4、無駄な知識などありません
「……はあ」
数メートル後ろから、がさがさと木々が揺れる音が聞こえる。
隠す気がないのか少し大げさにも聞こえるほどだ。
もう一度ため息をついて急に足を止める。
すると、後ろから「えっ!」という音とともに何やらがさがさと木々が一際大きな音を立てて、しばらくして静かになった。
ちらりと後ろを振り返るが、音の主は姿を見せない。
俺は前を向いてため息をつくと、再び森の小道を歩き始めた。
何だが知らないが、ストーカーがいる。
エミーリアから『生活魔法のすべて』を借り、ひたすら練習に励むこと1か月。
俺はようやく、薄っぺらい本の魔法をすべて習得することに成功していた。
エミーリアには事前に、この本に載っている魔法自体は危険が少なく、俺一人でも使っていいものだと許可も頂いた。
よってこの1か月、俺は両親がほとんどいないのをいいことに、ほぼ1日中魔法の練習をしていた。
前世に引き続いて早くも引きこもりである。
いや、3歳児なんだがな。
それはそうと、この本『生活魔法のすべて』を謳っているはずなのに、どんなところで使うのか全く見当もつかない魔法がいくつもあった。
それらに限って、習得が難しく、完全制覇に思いのほか時間がかかってしまった。
瞼を高速で動かす魔法とか、30秒だけ体周辺をきれいにする魔法とか。
特に後者の使い道がわからない。はじめこそ、これ風呂に入らなくてもよくなるやつじゃん!とテンションが上がったものだが、約二週間もかけて習得してみると、見事に凹むこととなかった。
夏の暑さでじんわりと掻いた汗をさっぱりと取り去るものの、たった三十秒ですぐに元通りになってしまう。しかも元通りになる時の気持ち悪さは半端がなかった。
ちなみにこの30秒間浄化魔法の次のページには、普通の浄化魔法も記載されており、俺は大きく肩を落としたのだった。ついでにいうと30秒という指定が魔法の難易度を上げていたらしく、普通の浄化魔法はすぐに習得できた。どうして先に全部の魔法を把握しておかなかったんだ……。
何がどうあれ、一応エミーリアに出された課題はこれで終了したのだ。
今日はその報告と次の段階を教えてもらうために、エミーリアの家へ再び訪れるつもりだった。
俺が借りていた本と小さな水筒を持って家を出たのは、午前10時過ぎ。
エミーリアは午後になると畑仕事に参加するため、家にいなくなる。
だから前回エミーリアの家を訪ねた時も午前中だった。
曰く、俺が2歳くらいまでは子守のために畑仕事を休んでいたが、あまりに仕事がなかったせいで予定よりもずいぶんと早く戻ったらしい。
畑仕事を休めるのなら俺の母さんがすればいいのに。以前エミーリアにそう言ってみたことがあったが、休めるのは彼女だけなのだそうだ。他の村人たちは蓄えがないので、村の農業に心血を注いで村の蓄えだけで生活しているのだ。
と、意気揚々と森に踏み入れたのだが。
俺の足音の少し後に、違う足音が聞こえてくるのに気が付いた。
こんな辺鄙な森にいくのはエミーリアか俺くらいのものだと思っていたのだが、変わったやつもいたものだ。
そう思っていた頃も、俺にはありました。
俺が右に回ると、足音に右に向かって歩いてくる。試しに左に回ってみても、同じことが繰り返された。
どう考えてもストーカーです、はい。
このままエミーリアの家まで行くと、最悪の場合、怪しいストーカーがエミーリアの家まで来てしまう可能性がある。出待ちをされるような気がしないでもないが。
全く隠せていない気配や、時折聞こえてくる幼い声から、どうにも危害を加えるようには思えない。だが、目的もわからない相手にこのままストーカーし続けられるというのもなんとなく嫌だ。
俺はもう一度ぴたりと足を止めると、勢いをつけて後ろに振り向いた。
「おい! そこにいるストーカー、出てこい!」
「っうわああああ!」
がさりと音を立てる木に向かって声をかけると、緑の上に見えていた青色が跳ねた。
すげえな……きれいにアホ毛が立ってる。
俺がどうでもいいことを考えていると、ストーカーは慌てて転がるようにして木の陰から出てくる。
「な、何でばれた!? わたしのびこうはかんぺきだったはず! そして失礼だねキミ、わたしはストーカーじゃないわ!」
ストーカーは青い髪の5歳くらいの少女だった。
青い目を見開いてその場をうろちょろと歩き回り、やがて俺に向かって指をさす。
ビシッという効果音が聞こえてきそうだ。
「いや、ストーカーだろ。尾行してる時点で」
尾行する=ストーカーの方程式が彼女の中にはないようだ。
いやいや、それはおかしいだろ。
思わず真顔でツッコんでしまった。
「わたしはストーカーじゃない……多分」
少女は俯きがちに否定した。随分と自信がなくなってるじゃねえか。
前髪の隙間から見えるのは、少しひそめられた眉。
……打たれ弱いな。
「それで、どうして尾行してたんだ? 俺、お前とあったことないよな?」
「えっと、暇だったから」
「は?」
少女の予想外の理由に、思わず聞き返してしまう。
しばらくして少女の言いたいことに気が付いた。
この村は、村人が30人程度とひどい田舎である。子供の数も数えるほどしかおらず、大人は農作業で忙しく、遊び相手がいないのだ。
6歳から農作業に参加しなければいけないものの、特にすることもない今は時間と体力が有り余っているのだろう。
「わたしは村の中ですることがないのに、キミはなんだか楽しそうに歩いてたから。どこにいくのか気になったの」
少し恥ずかしそうに頬を掻く少女の目には、好奇心が強く映っていた。
これは断っても着いてきそうだぞ……。
俺はまたため息をつくと、
「わかった。つまらないかもしれないけど、知らないぞ」
なんとなく重い足でエミーリアの家へ歩き始めた。
後ろからは楽しそうな声が聞こえてくる。
何故か魔法修行の同行者が出来ました。
二人で賑やかに森の小道を歩く。
道中の少女の話を聞いていると、彼女の名前はカローラということがわかった。
カローラはグエラ村の村長の一人娘なのだそうだ。
村長の娘といっても、特権があるわけでもなく、他の村人と同じく農作業に明け暮れているらしい。
まあ、それでも俺の家よりは幾分かましな家に住んでいるのだが。
「それで、アルフはどうしてこんな森に来ているの? ここは来ちゃいけないって、お父さんが言ってたわよ」
「おい、お前普通に約束破ってるけどいいのかよ」
数回しか顔を見たこともない村長さんがかわいそうになってきた。
それはそうと、魔法を習っていることを正直に言っていいものだろうか。
俺が言うのもあれだが、3歳児がすることじゃない。
見たところ口が軽そうだし……。
だが、同行を許した時点でいってしまえば手遅れだ。それに、3歳児が魔法を習っていると騒いだところで、何を言っているんだとカローラが呆れられるだけではないだろうか。
一人騒ぎ立てるが、大人たちに相手にされないカローラの姿がありありと浮かんだ。
うん、言っても構わないな。
「俺はこの森に住んでるエミーリアっていう姉さんに、魔法を習ってるんだ。今日は魔法を一通り覚えたから、それの報告」
「えっ! アルフ魔法使えるの!?」
さらりというと、思いのほかカローラが飛びついてきた。
歩きながら、目を輝かせて「やってやって」と目と口で訴えてくる。
ああ……やっぱ言わなきゃよかった。
聞こえてくる声をすべて無視して歩き続けていると、カローラがぐずりだした。
「ねえ、無視しないでよ……アルフ―! ねえ、聞いてる? ねー……」
ぐずりがひどくなるにつれて、カローラの足取りがどんどん重くなる。ついでに、隣を歩いている俺の袖をつかんでいるため、俺の足取りも重くなる。
めんどくせえ……。
どうせこのあと、エミーリアに魔法を見せるのだ。
それまで我慢してほしい。
そう言うと、カローラはいやいやと首を振り、
「今! 今、見せてよ……、お願い」
上目づかいで見つめてくる。ふっくらとした柔らかそうな頬が赤く染まり、大きな青い瞳は潤んでいる。
うわっ、こんな技術どこで身につけやがった。
というかこれはある意味才能だと思う。
俺は5歳であるカローラよりも、随分と背が低いのだ。そんな俺に向かって上目づかいとは……。どうやっているのか甚だ疑問である。
今はまだ可愛げのある子供だからいいが、大人になってこんなことをすると大変だ。いろんな意味で。もしかすると、紳士という名の変態がわらわらと押しかけてしまうかもしれない。
ここは少しお灸を据える必要がありそうだ。
「分かった。仕方がない、俺の魔法を見せてやろう。どうせだから、カローラに魔法をかけるぞ。ちょっとそこで止まれ」
ちらりと横目で、エミーリアの家がすぐ近くまで迫っていることを確認する。前に魔法の実践をした開けた場所にカローラを移動させる。
「よし、いくぞ。……浄化」
本来必要のない魔法の名を口にして、魔法をかけたことをカローラにアピールする。
俺の言葉を聞いて、カローラはぎゅっと目を瞑って身を縮こまらせた。
カローラの体が淡い光に包まれると、ばっと目を開けて騒ぎ出す。
「うわあっ! すごいよアルフ! なんかすごいさっぱりした!」
楽しそうな顔をして、小さな手を顔の前でグーパーと動かしている。
そう、俺がカローラにかけたのは浄化魔法だ。きっと彼女の体は今、汗などをさっぱりと消し去って、非常に爽やかになっていることだろう。
ただし、三十秒だけ。
俺がほくそ笑むと、同時にカローラが悲鳴を上げた。
ぴったりと体に張り付いた服を、必死で剥がそうとしている。おそらく、魔法が切れて、戻ってしまった汗が急激に服に吸い込まれて、べたべたとしているのだろう。
「な、なにこれえええええ。なんで汗が戻ってきてるの!? 気持ち悪い……」
顔をしかめて、俺の方へジト目を向けてくるカローラ。騙されたと感じたのか、不服そうだ。
「気持ち悪いだろう。俺もその魔法を習得した時はそれを体験したもんだ……、嫌な思い出だが」
「そんなの知らないよ! 今度はちゃんとした魔法かけて! 服がべたべたして気持ち悪いんだって……」
森に響くカローラの大声をスルーして、俺は懐かしむようにしてうんうんと頷いてみせる。
ちらりと横目で見たカローラは泣きそうな顔をしていた。
「貴方たち何してるのよ……」
こんなに騒いでいれば当然のことだが、煩わしそうな顔をしたエミーリアが玄関の扉から顔をのぞかせていた。
そういえば、ついさっき使わないだろうと思っていた魔法を、思いがけない形で早速使うことになってしまった。やはり求めるべきは幅広い知識だな。
いらないと思っていた魔法を使っただけで、随分調子よく態度を変えている気がするが、きっと気のせいだろう。……多分。