盲点
ここまでが第一章になります。全部で三章構成にしようと考えてます。これからもお付き合い宜しく御願いします。
リビングのドアを開けると、既に父が御飯を食べていた。
「おかえり。今日は珍しく帰りが早いね」
椅子に座りながら父の顔色を窺う。あまり顔色が良いとはいえないその表情は、疲弊しきっているように見えた。
「あぁ、最近ちょっと体調が優れなくてな。今日は早めにあがらせてもらったんだよ」
父は二年前に勤めていた会社でリストラにあい、会社をクビになった。今は知り合いの人が経営している自動車の整備工場で朝から晩まで働いている。
「あまり無理しないで下さいね」
そんな父を見兼ねた母が労いの言葉をかける。
「わかってる。今日は早く寝させてもらうよ」
僕は傍らで夫婦のやりとりを眺めながら、黙々と御飯を食べる。
「ごちそうさま。父さん、今度の休みに一緒に釣りでも行こう。たまには気分転換しないと体がもたないよ」
「あぁ、そうだな。今度休みが取れたら行こうか」
父に慰労の言葉と軽い約束を交わして、二階に上がる。
実際は父と釣りに行く気なんて更々無い。
父が滅多に休みを取れないことは知っていたし、先週休んだばかりだ。これは両親に良い息子を演じるために言った嘘だ。といっても本心を言わなければ、両親からすれば良い孝行息子に見えるだろうし、僕からしても善い欺瞞を言ったくらいにしか思わない。結果的にどちらにもデメリットは無いと言える。
僕は小さい時からこういう嘘で自分を守って生きてきた。心の片隅で慢心の態度で相手を嘲り笑う本当の自分を押し殺しながら。
部屋に戻ると、キースから返信のメールが届いていた。急いでマウスを動かしてメールを開封する。
私から提供できる他のプレイヤーの情報は、今のところメールアドレスのみとなっております。当然の如く、プレイヤーの名前や住所といった情報は一切提供できません。そういう重要な情報はプレイヤー同士で提供して頂きたいのです。そうしないと賞金を稼ぐのも難しくなってしまうでしょう。
取引の方法ですが、ゲームマネーを使った取引の場合は必ず最初は私を通して行われます。まず取引相手と取引内容を記載したメールを私に送信して下さい。その後、双方の同意を確認できた上で双方に相手の口座番号を御教え致します。詳しい取引手順は次の通りです。
最初に提供者が情報を記載したメールを私に送り、私が情報をお預かりしたことを取引相手にお伝え致します。その連絡を受けた取引相手が、三日以内にマネーを振り込んだことを確認できましたら、私がお預かりした情報をそのまま取引相手に転送します。その後、情報や金額に手違いがなければ取引終了となります。
しかし、私から情報保留の連絡を受けてから三日以内にマネーが振り込まれなかった場合は取引不成立となります。勿論お預かりした情報はそのまま提供者にお返し致します。この場合、マネーを振り込まなかったプレイヤーにはキャンセル料が生じてしまいます。キャンセル料は情報料の半価で、三日以内に提供者に振り込まなければいけません。
なお、この取引方法は相手の口座番号を知るためと、不正行為ができないようにと考えられた方法です。ですから、一度取引をした相手と再度取引をする場合は、私を通す必要はありません。ですが、安全に取引をしたい場合は私を通してもらっても構いません。私を通さない取引でトラブルが起きた場合は、責任を負いかねますので御了承下さい。
取引手段の説明は以上になります。
それと、F9F クーガーに決めて頂きたい事が一つあります。
それは今私が皆様に提供できる唯一の有料情報、メールアドレスの提供金額です。F9F クーガーには御自身のメールアドレスをいくらで提供するかを決めて頂きたいのです。既に何人かのプレイヤーは決定されています。全員分の提供金額がお決まり次第まとめて通知致しますので、出来るだけ早く御検討願います。
それでは。
キースから買える情報はメールアドレスだけか。それ以上のことはプレイヤー同士で互いの腹の探り合いをしろってわけか、『今のところ』っていう表現が少し気になるが………。
結局は、このゲームで勝ちたければより多くの情報を集めること。そのためにはリスクを冒して自分から敵に近づくしかない。そして自分に利潤をもたらす情報を有利に取引し、その情報を元に相手を殺す。結果、多額の金を手に入れゲームを終了することができる。
と思わせるような説明だったが、僕に言わせてみればただの馬鹿だ。しかも大馬鹿。
確かにこのゲームは情報が全てを左右すると言っても過言ではないが、リスクを冒す必要は無いし、自分から動く必要も無い。なにより僕の考えがただしければ、
僕は相手の名前を知らなくても殺せる。
そして最初の力試しともいえる、自身のメールアドレスの提供金額の設定。僕はこの金額設定が、かなり重要な鍵を握っていると思う。最初が肝心とはこのことだろう。
僕は何の躊躇いもなくキースに送信する。
「プレイヤーの中で一番低い金額設定にして欲しい」
すると10分足らずでキースから返事が届く。
「わかりました。今のところF9F クーガー以外にそういう提案は出ておりませんので、他のプレイヤーから同じような提案がでた場合は追って連絡致します」
良し。
もしかすると僕と同じ考えのプレイヤーが出てくるかもしれないが、特に問題は無い。
このゲームで一番大切なことは情報を集めることじゃない、いかに自分の情報を提供しないかだ。でも情報は当然多い方がいい、有利にゲームを進められるだろう。が、このゲームは相手を殺して多額の賞金を手にすることが勝ちじゃない。二カ月生き残って初めて勝ちなのだ。賞金はそのおまけ。賞金に目が眩んだプレイヤーは必ず足元を掬われる。
生き残るにはできるだけ自分の情報を漏らさないことだ。少しの情報でも漏れてしまったら、腹を空かせたハイエナ達の目の敵にされてしまう。囲まれたトムソンガゼルに勝ち目は無いのだ。
気付けば、確実に時を刻む時計の針が日付を変えていた。それでも僕は何かにとり憑かれたようにパソコンに向き合い、トムソンガゼルにならない方法を考える。
僕が考えに耽るのと並行して夜も刻々と更けていった。
労い(ねぎら) 慰労 欺瞞 嘲り(あざけ)