2、魔法と魔術
「それで? どうして魔術を覚えたいのよ」
案内された先は、木の長机と2脚の椅子が置かれたリビングだった。
先に椅子に腰かけたエミーリアを追うように、対面に座る。
「だってかっこいいだろ、魔術使えたら」
本心を子供っぽく口にした。
そして心の中でさらに補足する。
それに魔法使えたらチートになれるかもしれないし。
勿論、こちらの理由は口に出さない。
「かっこいい、ねえ……。まあいいわ。それなら、まずはこの世界の魔術のことから知ってもらわないとね。本当は3歳児に説明するようなことじゃないんだけど、アルフは色々とおかしいから大丈夫でしょ」
失礼な。
エミーリアは席を立つと、奥の部屋へと向かっていった。そしてすぐに、数冊の本を持って戻ってくる。
積み上げられた本のタイトルをまだ拙い言葉で少しずつ読んでいく。
一番上に置かれた赤い表紙の本は「魔術入門書 初級編」と書かれている。
どうやら続編があるようで、視線を少し下へ移すと、青い表紙の続編を見つけた。「魔術入門書 中級編」だ。
さらにその下の本は、「魔力の使い方」。
古ぼけた茶色に幾何学的な模様が描かれた表紙だ。
一番下の本を見ようとすると、エミーリアがそれを抜き取った。
「じゃあまずはこの本からね。魔法と魔術の違いについて、よ」
俺の目の前に差し出された表紙に、エミーリアが言うように「魔法と魔術の違いについて」と書かれている。
他の3冊と比べると薄い本で、魔術の基礎の基礎が書かれているのだろうと推測できた。
エミーリアが本をぱらりとめくって読んでいく。
『この本を手に取る者は、魔法、もしくは魔術に魅力を感じるものであろう。
それらはとても強大な力を有している。が、それ故に扱いきれず魔力を暴走させ、死に至るものも少なくない。
私はこの現状を非常に危惧している。
若い、これから伸びるであろう才能が、無知に摘まれていくというのは非常に残念なことだ。
魔力の暴走は知識を蓄えることで、確実に減少させられる。
特に、魔法と魔術の違いをよりよく知ることによって、才能を正しい方向に導くことができるのだ。
年寄りの戯言としてでもいい。どうかこの書を読み、知識を蓄えてほしい。
ノーテッド・ロステリア』
エミーリアの澄んだ声によって、著者の意思がそのまま俺の中へと入ってくる。
今読んだところは、はしがきだろうか。
「この書を書いた人はね、ノーテッド・ロステリアっていう、アルガディア王国の初代筆頭王宮魔術師なのよ。魔術の原型を作った、とまで言われているわ」
目を細めて、どこか懐かしむように言うエミーリア。
その指ははしがきの部分を柔らかくなぞっている。
「それで、魔法と魔術は何が違うの?」
先を急かすように言うと、エミーリアはくすりと小さく笑った。
「アルフさ、いつもそれくらい子供っぽかったら可愛いのにね」
酷い言いようだ。
それだと、まだ三歳児だというのに可愛げがないみたいじゃないか。
そんな気持ちが表情に出たのか、エミーリアは俺の顔を見てもう一度笑うと、ページを繰った。
『魔法と魔術は似ているが完全に非なるものだ。
魔法の定義は、一般に生活魔法と呼ばれる誰にでも使える魔力の実体化だ。
使える幅は広いが、強力なものは使えない。
火種となる小さな火を出すこと。
体を洗える程度の水を出すこと。
小さな範囲を照らす弱い光を出すこと。
魔法に代表されるものはこのようなものだ。
一方で魔術の定義は、ある程度の魔力を持ち、それを使いこなせる人のみが使える膨大な魔力の実体化だ。戦闘魔法とも呼ばれる。
これは個人の才能によって扱える魔術の属性が違う。
属性は、火・水・土・風・光の5つだ。光魔法は魔力の制御が難しいため、使える者が少ない。
魔術は個人の才能によって新しいものも次々に生み出されている。
ここまでの説明からすると、魔術は魔法の上位置換のように感じるのではないだろうか。
それが、知識のない若者が陥る落とし穴である。
魔法と魔術の決定的な違いは、魔力の使い方にある。
魔法が手先のみの微量な魔力を使って発現されるのに対して、魔術は全身の魔力を循環させて集めなければ発現されない。
つまり、魔法の延長だと思いながら魔力量のみを増やして魔術を使おうとすると、手先の魔力だけでは足りず魔力の枯渇状態に陥ってしまう。
枯渇状態が続くと、最悪の場合死に至る。
厄介なのは、手先の魔力だけでも魔術の初歩ができてしまうところだ。初歩ができると、その次の段階の魔術も使えるのではないかと思い、魔力の枯渇状態を耐えてしまうのだ。
だからこそ、魔術を使うには、それ専門の魔力の使い方を知っている必要がある。』
エミーリアの声が、詰まることなくすらすらと文字を読み上げる。
キリがいいところまで読み終えたのか、本から目を上げてひとつ深呼吸をついた。
「はい、ここまでで質問は?」
エミーリアの問いを受けて、内容を整理してみる。
「魔法と魔力の違いは分かったよ。それぞれの魔力の使い方はあとで教えてもらうとして。
……そうだ、光魔法ってどんなの? ほかの4つはなんとなくわかるんだけど」
思いつくままに質問をぶつける。
エミーリアは少し難しそうな顔をして、
「光魔法、ねぇ……。この本にもある通り、光魔法の使い手は凄く少ないわ。私も使えないから、はっきりしたことは言えないんだけど、主に治療魔法を使えるみたいね。
流行病なんかも治療するものだから、光魔法の使い手はどの国にも優遇されるわ。今の世界じゃ、他の属性を使える人に比べて、2割にも満たないんじゃないかな」
「へえ……。でも、どうして少ないんだ? 魔術の制御が難しいって、他の属性と何が違うんだ?」
さらに説明を乞うと、エミーリアは一本指を立ててずいと近づいてくる。
そして体をそらして元の位置まで戻ると、指を1、2回横に振った。
「これは魔術に限らず、魔法にも言えることなんだけどね? 魔力の実体化はイメージが一番重要なのよ。
特に魔術はイメージの有無で、強さや大きさなんかが決まってしまう。イメージを高めるために詠唱をする人も多いみたいね」
「へえ、そうなんだ」
「炎魔法は燃え盛る炎を、水魔法は荒れ狂う濁流を、土魔法は強固な泥の壁を、風魔法は吹き荒れる強風を。
これらの属性は、明確なイメージがしやすい。
だけど、光魔法、特に治療魔法はどうかしら?
治療魔法は、イメージがしにくいの。
体のどの部分がどのように悪くて、どのように治せばいいのか。どれくらいの魔力を体に流せばいいのか。それをきちんと把握していないと使えないのよ。
流す魔力量が多すぎると、魔力過多の状況に陥って逆に体を悪くしてしまうことだってある。
だからこそ、光魔法の使い手は少なくて貴重と言われているの」
どうやら、怪我の目立つ部位に手をかざして魔法をかければ終わりではないらしい。
この辺はあまりファンタジーじゃないんだな。
現代ならば、レントゲンなどの高度な医療技術によって容易に異常部位を発見することができる。
しかし、この世界ではそのような技術など無い。患者の訴える異常にしぶとく耳を傾けて、慎重に患部を判断するのだろう。
確かに光魔法を使うのは難しそうだ。
「質問はこれで終わり?」
本を閉じてエミーリアが俺に目を合わせる。
しばらく考えて、頷いた。
魔法と魔術の基礎知識は身に入った。現時点で特に疑問はないし、疑問点が出来ればそのときに聞いていこう。
「それじゃ、アルフの期待に応えようかな」
がたりと音を立てて、エミーリアが椅子から腰を上げる。
玄関の扉へ向かって少し歩き、振り返った。
エミーリアは銀髪を靡かせてにこりと微笑み、なんだか楽しそうだ。
「魔法の実践授業を始めましょうか」
魔術の記述に、『イメージを高めるために、一般的に詠唱が使われる』という表現を追加いたしました。