系譜
「ただいま」
家に帰った時には、夜の9時を過ぎた頃だった。玄関で靴を脱ぎ、下駄箱にしまう。どうやら父はまだ帰ってきていないようだ。
「おかえり。どこ行ってたの?晩御飯先に食べちゃったからね」
リビングには、母がソファーに座りながらテレビを見ていた。
「傑んちに行ってた。あっ、御飯は傑んちで御馳走なったから」
キッチンのテーブルの上には、僕と父の分のおかずが取り分けされていた。恐らくあれは明日の朝食になるだろう。
「また傑んちで御馳走になってきたの?ちゃんと御礼言った?」
「ちゃんと言ったよ。じゃあ今度家に傑呼ぶから、その時御飯お願いね」
母はソファーから立ち上がってテレビを消し、電話下の引き出しから連絡網を取り出した。傑の家に御礼の電話をかけるつもりなのだろう。
「任せなさい。どうせなら立花家全員呼んでらっしゃい」
「そこまでしなくていいよ」
連絡網を見ながら番号を合わせる母を余所目に、リビングを出て二階に上がる。
実は立花家と仲が良いのは僕と傑だけじゃない。僕の母と傑のお母さんもかなり仲が良い。中学の時同じクラスの役員になってから、買い物に一緒に出掛けたり、家で一緒に過ごしたりと、いつの間にか昔の友人みたいな関係を築いていた。これからかける御礼の電話も、そのうち世間話に流れて長電話になるだろう。
部屋の明かりを点けて、カーテンを閉める。
テーブルの上にケータイと財布を置き、ソファーに深く腰を下ろして、何をしようか考えるべく部屋を見渡す。パソコンにゲーム機、マンガ本や雑誌、MDコンポといった飽きないための道具が取り囲む僕の部屋。一人でいることに飽きないために工夫されたこの部屋も、孤独と慣れという恐怖を前にしては、全てが無に還るのだ。退屈と孤独は違うということを改めて知らされる。
深く溜め息をついて立ち上がる。思えば、今の僕に考える必要などないわけだ。いくら他の事を考えても、いくら違う事をしても、あの事が頭から離れることは無いのだから。
パソコンを起動させようと思った時、下から母の呼ぶ声が聞こえる。
「優、今日はお風呂沸かしてあるから、お父さんが帰ってくる前にお風呂入っときなさいよ」
母の声に反応し、パソコンに伸ばしかかった手を戻す。僕の家では風呂に入る時間が皆バラバラで、お湯を沸かしても結局冷めてしまうという理由で、湯に浸かりたい人が沸かすといった感じになっている。当然僕は面倒くさいのが嫌いで、冬以外はいつもシャワーだけで済ませる。せっかくお湯が沸いているので、父には悪いが先に入ることにする。
クローゼットから着替えを取り出して一階に下りる。リビングからは母の楽しそうな会話が聞こえてくる。思った通り長電話になりそうだ。
浴室の明かりを点けて服を脱ぎ、棚から歯ブラシを取って風呂場に入る。最初に髪を洗って、次に体を洗い、最後に洗顔をして歯を磨く。いつもの手順通りに手際良く事を済ませていく。浴槽たっぷりにはられたお湯の中に浸かると、僕の体積分のお湯が追い出されるように排水口の中に音を立てて流れていった。
「はあ」
疲れが溜め息となって体から抜けていき、湯気と一緒に換気扇を通って外に排出される。僕は浴槽の中でゲームのことよりも、今日傑と話したことを考えるようにした。コンビニから傑の家に戻ってからも、二人でいろんな事を話し合った。話し合ったと言うよりは、傑が一方的に話していた気がする。それに最後に締めくくった傑の一言は、とても印象深いものだった。
「全ての物には意味があり、意味ある物には価値がある。そして意味を見出すのも人間であり、価値をつけるのもまた人間だ。しかし物は人間が意味を見出さなければ生まれないし、意味が無ければ当然価値も生まれない。だからこの世に存在する物に価値が無いものは一つも存在しない」
まるでどこかの国の哲学者が言ったような格言を思わせる傑の持論に、深く感嘆してしまう。
「存在価値か……」
ならば、僕がゲームに参加する意味はあるのだろうか。生き残って賞金を手に入れるために、命という代償を賭ける価値はあるのだろうか。いや、この場合価値を見出すのは僕じゃない。強制的に参加させられた僕達は、所詮価値を見出すための駒にすぎない。全ての意味を知るのも、価値を見出すのもクレメントキースなのだ。
これ以上出口の無い自問自答を続けると逆上せてしまうと思い、浴槽から上がる。寝間着に着替えてドライヤーで髪を乾かしていると、玄関のドアが閉まる音が聞こえ、父の声より先に主人の帰宅を家内に知らせる。
「ただいま」
ドライヤーをしまって洗面所から出ると、座りながらこちらに背を向け、ゆっくりと靴を脱ぐ父がいた。
「おかえり。今日お風呂沸いてるから早めに入った方がいいよ」
「そうか、じゃあ飯より先に風呂に入るか。母さんは?」
「今、傑のお母さんと電話してる。久々に長電話になりそうだよ」
「そうだな。邪魔したら悪いな」
そういうと父はリビングには行かず、寝室で着替えを始める。どうやらそのまま風呂に入るらしい。リビングからは、父の帰りに未だに気付いていない母の笑い声が聞こえてくる。父の優しさも手伝ってか、話に花が咲いているようだ。僕も何も言わずに二階に上がることにした。
部屋に戻った僕は、真っ先にパソコンを起動する。恐らく次にキースから届くメールが、メールアドレスの提供金額通知だろう。僕は開戦の合図を待ち詫びているのだろうか。起動されたパソコンの画面には新着メールの表示。
「きた……」
逆上せて(のぼ) 感嘆