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1 乙女の回想

 ――聖プローシュ学校入学式……あの大雪の日にね、あたしは派手に転んだの。

 しかも運悪く、氷の張った水溜まりにしたたか膝小僧を打ち付けたのよ! そんな痛みに悶絶するあたしの前に、一人の男の子が通りかかったわけ。

 長く艶めいた黒髪をなびかせ、吊り上がった藍色の眼があたしを見た瞬間、見とれたわ。ホント、いるのね。あんな綺麗な男の子!


 ◆ ◆ ◆


 アーリヤは、つい一ヶ月前の出来事を回想し、夢心地で手を組んだ。目を瞑れば、その時の情景がありありと浮かんでくる。

 横に座っているルマンデは、呆れたように嘆息する。

「アーリ。何回目だよ、その話」

「だって! いまだ忘れられないのよ……あの美貌、洗練された物腰。十五年間生きてきて、あんな衝撃は初めてだったわ。ああ、ルーにも見せてやりたかったっ」

「オレは信じられないね。相手が相手だ。キミ、転んだ時に頭がブレたんじゃない?」

「失礼ね、んなわけないでしょ。いたって正常よ」

 喧嘩売ってるんだったら買うわよ、とアーリヤが腕まくりして見せれば、ルマンデは肩を竦めて前を向いた。

 ルマンデにつられて前方を見たアーリヤは、慌てて行儀よく膝小僧を前に向けた。いつの間にやら、教師が教壇に立っていたのだ。

(ああ、眠い講義の始まりだわ)

 アーリヤはカバンから分厚い教科書とペンケースを取り出した。

 アーリヤは、この板書しかない歴史の授業が大嫌いだった。いや、むしろ全ての講義が嫌いだ。

 教科書に書かれているミミズが這ったような細かい文字に、アーリヤは頭を抱える。教科書もノートも破り捨てたい衝動に駆られたが、すんでのところでウズウズしている右手を左手で押さえ込んだ。

 聖プローシュ学校はサンマウド王国の王都にある。十五歳以上で、ある程度の学力と魔力があれば誰でも入れる有名校だ。卒業生は何かしら良い職に就ける。一芸に秀でた者の育成を理念としている聖プローシュ学校は、地域の中でずば抜けて人気が高い。

 しかし一方で、入口は広く、出口は狭いことで有名でもある。毎年、半数の生徒が落第して留年するか転校していく。

 今年入学したばかりのアーリヤだが、早くも講義についていけなくなっていた。

 ちなみに、彼女の隣で板書をノートに書き写しているルマンデは、入学試験で首席だった。近所の人達は――アーリヤの家族でさえも――アーリヤそっちのけでルマンデのことを褒めた。

(幼なじみなのに、この違い。ああ、泣けてくるわ)

 アーリヤとルマンデは幼なじみだ。家が近く、同じ年のために自然と仲良くなった。

 少し離れた町にある学校に行くつもりにしていたアーリヤだったが、ルマンデが聖プローシュ学校へ行こうと誘ってきたため、聖プローシュ学校の入学試験を受けてみた。

 そうしたら、補欠入学出来たというわけだ。

 ……誰でも入れる学校に、補欠入学。

 アーリヤは、合格通知が着た時に父母が見せた、引き攣った表情を絶対に忘れないだろう。

 そして、あの大雪の日――入学式の日がやって来た。

 サンマウド王国北部に位置するこのパヒューイット地方では、真冬に入学式が行われる。何でも、新入生は芽吹く前の種みたいなものだから、らしい。

 アーリヤは大切な入学式の日に寝坊してしまった。父母は朝早くから近隣の町へ野菜を売りに行っているので、一人で起きることには慣れていたが、入学式という一大イベントに、自分でも気がつかないうちに緊張していたようだった。大慌てで弟妹を叩き起こし、朝食も摂らずに家を飛び出した。

 アーリヤは雪が降りしきる中、急ぎ過ぎて凍った地面に足をとられ、盛大に転んだ。自分のことながら今思い出しても恥ずかしい。何とも間抜けである。

 そんな踏んだり蹴ったりなアーリヤに手を差し伸べてくれたのが、違うクラスのジュリアメーンデだった。

『……大丈夫か?』

 そう言って手を差し伸べてくれたジュリアメーンデはアーリヤにとって、救世主さながらの品が良い少年だった。

 あの少年と同じクラスになれたらいいなとアーリヤは夢想していたが、やはりそう上手く世界は回っていない。ジュリアメーンデは別のクラスだった。

 何はともあれ、アーリヤにとってのジュリアメーンデは救世主さながらの品の良い少年である。

 しかし皆、彼を怖がって近寄ろうとしない。

 名前の持つ力は強い。

 アーリヤという名前は、世界を創生したと云われている天使の名だ。父が言うには、とても高貴な人が名付けてくれたらしい。名付け親は、素晴らしい名前と一緒に美しいロケットペンダントをくれた。アーリヤの大切な宝物である。アーリヤは、そのロケットペンダントを肌身離さずつけている。

 アーリヤという大層な名前、アーリヤ以外は持っていない。それが誇らしいと常々思っていた。

 幼い頃から、アーリヤという神聖な名前を持っているということでよく話しかけられるが、それは友好的なものが多かった。

 だが、ジュリアメーンデは――――……。

 終業のベルが鳴る。

 教師が板書を止め、「来週までに、ここまでのレポートを書いてきて下さい。極端に短いレポートには単位を与えません。それでは、以上」と息も吐かずに言い捨てた。

 ヒールの音を高らかに響かせて教師は教室を後にする。

 クラス中皆、嫌そうに顔をしかめている。

 ルマンデだけは、いつもと変わらない様子で机の上を手早く片付けていた。

 アーリヤは、ペラリと自分のノートをめくった。ものの見事に白紙である。見なかったことにして、アーリヤは席を立つついでにルマンデへ声をかけた。

「次の授業、何だっけ?」

「宝石学だな。さ、アーリ。さっさと行こう」

 早足で歩くルマンデの後ろに慌てて続く。

 教室の扉を引き、廊下へ出ようとすると、ルマンデの腕と誰かの肩がぶつかった。

 あっと、アーリヤは声を上げる。

 ジュリアメーンデだ。彼はぶつかったのがルマンデとわかるや否や、心底汚らわしいとでも言いたげな顔をして制服の肩部分を払った。

 ルマンデも同じようにジュリアメーンデとぶつかった腕の辺りを払ってみせる。

 二人は互いに腕を組んで睨み合った。

「ジュリアメーンデ、邪魔だ」

「……貴様こそ、どけ」

 両者一歩も引かない。

「オマエ昨日、オレの弁当を魔法で、石に変えたろう」

「……貴様が、僕の本を勝手に借りるからだ」

「あれは図書室のものだろ。何でオマエに断りを入れなきゃいけない」

「僕が途中まで読んでいた」

「何だとっ? そんなの言い掛かりだ!」

 ルマンデは、白金の短髪を逆立たせ、グレーの丸い目を好戦的に細める。

 対するジュリアメーンデは黒い長髪をなびかせ、つんとした顎を上向かせて藍の瞳に侮蔑の色合いを浮かべる。

 その場にいる者は事の成り行きを、固唾を呑んで見守っていた。

 彼らの仲の悪さは、入学した当初からだった。何もかも正反対な二人が合わないのは、当然かもしれない。

 ルマンデ――遥か昔、サンマウド王国を救った初代勇者の名前。ちなみにルマンデの父は勇者だったという。先の悪者との戦いにより命を落としたらしい。

 母親も早くに亡くしているルマンデは今、唯一の肉親である伯父と一緒に暮らしている。

 ルマンデとその伯父はアーリヤの家の近く……特別豪華でない郊外の家に住んでおり、そこからルマンデの伯父は王城へ奉公に行っている。彼の伯父は国王の身辺を守る騎士を務める非常に優秀な男だ。しかも、ルマンデには市井で平凡な暮らしを見せてやりたいと自ら豪奢な邸宅を売り払って、アーリヤ達一般人の住む郊外に家を借りた。そこから、王の住まう城へ奉公に行っている。

「なんか、たいそうな家柄ね」と云うのが、初めてその話をルマンデから聞いた時にアーリヤが発した感想だった。それしか思いつかなかった。

 そんな父と伯父を持つルマンデは、それはもう正義感溢れる少年に育った。自分の夢は父のような立派な勇者になることなのだ、とアーリヤの耳にタコが出来るくらい熱く語っていた。

 ジュリアメーンデ――ルマンデと反対に、サンマウド王国を滅亡の危機に至らしめた初代悪者の名前。入学と同時に彼の一家はこの町へ引っ越して来た。裕福な家庭らしく、彼の持ち物はいつも高価そうなものばかりだ。

 彼は入学当初に、

「僕は将来、悪者になるんだ。気安く近寄るな」

と発言したことで周囲をあっと驚かせた。彼が何故、悪者の意味を持つ名前をつけられたのかはわからないが、いかにも……な陰湿そのものの顔つきや尊大な態度から、ほとんどの生徒達から、一線引かれている。

 アーリヤは、ルマンデを押しやって、ジュリアメーンデの前に進み出た。へらりと笑ってみせる。

「ジュリア! 昨日ぶりっ」

「…………アーリヤ」

 ジュリアメーンデの眉が撥ねる。

「……ジュリア、と女みたいな名前に略すな、と何回言えばわかるんだ」

「ホント、奇遇。次はこの教室で授業なの? あたしも今までここで授業だったの。あ、ちなみに五列目一番左端の窓際の席に座ってたわ」

「あ、ああ……」

 ベラベラ喋るアーリヤに、ジュリアメーンデが怯んだのがわかった。

「じゃ、そういうことで!」

 アーリヤはジュリアメーンデに満面の笑みを向けながら、左腕で押さえ付けていたルマンデを引きずってその場を颯爽と立ち去った。


「ちょっ……アーリ、くるし……」

 ルマンデの声に、アーリヤはハッとして、掴んでいた彼のネクタイを放した。

 目の前にある教室の扉にかかっているプレートには、『宝石学』と書かれている。その文字は魔法がかけられており、キラキラと本物の宝石さながらの輝きを放っていた。

 がむしゃらに校内を歩いていたが、無事、宝石学の教室へたどり着くことが出来たようだ。

 チラッとルマンデを見ると、不機嫌そうな彼の目とかち合う。アーリヤは取り敢えず、笑ってみることにした。

「えへへ」

「えへへ、じゃない。殺されかけた」

 ルマンデは仏頂面で制服の乱れを整えた。そして、アーリヤに詰め寄って来た。

「アーリ、キミは本物の天使みたいな顔してるくせに、どうしてそんなに乱暴者なんだ」

「あー、はいはい。すみません」

 アーリヤは、耳に指栓してルマンデの説教をやり過ごす。

 ――本物の天使みたい。

 ――可愛らしい。

 アーリヤの外見を初めて見る人は、皆そう言う。それは、大きな勘違いだとも気付かずに。

 確かに、金褐色の髪とアーモンド型の茶色い目は、聖書や教会に描かれた天使に似ているかもしれない。けれど、アーリヤの中身は粗野である。

(何が、〝本物の天使〟みたいに……よ。あたしは偽物かっての)

 フンッと鼻を鳴らして、そっぽを向いた。

 ルマンデは、頭の後ろで手を組んだ。

「ったく。大体、ジュリアメーンデを助けるなんて、意味がわからない」

「助けたわけじゃないわ。あの場でガチンコ勝負しても、絶対ロクなことにならないから止めただけ!」

「……の、わりには顔がニヤけてるけど」

 アーリヤは緩む頬を張って鎮静化させる。そしてアーリヤは、腰に手を当てて開き直った。

「しょうがないじゃない。あんな綺麗な容貌してる、ジュリアが悪いのよ」

「あんな性格最悪な奴のどこを見て、助けたくなるんだ――――」

「顔」

「…………おい」

 即答したアーリヤに、ルマンデが若干引き気味になる。

 アーリヤは慌てて取り繕う。

「う、嘘よ。……ホントはジュリアって優しい人だと思うから、助けたくなっちゃうの」

「はあ? あんな陰険なヤツが、優しい? アーリ、入学式の時のことを言ってるんだったら、それはきっと夢だ。幻だ。きっと、『馬鹿な奴だ』と言われたのに、『大丈夫か』とアーリが勝手に脳内変換したに違いない」

 酷い言われようだ。

 ルマンデは一度こうと決めたら梃子てこでも動かない。

 これ以上、反論しても無駄だと判断したアーリヤは、鼻歌混じりに宝石学の教室へ入った。いつまでも廊下にいるわけにはいかない。

 始業五分前を告げるベルが鳴った。クラスメイト達が一気に教室へやって来る。

 アーリヤは、窓際の席を確保した。

 窓際の席から外を見ると、反対側の校舎にある歴史学の教室が見えた。

(あ、ジュリアだ)

 アーリヤが先程まで座っていた席にジュリアメーンデがいた。頬杖をつき、熱心に何か読んでいる。大方、教科書だろう。

 入学試験こそルマンデが首席、ジュリアメーンデが次席だったものの、入学してからの成績は僅差でジュリアメーンデの方が上である。ペーパーテストでは常に満点、レポートの評価も最高点をもらっているとの噂だ。

 右を見ると、ルマンデもジュリアメーンデと同じ体勢で教科書を眺めている。

「あんまり、ジュリアメーンデと仲良くするなよ」

 ボソリとルマンデが囁いた。

 アーリヤは、首を傾げる。

 幼い頃からルマンデと仲良くしているが、彼はどんな人にも優しかった。たとえ、嫌がらせをするいじめっ子にも優しかった。

 なのに、ジュリアメーンデとは、強烈に仲が悪い。

「なんで、そこまでジュリアを邪険にするの?」

 ルマンデは嘆息して教科書からアーリヤへと視線をスライドさせる。

「伯父さんに聞いたことがあるんだけど、悪者っていうのは、黒魔法を行使するらしい」

「……黒魔法を……?」

 黒魔法は、死を司る魔法だ。強い魔力を持つ者しか扱えない魔法である。詠唱呪文が難解なことでも知られている。

 生を司る白魔法とは反対の魔法。

 喉が、ゴクリと鳴った。

「もし、アイツが黒魔法を操れるなら、危険だ」

 言って、ルマンデは再び教科書へ視線を戻す。

 アーリヤは、窓越しにジュリアメーンデを見つめた。彼は、相変わらず本を読んでいる。









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