9、実践授業 上
「アルフくーん! 髪結ってー!」
忙しない朝の喧騒に包まれている厨房に、そんな声が届いた。
「おい、アルフ。お嬢様がお呼びだぞ」
「分かってるって……。少々お待ちください!」
緩んだ頬を隠そうともせずにニヤニヤしている使用人仲間に悪態をついてから、厨房の外にいるらしいフィリアに声をかける。
俺は両手に持っていた料理皿を近くの台に素早く置いてから、共に仕事をしていた使用人に声をかけてからフィリアの元へと向かった。
調理の熱のせいか、それともむさ苦しい男どものせいか暑い厨房から出ると、一気に涼しくなる。
じんわりと滲んでいた汗を軽く拭って息を吐くと、櫛を片手に唸っているフィリアが目に入った。
髪を整えようとしていたようだが、ぐちゃぐちゃだ。
奮闘の結果らしいゴムが髪を纏めきれずに妙な位置にへばりついている。
「あ、アルフ君。ごめんね、なんだかうまく結べなくって」
「いえ大丈夫です。ここではなんですし、一旦お部屋に戻りましょうか」
厨房のすぐ傍で髪を整えているお嬢様というのも可笑しいだろう。
やんわりと促すとフィリアもそれに気が付いたようで、慌てて頷き、歩き出した。
ここは王都にあるレイリス家の別館だが、造りは本館と大して変わらない。
だから本館と同じように、厨房からフィリアの私室はそれなりの距離がある。
だからわざわざ厨房にいる俺でなくとも、もっと近いところに使用人がいるはずなんだが。
前を歩くフィリアの顔はいつもよりも嬉しそうで、遠足へ行く前の子供の様な顔をしている。
まあ、例のことがあるからだろう。
少し遠くても俺を呼びに来た理由は同じ話題を共有したかったからかもしれないな。
単に人見知りだからかもしれないが。
「はい、じゃあお願いしますっ」
「お任せください」
私室に入るなりフィリアが手渡してきた櫛を受け取り、豪華なドレッサーに向かった。
嬉しい気持ちが髪に反映されてしまったのか、今日の寝癖は中々ひどいようだ。
いつもはサラサラの髪だが、櫛が通らない。
仕方なく弱い水魔法を使って、髪を潤わせていく。
「アルフ君、今日授業だね!」
「ええ、そうですね」
フィリアの弾む声に相槌を打つ。
今日はようやく全員参加の授業がある日であり、これがフィリアの気分がいい理由である。
先日友達のようなものになったラファエルと話すのが楽しみなのだろう。
そしてあわよくばさらに友達を増やそうとしているらしい。
「すっごい楽しみっ!」
「ラファエルさんもいますしね」
「うん! あとアルフ君、ラファエルさんに敬語はダメなんだよ」
「あ、そうでした」
話をしながらもてきぱきと手を動かして髪を整え、いつもはしないハーフアップの形に括る。
ドレッサーの引き出しの中からいくつかのリボンを取り出してフィリアの前で掲げた。
「どれにしますか?」
「んー、そのピンクのリボン」
指名を受けた淡いピンクのリボンを、ゴムの上から丁寧に巻き付ける。
……今更だが俺、女子力高すぎじゃないだろうか。
「皆さん来られていますね……。では、授業を始めます」
ハルトヴィヒが教室をぐるりと見回して人数確認をした後、ユルシエルの号令によって授業が始まる。
いつもはがら空きの教室だが、今日は5つの席が埋められている。
とはいえ、元々人数が少ない特別生クラスであるから、多少埋まっていてもまだまだ席はあるのだが。
「今日は、魔術の実践授業を行います。入学試験で大体の能力は把握していますが、私は直接見ていないので。お互いの能力を知ることも必要でしょうし」
ようやく集まったと思ったらすぐに実践か。
特別生とはいえ、いくらなんでもいろいろ飛ばしすぎではないだろうか。
だが、そう思っているのは俺とフィリアだけらしい。
全員の顔は見えないものの、緊迫した空気が伝わってくる。
今日は友達を作るような雰囲気ではないだろう。
気合を入れていたフィリアが少し肩を落とすと、綺麗に結ばれたピンクのリボンが居心地悪そうに揺れた。
「実践といっても、小難しいことをするわけではありません。順番に2人ずつで戦っていただくだけです。このクラスは5人で奇数ですので、私も入ります。ではそうですね……、私とアルフォン君、フィリア君とユルシエル君、ラファエル君とラルス君。この2人で戦うこととします」
えっ。
ハルトヴィヒの言葉に耳を疑った。
奇数だからもう一人入れるというのは分かるが、何で俺がハルトヴィヒとなんだ。
もっと適任がいるだろ、多分。
ユルシエルとか気合十分だし。現に今も俺に刺すような視線を送ってきているからな。
「ユルシエルさんかぁ……大丈夫かな」
隣で心配そうに呟くフィリア。
正直そのセリフは俺が言いたい。
「では、魔法訓練場へ向かいましょう」
先頭を歩き出したハルトヴィヒに続いて生徒がまばらに立ち上がり、廊下へと出ていく。
俺も重い足取りで席を立った。
廊下や階段をしばらく進んで、大きくドーム状に広がる魔法訓練場に辿り着いた。
ここに来るのは2回目だが、相変わらず広い場所だ。
広い訓練場をたった6人だけで使うというのは贅沢な気がする。
まあ、この後のハルトヴィヒとの戦闘を考えると気分が落ち込むが。
「最初はラファエル君とラルス君、お願いします」
ハルトヴィヒの声に、ラファエルとラルスが訓練場の中央で向かい合う。
観戦する俺たち生徒は魔術の被害が及ばないように、階段を上って観客席の一列目についた。
観客席は少し高くなっており、一列目でも2人の様子がよく見える。
授業とはいえ、怪我をするリスクもあるためか、ぴんと糸を張ったように空気が張りつめている。
俺たちから見て右手に、見るからに高級そうな宝飾類が付いたローブを羽織ったラルス。
左手には、普段と何ら変わりないように見えるラファエル。
不敵な笑みを浮かべるラルスと、どこかぼんやりとしているラファエルが対照的だ。
ラルスはラファエルの態度が気に食わないのか、笑みを歪めた。
「ラファエルさん、大丈夫かな……」
「どうでしょうね……」
心配そうなフィリアの声に頷く。
特別生クラスではあるが、図書室に籠っていたり、ぼんやりしていたりと、ラファエルはあまり強そうなイメージがない。
一方でラルスは、普段から高圧的であるし、自分の魔術に自信を持っているのだろう。
ラルスの一方的にならなければいいのだが。
俺たちの心配をよそにハルトヴィヒは二人の様子を確認して、息を吸い込んだ。
「では、始め!」
鋭い声が響く。
同時にラルスが地を蹴って一気にラファエルに肉薄した。
迫ってくるラルスをぼんやりと眺めていたラファエルが、おもむろにズボンのポケットに手を突っ込む。
「えっ、ラファエルさん何やってるの!?」
隣からフィリアの驚きの声が聞こえた。
何かあってのことだろうが、迫ってくる敵を目の前にして随分余裕だな。
ついにラルスがラファエルの2mほど先にまで迫った。
勝利を確信したのか、ラルスの口の端が緩んだ。
そこでようやくラファエルはポケットから手を抜き、白い紙のようなものを取り出した。
それを思い切り地面に叩きつけかと思うと、ラファエルから微力な魔力が流れてくる。
口が動くのが見えたから、声は聞こえないが、呪文を言ったようだ。
ラルスも魔力を感じたようだが、その微力さに無害と感じたのか足を止めなかった。
砂埃を立てて更にラファエルに近づく。
「……なっ!」
突然、ラルスの足元が崩れた。
アリ地獄のようにアルスを中心として円錐型に土が変形していく。
どっぷりと飲み込んでいくような砂の流れで、思うように足を動かせないのか、ラルスの足が砂にとられた。
「わぁっ!」
ラファエルの姿を見てフィリアから感嘆の声が漏れた。
ユルシエルも声には出さないものの、視線を鋭くして試合に見入っている。
勿論俺も感嘆した一人である。
あの紙は何だろうか。
俺が知る限りでは、あのような方法で魔術を発動できるなど聞いたことがない。
それも相手に感じさせる魔力は微量だというのに、実際はそれに反した威力の魔術が行使された。
これではどのような魔術が来るか見当もつけられない。
やはり特別生か。
ラファエルも見た目通りではないらしい。
だがラルスもやられっぱなしではない。
普通には抜け出せないと瞬時に判断したのか、屈んで両手を沈んでいく土に当て魔力を流した。
どうやら同じ土魔術で反撃をするようだ。
一瞬眩く光った一面の土がぐにゃりと形を失って変形していく。
ラルスの足元に広がっていた円錐を埋めるように土が流れ込んで、ラルスの足を解放した。
土魔術の中級である砂波を応用したのだろう。
本来は自分の前方に砂を押し流す魔術であるが、自分の方へ向かって砂を操るというのは難易度が高い。
ラファエルといいラルスといい、レベルが高い。
息を呑んで見入ってしまう。
足場を整えたラルスはそのまま駆け出して、再度肉薄した。
先ほどよりも土を固めたようで、さらに速度が増している。
流石にラファエルも焦りを感じたようで、珍しく俊敏な動きで重ね持っていた先ほどとは別の紙を握って、両手を前に突き出した。
微弱な魔力を感じた後に、少し遅れて土の壁がラファエルの前に出来上がる。
型が独特ではあるが、土魔術の中級、土壁だ。
すぐそばまで差し迫っていたラルスはどうするのだろうかと思ったが、壁など無いかのようにそのままラファエルに近づいていった。
このままじゃ壁にぶつかるぞ……!?
だが俺の心配は杞憂であったようだ。
ラルスはラファエルへ向かってジャンプする途中で片手を土壁に当て、魔力を流し込む。
するとそれだけで壁は脆く崩れ去り、ラファエルの姿を露わにした。
ラルスは瞬時に炎の剣を作り出し、振りかぶってラファエルを直接狙った。
「ラファエルさん危ない!」
フィリアの焦った声が響く。
このままラファエルに炎の剣が切り付けられるかと思ったところで、ラルスは突然見えない障壁に阻まれて地に膝をついた。
突然のことに驚いたようで、目を見開いて障壁に手を当てている。
「ここまでとします。お二人ともお疲れ様でした」
淡々としたハルトヴィヒがそう告げると、ラファエルはどこか安心したように、ラルスは納得がいかないようにしながらも頷いた。
ラファエルが危機に陥ったというのに俺とユルシエルが声を上げなかったのは、ハルトヴィヒの魔力を感じていたからだ。
反対にフィリアとラルスは魔力を感じなかったようだ。
ラファエルはあまり表情の変化がなくてどちらかわからなかったが。
どうやらユルシエルは一際目立つ能力を持っているらしい。
……本当に俺と変わってほしい。
とにかく、この試合はラルスの勝ちだ。
同じ属性であれば、基本的に魔力が強い方が勝つ。
だからこそ、ラルスはラファエルの土壁を魔力を流すだけで消し去ったのだろう。
ラファエルには相性の悪い相手だったな。
いらだたしげに足早に歩くラルスと、気怠そうにのろのろと歩くラファエルはやはり対照的だった。
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