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疑問

中学校にはいってしばらくしてからだろうか。この世の中に疑問を抱いたのは。

平然と過ぎていく日常の中に様々な現象が起きている。ある日、そんなことが頭によぎったとき、自分の中に疑問が生まれた。

なぜ、人は殺し合い、動物は死に、人は生き、動物は生き、物があり、自分が存在し、世の中があり・・・

訳も分からずいろいろなことを考え始めていた。話に一貫性がないというべきか、わからないが、その時の自分は疑問というより

人の存在、いや、存在というものを不思議に思っていたのだと思う。

おそらく普通の、今の生活に疑問を持たない(ここでいう今の生活とは人間関係、貧富などの社会的観点ではなく、人間としての生活を意味する)

人々には今の文章は到底理解にかけるものであると思う。

さらにいえば、自分は昔から人に回りくどい表現をするとよく言われる。

言葉のボキャブラリーも少ない、表現がたいしてうまいわけではない。

そんな自分が書く文章は、たいていの人にとっては退屈極まりないことだと思う。

それを理解してこの文を読み進めてもらいたい。


作文を作るのは得意じゃない。

常々そういってた自分が今こんな長い作文を作ろうとしていることに少々驚きを持っている。

自分は青森に生まれ育ったどこにでもいる一人の人間である。

ただこの人間というのはこの世の仕組み、サイクルに疑問を持っている。しかも、そのさらに根本に疑問を持っている

いや、サイクルなど関係ない何かなのかもしれない。ただ、自分が疑問に思っている部分が自分でもわからない。

というよりまず、自分とは何なのだろうか、人間、細胞、原子の集まり。

どれも正しい、どれも当てはまる。ただ、原子の集まった細胞でできた人間という動物が意識というものを持ち感情なるものが

生まれ、今この長い作文を書いている。こうつづってみるとものすごく不思議なことだ。

そもそも、原子という言葉は、細胞という言葉は、人間という物がつくり人間という物が使っている言葉、音、物、に過ぎない。

そんなようなことを自分はすぐ疑問に感じ頭に浮かべてしまう。そのせいで一度疑問が生じ始めたら外から邪魔が入るまで

考え続けてしまう。なので、今回は細かいことにはできるだけ触れないようにする。

地球は約50億年前だったか、忘れたが、に誕生し、生命が約35億年前あたりに生まれた。

なぜ地球が生まれ、生命が誕生したのか、昔はこんなことにも疑問を持っていたが、それは完全に科学の世界、というより

自分が疑問に思っていることとは少し外れている(気がした)ので考えないことにした。

自分がわからないのはその中で生まれた人間という生物だ。

初期の人間、原人やアウストラロピテクスだったか、その辺りの物は群れて狩りをする今の人間の言葉でいう野生の動物

と等しい。

だが今の人間はどうだろうか。野生というものが、社会性、を通して人口というものに移っている。

小学校や中学校の道徳の授業だか何だかあたりで、大まかこのようなことを習った人もいるんではないだろうか。

”自由”というのは定められたルールや規則を守った中での行動。

自分はその授業を半ばあきれて聞いていたので内容をほとんど覚えていないが、大まかそのようなことを教卓の前に立っている

人間が喋っていたような気がする。

自由というのは定められたルールや規則を守った中での行動。

そうなのだろうか、自由とは、自らの考えるままに行動することではないのか。

そんなことをしたら世の中の秩序が乱れる。そういう人が多いだろう。

だが、秩序を守る必要とは?殺し合いを防ぐ理由とは?

ゴリラだ芋虫だ蚊だ犬だ、野生に秩序なるものが存在するか?

殺し合いを防ぐといっている大人の子供はクワガタが共食いをしている姿を見て母親に問う。

「なぜこのクワガタは仲間を食べてるの?」

「そういう生き物なのクワガタは」

大方そんな返事をする人間が多いのではなかろうか。

人間が人間を食べると「猟奇的」などと言われ豚小屋行きになる。

他の動物が普通にやっていることを人間という種類付けされた動物がやると同じ人間に行動を規制される。しかも大多数に。

人間というものは雌と雄の間に生を授かった瞬間から、大多数の同じ人間に行動を規制される。ある意味敷かれたレールの上を

走っているといっても過言ではない。

人を殺した、人を食べた。だからなんだ、別にいいことではないだろうか。

そんなことを書き連ねると自分は頭がおかしい人間だ、異常な考えを持った人間だといわれるだろう。

ただ、現状ほかの動物はそうしている。

人間だから。そういう人もいるだろう。

確かに人間だからそれを互いに許さず、規制してきた。

しかしその結果が今の世の中だ。地球上は人間という、他の動物を見下し、自らが住んでいる土壌を汚す下劣な生物で

溢れかえっている。

互いの自由を規制したがために、動物のサイクルから外れたがために、人間はここまであふれかえってしまった。

人間が互いの行動を規制せずに、殺し合いが絶えない生物だったらどうだったであろうか?

おそらく機械などの文明は発展せず、ほかの動物と同じような量で、地球は自然であふれかえり、緑に生い茂っていたことであろう。

しかし、人間はここまで来てしまった。

自分はこんなことを考えたことがある。社会にいる以前は、社会のルールに従わなければならない。

それは、それが常識だからというものではなく、そうしなければ自らに損が生じるからだ。

人を殺せば織の中に閉じ込められ、衣服というもの着用しなければ織の中に閉じ込められてしまう。

羊は、ライオンは、クモは、そんなもの着けやしないのに人間は衣服というものを着用しなければならない。

そんな社会にいる以前は仕方なく従うとする。

だが、身の回りにある、人工、と称されるものをすべて捨て、どこかの森にその身一つで入り込み、その日のめしは

自分で集め、その身の安全も自分で確保する。

そして、その安全を脅かす人間、またはほかの動物が近づいてきた場合、容赦なく殺す。

そのような生活を始めた場合どうなるのだろうか?

一つ目は、その生活自体を人間の社会が許さず、精神病院、または織の中に閉じ込められるか。

二つ目は、その生活自体は許容するが、人間を殺すという行為を許さず、また精神病院、檻の中に入れられるか。

3つ目は、もっとも確率が低い場合。それはそのすべてが許容されるという状況

いったい本当にそうなったときどうなるのか、最初はそれを小説のように、物語のように書きたかった。

だが自分には文章力がなく、そのような形で文を書き始めると、それはそれは見苦しいものになるのがわかっていたので

このような形で書き記している。

もし自分が小説のような形で書けるとしたら、ある日人間の生活に疑問を持った一つの人間が、先ほど言ったような生活を

はじめ、何かしらの形で完結するように書きたかった。

いま思いつく疑問、そういうと変だが、今頭にたまっていたものを書き連ねたらこうなった。

先ほど小説を「書きたかった。」と言ったが、「書いてみる。」ことにする。小学生の作文のようになると思うが

それはそれでまた自分の疑問が整理できるような気がする。

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