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7、反撃宣言


決闘をすることになったとはいっても、日常生活は極めて平凡なものだった。

朝は、執事服に着替えると厨房へ行き、皿洗いの手伝い。

その後はローレンツと執事の修業。

時間が余ると館を回って情報収集。廊下でメイドたちとすれ違うと、そのままお茶会が開かれる。

そして夜の帳が下り、フィリアが眠ったことを確認してから、足音を忍ばせて地下室の奴隷たちの所へ。


いよいよ決闘が明日に迫っているのだが、拍子抜けするほど平凡である。

本日もフィリアが眠気眼で枕に顔を埋めるのを見守り、残すところは奴隷たちを清潔にしてやるのみである。

継続して行ってきたおかげで、奴隷たちの身なりはずいぶんと清潔になった。俺が初めて地下室に足を踏み入れてから3週間たった今では、見違えるほどである。

とはいっても、べたついていた体を浄化魔法で綺麗にしただけの、ほんの小さな違いなのだが。


相変わらず真っ暗で、薄気味悪さを感じる地下室をなるべく音を立てずに進んでいく。

この暗さにも慣れてきて蝋燭を使わなくとも良いくらいなのだが、以前そう考えて目を凝らすのみで歩いたところ、移動されていた荷物に躓き転んだ苦い記憶があるため、右手には今も蝋燭を握っている。


倉庫を通り過ぎ、細い道を体を横にして通る。

慣れているとはいっても、しんと静まり返っている地下室に自分の足音だけがいやに響くのはやはり落ち着かない。

前世でよく見ていたホラー映画を思い出してしまうからだ。画面越しでは楽しめたが、自分がホラー映画の主人公のような立場になると楽しめないものである。


古ぼけた柵がひっそりと佇んでいる部屋に入ると、3週間前とは異なる清潔な空気が肺に入ってくる。

ここに来るまでにいつの間にか詰めていた息を吐き出すと、いつもと同じように一人一人を見て回るために、柵の近くに蝋燭をそっと置く。

炎は少し揺れたが、風が入ってこないおかげで消えることはなかった。


淡い光を放つ蝋燭から顔を上げると、何処からか視線を感じた。

誰かが起きているのかもしれない。

首を動かして辺りを見回して視線の主を探すと、部屋の隅に身を潜ませている少年と目が合った。

見覚えのある顔に、俺がここに来るきっかけになった記憶を呼び起こす。

ローレンツとの修業後に俺が見た、身分の高い男から暴力行為を受けていた少年だ。


思わず眉間にしわを寄せると、少年の眼光が鋭く俺を射抜いた。

どう見ても好意的でないその姿に、わだかまりを感じる。少年も、日に日に綺麗になっていく体と部屋に気づいているだろうに、この敵意は何なのか。

善意から行っていたことなのだから、感謝こそされても憎まれることはないだろう。

親の敵を見るような少年の態度に、少しの苛立ちを感じた。


無言のまま睨み続ける少年を、意識からはずして一人一人に浄化の魔法をかけていく。

既にかけなくとも良いくらいに清潔なのだが、毎日かけなくては俺の気がすまなかった。

地下室への訪れは、既に俺の自己満足に成り果ててしまっていたのだ。


浄化魔法は次々に終わり、あとは敵意を振りまく少年だけだ。

あまり良い気分はしないとはいえ、やはり少年だけ浄化魔法をしないのは気がすまず、睨み続ける少年の目を見ないようにしながら近づいていく。

そこで、今まで沈黙を保ってきた少年の口が動いた。


「……はやくどっかいけよ」

「は?」


今から浄化してやろうとしていたというのに、少年の歯に衣を着せない物言いに間抜けな声が漏れ出た。

今の俺の行動を見ていても、敵意しか感じていないのだろうか。

苛立ちが膨張するのを感じて、冷静に冷静に、と念じて押さえ込む。


「いいから早くどっかいけよ! もう二度とここに来るな」

「……お前、マジで言ってんの?」


抑えていた感情があふれ出したように激昂する少年の言葉に、急激に気持ちが冷えていくのを感じる。

今、目の前で奴隷たちの状態を改善しようと動いていた男に対して、あまりに礼儀知らずな態度だ。

返す言葉も自然に低くなる。

俺の声に若干怯んだように肩を縮ませてから、少年は俺をひと睨みしてからまたも感情任せに言葉を紡ぐ。


「っこんなところにまで来て……! どうせ心の中じゃ、僕たちのこと見下してんだろ!? 自分がいい対応されてるからって、僕たちのことかわいそうな奴らだと思ってんだろ!? 馬鹿にするためにこんなところまで来てんだろ!」


最終的に疑問系の外れた少年の畳み掛けるような言葉に、絶句した。

少年の言いがかりだと、反論することも出来た。それなのに俺をそうしなかったのは、少年の言葉に納得してしまった俺がいたからだった。

馬鹿にするために来たわけではなかった。初めは、俺も奴隷だからと、奴隷同士だからこそ助けてやりたいと、純粋にそう思っていた。

だが、俺はそれが長く続くにつれて、一方的に善意を押し付けていただけになってしまっていたのだ。


言葉をなくして立ち尽くす俺に、少年は更に言葉を浴びせる。


「どうしてお前が……! どうせ意地汚い手でも使ってお嬢様に胡麻擂ったんだろ! お前みたいな奴の顔なんかもう見たくねえ! ここから出てけ! 二度と来るな!」


腹から搾り出した叫びとも取れる声。怒りのあまりか、涙の滲んだしわくちゃな顔。

なにより、少年のむき出しの感情が俺に突き刺さった。


考えてみればすぐに分かることだ。

同じ奴隷の身分でありながら、執事という特別待遇を受けている人間。

嫉妬や羨望はあって当然なのだ。なのに俺は、そのことをすっかり忘れてしまっていた。

俯き項垂れる俺に、少年は冷たい床から立ち上がって近づいてくる。


「……早く出てけよ!」


罵声とともに振り上げられた右手を、俺は甘んじて受けた。

勿論見切れていたし、避けることも容易かった。だが避けてはならないと、俺が受けるべきことだと思ったのだ。

左頬が乾いた音を立てて、ひりひりとした鈍い痛みが走る。


手を振り上げた瞬間に俺がピクリと反応していたのに気づいていたのか、少年が声を荒げた。


「なんでだよ! なんで避けないんだよ!」

「……俺が受けるべき痛みだからだ。お前は違う奴から既に痛みを散々受けてるだろ、俺は受けてなかった。だから俺はお前からの痛みを受ける。これでおあいこだ」


言葉を選んで、出来うる限りの真摯さで少年に返す。

俺はこの少年としっかりと向かい合わなければならない。


そんな意思を込めて少年の顔をじっと見つめる。

すると少年は顔を歪めて涙を零し、その場にずるずると蹲った。くぐもった泣き声交じりの声が聞こえる。


「なんで嫌な奴じゃないんだよ……。お前が嫌な奴だったら、ヘレナも報われただろうに……」

「ヘレナ?」


どこかで聞き覚えのある名前に、思わず聞き返す。

確かメイドたちとのお茶会で聞いたんじゃなかったか。この少年が、その名前の主を思って涙するような待遇ではなかったはずだが……。

以前一度だけ廊下ですれ違った、奴隷の烙印を左手に刻んだ美少女を思い浮かべた。


「ヘレナっていうと、領主様のお気に入りの子だろう? お前よりも格段にいい生活を送ってんじゃねえか、なんで」

「うるさい!」


俺の疑問交じりの声は、少年の金切り声でさえぎられた。

突然のことに呆然と少年を見やる。

見れば少年は拳を痛いほどに握り締め、全身を震わせていた。俯いていた顔を勢いよく上げて、悲痛な声で俺に告げる。


「ヘレナはな、お前が思ってるよりよっぽど辛い目にあってるんだ。僕なんかよりずっとずっと辛い目にあってるんだ。ヘレナは、あのクソ領主の……」


そこで少年は息を詰まらせて、不自然に言葉を止めた。

どんな言葉が出ても受け止められるような覚悟を決めて、少年に視線で続きを促す。

少年は切れ切れの声で、先を続けた。


「ヘレナは、クソ領主の、性奴隷にされてるんだ……」


少年の話した少女の待遇に息を呑んだ。

廊下ですれ違った少女は、少なくとも俺より年下なはずだ。容姿から見るに、おそらく10歳程度だろう。

そんな年端もいかない小さな少女に、無理やり性奴隷をやらせているのか。

衝撃を受けている俺をよそに、少年が説明を続ける。


「元々、ここの領主は村で美少女だって評判だったヘレナを奴隷にするために、僕たちに接触したんだ。ヘレナは妙な魔法をかけられて、ここに連れてこられてしまって……。僕はそんなヘレナを守るために必死に着いてきたんだ。だけど、僕は……」


尻すぼみに消えていった言葉は、少年がぽつぽつと床に落とす涙で理解できた。

ここの館では、領主が絶対である。領主に逆らえば、すなわち死に繋がる。

少年もそれを痛いほどに知っていたからこそ、己の無力さを感じていたのだ。


そんな中で俺がこの館にやってきた。

一見似ているようで、正反対の俺とヘレナの待遇に少年は激しく憤りを感じたのだろう。

ようやく俺は、少年の「どうしてお前が」という言葉を正しく理解した。


「お前、名前は?」

「……エリック」


嗚咽をこらえて俯く少年に、問いかけた。

消えそうな声でポツリと呟かれた声をどうにか拾い上げる。

俺はエリックの話を聴いて生まれた、新たな決意とともに「エリックか」とその名を呟いた。


「なあエリック。お前、このままなのは嫌だろう?」

「っ当たり前だ!」


俺が問うと、予想通りの言葉を威勢よく発してくる少年に、小さく笑みを零した。

その声を聴いたのか、少年は顔を上げて怪訝そうにこちらを見ている。


「ならしようじゃないか、反撃を。奴隷舐めんじゃねえぞってな」


シニカルな笑みを浮かべると、「は?」と唖然とした顔でこちらを見つめる少年に、俺は胸のうちを告げる。


「俺もここの領主サマはいけすかねえ。いつか必ず一泡吹かせてやる。

……明日、グレイガットっつー奴と決闘するんだよ。手始めとしてそいつを完膚なきまでに叩き潰してやる」


口を開いたまま固まっていた少年が、唐突に吹きだした。

そのまましばらく笑い続けた後に、涙の浮いた目を右手で力強く拭って頷いた。


「おう! 反撃の開始だな!」






7と幕間に矛盾がありましたので修正いたしました。

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