1.女子大生ななみ
華宮探偵事務所のオフィスへ行くには駅から歩いて十五分。
駅をでたら東口から大通りを真っすぐにすすむ。二個目の信号を右に曲がる。そこから濃紺の暖簾をはためかせている鯛焼き屋がある角を左、ちいさな酒屋のある角を右に曲がったら、喫茶店『モロッコ』があり、そのとなりに茶色の壁をした三階建てのビルが建っている。そしてビルの一番上にあるのが、華宮探偵事務所のオフィスである。
探偵、華宮裕一は半年以上、不在。その代理として、跡取り娘の華宮青子が事件を解決してくれる、らしい。
「おい、へタレ。茶をいれろ」
机に両足をのせてふんぞりかえっている、ゴスロリ服の女。彼女が華宮青子、大学三年生である。
「そのくらい自分でできるだろ」
へタレ、と呼ばれたスーツ姿の男は華宮青子の幼なじみであり、助手の真壁慎一郎、二十四歳。
真壁はぶつぶつ言いながらもお茶をいれている。青子は煎餅を齧り、事件の資料を確認していた。その事件はアメリカのマサチューセッツ州で起きたものだった。
某ファースト・フード店の店員が仕事中、ゴミを捨てに外へでた際、空に幾筋もの光りがあらわれ、旋回しながら北の空へ消えて行った、と言うのだ。
青子はバリボリ煎餅を食べながら、たいくつだ、たいくつすぎる、と考えていた。
「その目撃情報、本物のUFOだったのか? まだ目をとおしてないんだけど」
「120%偽情報よ、見る価値なしだわ」
真壁がいれたお茶を飲み、青子は眉間にシワをよせる。
「そうか。それじゃあ、やっぱり浮気調査の依頼を受けないとな。今月の食費が危うい」
「最悪。あんたが行きなさいよ」
「なに言ってんだ、跡取り娘だろ。おれは怪奇現象の知識はあっても、探偵のスキルはねぇよ」
「身につけなさいよ、教えてあげるから」
青子と真壁が言いあっていると、だれかがオフィスの扉を叩いた。
「へーい」
机の上に足をのせたまま青子が答える。答えながら真壁のほうを見ると、目を¥マークにしていた。浮気調査なら○○○○○円、怪奇調査なら……と計算しているのだろう。
「あのう、失礼しまーす……」
はいってきたのは、青子とおなじ歳くらいの女の子だった。肩くらいまでの茶色い髪に、水色のワンピースを着ている。
「ここにくれば、変な事件も解決してもらえるって聞いてきたんですけど……」
「変な事件は知らないけど、妖怪、幽霊、宇宙人の起こす事件が専門よ」
笑顔の接客などする気もない青子に、
「こら青子! お客様がいらっしゃったんだ! 足をおろして、きちんとしろ! 」
と真壁が怒った。しかし、怒ったのは真壁だけではなかった。
「青子って呼ぶな!! リリィとお呼び! この、へタレ野郎! 」
青子改め、リリィは立ちあがり、応接用のソファにどかりと座った。
「座りなさいよ。話聞くわ」
変な事件、と一般人が言うのだから、妖怪、幽霊、宇宙人、なにかしら関わっているだろうと思ったリリィは、お客を向かい側のソファにうながした。
「あ、は、はいっ」
どちらがお客なのかわからないほど、女の子は腰を低くして中にはいってきた。
「へタレ、茶をいれなさい」
「……へいへい」
お客は、真壁がいれたお茶を一口飲んでから話しはじめた。
「あの、わたし、斉藤ななみなんだけど……、華宮青子さん、だよね? わたし、あなたとおなじW大学で、おなじH先生のゼミ……」
「さぁ。おぼえてないわね。興味ないわ。それで、事件ってなんなの? 」
「あ……うん、あの、H先生のゼミに、山瀬くんっていう男の子もいるのね。彼、一ヶ月くらい前から貧血気味で、日に日に青白い顔してふらふらするようになったから、みんな心配してたんだ。それで、とうとう一昨日の夜に倒れて、入院しちゃったの」
「その貧血が変な事件なんですか? 」
真壁が茶菓子を置きながら質問をはさむ。
「貧血だけならふつうの病気かなにかだと思うんだけど……。昨日、わたし一人でお見舞いに行ったら、『麗子には入院してることを絶対に言わないでくれ』って彼にたのまれたの。麗子っていうのは、山瀬くんが一ヶ月くらい前からつきあいはじめた年上の彼女のことなんだけど、それがすっごい美人で、性格もよくて、料理もうまいの! 完璧な恋人だなってみんな思ってたし、山瀬くんも自慢の彼女って感じだったんだけど……。そんな彼女に入院のことを絶対に知られたくないなんて、変でしょ? 」
「それはたしかに変な話ですねぇ」
「それで理由を聞いたら、怖い夢を見るからだって言うの。それが、おおきな黒いものに襲われる夢なんだって。しかも、きまって麗子さんが彼の部屋に泊まりにくる日で、そのつぎの日は貧血でふらふらするらしいの。わたしは麗子さんが関わっているとは思えないんだけど、検査しても貧血の理由は不明で……。だから山瀬くんの代理で相談にきました。お願いできますか? 」
「吸血鬼かなぁ。でも、黒くておおきいものじゃないしなぁ……」
うーん、うーんと唸っている真壁のよこで、だまって茶菓子を食べていたリリィは、
「吸血鬼じゃないわ」
そう言って、お茶を一息に飲み干した。
「まぁ、だいだい見当はつくわよ。引き受けてやってもいいわ。それで、事件は調査だけでいいの? それとも、解決もしてほしいの? 」
「え、それってセットじゃないんですか?! 」
「あたりまえでしょ。別料金よ」
「うーん、でも山瀬くんの家、お金もちだし大丈夫かなぁ。どうせなら、解決もしてもらったほうがいいよね」
お金もち。リリィはにやりと笑う。
「真壁、計算」
真壁の目も¥マークが光り輝き、胸ポケットからだした電卓を高速で叩いている。
「うちは超一流。よって、それなりの報酬をいただくわ」
真壁がさしだした電卓を見たななみは目をまるくした。
「こ、こ、これ、え、ええええ!? 高くないですか!? 」
「あのねぇ。うちが扱う事件は命がけのものも多いのよ。このくらい当然でしょ。金で命が救われるなら安いもんよ。そのお坊ちゃん放っておいたら、もうじき死ぬわよ」
「死、死ぬ!? 」
「どうしますか? 今なら、華宮探偵事務所のなまえいりマッチがおまけにつきますけど」
「うーん、どうしよう……」
「うちより優秀なところは、この街にはありませんよ? 」
「うーん……」
金が絡んだときの真壁の笑顔は黒すぎて気持ち悪い、とリリィは自分を棚にあげて心の中で毒づき、顔をしかめた。そのうえ、ななみがじろじろ見てくるので彼女はさらに眉間のシワを深くして歯ぎしりした。食費に困ってさえいなかったら真壁に任せてでていくのに、と思いながら。
「華宮さんって、いつも変わった服着てるよね」
リリィの服装は、大学でも街でもオフィスでも視線を集めた。白いレースがたっぷりとついた黒いワンピース、頭にもレースがついた黒いカチューシャ、足は黒いニーハイ・ソックスに、10センチ・ヒールの黒い靴、金色の長い髪、透きとおるような青い目。
「おまえには関係ないわ」
「そうだけど……。よく似合ってるよね。顔も整っててお人形さんみたいだし」
「わたしは世界一可愛らしいわ。でも割引は無しよ」
「……ダメかー……」
事件の内容はさほど目新しいものでも、興味を引くものでもなかったし、ななみは考えこんでしまってなかなか決断しないうえにスマホでなにやらはじめてしまい、短気なリリィの我慢は限界点に達していた。
「きめられないなら帰りなさ」
「まって! 」
ななみがスマホの画面からパッと顔をあげ、リリィの声をさえぎった。
「きめました! お願いします。調査&解決セットで!! 山瀬くんにメールしたら、お金はいくらかかってもいいから解決してほしいそうです! 」
「はい! それでは華宮探偵事務所、依頼を引き受けさせていただきます! 」
心底うれしそうに答えた真壁と、ほっとしたような表情のななみ。リリィはため息をついて、
「それじゃあ、今夜から調査開始よ」と立ちあがった。