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2 白魔法

 図書室には午後の日が射している。

 皆、校庭や食堂で昼ごはんを食べている時間に、アーリヤは図書室の片隅にて、渋面で分厚い本のページをパラパラと捲っていた。

 黄ばんだページにびっしりと書かれているのは白魔法の詠唱呪文だ。白魔法に限らず魔法というのは古代語で唱えるのだが、白魔法の詠唱呪文はこれまたかなり長い。

 しかも、ものによっては軽快なステップを踏んで体を使って詠唱しなければならない。

 アーリヤは片目を瞑って溜め息を吐いた。

「こんな格好、出来るわけないじゃない。しかも、何この長い呪文。無理無理、絶対途中で詰まるわ」

 文句を言うアーリヤの隣で、赤茶色の表紙をした白魔法の基礎呪文集に目を通していたルマンデは苦笑した。

「そりゃあ、アーリ。その呪文って一番高等な術じゃないか。オレ達にはまだ無理だ。……それにしても」

 すっとルマンデの目が細まる。

「白魔法は攻撃呪文がないね」

 そうぼやくルマンデに、アーリヤは首を傾げた。

「当たり前でしょ。白魔法なんだから」

 白魔法は生を司る魔法。他者に対して攻撃を加える呪文などあるはずがない。

「うーん、そうなんだけど。一個ぐらいあってもいいと思わない?」

「思わない」

 きっぱりアーリヤは言い切った。

「……そう? でも、黒魔法に対抗するためには、攻撃呪文もないと……。ほら、攻撃は最大の防御って言うだろ?」

 アーリヤは頬杖をついてルマンデを見やる。

「そうかしら」

 ルマンデの意見に、アーリヤは同意し兼ねた。攻撃呪文があるから争いが起こるのだとアーリヤは思っている。

 ただ、そう思うのはアーリヤが魔法の真髄を知らないためかもしれないので、敢えて反論するのは避けた。

 ルマンデは机上にあらかじめ準備しておいた枯れた花や枯れ葉を手に取り、詠唱を開始する。アーリヤは欠伸一つ零す。

 ようやくルマンデの掌に小さな球体が発現した。それを彼は枯れた花に押し付ける。

 途端、じゅっと音を立てて花は散り散りになる。

 アーリヤは唖然として目を剥いた。

「失敗しちゃった」

 ルマンデは苦笑する。

 アーリヤのこめかみに冷や汗が伝った。

「ルー、それ……もし人間に向けて術放ったとして、失敗したらどうなるの?」

「え? うーん、多分骨の一本ぐらい抜けるんじゃないかな」

 アーリヤの腕に鳥肌が立った。

 さすが白魔法。

 傷付いた人々を癒す魔法だからこそ、失敗の代償は大きいのだろう。その点、土魔法や水魔法、風魔法などは失敗しても何も具現化しないだけだ。高度な術になると暴走したりもするが、何とか抑え込むことが可能だ。

「――あたし、白魔法はパス」

 アーリヤは虫の鳴く声で言った。


 ◆ ◆ ◆ 


 凍える寒さも和らぎ、春の気配が近づいてきた。

 アーリヤは、中庭のベンチでのんびりと日なたぼっこしていた。

 平和だ。

 少し前までは、放課後になるとルマンデに付き合って図書室で白魔法の勉強をしていたのだが、最近はとんと一緒に行動していない。

 彼は近頃、悪者に対抗するためには黒魔法のことも知らなければいけないと言って、図書室の一番奥まったところにある『黒魔法の歴史』やら『黒魔法の禁忌』やら、物騒な本を舐めるように読んでいる。

 そんなルマンデをアーリヤは止めたが、彼は耳を貸そうとしなかった。

(司書の先生も止めてくれたらいいのに)

 アーリヤはルマンデが黒魔法関連の本を読まないようにしてくれと司書の先生に頼んだ。

 しかし先生は、ルマンデ君は勉強熱心なだけだから良いじゃない、と言って取り合わなかった。

 先生達は、ルマンデの父が勇者なのを知っている。だから、その息子であるルマンデのことを高く評価していた。

 対して、悪者になると公言したジュリアメーンデにはあまり良い心象を持っていないようで、何かにつけてジュリアメーンデの行動に文句をつけている。

(ジュリアメーンデは、ルマンデみたいに黒魔法の本……読んでないのに。何よもう、ルマンデの馬鹿野郎。黒魔法のこと知る暇があったら、高度な白魔法でも覚えればいいじゃないの)

 アーリヤは教科書が詰まったカバンをベンチの脇に置き、寝そべった。空は春めき、薄桃色に霞んで見える。

 フッと黒い影が、アーリヤの寝転ぶベンチを横切った。

 影は、思いっきりアーリヤのカバンを蹴る。ものすごい音がした。弁当箱が壊れたかもしれない。アーリヤは跳ね起きて、立ち去ろうとする人に叫んだ。

「ちょっと、あんた! 人のカバン蹴っといて謝らないのっ?」

 流れる黒髪を波打たせ、少年は振り向いた。

 アーリヤは眼を丸くする。

「ジュリア?」

 ジュリアメーンデはアーリヤのカバンを拾うと、無言でベンチの上に置いた。彼は、さっさとその場を去ろうとする。

「ちょっと待った」

 アーリヤはジュリアメーンデの制服を掴んで引き留めた。

 彼は、面倒臭そうにアーリヤを見る。

「ねえ、何で古い制服を着てるの?」

「…………お前には関係ない」

 突き放す言い方をするジュリアメーンデに、アーリヤは頬を膨らませた。

「関係あるないとかじゃなくて、気になるの。その制服、一型前のじゃない?」

 聖プローシュ学校は、五年に一度制服を新調する。

 今年から、カッターシャツは水色からクリーム色。ブレザーとズボン――女子はプリーツスカート――が紺色から黒色に変更された。

 去年以前に入学した上級生が旧型の制服を着ているなら別に気にも止めない。

 しかし、アーリヤ同様今年入学したジュリアメーンデが着ているのは不自然だった。

「……制服を、盗まれた」

 ジュリアメーンデは、憮然とした態度で言った。

「えー! 制服をっ? いつ頃?」

「……三限目にあった体力テストの時」

「それで、今は制服を借りてるわけね」

 こくりとジュリアメーンデは頷く。

「誰がやったか、心当たりある?」

 訊くと、彼は皮肉げに微笑した。

「……さあ。ありすぎてわからない」

 アーリヤは、溜め息を吐く。

「諦めた方がいいかもしれないわ。盗まれたんなら、燃やされてるかも」

「燃やすだと……っ? あの中には――っ」

 ジュリアメーンデは顔を強張らせて身を翻した。

「ちょ……ジュリア!」

 彼は振り向きもせず、校舎内へ入って行く。

 アーリヤは、ポカンとしてジュリアメーンデの去った方を見つめていた。

 ジュリアメーンデが感情を荒立てるのは珍しい。どうしても、制服を取り戻さねばならない理由でもあるのだろうか。

 アーリヤはカバンを肩にかけながら考える。

(もしかして、何か大事なものをポケットに入れっぱなしにしてるとか、かなあ。家の鍵……ううん、もっと大切なもの)

 はた、と脳裏を掠めた自らの閃きに、アーリヤは血の気が引いた。

(……まさか、黒魔法関連のメモ、とか)

 そこまで思い至ったアーリヤは、猛スピードでジュリアメーンデが駆けて行った逆の方向へ走った。

 もしも、この勘が当たっていたらジュリアメーンデが騎士団に捕まってしまう。拾った人が悪ければ、禁忌の魔法を使おうとしていたと告げ口されるだろう。そうしたら、ジュリアメーンデは、一生牢獄の中で暮らさなければならなくなる。

(あたしの目の保養が……っ!)

 取り敢えず、片っ端から情報収集することにした。

 ジュリアメーンデのことだ。誰にも制服のことを聞いていないはずである。彼は、人と関わるのを得意としない。

 アーリヤは、「ねえねえ、新型の制服持って歩いてる人見なかった?」と聞き回った。

――――目を泳がせた子は怪しい。

 そう思って聞き回ること数十分。ようやく、きな臭い情報を引き出せた。

「そう言えば、うちのクラスの男子達が、新しいタイプの制服を持ってたような気が……」

「本当ですかっ? 先輩、その人達って、もう帰りました?」

「うーん、あの人達って大抵、放課後は教室に最後まで残って話してるわよ」

 おっとりとした女の先輩は親切にも、男子生徒が所属しているクラスの場所を教えてくれた。

 アーリヤは彼女に厚く礼を述べると、脇目も振らずに教室へ急行する。

 聖プローシュ学校は、第五校舎からなる大きな学校だ。

 新入生は第一校舎にクラスがあり、二年生は第二校舎、三年生は第三校舎、四年生は第四校舎にクラスがある。基本的に講義ごとに教室を移動するため、ほとんどクラスルームにいることはないが、朝と帰りは必ずクラスごとに朝礼、終礼がある。

 ジュリアメーンデの制服を盗んだかもしれない先輩達は、第四校舎の二階にクラスがあった。

 アーリヤよりも三年も先輩である。

 息せきって第四校舎の二階に辿り着いたアーリヤは、こっそりと扉の隙間から教室の中を覗き見た。

「ほんとさあ、ジュリアメーンデの奴、生意気だよな」

「うん。こんくらいしないと、反省しないって」

「この前なんて、足引っ掛けたら、次の日、俺を魔法で半日も宙吊りにしやがったんだぜ。あの陰険野郎……許せねえ」

 期待を裏切らず、数人の先輩達が輪になってクリーム色のシャツを風魔法で切り裂いている。

 アーリヤは慌てた。

 教師を呼んだとして、もし黒魔法のメモが見つかった場合、退学処分になるだろう。先輩達がメモを見つけたとしたら、騎士団に告げ口するに決まっている。教師も生徒も、ジュリアメーンデのことをよく思っていない。

 どちらに転んでも状況は悪い。

 無論、黒魔法のメモなどない可能性が高かった。しかし、制服が燃やされているかもとアーリヤが口にした時、ジュリアメーンデの顔には不安と焦燥が浮かんでいた。

 ――何とか制服を取り返してやりたい。

 そう思い、アーリヤは挙動不審に周囲を見回して窓の外を見た。

 すると、中庭にジュリアメーンデがいるではないか。彼は叢を掻き分けて制服の捜索を続けている。

 これ幸いと、アーリヤは唇に人差し指と中指を当てて呪文を唱えた。

 風に言葉を乗せ、他人へ運ぶ風魔法である。大きな声を出したら危険な今のような状況には頼もしい魔法だ。

 アーリヤは、サッと魔法を飛ばす。しかし、上手くジュリアメーンデに届かない。この魔法の欠点は、正しく目標人物向かって飛ばさないと、言葉が届かないこと。

 アーリヤは思わず舌打ちしてしまう。

 こんなことなら、風魔法を的に当てる練習を、真面目にしていれば良かったと思ったが、後の祭りである。

「ええい、気づけっ」

 もう一度、呪文を唱えようとするアーリヤの肩を誰かが叩いた。アーリヤは、その手をわずらわしく思い、撥ね退ける。

「ちょっと待って。今、忙しいの」

「……ジュリアメーンデへ俺達のこと知らせることに、忙しいの?」

 血の気が引く。

 ぎこちない動作で振り向くと、怖い笑顔をした青年達がいた。総勢六人。

 アーリヤは咄嗟に逃げ出そうとしたが、強い力で拘束されて動けない。こんな時、男に生まれていれば、と思う。

「ちょっと来いよ」

「お前、一年だろ。このこと、ジュリアメーンデに告げ口されたら困るんだよねー」

「アイツに心配してくれる同級生がいるとは思わなかったけど」

 そう言って青年達はゲラゲラ笑う。

 ジュリアメーンデは、いつもこんなふうに言われていたのだろうか。アーリヤは、腕を押さえている先輩の向こう脛を思いきり蹴る。

「いってえ!」

 いきなりのアーリヤの反抗に驚いて、腕を押さえていた青年は拘束の手を緩めた。すかさず、アーリヤは窓から身を乗り出す。

「ジュリア! 制服は先輩達が隠してた! さっさと来て!」

 自分の中で限界と思われる大声で叫んだ。すでに先輩達からは見つかっているのだから、こっそり知らせる必要はない。

「ジュリア!」

 中庭にいるジュリアメーンデは、キョロキョロと辺りを見回している。上だ、上を見ろ、と言おうとしたところで、茶髪の背が低い先輩に口を塞がれて、教室内へ連れ込まれてしまった。

「ちょ、見つかったらヤバいんだって!」

「おい、教室で隠れとこうぜ」

「そうだな。それがいい」

 アーリヤは無我夢中で先輩達から逃げようと手足をばたつかせる。

 抵抗もむなしく、赤毛の先輩が放った風魔法によって、手足に見えない風で出来た拘束具をつけられてしまった。

 アーリヤは苦し紛れに、口を塞いでいる背の低い先輩の手を加減なしに噛んでやった。先輩は悲鳴を上げて、アーリヤを突き飛ばす。

 手足を拘束されているアーリヤは、バランスを崩して倒れる。その拍子に、したたか頬骨を床に打ち付けた。涙が滲みそうなくらい、痛い。

 しかし、アーリヤは泣くのを堪えて先輩達を睨みつける。

「何だよ。大人しくしてたら手荒なことはしないから、静かに――」

「卑怯者!」

 アーリヤは吼えた。

「確かにジュリアは陰険かもしれないし、性格が歪んでるかもしれないけど……先輩達みたいに、よってたかって制服盗んだりしない! 隠れて酷いことしたりしない!」

「言わせておけば……っ。お前も相当生意気だな!」

 髪をぐいっと引っ張られ、平手打ちされる。咥内が切れて鉄の味がした。

 アーリヤは詠唱を開始する。

 平手打ちした先輩は馬鹿を見る目で嘲笑を洩らした。

「はっ……一年の使う魔法なんて怖くないぞ。皆、ただの脅しだ。気にするな」

(馬鹿がどちらか、もうすぐわかる)

 アーリヤは呪文を結び終え、魔力を眉間に集中させた。

 一瞬にして、氷の飛礫が先輩達に吹き付ける。教室の気温は氷点下まで落ちた。

「く……前が……」

「誰か……火の……」

 途切れ途切れに声が聞こえる。

 アーリヤは、その隙に氷のナイフを発現させ、赤毛の先輩が作り出した風の拘束具を破壊した。

(今のうちに逃げないと)

 アーリヤが放った氷魔法は、長い間持続しない。それだけ魔力を消費する、上位魔法なのである。たまたま術と相性が良かったらしく、難なく使えるのはいいが、あまり実戦向きではない。ただの虚仮威しだ。

 教室の扉のロックを解除しようとしたところで、アーリヤは殺気を感じて振り返った。

危機一髪。

 先程までアーリヤの頭があった場所が焦げている。ちょっとだけ、髪の毛が焦げた。

 アーリヤの放った吹雪は、その威力を緩やかに弱めていく。火の玉を放った赤毛の先輩は、五本の指をバラバラに動かす。

「先輩に盾突いたこと……後悔しな」

 まずい。赤毛の先輩は、見る限りこの中で一番魔法が扱えるようだった。アーリヤは覚悟を決めて、顎を引いた。

「後悔なんてしない」

 吹雪は、完全に止んでしまった。ぞろぞろと、先輩達が顔を連ねる。

 アーリヤは身近にあった教壇の脇のイスを持ち上げた。そして、それを振り回す。先輩達は、慌てた様子でイスを避ける。

 呪文の詠唱さえされなかったらアーリヤにだって勝ち目はある。幼い頃から近所の男の子達と取っ組み合いの喧嘩をして来たのだ。

 必死だった。ジュリアメーンデの制服を取り返してあげたかった。

「後ろがガラ空きだぜ、お嬢さん」

 背中を蹴られる。背骨に走った痛みに目が霞んだ。アーリヤは何とか踏ん張って後ろを振り向き、ツンツン頭をした先輩の脇腹へイスを強打する。

 生々しい感触が恐ろしかったが、こうでもしないと自分がやられてしまう。

 誰かが呪文を唱えようとする度にアーリヤはイスを振り回した。

 段々と体力がすり減っていく。

 手に痺れを感じ、思わずイスを取り落とした。カバンやら何やらを投げて来る先輩達の攻撃を何とかかわし、ジュリアメーンデの制服の残骸がある教室の端まで辿り着いた。

 アーリヤは、見るも無残なカッターシャツと、無傷のブレザーとズボンを抱き、ぴったりと背中を壁に寄せた。

 赤毛の先輩は、間を詰めて来る。彼は眉間にシワを寄せて問いを投げかけて来る。

「……何でそこまでして、ジュリアメーンデを庇うんだ? あんな、悪者になると馬鹿なことを言っているヤツを」

「ジュリアはジュリアだもん。ただの同級生だもん」

 アーリヤは朦朧とする意識下で、そう答えた。

 赤毛の先輩は、じっとアーリヤと目を合わせていたが、やがて踵を返した。彼は、そのままスタスタと教室を出て行こうとする。

 他の先輩達が大慌てで赤毛の先輩を引き止めた。

「ちょっと待った、プラナ。ここまで下級生にナメられて、ムカつかねえのかよ」

「何か、興味失せた」

 冷めた口調で呟いた赤毛の先輩――プラナの言葉に、場が凍る。

 プラナは、へらりと笑った。

「いいじゃん、おまえらの目的だったジュリアメーンデの制服ボロボロ作戦は上手くいったんだし」

 プラナの一声は、強い力があった。先輩達は、渋々、教室を出て行く。

 アーリヤは安堵の溜め息を吐いて、ズルズルと床へ倒れ込んだ。体をくの字に曲げる。背中は痛いし、咥内から血が出ているし、手も痺れている。

 だが、そんなことより、カッターシャツの袖部分を引き裂かれていることが気になった。

(もう少し早く先輩達見つけられれば、カッターシャツも……無傷だったかもしれない)

 そう思いながら制服を抱きしめ直すと、ブレザーの内ポケットから黒いカードが出てきた。アーリヤは霞む目でカードに書かれた白い文字を追った。


『ジュリアメーンデへ。我が愛し子よ、幸せにあれ。父より』


 金色の糸で縁取られたカードには、そう書かれていた。カードの端は折れている。何年も前のものなのだろう。古ぼけていた。

 もしかして、ジュリアメーンデはこのカードを必死に探していたのだろうか。そう思うと、アーリヤの頬は緩んだ。

(ほらね、やっぱり、普通の男の子じゃん)

 アーリヤは大の字に寝転ぶと、意識を手放した。


 ◆ ◆ ◆


「……アーリヤ……」

 低く、くぐもった声が頭上から降ってきた。

 アーリヤは、重い瞼を無理矢理引き上げて、声の主へ笑いかける。彼女は誇らしげにジュリアメーンデの制服を差し出す。

「ごめんね。ガタガタになっちゃった」

「…………制服云々の問題じゃない。誰が、こんな真似を……。早く医務室へ行こう」

 ジュリアメーンデは、端整な顔を歪めて手を差し伸べてくれたが、アーリヤはその手を取ることを拒否する。

 魔法を使って喧嘩したとなれば大問題になる。いくら正当防衛を主張したところで、教師から大目玉を食らうのは間違いない。プラス、何かしらの罰則が与えられるだろう。そんなことはごめんだ。

「医務室に行ったら、あたしが魔法使ったのばれちゃうから嫌」

「……そんなこと言っている場合じゃないだろう。傷だらけじゃないか」

 アーリヤは、半開きの目で教室を見回した。まだ、氷魔法を使った影響から教室は肌寒い。ところどころ凍っている箇所も見受けられる。教師達がこの教室を見たら、間違いなく魔法を使ったことが露見する。

「……アーリヤ」

 低く脅すようなジュリアメーンデの声に、アーリヤはしぶしぶ起き上がろうとしたが、背骨が軋んだ拍子にとんでもない激痛が走って呻いた。

 ジュリアメーンデは腕を組んで佇んでいる。彼の目が揺れている。ジュリアメーンデは躊躇いがちに言った。

「……僕のことなんて、放っておけば良かったのに。お前はお節介だ」

 せっかく制服を見つけてやったというのに、この言い草。ルマンデがこの場にいたら、何て言い方だと本気で怒り狂うだろう。

「黒魔法関連のメモを制服に入れてるんじゃないかと思って、心配したの。見つかったら、大変でしょ」

「……そんなヘマはしない。馬鹿じゃないんだから」

 アーリヤは、ジュリアメーンデお得意の皮肉を聞かなかったことにして一人ごちる。

「あーあ……。白魔法が使えたら……」

「…………先に言っておくが、僕は使えないぞ」

「うん、わかってる」

 白魔法は、聖なる力と言われている治癒魔法だ。学校に入って間もないアーリヤやジュリアメーンデが使える魔法ではない。

 それに、悪者になると公言している彼が白魔法を習得しているはずがなかった。

 ジュリアメーンデは何を思ったのか無言で教室を出て行った。

(ちょっと、怪我した女の子ほっぽって出て行くっ?)

 アーリヤはがっくりと肩を落とし、ジュリアメーンデが受け取ってくれなかった制服を抱き込んで体を丸めた。起き上がる気力もない。

 しばらくして、再び教室の扉が開いた。

 アーリヤは、非難がましい目でジュリアメーンデを見やる。

 彼は恨み節の効いた視線に頓着せず、アーリヤの横に片膝をついた。ジュリアメーンデは、腕に抱えていた分厚い本を広げる。その本に、アーリヤは見覚えがあった。赤茶色の古ぼけた表紙。ルマンデが図書室で読んでいた本だ。

 白魔法の基礎呪文集。

 びっくりして言葉を発せないアーリヤに向かって、淡々と本に目を通していたジュリアメーンデは目も向けずに言った。

「失敗しても、悪く思うな」

「ちょ……っ」

 間髪入れずに、ジュリアメーンデは詠唱を始める。

 つっかえることなく流れるように呪文が紡がれていく。

 白魔法は、黒魔法と同等に詠唱呪文が難解な上、長い。なのに、初歩的な白魔法とは言え、ジュリアメーンデは恐ろしい程の速さで詠唱している。上級生でも簡単には操れない魔法を、彼は発現しようとしている。

(……失敗したら、骨の二、三本持っていかれる……)

 アーリヤは図書室で見たルマンデが白魔法の発現に失敗したのを思い出して身震いした。アーリヤはジュリアメーンデの術の成功を、切に祈った。

 彼とアーリヤの間に白い光が発現する。

 ジュリアメーンデのこめかみに汗が滲んだ。

 白い光は、ゆっくりとアーリヤの中へ入って来る。

 柔らかな光がアーリヤを包み込んだ。体の芯が温かくなる。まず、背骨の痛みが消えた。次に、手の痺れが消え、咥内の傷が塞がる。細胞が活性化したような、不思議な感覚がした。

光が収まったのを見計らって、アーリヤは起き上がった。肩や手首を回してみる。

「いたく、ない」

 アーリヤはジュリアメーンデを見た。

 ジュリアメーンデは本を閉じ、目を伏せる。彼は前へ零れてくる闇色の髪を払った。ジュリアメーンデは、自身が白魔法を使ったことに嫌悪感が湧いているのか、顰め面だ。

 アーリヤは彼の手を取ってお礼を言った。

「ありがとう!」

 ジュリアメーンデは弾かれたように、アーリヤを真正面から見据えた。目がまんまるになっている。

 彼は動揺しているのか、忙しなく目を左右に動かした。

「……これに懲りたら、僕に関わるな」

 ジュリアメーンデはそう言って乱暴に制服を奪い取った。そして、こっそりとブレザーの内ポケットを探る。

 アーリヤは勝ち誇った表情で、手に持っていた黒いカードを彼にヒラヒラとちらつかせる。

「――――っ」

 ジュリアメーンデは、素早くそれを掴みとると、教室を出て行った。長い髪の間から覗く彼の耳は、真っ赤だった。



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