10 そして、自ら苦境に立つ
サンマウド王国の王都郊外で、国王お抱え騎士・コンタスの甥であるルマンデが起こした事件より十日後。
ルマンデの犠牲となった者達の葬式が執り行われた。
王城の近くに建っているルマンデ・ポウロ聖堂の裏手にある集団墓地に、彼らは埋葬されることとなった。
普通ならばその墓地は国の犠牲となった兵達や王族が埋葬されるのだが、今回のことは異例の出来事として大々的に国の中枢で話し合われ、最高の礼を以って手厚く葬るが最善と結論が出た。
二度とこのような悲劇が起きないように、と国王は国中にある黒魔法に関する本を一冊残らず焼き払えという命令を下した。
最も具合の悪いことは、騎士団が、アーリヤの予想通りルマンデを捕縛出来なかったことだろう。
街道途中で閃光が騎士団を襲ったらしい。悪魔の仕業だ、と人々は戦々恐々と噂した。
じりじりと首筋を焼く陽射しが降り注ぐ。アーリヤは黒いワンピースに身を包んで、墓石に刻まれた家族の名を一つ一つ丁寧になぞった。
「ごめんね……」
アーリヤの声が家族に届くことはない。冷たい墓石の下、騒がしかった家族達は静かに息を止めている。
アーリヤは、まだ家族の死を受け入れられないでいた。身よりのないアーリヤは、聖プローシュ学校にある寄宿舎に住むこととなったが、一人ベッドに横たわっていると、家族の笑い声が幻聴となってアーリヤを苛む。
夏休みは既に始まっているが、聖プローシュ学校の生徒と教師、事件に直接関わった者達はルマンデ・ポウロ聖堂に集まっていた。その中には国王や騎士団の姿もある。彼らは墓前に花束を手向け、死者が天国へ行けるよう祈りを捧げた。
ジュリアメーンデとアーリヤは、幾人かの騎士がルマンデを追いかけて行った後、必死で瓦礫をどかす作業を続けた。残った騎士達と協力して家族の生存を願いつつ救命活動をした。
しかし、瓦礫の下や家の裏側から見つかった家族達は死んでいた。
瞬きすることさえ許されなかった。
家族が遺した最期の表情は、記憶から絶対に消せないくらい、惨たらしい。騎士やジュリアメーンデが家族の開かれた目を閉ざす作業、心臓が動いているかの確認をしている間、アーリヤは棒立ちのまま涙を流していた。誰にもそれを止めることは出来ない。
アーリヤの家族の他にもルマンデによって殺された者達はたくさんおり、近所のおじさんやおばさん、幼い子供達の死体もあった。
辺りは虐殺があった痕跡を生々しく物語る、凄惨な状況だった。
さすがに戦慣れした騎士達の表情も曇っていた。
奇跡的にメグだけが昏睡状態で発見された。
騎士の一人がすぐに白魔法を使って容態を現状維持し、王城にいる高名な白魔術師達のもとへと運び込んだが、今もまだ彼女が目を覚ます気配はない。
アーリヤはメグの治療に当たった白魔術師から、彼女が目を覚ます可能性は非常に低いと言われた。肉体だけでなく、精神も激しく損傷しているのだという。
黒魔法が禁忌と言われているのには強力な魔法だからという以外にも、もう一つ理由があった。アーリヤはこのことを初めて知った。
死ぬ寸前まで、黒魔法を受けた者は苦しむのだ。精神が崩壊するものも少なくない。
だから、一発で死ねた方がまだ楽だった。一瞬の苦しみの後に死地へ旅立てるのだから。生き残った者は、悲惨な状態に追いやられる。ずっと悪夢を見て、奇声を上げる。アーリヤは白魔術師に案内されて病人達が収容された部屋へ入るなり、目に飛び込んできた妹の様子に、腰を抜かした。
メグはベッドに手足を縛りつけられ、口から渇いた呻き声を上げていた。その声は、自分を殺してくれとでもいいたげに歪んでおり、アーリヤは震えが止まらずに白魔術師から支えられて部屋を退出した。
手に黒魔法をくらったジュリアメーンデもまた、ひどい熱にうなされたらしい。事件から五日間ほど経過し、学校の寄宿舎で寝泊まりしていたアーリヤの耳にその情報が流れて来た時、すぐにジュリアメーンデの家へ向かった。
アーリヤが彼の家へ来た時には、既に彼の状態は安定したものだったが、酷くげっそりとしていた。気を使ったのか、ジュリアメーンデはどのような状態になったのか頑なに教えてくれなかったが、アーリヤはコンに詰め寄って内容を聴き出した。
黒魔法は人の一番弱い部分をつく。
ジュリアメーンデは実父や家族をルマンデに殺される幻覚を見ていたという。
コンやパンナ、魔術師達が入れ替わり立ち替わり看病をしていると、ジュリアメーンデは胸を掻き毟りながら、
「父さん! 母さん! ローテス! やめろ、ルマンデ……殺すな!」
と、取り乱していたらしい。
アーリヤはそれを聞いて、下唇を強く強く噛みしめた。手加減なく噛んだ唇からは鮮血が滴ったけれど、あまり痛みは感じなかった。身体的な痛みより、心の痛みの方がアーリヤの身の内を侵蝕していたのだ。
ルマンデは、黒魔法の効力を知った上で力をふるったのだろう。
真相は深い闇に閉ざされているが、ほぼ間違いない。
あんなにも黒魔法の勉強をしていたのだ。知らないわけがない。
ルマンデと行動をよく共にしていた目つきの悪い少年達は、全くとぼけた顔をして自分達の無実を訴えていたが、いつの間にか姿を消した。ルマンデのところへ向かったのだとアーリヤにはすぐわかった。
少年達の行方も含めて、騎士達は血眼になってルマンデを探し回っている。これだけ探していないのだったら、もう既に国境を越えているかもしれない。
墓石の前から動こうとしないアーリヤの後ろで、小声で囁き合う声があった。
「アーリ……かわいそう。一人残されて」
「悪者の奴、本気でアーリヤを浚いに来る気かな。まあ、またジュリアが追っ払ってくれるだろうけど」
「ああ、もう。あんな奴を勇者だと思って仲良くしてた俺って馬鹿だ」
あの事件以降、ルマンデを知る者は彼のことを悪者と呼ぶようになった。
ジュリアメーンデのことは、アーリヤや皆を救おうとした勇気ある少年……しかも、天使の微笑をもらった少年と噂が立ち、蔑称とも取れる『ジュリアメーンデ』ではなく、ジュリアと略して呼ぶようになったらしかった。
人の噂とは肥大するものだ。ジュリアメーンデがルマンデに深手を負わせて追い払ったという尾ひれまでついて、話は広がる始末だ。
真相を知るアーリヤやジュリアメーンデ、近所の人々と騎士団達は一様に口をつぐんでいた。
サンマウド国の人々には、緘口令が布かれた。
もしも、国王お抱えの騎士だったコンタスの甥――しかも、勇者を父親に持つルマンデが黒魔法を使って人々を殺して逃げおおせたのだと人の口に上れば、隣国はサンマウド王国を侮る。
隣国の中でも一際仲が悪いプラウディア連邦国に知られれば、国内の混乱に乗じ、ここぞとばかりに攻撃を仕掛けてくる可能性が高い。
一番国王やその臣下が恐れていることは、悪者となる資格を持つ者が現れたという情報を連邦国が手に入れることだった。
それがわかれば、プラウディア連邦国はきっと彼を擁護する。
伝説に残る戦いが再現されるかもしれない。
亜種族達は悪者を筆頭に、大軍を形成して王国へ押し寄せてくるかもしれない。
もし、もし、もし――。
起こり得る事象全てに国王達は対策を練っていた。
祈りを捧げる遺族や学校の教師、生徒達に交じった騎士団がいっせいに兜を取って敬礼する中、悔し涙を流す一人の騎士を見た。
金髪の彼は、アーリヤとジュリアメーンデを国王のもとへ連れて行った青年だ。彼は葬式が始まる直前にアーリヤのもとへやって来て、ルマンデの行方が依然掴めないことへの不手際を陳謝し、必ず捕らえてみせると決意を述べてくれた。どうやら、彼はコンタス亡き後、騎士団の中で最高責任者となったらしかった。
(でも……ルーを捕まえたところで、あたしの家族は戻ってこない)
心が捻じれる。
もういっそ、感情など消えてほしいとさえアーリヤは思った。
苦しかった。
ルマンデを怨む気持ちと彼を信じたいという気持ちがアーリヤの胸を二分にし、波立たせ続ける。
雫が手の甲に零れ落ちる。アーリヤは声を上げて泣き崩れた。墓石に縋りついて、泣いた。
気丈なアーリヤの涙に皆は沈黙する。
一人の少年がアーリヤの横に進み出た。
少年は自らの胸元に光るロケットペンダントを握りしめると、アーリヤの隣に腰を落とした。
彼はアーリヤの肩を抱き寄せ、涙をぬぐう。
思いもよらぬ優しげな態度にアーリヤは驚いて少年の顔を見上げた。ジュリアメーンデの表情は、霧が立ち込める湖畔に似た静かなものだった。
「アーリヤ、地図を」
アーリヤはジュリアメーンデの突然の申し出に戸惑いながらも、懐から黄ばんだ地図を取り出した。 コンタスより受け取ったそれをアーリヤは、なんとなく肌身離さず持ち歩いていた。
お守り代わりとでも云おうか。懐に入れておくと、ホッとしたのだ。また、いつでもジュリアメーンデに押し付けられるように忍ばせていたとも云える。しかしまさか、当の本人から進んで申し出があるとは思っていなかった。
地図がアーリヤの手からジュリアメーンデの手に渡る。
ジュリアメーンデはバツ印のついた場所を指差す。そこはサンマウド王国がある大陸から見て北西にある、未開の大陸だった。
「……ここに、行ってくる」
ジュリアメーンデは小声で呟いた。艶めく黒髪の合間より、彼の整った横顔が見え隠れする。
強い光を帯びた双眸は、ひたと地図に注がれている。
「……ジュリア?」
ジュリアメーンデはアーリヤの方を向き、そして後ろに佇む自分の両親へ首を回した。
彼の両親は周囲に亜種族だと蔑まれることがわかっていながら、葬儀に出席してくれていた。彼らは泣き濡れた目でジュリアメーンデを見つめている。
ジュリアメーンデは意を決した様子で顎を引き、口を開く。
「アーリヤ、お前が前に言ったように、亜種族を受け入れて幸せにするのは、『ジュリアメーンデ』でなくとも出来る。けれど――……」
ジュリアメーンデはアーリヤの顔を凝視した。
藍色の目が真正面からアーリヤをとらえる。
「あいつからお前を守ることが出来るのは、僕しかいない」
ジュリアメーンデは拳に力を込めた。
「……僕が、勇者になってやる」
ざわりと周囲が沸き立った。
国王や騎士団が驚愕の表情でジュリアメーンデを見る。
あれ程、頑なに勇者にはならないと言い張った少年と目の前にいる少年が同一人物だとは到底思えないのだろう。
アーリヤは口許を押さえ、信じられない気持ちでジュリアメーンデを見つめ返した。
ジュリアメーンデはアーリヤの手を握りしめ、なおも言い募った。
「――――あいつが、ジュリアメーンデになるというのなら、僕がルマンデになってやる。絶対にお前を……この国を守ってやる」
この日から、ジュリアメーンデは、『ルマンデ』となった。