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2、特別生


「このアルガディア王国を建国したのはアルガディア・ヴァン・ミラスターじゃ。アルガディアは貴族たちを押さえて、ここら一帯を支配していたといってもいいほどの大商人でな、それ故にこの国は今でも商業が盛んなのじゃ」


ローレンツのありがたい授業を何とかして頭に叩き込むため、一言一句も違えないくらいに集中して耳を傾ける。


フィリアからの話では、魔術学園の入学試験は今月末に行われる。

今日が今月二回目の風の日だ。風の日とは、前世でいう木曜日にあたる。

つまり、入学試験まで約二週間ほどしかない。


余りの時間のなさに、俺は焦りを感じていた。

これが計算と文字の書き取りだったなら、こんなに焦りは感じていないだろう。むしろ、入学金免除の特別生に入る自信さえある。当然だ。計算は前世からずっとしていたし、文字は3歳から読んでいたのだから。


だが、歴史となれば話は別だ。

前世で学んだ日本史や世界史はまるで役に立たない。加えて、エミーリアの書庫には歴史書が数えるほどしかなかった。

つまり、ほとんどゼロからのスタートである。


このゼロをどうにかして伸ばすため、ローレンツに頼み込んでこの国の歴史を教えてもらっている。

ローレンツは執事でありながら中級貴族であり、歴史や今の情勢にも精通している。

俺が歴史を学ぶにはもってこいの教師だった。


「っあー、頭痛い……」


短時間で詰め込んだありとあらゆる情報で、脳みそがパンクしそうだ。

ティーカップを手にしたまま、頭に手をやり一気に息を吐き出した。

一時の休憩としてお茶をとることとなり、ローレンツと俺の2人分を作っている。毎日お茶を入れ続けていれば、特に意識を集中させずともお茶は勝手に出来上がっていく。


「アルガディア・ヴァン・ミラスターが建国……大商人だった……」


お茶ができるまでの間に空いた手と頭で、先ほどまでの内容を軽くおさらいする。


アルガディア王国。

当時の大商人であったアルガディア・ヴァン・ミラスターが建国。

現在でも商業が盛んで、特に金や銀などの貴金属が多く流通している。

人口は約500万人で、その多くが王都とレイリス領に偏っているそうだ。


そこまで確認したところで、丁度お茶が出来上がった。

思考を切り替えて、2つのティーカップを乗せたお盆を手に、丸くなっていた背をぴんと伸ばして姿勢よく歩き出す。


誰かが見ているところでだらけるなどできない。

それが師匠であるローレンツならば尚更だ。


ローレンツが姿勢正しく座っている椅子の前の机に、音を立てずにお盆を置く。

何度も叱られたところだが、今ではもう慣れたものである。


「どうじゃ? 歴史は覚えられそうかの?」


俺の所作に目を光らせていたローレンツは、しかし特に叱る点もなかったようで、早速湯気を立てる紅茶に手を伸ばしながら言った。

俺は内心でほっとしながらも、厳しい顔で首を左右に振る。


「中々厳しいですね、2週間だと」

「2週間? ……ああ、アルフよ。移動時間も含めればさらに二日短くなるぞ、それは分かっておるかの?」

「ええっ、ほ、本当ですか……」


前言撤回。

中々じゃない、大分厳しい。


ローレンツの言葉を聞くまですっかり忘れていたが、レイリス領から王都までは馬車で二日ほどかかるのだった。

王都まではフィリアとともに行くため、フィリアからも多少は教えてもらえると思うのだが、やはりローレンツに教えてもらえないのは痛い。

まだ一日目だが、ローレンツは非常に教えるのがうまいのだ。

眠ってばかりだった高校なんかよりもずっと頭に入ってきている気がする。


「しかし、お嬢様が魔術学園とはのう……」

「意外なんですか?」


どこか驚いたような雰囲気で呟くローレンツに、問いかける。

学園に行くと決まった時のテンションの上がりようは意外だったが、俺にとっては特に驚くことではない。

フィリアが外に出たがっているのはなんとなく気づいていたからだ。


フィリアは今、一日中この館から出ずに、貴族としての振る舞いや文字の書き取り、計算なんかを家庭教師から教わっている。

きっと代わり映えのしない毎日に飽き飽きしているんだろう。


そんなふうに俺は思っていたのだが、古くからフィリアを見てきたものにとってはもしかすると意外なのかもしれない。


「いや、別に学園に行くこと自体が意外なわけではないのじゃ。お嬢様が外に出たがっているのはわしらも感じておったしのう……。

ただ学園に行くために、当主様に反抗したのが意外じゃった。お嬢様はずっと当主様の言うことに従っておったからの」

「……そうなんですか」


初めて聞くフィリアの以前の姿に、少し驚いた。

俺が会ってからのフィリアは堂々としていて楽しそうだった。


だが――、フィリアが奴隷収容所へ来たときはどうだっただろうか。

後ろに控えていたグレイガットの言葉にどこか引け腰で対応していたように思う。

フィリアから敬語が抜けないのは、ずっと父親の言うことに従っていたからなのかもしれない。


「まあ、そんなにお嬢様が行きたがっておるのじゃ。お主にはどうあっても学園に入ってもらわればならんな」

「……う、頑張ります」


期待を込めるようなローレンツの言葉に、どもりながらの返事を返すと、ローレンツは可笑しそうに声を上げて笑った。

なんとなく気恥ずかしさを感じて、手の付けられていないティーカップに視線を落とし、ゆっくりと啜った。







その翌日。


「この皿運んでくださーい!」


昼食の時間が近くなり、俺は他の使用人たちとともに食事の準備をしていた。

厨房は料理人たちや給仕の使用人たちで溢れかえり、熱気が充満している。

それでもこの状況になれている使用人たちは器用に人の間を縫って、食事を運んでいく。

残念ながら俺はまだ慣れていないため、他の人にぶつかりながらも落とさないようにと慎重に運ぶ。おかげで速度はだいぶ遅いが、誰も文句は言ってこない。

無理に急かして料理をダメにする方が当主の怒りを買うからだ。


「坊主、落とすんじゃねえぞ!」

「はーい!」


気前のいい料理長のからかうような声に、熱気に負けないよう大きな声で返す。そう遠くないというのにほとんど叫ばなければ聞こえない。


手元の豪華な肉料理の乗った皿と足元に十分な注意を払って、人をかき分けるようにして進む。


「っはあ」


しばらく進むと厨房を抜け、人込みから解放される。

ここを手伝うようになってしばらくするが、やっぱこれはないよなあと思う。

いくらなんでも食事の給仕に人がいすぎだ。満員電車とは言わないが、限りなくそれに近いほどの人が厨房に集まっている。


この運んでいる料理を口にするのは6人程度だというのに、明らかに料理が多いのだ。

煌びやかな大きなテーブルに、敷き詰めるようにして料理が並べられていく。もちろん、食べきれずに残ってしまうものも多い。


料理人たちはもう少し品を減らしてはどうかと提案するのだが、当主はそれを一向に受け入れようとしない。結果、それが料理人や使用人たちの昼食となっているのだが、残り物とは思えないほどの豪華っぷりだ。

お金の使い方が雑すぎる。


全ての給仕が終わると、ようやく食事の開始である。

椅子に座っているのは、当主とその妻、おそらく妾であろう女性2人、そしてフィリアだ。

堂々と椅子に座っている大人たちに対して、フィリアはどこか居心地が悪そうに身を縮ませている。


給仕を終えた俺が足早にフィリアの後ろに立つと、ちらりとこちらを見たフィリアが嬉しそうに笑って、縮ませていた体を少し楽にした。

フィリアの一連の様子を見て、少し眉を顰めた。やはり、フィリアはこの館で立場が低いのだろう。


特に会話もなく無言で進む食事。

流石に貴族というだけあって、椅子につく人々は皆優雅にナイフとフォークを使いこなしていた。


空になった皿やグラスを下げつつ、その見事な手元を何となしに眺めていると、不意に視線を感じた。

視線の元はフィリアの前の席、つまり俺の真正面に座る男。

相変わらず蔑むような目で鼻を鳴らす当主だった。


当主の男は俺と目が合うとすぐに目を逸らして、目の前の肉料理をナイツで切り分け始めた。

俺は少しの間首を捻っていたが、特に意味はなかったのだろうと判断して思考を停止させた。


その視線の意味は、食事の終了後に判明した。

空になった皿を手早く重ねて、厨房へ運ぶ。ついでにそのまま皿洗いを始める。


俺がよく皿洗いを手伝っているのは周知のことなので、今更何か言うものは誰もいない。

俺が運んできた皿だけではなく、他の使用人が運んできた皿も次々に洗っていく。使用済みの皿の隣に、洗ったばかりの綺麗な皿の塔が出来あがっていく。


洗った皿は後でまとめて拭いていくため、今は放置だ。

ひたすらに皿を洗い続けると、ようやく使用済みの塔がきれいになくなった。

次に皿を拭こうと一息をつくと、そこで声がかかった。


「おーい坊主! 呼ばれてるぞー」

「今行きます!」


料理長の力強い声に、慌てて返事をする。

手に持っていた布巾を素早く畳んで近くに置き、水を止めると、厨房の出口を目指す。


何か用事があっただろうか。

誰かに呼ばれるようなことは何もなかったはずなのだが……。


少し疑問に思いながらも厨房を出ると、執事服に身を包んだ精悍な顔立ちの男が立っていた。

どこか見下したような目で俺を一瞥すると、銀縁の眼鏡をくいと押し上げた。


「当主様より、お前に伝言がある」

「……なんでしょう?」


当主から関わってくるとは、嫌な予感しかしない。

警戒しつつ先を促すと、男は鼻を鳴らした。

当主の動きとどこかダブって見えて、腹が立つ。執事は主人に似るものなのだろうか。


「王立魔術学園の入学試験、特別生としてでないと当主様としてはお前の入学を認めないそうだ」

「――はい?」


男から告げられた言葉に、理解が追い付かなかった。

王立魔術学園の入学試験において、入学金免除を受けられる特別生。

毎年100人程度が入学する学園で、5名以上は出ないという。

その特別生に、なれと?


「当主様からの伝言、ありがたく思えよ」


男も言っていることがどんなことなのか理解しているようで、実に愉快そうに顔を歪めて笑った。

そして言葉を失っている俺を一瞥してから、踵を返して立ち去った。


「嘘だろ……」


――入学できるかどうかも怪しかったのに!


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