ていった。それと同時に周囲がもとの明るさになったのでまぶたを開く。四つの水晶玉は淡い光を発していた。
数秒後。ヒューという音が聞こえてきたので上を見た。すごいスピードで月の方から光が降ってきて、だんだんと大きくなってくる。心なしか「ウギャァァァァァアアアアアアアアアァァァァ!!」と人間の男の叫び声も聞こえてくる気がする。
光が地上に近づいて物凄く眩しくなったので再び目をつむる。そして勢いは収まらない。
え……まさか!? うそでしょ!?
三、四秒後ドッッッガァーーーンと隕石でも落ちたかのような音が響く。その瞬間台風のような暴風が辺りを襲った。
草原に生えている数少ない木々はすぐに根こそぎ吹き飛んでしまう。
コトハはとっさに地に足を着けて思いっきり踏ん張る。が、耐えきれずに宙に浮かされて数メートルほど流されて落ちた。
「イィッタッ!」
地面に身体を打たれた痛みをこらえつつ立ち上がる。服や顔に草が張り付いたが、今は気にならなかった。
今はそれより召喚した人の方が気になる。これから姉を救いにいくためにーー強制的にではあるがーー協力してもらうのだ。一体どんな方なんだろうか?
コトハはそわそわしつつ召喚した場所へと向かう。
「はぅわ!?」
物凄い勢いで落ちてきたのだから、地面に穴が空いてしまっているだろう、と予想してたものの、思っていたよりも大きなクレータができていたのでコトハは驚きの声を上げた。
「だっ、大丈夫ですか!?」
慌てて中を覗き込むと、座り込んでた十五歳くらいの少年が虚ろな瞳でこちらを見上げた。少し汚れてはいるが、ビシッとした黒い服を着ていてる。
「………………え?」
少年はボソッと呟いた。
「…………」
二人はそのまま見つめ合う。コトハは明らかにこの世界とは違うナニカを感じて呆然としてしまい、少年は頭が追いついてきてないようだ。
「…………」
「…………」
「…………はっ!? て、なっ何がどうなってるの!?」
急に少年の瞳に光が宿った。
「あっそれはですーー」
「空! さっきまで明るかったのになんで急に!?」
無視された……。まぁ今は混乱しているだろうから仕方ない、仕方ない。
「それはあなたを召ーー」
「ていうか地面も! アスファルトじゃない!? どうなってるの!?」
カチン。また無視した……! いや、でもわざとじゃないだろうから。
「だからわtーー」
「つうかここどこだよ!?」
カチン。何なんだ、このガキ。……あっ、でもそれは教えないと。
「えーと、たーー」
「そういや落ちてきたのに痛くなかった! ん……落ちる!? なんーでっ!? おかしいってレベルじゃないじゃん!?」
カチンッ! コイツ、わざとやってんのかなぁ……? い、いやそんなわけないよね!
「で〜す〜か〜rーー」
「ああ、もうッ!! 何なの!? ハァ!? エッ!? どうなってんだよぉ!! ホントに何な……ん、だ……よ……」
コトハの中でナニカがプツッと切れた。身体から紅蓮の、怒りを反映させたかのようなオーラが溢れてきていた。
少年はやっとこちらの存在に気付いたようだ。否、その表情は未知の出来事を目の前にした恐怖を示しているように見える。
「オイ、ソコノクソガキ。カイワスルトキニハキチントアイテノハナシヲキケトナラワナカッタノカ!? アァン!?」
正気を保てていない今の彼女の周囲にはいくつもの気弾が浮いている。無意識のうちに、強制的にアクセスをして作り出したのだ。
「え……あっ……そのっーー」
バンッ! 気弾が避ける隙を与えないほどの速さで迫ってきて同時に爆発した。
「ああぁぁぁッ!!」
少年は全身を焦がして気絶した。精霊が怒りを身を任せて攻撃してしまったのだ。当然であろう。
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ーー。
「……はっ!」
唐突に正気が戻る。さっきまでの喚く声が聞こえなくなって、辺りは静けさを取り戻していた。見上げると朝日が視界に入り込んだ。
「…………あれ?」
クレーターを覗き込むと、何故か少年の身体が焦げていた。
「はぅわ!? 一体どうしたのですか!? なんでこんなことにっ……! あぁ、と、とりあえず治癒を施さなければ!」
まぶたを閉じて意識を集中し、実体のない精霊機関へとアクセスする。
繋がったので呪文を詠唱し始めた。
「我ハ精霊コトハ也。精霊機関ヨーー」
………………コトハは自覚していないのだ。怒ったときの自分が何をしてしまったのかを。