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6 願いは遠く


 夕陽が王都を照らしている。遠い空は既に藍色に染まっており、一番星が輝いている。

 そんな中、仕事帰りの人々に上手く紛れたジュリアメーンデを見つけられず、アーリヤは地団駄を踏んでいた。

(まったくもう、逃げ足が速いんだから)

 市場にも顔を出したし、住宅街も出来る限り探し回った。しかし、どこにもジュリアメーンデはいない。家に押しかけようにも、彼の家をアーリヤは知らない。

 アーリヤは途方に暮れていた。溜め息まじりに噴水広場にあるベンチに腰かける。通りは多くの人でごった返している。

 皆、幸せそうに見えた。

「いやあ、彼には驚かされたよ」

 突然声をかけられたアーリヤは飛び上がった。

 恐る恐る振り返ると、そこにはコンタスの姿があった。

 日に焼けた小麦色の肌に、引きしまった肉体。若い頃は乙女達に黄色い声を上げられていただろう金髪灰目の整った顔立ち。王宮騎士の名にふさわしい中年男。ルマンデと似た面差しのコンタスは蓄えた髭を撫でながらアーリヤに微笑んだ。

 アーリヤはコンタスが持っている茶色く黄ばんだ紙を見て、地面に視線を落とした。それを握って、ジュリアメーンデは『試練の間』から出て来た。

「おじさん。ジュリアが勇者なんて、何かの間違いじゃないんですか?」

「こればかりは、天使に聞かないと答えは出ない。いや、しかし――ジュリアメーンデは、天使からこの地図を渡された。彼の苛立ち具合から言ってこれは本物だろう。この地図は、彼が勇者になる資格を持っているのを物語る、重要な証拠だ」

 目の前に差し出された古ぼけた一枚の紙。それには世界地図が描かれていた。北方にある未開の大陸の中央に赤いインクでバツ印がついている。黒い点が打たれたところの下には、アーリヤが見たことのない文字が書いてあった。近隣の国で使われている言語ではなさそうだ。魔法を使う時に唱える呪文に使う古代文字に似ている。

 地図を手に取ったアーリヤは、不快そうに鼻に皺を寄せた。

「こんな紙切れ一枚をもらったからって、勇者だと決めるの?」

 コンタスはアーリヤの横に腰かけた。彼は指を交互に組み、遠くを見つめる。

「私は、その地図をもらえなかったよ」

「え……?」

 アーリヤは間の抜けた声を出してしまう。

 出し抜けの笑顔でコンタスは言う。

「あの空間に入れるのは勇者の資格を持つ者。いいかい、ここが重要だ。資格を持つ者というのは、勇者というわけじゃない。私も昔、弟――ルマンデの父親だ――と一緒に『試練の間』に入ったことがある。私も、天使から微笑をもらったんだから、勇者になる資格はあったからね」

「そ、そうだったんだ。おじさんも天使の微笑を……。でも、どうしておじさんは地図をもらえなかったの?」

 コンタスはアーリヤの目を見た。深い灰色の目から視線が離れない。

「……アーリ、君には秘密を教えてあげよう。『試練の間』はね、もう駄目だと考えた瞬間に出口が現れるようになっている。このことは、実際に中へ入った者しか知らない。私は、試練が苦しくて苦しくてたまらず、もう駄目だと考えてしまった。するとどうだ。弟より先に謁見の間へ戻って来てしまったんだ。弟は見事あの厳しい試練を潜り抜け、ジュリアメーンデが持ち帰ったのと同じ地図を手にして戻って来たよ」

「……それで、おじさんは勇者になれなかったの?」

 コンタスは寂しげに瞳を揺らめかせて頷いた。

「……あの時、私は自分が勇者になれないことを悟った。驕っていたのかもしれない。弟よりも自分こそ天使・アーリヤより選ばれて勇者になる男なのだと。実際、剣術や魔力は私の方が弟より遥かに上だったし」

 いくら実力があろうと、天使は最後まで試練を潜り抜けた者を真の勇者を受け継ぐ資格ある者と判断するのだ。

 アーリヤはコンタスの笑顔が痛ましくて、目を伏せた。

「ま、たとえ勇者になれなくとも国を守れる能力があったのは幸いだ。こうして王に仕えて国を守ることが出来ている。でも……だからこそ、甥のルーには本物の勇者になってほしいと願っていた。彼の父親と同じ強い輝きを持った彼に」

「……ルーはこのこと、知っているの?」

 アーリヤの問いに、コンタスは否定を示した。そして、彼は地図を眺める。

「この地図の印があるところに勇者を名乗るために行なわなければならない、真の試練がある。弟も一人地図を持って旅だったよ。だが、これを継承すべきジュリアメーンデは私から絶対にこれを受け取らないと思うんだがね。どう思う、アーリ」

「うん、あたしもそう思う」

「そうだろ? じゃあ――これは君が渡してくれ」

「うん………………え、ええっ?」

 あまりの重大なことを託されようとしている状況に、アーリヤは腰が引けた。もしも、ジュリアメーンデが地図を受け取ってくれず勇者にならなかったら、アーリヤの責任になる。アーリヤは返答に窮した。

「君からなら、彼は受け取ってくれるかもしれない」

「そんなこと――」

「古来より、男は女に弱いもんだよ」

 アーリヤを茶化すコンタスの笑顔がルマンデに重なる。しぶしぶコンタスから受け取った地図をアーリヤは握りしめた。

「――ねえ、おじさん」

「何だい」

「もし……もし、ジュリアメーンデが勇者になったとしても、ルーも勇者になれるよね? 天使が微笑んでくれたら……ううん、『試練の間』に入って最後まで諦めずに進んだら――」

「…………二人の英雄は、並び立たない」

「……!」

「まず、勇者が二人いたという前例がない。こればかりは、どうしようもない」

 コンタスの言葉はアーリヤの心を深く抉った。ルマンデの笑顔が脳裏に浮かび、消えて行く。

「じゃあ、アーリヤ。頼んだよ。私は城へ戻らなければ……」

「うん、わかった」

 アーリヤは託された地図を持って、再びジュリアメーンデを探すことにした。地図を渡すのは早いに越したことはない。さっさと渡してしまいたかった。こんな重い役割から早く解放されたい。

(もし日が暮れても見つからなかったら、諦めて明日学校で渡そう)

 そう心に決めて、アーリヤは噴水広場の東側にある石畳の階段を上った。

 両脇を背の高い家に挟まれた階段は日当たりが悪く、石と石の間は苔むしている。湿気がこもったここは、夏でも涼しい。アーリヤの首筋を流れる汗が引いて行く。

 階段をのぼったところには高台がある。そこからは、町が一望出来る。遠く、王都の果てまでも眺めることの出来る高台は、人々の憩いの場だった。地平に赤い玉が沈んで行く。

 昼間は親子や子供達で賑わっている高台も、夜が近い今の時間帯には誰もいない。

 いや――一人だけいた。

 アーリヤは、レンガ調の低い壁にひじをついて王都を眺める青年の横に並んだ。

 青年は、何も言わない。拒否もしなければ、話しかけても来ない。ただ、彼の夜空色をした双眸に映り込んでいるのは、遥か彼方に広がる砂漠だった。

 ジュリアメーンデを探している間中握っていたせいで皺くちゃになった地図を、アーリヤは青年に突き出した。

「これ……預かってきた」

 夕風を受けて艶めく黒髪を片手で押さえ、ジュリアメーンデは地図を横目見た。彼はすぐに顔を背ける。

「要らん」

「ジュリア……お願い、受け取って」

「…………無理だ」

「そんなに、悪者になりたいの?」

 ジュリアメーンデは答えない。答えないことこそが、答えだった。

「どうして、そこまで勇者になることを拒むの? どんなになりたくたって、なれない人もいるのに……!」

 どうして、ルマンデではなくジュリアメーンデを天使は選んだのだ、とアーリヤは尊いはずの天使を呪いたい気持ちになった。頭の芯が痺れる。目の奥が熱かった。

「………………」

 彼は、きつく腕を抱いた。

 赤い光を浴びたジュリアメーンデの横顔は、どこまでも苦しげで。その表情は、勇者になどなりたくない、と雄弁に物語っている。

 アーリヤは何かが心の中で弾けるのを感じた。自分でも気付かぬうちに拳を握ってジュリアメーンデを思い切り殴っていた。アーリヤが出せる限りの力で、彼を殴った。

 ジュリアメーンデは、よろけて地面に尻餅をつく。彼は厳めしい顔をしてアーリヤの顔を見た瞬間、息を詰めた。

 アーリヤの瞳から大粒の涙が零れる。

 ぬぐっても、ぬぐっても、涙は止まらない。悲しいなどという陳腐な言葉には出来ないくらい、深い思いがアーリヤの中にはあった。

 幼い頃、ルマンデの語っていた夢を実現することが可能である青年は、自らすすんでその栄光を捨てようとしている。天地創生の天使・アーリヤと同じ名を持ちながら、平凡な暮らしを送るしかない自分には到底得られない、偉大な称号をもらうことが可能である青年は自らすすんでそれを蹴ろうとしている。

 ――どうして、彼が選ばれたのだ。

 その思いがアーリヤを満たしていた。

 もっと、勇者になりたいと願って努力する者はいるはずだ。

 悪者になりたいと公言するジュリアメーンデなどではなく、ルマンデのように幼い頃から勇者に憧れて、思考も行動も全てが正義感の塊のような青年はたくさんいる。

 ――なのに、天使はジュリアメーンデを選んだというのか。

 アーリヤには天使の意向が全く理解出来なかった。たしかに、ジュリアメーンデは心から悪い人ではないだろうと思う。

 だが、それだけだ。

 勇者になることを拒み、全てから目を逸らすただの人。決して、物語に出てくるような初代勇者・ルマンデとは似ても似つかない。

「このヘタレ!」

「な…………っ」

 アーリヤはキンキン声で怒鳴って、その場を全速力で駆け出した。


 ◆ ◆ ◆


 帰り道は、とてもむなしいものだった。

 市場を抜けて、王都の郊外へ向かう。裕福層が住まう王都の中心地区とは違って、のどかな風景が広がっている。

 小川のせせらぎは、鬱蒼としたアーリヤの心を少しだけ慰めてくれた。おのおのの敷地で放牧した家畜達に干し草などの餌をやっている農民達は、アーリヤの姿をとらえると笑顔で手を振ってくれる。

 太陽の陽射しをふんだんに浴びた穀物が風にたなびき、温かい匂いを放つ。幼い子らは、畑や牧場の中で元気いっぱいに駆けずり回っていた。

 アーリヤは、トボトボと家を目指した。

「アーリ」

 優しい声色がする。

 アーリヤは目線を上向かせた。家と家との境目に打たれた木の杭に、ルマンデが座っていた。彼は杭から飛び降りると、立ち止まったアーリヤへ寄ってくる。

「アーリ……? 帰って来るの遅いから、心配したよ」

「ルー!」

 アーリヤはルマンデに抱きついた。

 ジュリアメーンデと別れてからずっと堪えていたのだが、ルマンデの顔を見た途端、我慢の糸が切れて大声を上げて泣いた。

 ルマンデはびっくりしたようで、体を竦ませた。しかし、彼は何も聞かずに胸を貸してくれた。

 アーリヤが泣きやめずにいると、近所のおじさんが家からひょっこり頭を出して、「どうした」と聞いてきたが、それに答えずアーリヤはルマンデの胸に顔を埋めていた。嗚咽が漏れる。

「おじさん、大丈夫だよ。アーリ、転んだだけだから」

「ひゃあ! アーリヤちゃん、家に帰ったら消毒するんだよ」

 心配そうに言って、おじさんは頭を引っ込める。ルマンデはアーリヤの頭を撫でてくれていた。

「少し、落ち着いた?」

「うん――ありがとう」

 アーリヤは、ルマンデから離れて目をこすった。

 どこからか、カラスの鳴き声がする。アーリヤはしゃくり上げると、無理矢理口角を引き上げた。ルマンデに心配をかけたくなかった。

「何か、あった?」

 気遣わしげに聞いてくるルマンデに、アーリヤは何でもないと首を横に振った。王城での出来事をルマンデに言うことは憚られた。

 ジュリアメーンデが勇者になる資格を持っていると知ったら、ルマンデは激しく傷付くだろう。

 ルマンデは、睫毛を震わせて冷笑した。

「ジュリアメーンデは、勇者に選ばれた?」

「――――っ」

 アーリヤの目に驚愕が浮かぶ。ルマンデはアーリヤから視線を逸らす。

「いいよ、別にオレに気をつかわなくたって。聖堂で天使がジュリアメーンデに微笑んだのを見た時から、何となく気付いてたから」

「ルー……でもね、ルーにも勇者になるチャンスはあるの。ねえ、また聖堂に行って天使の微笑を見よう? そして、王城で『試練の間』に入るの」

「アーリ……」

 ルマンデは、アーリヤの懸命さに眉を上げて驚く。アーリヤは再び込み上げてくる熱いものをぐっと呑み込むと、ルマンデを真っ直ぐに見据えた。

「私…………私、ルーが勇者になるためにどれだけ頑張っていたか、知ってるもん。だから、だから……」

「ありがとう。でも、本当に、もういいんだ」

「え…………?」

 ルマンデは遠く広がる草原を眺めて目を細めた。彼は何もかもどうでもよさそうな顔をしている。

「いいんだよ」

 全てを諦めたルマンデの口調と、アーリヤの記憶の中に根付くルマンデの口調が重なる。

 昔、同じ言葉をルマンデが吐いたことがあった。伯父であるコンタスから、例え父親が勇者であるとしても同じように天使の微笑をもらえるかはわからない、と言われた時のことだ。

 父親が勇者なのだから、自分も必ず勇者になれると信じて疑っていなかったルマンデは、大きな衝撃を受けていた。

 落ち込むルマンデを見ていられず、アーリヤはコンタスに悪態を吐いた。

 しかし、そんなアーリヤをルマンデが止めた。

 彼はキラキラした目で「いいんだ」とはつらつした顔で笑って見せた。

 弾む声で、彼は言った。それなら実力で勇者として認められるまでだよ、と。

 思い出はアーリヤの心にとどまり、今だその輝きを喪わない。どんなことがあっても、ルマンデは愚痴一つ零さなかった。ただ、一心に勇者を目指してまい進していた。

 しかし今、あの時アーリヤに見せた輝きはルマンデの目から潰えている。

 ルマンデはアーリヤに向き直り、笑顔を取り繕った。

「アーリがちゃんと帰ってきて良かった。それが心配だっただけだから。じゃあ、オレは帰るわ」

 彼はそう言って、自分の家に帰って行った。

 アーリヤは、俯く。乾いた地面に、二粒の滴が落ちた。




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【恋愛遊牧民G】
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