6、誰かの片影
「では、授業を始めます」
チャイムと同時にハルトヴィヒの声が響く。
教室内の数人の生徒が席を立ち、まばらに礼をして腰を下ろした。
「皆さん、授業への出席ありがとうございます。
今日は初授業ということで、魔術という概念について話をさせていただきます」
生徒の出席に先生が感謝するなんておかしいと思うのだが、教室内を見渡せばその理由はすぐに分かる。
現在は入学式の翌日。
そしてその一コマ目である午前中の魔法の授業である。
出席が義務ではない特別生クラスの教室には、俺とフィリア、そして平民であるユルシエルしかいない。
まあ、あのグレイガットみたいな奴が来ていないのは予想通りだが、もう一人の性別不明な奴も来ていないのか。
がら空きの教室の中で教卓の真ん前に座るユルシエルにちらりと目をやる。
真剣な目でハルトヴィヒを見つめるユルシエルの背はぴんと伸びていて、彼女の真面目さを表しているようだ。
「みなさんは魔術が既に使えますので、周知の事実だとは思いますが、今日は基礎からやっていこうと思います。この、『魔法と魔術の違いについて』という本から引用して説明します」
ハルトヴィヒは片手に薄めの本を掲げ、本を開いた。
ゴホンという咳払いをした後、ハルトヴィヒが音読を始める。
『この本を手に取る者は、魔法、もしくは魔術に魅力を感じるものであろう。
それらはとても強大な力を有している。が、それ故に扱いきれず魔力を暴走させ、死に至るものも少なくない。
私はこの現状を非常に危惧している。
若い、これから伸びるであろう才能が、無知に摘まれていくというのは非常に残念なことだ。
魔力の暴走は知識を蓄えることで、確実に減少させられる。
特に、魔法と魔術の違いをよりよく知ることによって、才能を正しい方向に導くことができるのだ。
年寄りの戯言としてでもいい。どうかこの書を読み、知識を蓄えてほしい。
ノーテッド・ロステリア』
ハルトヴィヒの朗らかな声がすっと耳に入った。
キリのいいところまで読んだのか、一度ハルトヴィヒが本から目を離し、深く息を吸う。
懐かしい気分になった。
これと同じものを、どこかで聞いたような気がする。
頭から捻りだそうとするが突っかかってなかなか出てこない。
「この本の著者は、ノーテッド・ロステリアです。アルガディア王国の初代筆頭王宮魔術師で、魔術の原型を作った、とまで言われています」
ハルトヴィヒの解説が続く。
やはり既視感を感じた。俺はこの著者を知っている。
誰から教わったのだっただろうか……。
そこでハルトヴィヒがふと目を細め、懐かしむように本の文面をそっと指で撫でた。
その姿が俺の記憶の中でエミーリアと重なる。
ああ、そうか。
この授業は、俺が三歳の時に強請ってエミーリアに魔術を教えてもらったときとそっくりなんだ。
同じ本に、同じ解説。似すぎているこの状況に、無意識にエミーリアを思い出してしまったのだろう。
納得したが、同時に疑問も生まれる。
エミーリアとハルトヴィヒ。この2人の授業は余りに似すぎている。
もしかすると2人は関わりがあるのかもしれない。
後で聞いてみる必要がありそうだ。
その後もハルトヴィヒのエミーリアとほとんど同じ説明は続いた。
9年前ほどのことが思い出されて、俺としては中々有意義な授業だったのだが、フィリアやユルシエルは既に知っている知識だからか少し退屈そうにしていた。
「じゃあ、何か質問はありますか?」
一通りの説明が終わったようで、ハルトヴィヒが俺たちに尋ねる。
少し考えたが質問は出てこなかった。
正直、新しく得た知識はほとんどないしな。
「……ないようですね。では少し早いですが、これで授業を終わります」
さっと周りを見渡したハルトヴィヒは、挙げられた手がないのを確認して告げた。
始まりと同じようにまばらに礼をして授業が終わる。
「お嬢様、少し席をはずしますね」
「え? あ、うん」
長机に座ったままのフィリアに告げてから、まだ教卓にいるハルトヴィヒの元へと向かう。
ユルシエルはいつの間にか退室していたようで既に教室内にはいなかった。
「先生」
教卓で魔法書の整理をしていたハルトヴィヒに声をかけると、「ん?」という声とともに顔を向けられた。
怪訝そうにしながらも、すぐにその顔に笑顔を浮かべる。
「どうかしました? アルフォン君」
「あの、間違えていたら失礼なのですが、もしかして先生はエミーリアという人と知り合いですか?」
回りくどくするものどうかと思い、疑問を率直に聞く。
するとハルトヴィヒはエミーリアの名前を聞いて目を丸くした。
「えっ、アルフォン君はエミーリアを知っているのですか!?」
「は、はい。知ってます、けど」
「おおっ!」
俺が頷くと、ハルトヴィヒは目を輝かせてぐいっと顔を近づけてきた。
予想外の食いつき具合に少し腰が引ける。
「でもどうして分かったんです? 僕はエミーリアの名前を出したことはないはずですが」
「先ほどの授業、前にエミー姉に教わったのと凄く似ていたんです。あの魔法書とか、著者の話とか」
「ああ、なるほど。それは多分、僕がエミーリアに魔術を教えたからですよ。あの魔法書を使ってエミーリアに教えたんです。……そっか、エミーリア覚えてたのか」
懐かしそうに呟くハルトヴィヒ。
あのエミーリアがハルトヴィヒに教わっていたというのは意外だが、確かにそうだと2人の説明が似通っている点も辻褄が合う。
ということはハルトヴィヒは俺の師匠の師匠ということか。
今は先生だが。
嬉しそうに微笑むハルトヴィヒが、「あ」と思い出したように声を上げる。
「アルフォン君、エミーリアがどこに住んでいるかわかりますか? 久しぶりに会いたいのですが」
「ええ、分かりますが……会いに行くのは厳しいと思いますよ?」
なんせド田舎だからな。
嬉しそうなハルトヴィヒには悪いが、到底会いに行けないだろう。
王都から離れているレイリス領の南端だ。恐らく馬車を使っても一か月以上はかかる。
魔術学園の教師がそんなに休息をとれるとは思えないしな。
「そうなんですか? どこなんです?」
「レイリス領のグエラ村です。馬車で一月以上はかかりますよ」
「一月ですか……。じゃあ手紙で出してみることにします。ありがとうございます、アルフォン君」
「いえ、こちらこそ」
しゅんとしながらも手紙で妥協したようだ。
笑顔で礼を言うハルトヴィヒに笑みを返し、フィリアの元へと向かう。
フィリアは授業終了後から椅子に座ったままの状態で、俺たちの会話に聞き耳を立てていたようだ。
不思議そうな顔で俺を見つめている。
「先生と何の話してたの?」
「少し質問をしていました。遅くなってすみません、お嬢様」
曖昧な言葉でお茶を濁すと、怪訝そうな顔を向けられた。
しかし取って付けたように「お嬢様」と呼ぶと、フィリアはすぐに笑顔になる。
どうやらフィリアはこの呼ばれ方が好きなようで、いつも嬉しそうにしている。
俺は恥ずかしいんだがな。
「いや、別にいいよ。……じゃあ帰ろうか」
「はい」
フィリアが腰を上げると、俺はすぐに椅子を押し込み、2人分の荷物を持った。
フィリアが歩き出したのを確認してから、その数歩後を歩く。
最初はぎこちなかったが随分板についてきたと自分でも思う。
前世じゃこんなに気を配ることなんてなかったんだが。
……ああ、だからモテなかったのか。
他のクラスの生徒が授業を続けているため、静かで閑散としている廊下を歩く。
横を向くと、窓から真面目に授業を受けている生徒たちがいた。
何気なく目を向けていると、生徒の中でやたらと目立つ赤髪の少女と目があった。
ガタッという音が窓越しに聞こえて、少女が立ち上がる。
何か言いたげにこちらを見たが、すぐに先生に注意されて渋々座りなおしていた。
何だったんだ? 今のは。
というかあの少女は試験の時にちらっと見た、胸が残念なあの子じゃないだろうか。
特徴的な赤髪がそっくりだ。
クラスが立ち並ぶ廊下を抜けると、フィリアが突然立ち止った。
「どうかいたしましたか?」
「アルフ君、悪いけどちょっと待ってて」
それだけ言ってどこかへ行ったフィリアに首をかしげるが、すぐに察した。
確かここら辺にはトイレがあったはずだ。
そこに向かったのだろう。
反応が初々しいフィリアは恐らく言うのを恥ずかしがったのだろうな。聞かなくてよかった。
トイレ近くの廊下の端で、荷物を持ちながら待っているとチャイムの音が聞こえた。
普通のクラスは今終わったのだろう。
賑やかな声とともに教室のドアが開けられる。
そんな中に、一際うるさい足音が聞こえた。
その足音は元気よくこちらの元へと近づいてくる。
「ちょいとそこの! そこのお主!」
足音とともに快活な大声も耳に飛び込んできた。
正直すごくうるさい。廊下は静かに歩きましょうって言われなかったのか?
ああ、言われないか、そんなこと。
「お主!! そこのトイレの前で荷物持って立ってる銀髪のお主!」
「は?」
何だ今の特徴、凄く俺に似てたぞ。
もしかして俺のことを呼んでんのか?
「そうだ! お主だ!」
と、ようやく赤髪の少女が俺の目の前へとやってくる。
近づいて分かったが、何故だか眉をしかめて不満そうな顔をしている。
少し迷ったが普通クラスの奴だろうし、俺はフィリアの執事ではあるがこいつの同級生なので敬語は外して話すことにする。
「なんだ?」
「……お主、特別生クラスだろう?」
「ああ、そうだが」
不満そうに告げられた言葉にあっさりと頷くと、少女は「ぐぬぬ」と唸った。
身を縮こめるように頭が俯けられる。
「……どうしてだ」
「何がだ?」
「どうしてわらわは落ちたのだ! わらわの面接は完璧だったはずなのだ! 教えてくれ!」
ばっと挙げられた顔には、悔しそうな色と本当に疑問に思っている色が混じりあっていた。
というか俺に聞かれても。
「いや、分からないけど」
「なんだと!?」
俺の言葉に目を見開いて驚く少女。
俺としてはなぜ驚くのかを知りたいんだが。
「俺に聞かれてもなあ。 俺は面接官じゃないから判断の基準が分からないし、そもそもお前がどんな面接したのかもわからない」
「ぐ……ぐぬぬ」
「それを聞きたいのなら先生に聞いた方がいいんじゃないか? 下手したら苦情だと思われそうだが、俺よりは分かるだろ」
続けざまに俺が告げると、少女は更に唸った。
そして俺の方へと指を突き出して、
「ぐぬぬぬぬ……いっ、いつか絶対聞き出してやるからな!」
「いやだから知らないって」
「顔洗って待ってろ!」
よくわからない捨て台詞を残して去って行った。
顔は毎日洗ってるが……。ああいうなら、首を洗って待ってろじゃなかったか。
というか俺はどうして絡まれたんだ。とんだ災難だ。
正論を返したはずなのに会話が成り立たなかったし。
「あ、アルフ君おまたせー」
「お帰りなさいませ」
そこへハンカチで手を拭いながらフィリアがやってきた。
どうやらフィリアはよくわからない少女に絡まれていないようだ。よかった。
「どうしたの? なんかあった?」
「いえ、大丈夫です。なんでもありません」
「……? そっか」
不思議そうな顔をしながらもポケットにハンカチをしまったフィリアは、玄関へ向けて歩き出した。
俺もそのあとをついていく。
それにしても何だったんだろうか。
待ってろとか言ってたが、フィリアのいるときに来なけりゃいいんだが。
ここでようやく一章の2話の伏線が回収できました。
とりあえずほっとしてます。
サブタイトルを変更しました。