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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

李寧国記

【李寧国記 番外編】光の子

作者: 冬生 恵
掲載日:2026/05/15

※文中の一部に残虐な表現がございます。苦手な方はお戻りください。

「神は、このように仰っています──」


 信徒たちの崇拝の眼差しを受け、可憐な少女は慈愛に満ちた笑みを浮かべる。まだ幼い彼女の発する言葉に、人々は涙を浮かべて歓喜し、あるいは(すが)るような眼差しを向けている。

 私はその異様な光景を、ただ黙って見つめることしかできなかった。







 李寧国(りねいこく)南西部、(よう)州。


 そこに、我々寿天(じゅてん)教徒の本拠地はあった。


 四十年ほど前、時の皇帝に迫害を受けた当時の教祖は、教団の規模を縮小し、皇都(こうと)を離れざるを得なかった。密かに彼らを支援していた貴族たちの縁を辿(たど)り、今はこの静かな地域で細々とその教えを()いている。

 現在の教祖・()氏は、その迫害を生き抜いた筋金入りの信徒だった。彼は復権を誓い、綱紀(こうき)の緩んだ教団の建て直しを図っている。

 寿天教はもともと、かの女神をこの地に招いた高僧が立ち上げた宗教団体の流れを()む集団の一つだった。何度か形を変え、拠点を変え、李寧国の歴史とともに、少しずつ現在の教えを信奉する組織となっていった。


 とはいえ、時代の影響を受けて爆発的に民衆に受け入れられるまでは、(さび)れた民間宗教に過ぎなかった。その勢いを失った今、終焉(しゅうえん)は近いのではと悲観する者も決して少なくなかった。


姫巫女(ひめみこ)様を、見付けるまでは)


 その少女の噂を聞き付けたのは、本当に偶然だったそうだ。布教のため、李寧の方々を回っていた信徒たちが、現地で「神をその身に降ろす少女がいる」との話を聞き、慌てて李教祖に報告をした。


 李教祖は信徒を連れ、その地に──李寧国西部・(れき)州へ飛んで行った。そして、少女の身体に残る神の気配に、彼は驚愕(きょうがく)したという。


 それは紛れもなく、彼らが崇拝する女神・寿天の残滓(ざんし)だった。


 たまたま信徒たちが立ち寄った地で、敬愛する女神の気配を(まと)う少女を見付けたのは天命だと、彼らは色めき立った。そして、親の目を盗んでその少女に接触し、無断で彼女を連れ出し、榕州に戻ってきた。


 たった六歳だという少女は、親から引き離され、見知らぬ土地に連れて来られたにも関わらず、平然としている。物珍しげに周囲に目をやり、寿天様を祀った祭壇を不思議そうに見上げていた。

 幼い少女はふと私の方を振り返り、首を(かし)げる。大きな瞳に滑らかな肌、ふっくらとした唇の、とても愛らしい面差しだった。

 彼女は鈴を鳴らすような可憐な声で尋ねてきた。


「……あの、これは何ですか?」


 私は(かす)かな動揺を覚えながら、たどたどしく教団や祭壇の由来について説明した。彼女は大きな瞳を瞬かせ、興味深そうに話を聞いている。

 しばらくそうして話し込んでいると、不意に遠くから複数の足音が響き、私はギクリとして息を呑んだ。眼前の少女がパッと顔を輝かせ、顔を上げる。


「……おや、香蕾(こうらい)様。何の話をなさっていたのですかな?」

「おじいさま!」


 (よう)州までの道中で、すっかり懐いたのだろう。少女は側近を引き連れて近付いてきた李教祖を「おじいさま」と呼び、元気よく駆け寄っていった。私はその様を、複雑な気持ちで見つめている。


 私は、この老人が苦手だった。


 いつも穏やかに微笑み、信徒たちの苦境を訴える声にも真摯(しんし)に耳を傾ける。四十年前の糾弾(きゅうだん)で多くの信徒を失い、風前(ふうぜん)灯火(ともしび)となっていた組織を建て直した英雄。誰もが李氏を、そのように称賛(しょうさん)する。


 けれど、私は気付いてしまったのだ。老人の濁りかけた瞳はいつも冷たく光り、誰のことも見ていないことを。


 今もそう。小さな顔を赤らめて一生懸命話し掛ける少女を、老人は値踏みするような目で見下ろしている。


「──お気に召したのなら、お傍にはこの春砡(しゅんぎょく)を置きましょう。春砡、姫巫女様を頼むぞ」


 唐突に名を呼ばれ硬直する私に、少女は朗らかに笑って言った。


「よろしくお願いいたします。ええと、しゅんぎょく」


 幼くても貴族の令嬢。少女は優雅に微笑み、鷹揚(おうよう)に頷いてみせた。








 神をその身に降ろすという少女には、優れた道士でもある教団幹部たちによって厳しい修行が課された。

 彼らが彼女に望むのは、女神・寿天(じゅてん)との一体化だ。(けが)れを好む強大な女神を宿すには、自身も穢れを溜め込む必要がある。幹部たちは幼気(いたいけ)な少女の一挙手一投足を厳しく見張り、彼らが与えた「姫巫女(ひめみこ)」という役割に相応しくないと判断した時には、容赦なく罵倒(ばとう)した。


「こんなことも出来ないのか!」

「まったく……。こんなにも力のない神を降ろしたところで、何の役にも立たんわ!」

「……ご、ごめんなさ、」


 小さな声が(つむ)ぐ謝罪は、幹部の一人が卓を殴り付ける音にかき消される。少女は目尻に涙を浮かべながら、それを(こぼ)さないよう必死で耐えていた。

 剣呑(けんのん)な雰囲気の修行場に、好々爺(こうこうや)然とした()教祖が入ってくる。彼は幹部たちを一瞥(いちべつ)し、真っ直ぐに少女の元へ歩み寄った。老人は彼女の耳元で何かを(ささや)き、涙目の彼女は(すが)るように老人を見上げて(うなず)く。

 すぐに老人は部屋を出て行き、少女の修行は再開された。


 この四ヶ月あまり、繰り返されてきた光景だ。


 ただし、幹部たちの罵詈雑言(ばりぞうごん)は、李教祖の命令で行われていることだと、私は知っている。周囲を憎ませ孤立させ、暗い感情を育て、唯一彼女に優しく接する教祖に精神的に依存させる。それが、彼らのやり口だった。

 本来であれば、親元で何一つ不自由のない生活を送り、家族の愛情に包まれて生きているはずの少女。彼女はいつかの夜、寝台の中で、離れ離れになった双子の姉について、嬉しそうに語ってくれたものだ。


「双子でいらっしゃるのなら、姫巫女様に良く似て、さぞ可愛らしいお姉君なのでしょうね」

「うーん、あんまり似ていないの。私はお母似で、お姉様はお父様似。でも、とてもおきれいなのよ」


 目を輝かせ、鼻息も荒く語る少女は年相応に愛らしい。私は思い切って彼女に問い掛けた。


「姫巫女様。──お家に、帰りたくはないですか? 修行はお辛くありませんか……?」


 だが、姫巫女と呼ばれる少女は朗らかに笑い、首を振る。


「平気よ。おじいさまがいらっしゃるもの。──はやく女神さまをこの身におろせるようになって、おじいさまの手助けをしたい」

「姫巫女様……」


 月の輝く漆黒の空を見上げる少女の瞳は、どこか狂信的な光を帯びている。私はその光に(ひる)み、何も言えなかった。


(……やっぱり、こんなの間違っている)


 少女は歯を食いしばり、壮年(そうねん)の男たちの罵声(ばせい)に必死に耐えている。私は修行場の隅で拳を握り締めつつ、その様子をじっと見つめていた。


 ただ一方で、違和感を抱いてもいたのだ。


 私は気付いていた。少女はその日以降、毎晩のように自らの姉について語ってくれる。けれど決して、両親やその他の家族については話そうとしないことを。








 少女に「家に帰りたくないか」と尋ねたあの日以来、幹部たちの私を見る目は険しくなった。


「……春砡(しゅんぎょく)()教祖が隣町での説法役をお前に命じられた。名誉だと思え」

「ですが、私は姫巫女(ひめみこ)様のお傍に……」

「春砡」


 有無を言わせぬその口調は、(むち)打つようだった。──いや、「よう」ではない。彼らに不穏分子だと判断されれば、実際に鞭で「教育」される。執拗(しつよう)なその折檻(せっかん)で、生命を落とした仲間も多い。


 姫巫女様はお可愛らしい。気の毒だとも思う。


 けれど、自分の生命と引き換えにしてまで守れるかと言われれば、私にそこまでの覚悟はない。私はすごすごと引き下がり、大人しく信徒の群れの末尾についた。

 ちらりと背後を振り返れば、李老人が(うやうや)しい手つきで少女の髪を()でている。その光景に、私は言葉に出来ない嫌悪感を覚えていた。








 年が明け、少女は七歳になった。そしてその頃には、より神格の高い神を、ある程度自在に呼ぶことが出来るようになっていった。

 ある日ついに、束の間ではあったものの、李老人が(れき)州で感じたという古の女神の気配が、少女の小さな身体に宿ったという。幹部たちは狂喜乱舞し、噂を聞き付けた信徒たちも涙を流して祭壇を拝んだ。


 大騒ぎする人々を、私は複雑な目で眺めていた。その頃には姫巫女様の傍付きを外され、元通りの末端信徒の身に戻っていた。


 女神をその身に宿してからは、一転して、全ての幹部たちが少女にひれ伏した。皇族もかくやというような扱いで、箸より重いものには一切触れさせない。彼女の言動一つ一つに大袈裟に感嘆し、彼女が眉を(ひそ)めればこの世の終わりのように騒いだ。

 少女は持って生まれた気質によるものか、そうした扱いにも増長することなどなく、ただ愛らしく微笑んでいる。その姿がかえって不気味で、私は視線を背けてしまった。


 私たちの信奉する邪の女神は、絶世の美女でもある。その神を身に宿したせいか、少女の面差しは長じるにつれて、日に日に輝きを増していった。






 気がつけば時間は流れて、彼女は十四歳となった。






 (ひな)には(まれ)な少女の美貌を見つめる男たちの瞳の色に、私は吐き気を覚えた。

 それはひとえに、姫巫女(ひめみこ)(あが)められる少女に、黒い感情を抱いてしまったためでもあった。その頃、私と恋仲になっていた信徒の男が、デレデレと(しま)りのない顔で彼女の美貌を褒めたたえた時。私は確かに、十も年下の少女に嫉妬をしていた。


(馬鹿げている。相手はたった十四歳の少女なのに……)


 自分自身にも周囲にも向けたその言葉を、私は呪言(じゅごん)のように繰り返し唱えた。







 ある日、私は片付けた洗濯物を手に、寮内を歩き回っていた。熱心な寿天(じゅてん)教徒は教団の施設である寮に移り住み、集団生活を送っている。私はそこまで熱心な信徒であるとは言えなかったが、飢饉(ききん)で家族を亡くしており、その施設に身を寄せていたのだ。

 その施設の一際贅沢(ぜいたく)な母屋には、姫巫女様や教祖、幹部たちの居所もある。施設全体の炊事洗濯などの雑用は、末端信徒の仕事だった。

 私は敷布を抱えながら、廊下を右に左に進んでいく。そのうち、珍しく客間の扉が小さく開いているのを見つけ、何の気なしに近寄った。


 扉の隙間から中を(のぞ)き見て──私は戦慄(せんりつ)した。




「なんて美しいんだ……、僕の女神……!」




 恍惚(こうこつ)とした声を漏らす男が、一心不乱に絵筆を動かしている。その視線の先にあるのは、しどけなく襟元を緩め、何かの血に全身を黒く染め(なま)かしい表情を浮かべる、十四歳の少女の姿だった。



(なんてこと……!)



 私は悲鳴を上げそうになるのを、懸命に(こら)えた。


 そうして思い出す。今日は、長年寿天教徒を密やかに支援する地方貴族、(そん)家の次男が訪れていたことを。

 十代も終わりの彼は定職にも就かず、愚にもつかない絵を描き続けている。当主である父は彼の行状(ぎょうじょう)に眉を(ひそ)めつつ、跡継ぎでもないため好き放題させているようだ。

 近頃、その父親と息子は度々教団施設を訪れている。当主は教祖をはじめとした幹部たちと密談しているようだが、その息子がまさか、こんなにも不届きな絵を描いていたとは。


(ああ、寿天様……!)


 思わず内心で神の名を叫び、私が後ずさった、その時だった。









「……何をしている?」









 ねっとりと湿った(しわが)れ声が、私の耳元で(ささや)く。


 その場で固まった私に、老人──教祖である李氏は、うっそりと笑った。


「何を見たというのだ? 春砡(しゅんぎょく)。まるで、地獄の獄卒にでも会ったような顔だな」

「あ……あぁ……」


 全身を戦慄(わなな)かせ、私はゆっくりと背後を振り返る。両唇の端を柔和に釣り上げ、そのくせ全く笑っていない凍った目で、()教祖が私を見ている。

 私は声を震わせながら、老人に訴えた。


「教祖……様! 孫氏の息子が、ひ、姫巫女様に、とんでもないことを……!」


 その言葉に血相を変えると思ったが、老人は私の予測に反して、ただ穏やかに口元だけを笑ませている。

 彼は私の身体を扉から引き離し、(しわ)の目立つようになった指を一本、自分の唇に添えた。


「静かにせんか。中の袁基(えんき)様が驚かれるであろう」


 袁基──孫 袁基。出来損ないと揶揄(やゆ)される貴族の次男の名を、私はようやく思い出す。

 否、他に思考を()らせるしか、正気を保つ術がなかったのだ。老人の言い分はまるで、たった十四歳の少女にあのような苦痛を味合わせることを、公認しているように聞こえたから。

 壊れたように震える私に、老人はさぞ可笑(おか)しそうに喉を鳴らした。


「……心配せずとも、香蕾(こうらい)は孫家の娘と戸籍を偽り、後宮に送り込むつもりだ。万が一にも貞操を汚すような真似はさせないと、孫氏とも誓約(せいやく)を交わしている」



 あまりに(むご)いその言葉に、私は愕然(がくぜん)と目を見開いた。



 幹部たちは、李老人は、少女を徹底的に利用するつもりだ。女神を降ろす憑代(よりしろ)というだけではなく、貴族との取引材料として。

 そして、彼らが目論む寿天教徒の復権と、彼らを糾弾(きゅうだん)した皇族の子孫への復讐の、道具として。


 私は血相を変えて身を(ひるがえ)した。


 七年前、たった数ヶ月世話係を務めただけの少女のために、生命は捨てられないと思った。でも、一人の人間として、世間知らずの少女がこんな風に扱われるのを、見過ごすことは出来なかった。


 老人の腕を()(くぐ)り、私は必死の形相で扉に取り付く。

 そして、大声を張り上げようと息を吸った。




「ひめ……」




 発しようとした言葉はしかし、音にはならなかった。




 灼熱(しゃくねつ)の衝撃と共に腹から生えた汚れた切っ先を、私は呆然と見下ろす。







「……ぁ……」







 (かす)れた声で(うめ)き、私は自分の腹部を見下ろす。

 膝が崩れかけたところで刃が引き抜かれ、私はそのまま地面に横様に倒れ込んだ。


 ひゅうひゅうと喉が鳴る。視界が真っ赤に染まり、呼吸が出来ない。

 血に倒れたまま全身を震わせる私に、その時、鈴の音のような愛らしい声が呼び掛けた。



「──春砡(しゅんぎょく)?」


(ひめみこ、さま……)


 逃げてと、声の限りに叫んだと思った。現実には(かす)かに唇が動いた程度で、脳天を貫く痛みに、ただ身体を震わせることしか出来ない。


 彼女に刃を突き立てた老人は、朗らかに笑っている。


「香蕾。袁基様の絵は完成したのかい?」

「ええ。ひと段落したから、もう良いって」



(なんということ……)



 その少女のあっけらかんとした物言いに、私の失われつつある理性は激しい嫌悪に襲われる。けれど、もはや指先一つ動かせず、私の身体は微かな痙攣(けいれん)を繰り返す。


 薄れ行く意識の中、可憐な声が笑って言った。



寿天(じゅてん)様のために、……私は、どんな(けが)れも受け入れてみせます」

「それでこそ我らが姫巫女。──私の可愛い、孫娘」





(狂っている……。こんな……こんな……)





 今から約五十年前。邪教と判断された寿天教は、時の皇帝により有無を言わせず解体された。心の支えを失った人々は、身を寄せ合い、それでも信仰を捨てず、今日まで生きてきた。


 その希望となったのは、教団の腐敗から救ったと尊崇(すうはい)される一人の老人と、彼が見出した光の御子だった。









 私たちは、狂信の果てに、途方(とほう)もない化け物をこの世に解き放ってしまったのだ。


投稿しても良いものか……、と迷った作品でもありました。

香蕾は邪教徒に連れ去られたからおかしくなった、というより、もともと持っていた残虐性や歪んだ優越感が、寿天教徒という集団との親和性を生んだのかなと思います。

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