9、決闘
ドーム型の訓練場をぐるりと包む形で並んでいる観覧者たち。
各自思い思いの姿勢で歓声やら雑談やらをしていて、騒然としている。その多くはこのレイリス家の使用人や騎士団である。
歓声の声は圧倒的にグレイガットを支持するものが多く、俺に対しては「負け犬が来たぞ」などといった冷やかしの言葉しか飛んでこない。
廊下ですれ違ったグレイガットから決闘の宣言を受けて3日後。
突発的な決闘にもかかわらず、ここまで賑わいを見せているのはグレイガットが根回しに尽力していたからだろうか。そういえば、あの日から悪戯はぱったり止んでいたような。
影をこそこそと動き、使用人たちにあること無いことを吹き込んでいるグレイガットの姿が鮮明に思い浮かび、微妙な気持ちになる。
館の丁度裏に、この大きな訓練場が堂々と佇んでいる。
いつもは騎士団の訓練に用いられているが、どうやら俺たちの貸切のようだ。
騎士団は訓練をサボってこんな茶番を見ていていいのだろうか。
入場者を威圧するような観覧者たちの騒がしさは、例外なく俺にも適応され、しばらく入り口付近で足を止めてしまっていた。
円形に並ぶ観覧者を見渡すと、見知った顔があることに安堵する。
入った途端に俺に注がれた視線は、訓練場の中を歩き出しても未だに纏わりついてくる。
居心地の悪さを感じながらも、周囲の人々と同様に視線を向けてくるローレンツに小さく礼をする。
同様とはいっても、ローレンツの視線と大勢の観覧者の視線には含まれているものが全然違う。
ローレンツはどこか心配そうな色を見せているのに対して、大勢の観覧者は侮蔑や奇異の視線がほとんどだ。
自然に口から零れたため息が、群衆のざわめきに消えた。
だが目敏くそれを見ていた者もいるらしい。
背後から届く嘲るような声に不快感を覚えるが、なんとかため息は堪えた。
「おい、そこの奴隷」
声のもとへと振り向くと、想像したとおり剣を身に着けたグレイガットだった。
煌びやかな赤いマントわざとらしくをはためかせて、こちらに歩み寄ってくる。
「なんでしょう」
「逃げ出さなかったんだな、それは褒めてやるぜ」
「ありがとうございます。貴方も随分と会場作りに尽力されたようで、本当にすばらしいですね」
「……余裕ぶっていられるのも今のうちだぜ」
見下すような視線と台詞に腹が立ち、少々の皮肉をこめて返してやると、グレイガットは「ぐぬぬ」と唸った。
苦し紛れの言葉は完全にスルーするに限る。
グレイガットの言葉をさらりと流して周囲に視線をやり、再びぐるりと一周を見渡す。
相変わらず騒然としていて、まとまりなど欠片もない。
やがてグレイガットは舌打ちをひとつ寄越すと、腰に添えた立派な剣とは別の何かを手渡してくる。
錆の入り混じった金属の塊のようなもので、明らかにぼろぼろなのが見て取れる。
やはり嫌な予感は的中していたかと、喉元が引き攣った。
「これが貴様の剣だ。……おっと、文句なんかは一切受け付けないぜ? 俺が貴様の剣をわざわざ用意してやったんだ。それに、貴様にこの剣はよく似合っているしな!」
嘲笑いとともにグレイガットから吐き出された言葉に、周囲の観覧者たちはどっと沸いた。
笑い声がそこらじゅうに広がり、騒がしいというよりも寧ろ喧しいくらいだ。
「違いねえ!」やら「鉄錆がよく似合ってるぜ!」やら、グレイガットに同調するような声が笑い声に混じって耳をついた。
俺はそれらの音が完全に聞こえていないような素振りで、自然にグレイガットの手の剣に手を伸ばす。
「別に何も言いませんよ。何事も始まってみないとどうなるか分かりませんし」
「……ほう?」
明らかに敵意のこもった声音での呟きを意識から追い出し、受け取った剣らしきものに慎重に目を通す。
鉄だというのに錆だらけで茶色くなっている剣身。そこかしこに小さなひびが入っており、光など既に放っていない。
右手に持った剣をそのまま上下に軽く動かしてみると、あまりの軽さに思わず顔をしかめた。
これなら現代で言う、おもちゃの剣のほうがよっぽどましだ。剣の見た目的にも。
当分目にしていないプラスチックの剣を思い浮かべながら、まさに鉄屑だなと思わずにいられなかった。
いつ壊れても可笑しくないくらいである。
とはいえ、ここまでは予想の範囲内である。
喉もとまで出掛かっていた文句をやり過ごして、軽く息を吐いた。
ある程度の不正は始めから予想していたし、剣が壊れる前に一気に勝負をつけてしまえばいいだけだ。
エリックとの約束を破るわけにはいかない。絶対にグレイガットに勝つ。
「やけに自信があるようだしな、さっさと始めるとしよう」
「ええ、そうしましょう」
来たときと同じようにマントを翻して規定の位置へつくグレイガット。
この決闘のスタート地点は互いの距離を5m開けたところだ。つまりいかに早く間合いを詰めるかが鍵となってくる。
決闘は先に一撃を入れた者の勝ち。
一見簡単そうなルールだが、俺の剣はともかくとしてグレイガットの剣はよく切れるはずだ。
俺だけに関して言えば、大怪我や当たり所が悪ければ死亡さえあり得る。
グレイガットの歩が止まったのを見て、あらかじめ準備していたのであろう審判が素早く腕を振り上げた。
丁度俺とグレイガットの真ん中にいる審判が、二人に視線をやって準備がいいか確認している。
途端に静まり返る会場に違和感を感じながら、審判に頷いて返す。
右手を軽く後ろに引き、左半身が若干前に出るような形で腰を低く構える。
俺がおそらく一生掛かっても勝てないであろう、カローラの構えだ。
「では、これよりグレイガットとアルフォンの決闘を始めます!」
審判のよく通る張りのある声を聞いて、一度だけ深呼吸をして余計な力を抜く。
右腰に備えた剣の柄を握っているグレイガットの姿に照準を合わせたところで、審判の腕が振り下ろされた。
「始めっ!」
その声を合図に、一気に地を蹴る。
筋トレを積み重ねてきた俺の足の速さは並ではない。
規定の5mなどあっという間に詰まる距離である。
急速に近づく俺に目を剥いているグレイガットの剣が慌てたように引き抜かれた。
こちらの剣らしきものとは比べ物にならないほどに磨かれた美しい剣だ。
場違いな感心を頭から追いやって、ひたすら駆ける。
既にグレイガットの一歩手前まで来ている。
振り下ろされる剣を一瞬の逡巡の後、剣で受け取れることにした。
いくらボロボロとはいっても流石に一撃では壊れないだろうと考えてのことだ。
2年間もの間、俺は一度も対人の練習をしていない。故に回避は些かの不安が残る。
怪我をするかもしれないリスクがあるから、安全策をとって損なことはない。
一瞬目が合ったグレイガットが笑っているような気がして、嫌な予感がした。
頭上に迫ってきた剣を、右手を掲げて相殺する。
そしてそのままグレイガットの懐に入り込み――と描いていた姿はすぐに消え去った。
右手に持つ剣の重さが急激に減ったのだ。
視界の端に、ボロボロの剣が音を立てて折れているのが見えた。
俺が息を飲んでいる間にも、追撃がやってくる。
恐らくグレイガットはあの剣が壊れることを予め予期していたのだろう。剣を持たない俺に対して、何の躊躇いもない剣筋だった。
本当にただの屑となった剣を投げ捨てて、降ろされる剣を体を無理やりに捻って回避する。
ブチっと何かが切れるような音がした後、剣は俺に刺さらずに地面に突き刺さっていた。
嫌な笑みを浮かべるグレイガットを睨みつけると、その背後に探していた姿をようやく見つけた。
祈るように両手を組むフィリアと、その横に無表情で佇む黒髪の少女へレナ。
今日の決闘を何が何でも見に来るといっていたフィリアにお願いして、エリックの妹である彼女を連れてきてもらったのだ。
俺たちの、奴隷たちの反撃の瞬間を目に焼き付けさせるために。
そのままの理由を話せないフィリアを説得するのは時間を要したが、俺が断固として動かなかったため結局は折れてくれた。
だからこそ、今2人が並んで観戦しているのだ。
グレイガットの向こう側にそっと微笑むと、既に近かったグレイガットとの距離を埋め肉薄した。
驚きに目を見開く様子を視界に入れながら、グレイガットが右手に握る剣をそっと奪い取る。
そしてそのままグレイガットに体当たりをかまし、地面に倒れさせる。
否応なしに上を向いたグレイガットの喉に、奪い取った銀色の美しい剣を突きつける。
その剣先は鋭く尖っていて、少し触れただけでも皮膚を切ってしまいそうだ。
グレイガットも自分の絶望的な状態に気づいたのか、顔をすっかり青ざめさせた。
やがて力のこもっていない両手をおもむろに持ち上げ、降参の意を表した。
「こっ……降参だ」
震えるその声を聞いて、審判が俺側の左手を高々と振り上げて、よく通る声で告げた。
「勝者、アルフォン!」
直後、地鳴りのような歓声が訓練場を埋めた。
大勢の観覧者たちが予想外の結果に目を丸くし、口々に周囲の者と叫びあっている。
やがて誰が叩き始めたのか、拍手が波のように広がった。
ざわざわと喧しい群衆の波を押しのけて、簡素なドレスに身を包んだフィリアが俺のもとへと一直線に駆け寄ってくる。
俺の数歩手前で勢いよく地を蹴り、飛びついてきたフィリアを慌てながらも出来るだけやさしく受け止める。
「すごい! すごいよアルフ君! 勝っちゃった!」
「ええ、勝っちゃいました」
俺の胸元で上目遣いに歓声を上げるフィリアに思うところがないでもなかったが、至って平然を装い、微笑み返す。
心臓バックバクなんですが。
前世ではこんな場面に立ち会ったことがない。
「でも、髪の毛短くなっちゃったね。私アルフ君の長髪好きだったのになあ」
地面に目を落とし、残念そうに呟くフィリアを見て、俺はようやく切れたような音の正体が髪であることに気がついた。
銀色の髪が未だに地面に残っており、いつもよりも頭が軽い。
至極残念そうなフィリアには悪いが、俺は正直嬉しかった。
元々ポニーテールも好きでやっていたわけではない。そのうちに切ろうと考えていたのだが、その髪を見たフィリアに気に入られてしまい、切ることが出来なかっただけなのだ。
その話題についてはあまり触れたくないので、他の話題へと転換する。
「ところで、どうだった? ヘレナ」
フィリアの後を戸惑いながらも着いてきていたヘレナに向き直り、穏やかに問いかける。
ヘレナは決闘中もずっと無表情のままで、フィリアが不服そうにしていたが、俺はエリックからその原因を聞いているため特に気にはしていない。
エリック曰く、性奴隷として扱われるようになってからというもの、感情を表で出すことを禁じられてきたそうなのだ。
己の感情を押しとどめているうちに、やがてヘレナは何も感じることが出来なくなってしまったのだそうだ。
エリックからヘレナの事を聞くたび、俺の中に確実に蓄積されていた領主への不信感が更に増えていった。
だからエリックと同じように、ヘレナを助けてやりたいと思っているのだ。
「……すごかった、です」
言葉を詰まらせながら答えたヘレナに、笑みを零す。
表情は変わっていないが、それでも彼女なりに考えて出した言葉なのだろう。
思わずヘレナの頭へと伸びていた手をそのままに、ぽんぽんと軽く頭を撫でてやる。
相変わらず無表情だったが、なんだか少しだけ嬉しそうだった。
「おい貴様」
背後からかけられた低い声に、後ろを振り返る。
案の定そこに立っていたグレイガットの姿を見て、隣で威嚇するように睨んでいるフィリアに苦笑する。
「……とりあえずは認めてやる。だが次、何かあったときは絶対に貴様を引き摺り下ろしてやる」
視線を逸らしながらバツの悪そうな顔で言うグレイガットに、多少の呆れを感じた。
だがおそらく、グレイガットの中の俺の認識は随分と変わったはずだ。もごもごと告げられた認めてやるの声に、頬が緩むのを感じる。
「あまり調子に乗るなよ、あくまでとりあえずなんだからな」
眉間にしわを寄せて言い捨てたグレイガットは、踵を返して訓練場を去っていった。
堂々としていた入場とは対照的に背中を丸めて退場していく姿に、思わずフィリアと顔を見合わせる。
唖然と口を開いているフィリアは、やがて嬉しそうに柔らかく微笑んだ。
入った時とはまるで違う訓練場を、同じようにしてぐるりと見回した。
未だ鳴りやまない歓声の中に、ほっとしたように息をつくローレンツを見つける。
更に視線を動かすと、表情を動かさないまま突っ立っているヘレナが視界に入り、そして傍には笑顔のフィリアの姿があった。
いつも突き刺さっていた蔑むような視線を感じないことに、体の軽さを感じながら何となしに空を仰ぐ。
なんとかやっていけそうだ、という漠然とした安心に笑みを零す。
俺が本当の意味でこの館の執事になった瞬間だった。
後半の、グレイガットの行動や表現を修正しました。
ご指摘ありがとうございます。




