聖女物語の悪役令嬢~婚約破棄も楽じゃない改訂版~
よし。タイトルが決まった!
『とある悪役令嬢の筆跡・誰かを愛するという想い』
完璧♪
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──全ては、とある魔族の国で起こった。そう睨んでいる。過去の一切を捨てて未来を掴み取るためにも、根本的な原因を知るためにも、私は、彼の大陸にお邪魔させて貰う腹積もりでいる。チキンの焼ける香ばしい匂いと、とても清々しい気持ちと、あと少々のお酒、静かな夜という時間の中で、これを書いている。とりあえず後悔だけは絶対にしない……。
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※麗しの落書き猫→_仝/;;ФωФ^<この物語はフィクションですのニャン。実在するものとはあんまり関係ないのですのニャー!
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王都カマンベール学園、多目的ホール。
学園を卒業する生徒達をお祝いする為の催しが行われていた。
無数に点在する魔法照明。細やかな彫刻が施された純白の壁。磨き上げられた床。円柱の柱。テーブル、椅子、調度品、ここにある物の全部に、特殊な素材が用いられている。関係者のみに知らされる公然の秘密である。
天井画には、この国の歴史が物語形式で描かれている。ぼんやりとした表現で描かれている所は、その時代に、何か誤魔化したいような事があったのだとか。まことしやかに囁かれている。真相は関係者のみが知る秘密である。
異様な輝きを湛える学園内の美しいホールで、卒業パーティーが執り行われていた。
晴れの舞台ということで、会場には卒業生ばかりではなく、国王陛下、並びに王妃殿下を始めとする来賓の方々が、観覧席に行儀良く着席して参加していらっしゃった。
貴きお歴々は、ほのぼのとした談笑を交えたりしながら、けっこう気さくにこの機会を楽しんでいた。まことにおめでたい雰囲気に包まれていて、気持ちが穏やかになる光景だった。
そういえば、貴きの読み方は確か『たっとき』や『とうとき』 で──。
「……申し開きはあるか、エリス・マーガリン」
現実逃避をしていた私の思考を遮って、一方的に言葉を投げ掛けられた。それが頭にキーンと響いた。よく知る男性のお声。
畏れ多くも我がコースト王国の王太子殿下様。何を隠そう私の婚約者様の呼び掛け。この時どこからか、回っている歯車の音が聞こえてきたような気がした……。
目を合わせると、魔法照明に照らされた金色の髪が、実になまめかしくて、この時、非現実的なものを覚えてしまっていた。圧倒されてしまっていた。私は酷く混乱していた。
殿下の意志の強い碧眼の瞳は、“このような場で事を起こした”という興奮でもはや、私を睨み付けている状態となっていた。
特徴的な鷲鼻から少し荒い息が漏れる。
小さめの口が不遜な形に歪む。
体つきの良い体格が、見下ろされているような圧迫感を私に覚えさせる。
次代の王。貴き御方。
「答えよ。この私が聞いているのだぞ」
承知しているにも関わらず、それでも大層なご身分を感じてしまって、私は大変恐縮していた。
殿下の傍らには、悲しげな顔をした少女がいる。名前はエミリー。
小柄で華奢な印象。絹のようにさらさらな銀髪。心配そうに下がった眉。不安に潤む瞳。ふっくらとしたほっぺ。少し肉厚の唇。どうしようもなく庇護欲を誘う、可愛らしい少女。
「このエミリーへの当て付け。口にするのもおぞましい暴挙の数々。身に覚えがあるな」
断定する口調の疑問系。言葉を増やす度に、殿下の青い目に力が加わる。そんな風に見えた。ある種の既視感を覚えつつ、「やはりこうなってしまったのか……」と、私は心の中で呟いた。この話の流れを、何故かとてもよく知っていたからだ。
私の知る限りではこの世界は、平民のエミリーちゃんが聖女に選ばれて、紆余曲折があった末、王太子であらせられるライス・ナパリ・コースト殿下と結ばれる物語。
その敵役として登場するのが、エリス・マーガリン・サーズデイ公爵令嬢。
悪役令嬢の私である。
私はもともと物語の本を読むのが好きな方だったが、嫌いになった。もっとも、私の中でおぼろ気に甦った“記憶”なので、信憑性は証明できない。
しかし少なくとも、私の知るその物語のストーリーでは、悪役令嬢のエリス・マーガリンがエミリーちゃんに対して意地悪な態度をとって、身分に構わず勝手な振舞いを繰り返す彼女を日常的に叱責して、「同じような振る舞いをしないでちょうだいね」と文句を言う。そういう流れで話が進んでいた。
絵本のような形で展開されている、この世界とは違う所で、人々の心を癒すために創作された賑やかな作品だった。
いい加減につけたような悪役令嬢のフルネームの感じからいって、いい加減な作品だったのだと思う。物語嫌いが私の中で飛躍的に加速するくらいには。
この世界に生まれて、物心がつく頃には自覚していたそれは、いわゆる“前世の記憶”というものなのだろう。
なので、成長した自分が学園に通う頃にはもうしっかりと、腹を括っていた。卒業パーティーで──みんなの見ている前で──殿下から吊し上げにされるという覚悟を。生まれて始めて学園の存在を知った時はさすがに、現実を突き付けられて唖然としたものだが。
実は、全て妄想で、“前世の記憶”通りにはいかず外れるかも知れない。内心そう期待していた。実際に学園の建物を見た時の記憶は覚えていない。
私の中ではかなりの割合で、“前世の記憶”という風に受け止めているその、分かりきっている認識に対して、心の中でうじうじと抵抗を繰り返しながらこれまでやって来た。
しかし今、はっきりとしたイベントを見せ付けられて、流石に確信として受け止めた。
でも、誓ってこれだけは言いたい。エミリーちゃんをイジメるなんてやってない。“原作”は今の私には関係ない。少なくとも私はイジメてない。そういうのは嫌だからだ。
そして、今のこの私のパーソナリティーは、私だけのものだ。
そもそも。イジメをしていたのは、私の名前を上手に利用していた幾人かの生徒達。動機はちゃんと分からないけど、とにかくエミリーちゃんを困らせたい者達。ある種の欲求を上手く操作しきれないでいる、困った者達。上手くできないとなると無理矢理に、思い通りにしたくなる、そんなヒステリーにとらわれて狂わされていた、今現在は群衆に紛れている卑怯な道化の集まり。
その突き動かされる気持ちは、ほんの少しだけだけれど共感を覚える。でも、それをやられるのは誰だって嫌なんだ。今もこの場で、この出来事を眺めている傍観者の幾人かを、殿下が言った告発というのも含めて、この先あいつらを許すことはないだろう。
報復をするという意味ではない。
けれども、これからも私の中で無価値な存在のままでいて欲しい。
「私の話を聞いているのか。そなたは。ゆくゆくは、この国の王妃になるという立場のそなたは、蔑み、貶めた、この国の聖女であるエミリーを。これがどういう意味か分かるな」
ライス殿下が話を続けていた。
見れば、真面目な表情を作って喋っていた。その奥底に喜びが見え隠れしていた。油断したら思わずにやけてしまいそう、そういう喜びを秘めたお顔。愛は怖い。私を睨み付ける殿下のまなじりの強さは増して、未知の感情に当てられて私は思わずゾッとした……。
聖女を蔑み、貶めた、私の事がよっぽど憎いのだろう。それでなくとも結婚したくないのだろう。自分が否定されるのは、理由はともあれ、やはり悲しい。
「貴様に婚約者である資格はない」
言い終えると殿下は、辺りをぐるりと見回した。それで観衆の興味を見定めているようだった。まるで舞台の上の役者のようだと、私は思った。たっぷりと息を吸ってから、お口を開いた。
「このライス・ナパリは、エリス・マーガリンとの婚約を破棄する。それをここに宣言する」
宣言した。学園ホールにとても良く響いた。
エミリーちゃんが「よくぞ言ってくれた!」という感じで、殿下の胸に飛び込んだ。
場内がざわついた。これはもう止まらないな。いや、昔からずっと、物語は動き続けていたんだ。けっきょくはそれを止められなかっただけなんだ。
「エミリーを変な目で見るな」
無力な自分に苦笑いを浮かべていたら、なぜか殿下に怒られた。もやもやした。人の見てる前でやってるのが悪いんじゃないか。
今のは絶対に私、悪くない。
みんなが悪い。
何やってんの。
この時、タガが外れた私は少し幼児退行していた。混乱とストレスと、後なんだっけ。“前世”という前情報は確かにあった。それでも、“体験”はしていない。そうだ。それに、身構えていたのに覚悟が足りなかったのもある。あまりにも衝撃が強過ぎた。
二人が私を見ている。
私は一人ぼっちだ。
なぜこういう事をするのだろう。
この世界のみんなは、これ以上、私から何を取り上げるというのだろう。
義務感で擦りきれてしまって、私はもうほとんど、大したものを持っていません。
もう──。だんだん泣きたくなってきた。
「目障りだ。いっそのことこの場から立ち去れ」
嫌悪感を隠そうともしないご様子でとうとう、退場まで要求してきた。
こうなるっていうのは分かっていた。でもそれに、思った以上に傷付いていた。
サーズデイ公爵家の娘として生まれて、殿下の婚約者に選ばれて、未来の王妃を望まれて、色々な事を頑張ってきた。
やりたくない勉強。マナーのレッスン。歴史や家柄、他の国の事まで、覚える事は山積みだった。終わりが見えないくらいに。謎の予備知識があるとはいえ、正直、辛かった。でもしょうがないかって頑張ってきた。でもそれも全部、無駄になった。
もう十分だ。
御祓を終えたつもりで、人里離れた場所で引きこもりでもして、これからはずっと趣味に生きよう。こんな婚約破棄された女なんぞに、良い出会いもあるはずもない。我が家に帰ったらお父様に色々とおねだりしよう。とりあえずは、あからさまに悲しげな顔で出ていってやろうじゃないか。
そう思っていた。
「お待ち下さい」
その声が私を引き止めた。
振り返ってみて驚いた。
ルミナ・バーレーン・トリアー様。
トリアー家のご令嬢である。そして、卒業生の一人である。
夜のような長い黒髪。白い肌に描かれた細い眉。凪いだ海のような青い瞳。すっと鼻筋の通った小さめの鼻。ちょこんとした口。小柄な顔立ち。落ち着きのある佇まい。何を隠そう、私が一番親しくお付き合いさせて貰っているご令嬢。私が心の中で、本当に大好きだなって思っている友達……。
「あちらをご覧下さい」
ルミナちゃんはライス殿下に、観覧席の方を見るように促した。
殿下はわりと素直にあちらを見た。
私もあちらを見た。
マーニャ・バーレーン・トリアー様。
ルミナちゃんのお母様だった。見たこともないようなお顔で怒っていらっしゃるご様子が受け取れた。
それが伝わる。ライス殿下をまるで、呪い殺すような眼差しでいるのだから当然だ。
怒っている。何に?
「お分かりのように、母がお怒りです」
ルミナちゃんが怖いくらい冷静に、ライス殿下に言った。
言われた殿下は「それがどうした」という顔でルミナちゃんを見た。
「お分かりになりませんか」
「何がだ」
「母がお怒りです」
「見たら分かる。それがなんだと聞いている」
「この国の危機です」
「この国の……。お前は。何を言っている」
落ち着いているルミナちゃん。
不快を表すライス殿下。
この国に危機が訪れたらしい。
「私の母は以前、エリス様に命を救われてます」
「命を」
そういえばあったなと私は思い出した。
マーニャ様──。ルミナちゃんのお母様は、魔力の肥大する謎の病でかつて、瀕死の状態にあったのだ……。
~◎
それを聞き付けた私は、トリアー家にお見舞いに行った。
そして、けっこう強い感じで頼み込んで、マーニャ様の寝室に入れさせて貰った。
そこで容態を確認した私は、間違いなく、魔力肥大症だと確認した。治癒する方法がないとされている不治の病であると。
マーニャ様は、膨大な魔力を身に宿してお生まれになった。それは成長と共に増え続けていた。どうやら彼女の肉体は、負荷に耐えられなくなったようだった。悲鳴を上げ続け、いよいよ限界を迎えようとしていた。そこまで観て、直す術がない事を私は、側にいたルミナちゃんに伝えようとした。
だが、彼女は悲しい顔をして、私を見つめていた。初めて見る顔だった。──この世に生まれた私は、王妃教育という雑事を別にすれば、ほとんどの時間を魔法と錬金術の研究に注ぎ込んできた。それが唯一、物語の世界を生きる、“エリス”に罪悪感を覚えないで済む、遣り甲斐の一時だったからだ。
「絶対に治してみせる。だから安心しなさい」
気付いたら私はルミナちゃんにそう言っていた。今でも思いきった事をしたと思う。ルミナちゃんは私にすがり付いて泣いた。
「どうかお願い致します」
小さな声で言った。静かに泣き続けた。
それからすぐに我が家に戻った私は、子供の頃、お父様におねだりして屋敷に作って貰った研究所に籠った。魔力肥大症の特効薬を作らないといけない。残された時間を、頭で計算しながら。日を跨いでもお構いなしに。
睡眠を削っているうちに時折、朦朧としてくると、ぼんやりした頭に前世の自分が“ブラック企業”という所で働いている記憶が浮かんで見えた。
それは地獄のような体験だった。
休む暇もなく仕事に追われているその生活は、今世が子供だましに思えるくらい、壮絶な日々だった。
何よりも辛いのは、要求が化物のような見えない存在として、それでもどうしても実感してしまっていて、まとわりついて離れない生活。社会貢献というアイデンティティーに狂わされるのだった。
意識すればする程ブレイクスルーが難しくなる。それでも、この時の私には、何が起きても頑張れるという励みになった。
薬は完成した。壮絶な体験をしていた私には、そんなものの一つや二つ、楽勝だった。前世の体験だと分かっているのに迫り来る、“ノルマ”の方が辛かったのだから。それに比べたらたぶんあと百は作れると粋がれる。
治験をするまでもない。そうやって絶対の自信を覚える。我ながら渾身の出来栄えだった。でも嘘だ、でもそもそも時間がない。やり直しは出来ない。やっぱり私は何も出来ない。でも私がやらないとルミナちゃんが……。
──“ノルマ”しんどい。マジもう本当にできないんだよぉ……。
前触れもなく沸いてきた“記憶”に咄嗟に蓋をした。危なく持っていかれるところだった。油断しているとたまにこうなる、私の記憶力はいったんどうなっているのだろう……。
いや、今はそんな事より差し迫った大切な事がある。ぼんやりしている暇はない、ルミナちゃんの日常を守るんだ。
家の者に馬車を用意させてから、訪問する旨を伝えて貰うように手配した。朦朧とする頭とふらつく体を叱り付けるようにして、無理やり動かしながら、私はそのままトリアー家へと向かった。
到着すると、待っていた使用人が出迎えてくれた。
基本的に腰の低い私は、疲れもあって「大勢のお出迎え感謝致します」と思った事をそのまま言った。
疲れた頭に、トリアー家の使用人が三百から四百人くらいの数に見えたのもあって怖かった。人の多さに酔うというのが微妙な症状で表れていた。ゆったりと揺れ惑うから尚更に。再び“前世の記憶”が甦った。
──“エナジードリンク”さえあれば。
使用人の案内で屋敷に入るとルミナちゃんが出迎えてくれた。双子の姉か妹はいるのか。あるいは前世は信じるか。思い付くまま考えないで喋っていた。ルミナちゃんは五人以上いた。
妄想を呟きながら弱々しく歩く私の手を引いて、ルミナちゃんが屋敷の中を案内してくれた。ほとんど介護のような状態も、何度か経験しているので、お互いに慣れたものだった。あらためて思い返すと私、本当にろくなことしてないのな。
マーニャ様の寝室についた。横になって寝ている彼女は、ご健康なお姿と比べようもないほど、ますます痩せ衰えていた。正直この時、「……駄目かも知れないな」と思っていた。
それでも心配そうにしているルミナちゃんの前で、おかしな態度を見せる訳にはいかない。
気持ちを切り替えて私はすぐに、薬を飲ませる手筈を整えた。身体強化の応用となる魔法を、マーニャ様のお身体に満遍なく付与していく。その魔法で身体操作をして尚且つ維持しながら、無理をお掛けしないようにゆっくりと、時間を掛けて、薬を少しずつ飲ませていく。そういう流れで。
薬を作る傍ら、弱った患者にそれを飲ませる技術も習得していた。責任を取りたくないあまりに、こういう事ばかり得意になっていく。基本的に小心者だから、「何かあったら」を自分の気が済むまで、考えていられる性格なのだ私は。
根気のいる作業は得意だった。それでも、相手の命が懸かっているという出来事の中にいて、張り詰める緊張と、それを軋ませる不安が、心を襲っていた。
魔法には、照明の器具に利用した魔法だったり、大きな火を打ち出す魔法だったり、体を強化したり生活に役立てるものだったり、この世界の魔法には色々な種類があった。
それでも、原理はいまいち良く分からなかった。どうやら物語そのものが、絵本のような形で伝えられているもののようなので、色々な解説が曖昧だった。
その事実を知った時、私は半分笑った。残りの半分は忘れた。
──分からないのなら、仕様そのものを作り上げてゆけば良いのだろう。そうなのだろう。どうだ参ったか?
私は絶対に、お前への抵抗を止めないからな。マーニャ様への処置を続ける間に、気が遠くなると八つ当たりで、この世界の神的な存在に心の牙を剥いた。
「これで助かるかどうかは分からない。けど、やれるだけの事はやった」
思っていたより長い時間を掛けて終わらせた。最後の気力を振り絞って、マーニャ様をゆっくり元の寝ていた姿勢に戻しながら、確認を込めてルミナちゃんに伝えた。
「ありがとうございました」
部屋の壁際で静かに、ずっと様子を見守っていたルミナちゃんは、泣きながらお礼を言ってくれた。途中から自覚していた頭痛で限界を迎えた私はそこで意識を失った。
「その程度で情けない」
おぼろげに、前世の自分が廃人のような顔で、嘲笑っているのを見た気がした──。
次に目を覚ますと、トリアー家の来客用の部屋だった。ベッドに寝かされているのに気付いた。ああ、そういえば、という感じで体を起こした。体を見下ろすとちゃんと、寝間着に着替えさせてくれているのが分かった。しょうがなかったとはいえ、お世話になってしまった。そこでドアが開いた。
見るとルミナちゃんが、この部屋に入ってくるところだった。私を見た彼女が驚いた顔をした。それを呑気に眺めながら、こんな可愛い子と友達になれるなんて、異世界転生冥利に尽きると考えていた。
手に持っていた物を机に置いて、ルミナちゃんが私の側に来た。
「ありがとうございました。トリアー家は、このご恩を絶対に忘れません」
私の両手を握ってそう言った。
ルミナちゃんの手配で何人かの侍女が呼ばれて、私の着替えをしてくれた。大層なドレスが出てきた辺りで、腰の低い私は恐縮して、黙ってされるままに徹した。一言でも喋ったら絶対にボロを出していた事だろう。私は最後まで公爵家の誇りを守り抜いた。
着替えを終えるとルミナちゃんが、「どうかお越し下さい」というから、私は促されるまま後を着いていった。
到着したのはマーニャ様の寝室だった。ルミナちゃんがドアをノックすると、マーニャ様の声がした。私はこの時、本気で驚いた。昨日まで本当に危険な状態だったのだ。そんな人の声が何で聞こえるのかと、まだ夢の続きなんじゃないかという気持ちで聞いていた。
私に振り返ったルミナちゃんが一つ頷いて、おもむろに寝室のドアを開けた。そして、彼女が中へ入っていった。訳の分からないままちょっと怖かったから、帰りたいなあって思った。私は臆病者なのだ。
でも公爵家の娘がそんな真似をする訳にはいかない。なので半分泣きそうな気持ちで中に入った。
そうしたら、なぜか元気そうなマーニャ様がベッドの上で、お身体を起こしているところだった。
「エリス様。この度のご配慮、ありがとうございます」
私を見るなりマーニャ様は、そう言った。色々と勉強している割に、油断したら抜けたところのある私は、「あっはい……」という、返事しか出来なかった。そもそも、何で起きてるのかという所で、理解が追い付かなかった。
「我がトリアー家は、エリス様への感謝を忘れる事はありません」
マーニャ様は、けっこう恐ろしい事を言った。別に良いから忘れて欲しかった。
「別にお構いなく」
そういう返事をするのが精一杯だった。
それから問題なく元気に回復したマーニャ様。後日お会いした際に、なぜか知らないけど以前の三倍くらい、魔力量が増えたと言っていた。
三日三晩、魔法の連続使用をして、トリアー家の周辺の森を探索し続けたけど、ぜんぜん平気だったと言っていた。
モンスターをたくさん討伐したらしい。良い運動になったとも言っていた。それから魔法攻撃の威力も、三倍くらい増えたと言っていた。
病み上がりなんだから、無茶な事はしないで欲しかったけど、当たり障りのない返事しか出来なかった。マーニャ様のオーラに威圧されていた。
それからしばらくして、この国の魔法使いの軍隊である魔法師団に、マーニャ様が復帰されたと、ルミナちゃんから聞いた。
ちなみに、マーニャ様は師団長様であらせられる。
トリアー家は実は、体育会系なのかも知れない。
~◎
思えばそんな事もあったなと思った。
「殿下。どうかエリス様に謝って下さい」
「何を言っている。この私に謝れと言うのか」
「国が滅びるのですよ」
「だから、何の話をしているのだ」
「私の母が本気を出したらそうなります」
「貴様の母親が。まさか……」
訴えるルミナちゃん。
困惑するライス殿下。
あっ。そういえば魔法師団の団長様であらせられるマーニャ様は、我が国の最終兵器の一翼とか呼ばれているんだった。
「ムニエール山脈の赤龍の群れの撲滅。あれは本当の事だったのか」
「ちょっと遊びに行ってくる。私の母がそう言って、数日後、トリアー家に報告が届きました。表向き、原因は調査中となっておりますが、実は母です」
「は!」
落ち着いて答えるルミナちゃんに、殿下はたじたじだった。
「殿下、宜しいでしょうか?」
そこへ新たな声が掛かった。今度は男性の声。
「今それどころではない」
「そうはまいりません。この大陸の危機なんですから」
「何だと」
ライス殿下が、「今度は何だ」という顔をして振り向いた。ご苦労が耐えない。
聖女であるエミリーちゃんは、「よく分かんないしまあ良いやー」と言わんばかりの、神々しいほど迷いのないお顔をされている。ほっぺたに油性マジックで猫のおヒゲを引いてあげたくなった。彼女の自由なライフスタイルが羨ましかった。
空気を読んで、私も振り向いた。
ヤード・パダレッキ・ダカール様。
真夜中の深い森の奥で見る不安の闇のような黒髪。それと対照的に映る薄い眉。無機質な灰色の目。お可愛らしい、ぽちゃっとした鼻。分厚くて大きめの唇。頬の痩けた顔立ち。ダカール侯爵家令息。
彼も卒業生の一人だった。
「あちらをご覧下さい」
ヤード様は観覧席の方に手を向けた。
殿下は「またか」とぼやきながら、それでも素直にあちらを見た。
私もあちらを見た。
我が国の英雄と讃えられる人物。
バルザック・パダレッキ・ダカール様。
ヤード様のお父君だった。
しかしなぜか凶悪なご様子をお顔に浮かべていらっしゃる。確実に、ライス殿下を睨み付けている。黒い瞳に飲み込まれてしまいそうになる。何もしてなくても賞金首に掛けられてしまいそうなほどに陰影が深く、物々しい。
「父が怒っています」
「たしかにそうだな」
「エリス様に謝って下さい」
「やはりそれか」
「殿下がエリス様に謝ってくれないと、この大陸が滅ぶのです」
「それは分からん。お前の話は飛躍しすぎてさっぱり分からない」
「父がそれを成すのです」
「とりあえず落ち着け。一回深呼吸をしてから話せ」
「もはやこの世界の危機なのです」
ヤード様とライス殿下が不穏な会話を始めた。
今度は世界の危機が訪れたらしい。
大変だ。
パーティーの最中、鬼のようなコルセットが原因であまり食事が取れなかったからちょっと力が出ないけど、あくびを噛み殺しながらそういえばと、過去に自らがおかした失態を思い返した。
~◎
多大なる戦果を上げたものの、不慮の事故で利き腕を失い、騎士としての勤めを果たせないと悟られたバルザック様は、騎士団をお辞めになられたそう。
それからというもの、溺れるようにお酒を飲んで過ごす日々が続いたという。
ちなみに、その頃の私はといえば、取り憑かれたように死者蘇生薬の開発に取り組んでいた。例の王妃教育のおかけで。王妃改造計画と言い換えても言い。あれは本当にそ──
思い出そうとしたら、頭痛と、腹痛と、全身の痒みと、マインドをシェイクするようなフラッシュバックで、記憶がアップロードされるのを拒否した。違う話をする。
今、何もなかったよね?
使う当てもない薬品開発の研究に没頭していたその頃の私は、不老不死の薬を作ろうという夢に一直線だった。自分にも何かが出来るという、達成感を味わいたくて。
あとそれで誰かに嫌がらせをして、悪役令嬢になってやろうという、黒い腹積もりを企てていた。今思うと、当時あまりにも真面目だった私の精一杯の不良ぶった反抗である。あとそれとストレス解消のために。
ちょうどその頃に聞き知ったのが、我が国の英雄が悩ましい状況にあるというニュースだった。その時、睡眠の取れない日が続いてイライラしていた私は思った。
「腕の一本ぐらいでどうした。こっちは毎日、死ぬ思いで生きてるんだぞ。なんなら王妃改造計画を受けてみろ!」
マナーもへったくれもない憤りでどうしようもない事になっていた。
寝不足の時の特有の興奮状態で、恐いもののなくなっていた私は、三日目の徹夜明けというタイミングで、目についた試験薬を乱暴に掴んで、お相手に知らせもせずに、英雄の元へと向かった。
恐らく、この時が私の人生で一番キラキラしていた。とにかく弾けていたから凄かった。
ダカール家で私を出迎えた者達は狼狽えた。当たり前だ。いきなり不審者が来たのだから。ちなみにこの時は数が多すぎて分からなかった。
ハイになっていた私は、気が大きくなっていたので、細かい事はぜんぜん気にしなかった。「英雄に会わせろ」とにかくその一点張りで、押し問答をした。
乱れた髪、派手に皺を作っているよれよれのドレス、若い女、英雄に会わせろ、常軌を逸した様子。
そんな私の顔を見事に判別できたダカール家の(後に家令であるというのを知った。確かに統括されている方に特有の、身に染み込まれている技巧が、とても柔らかく感じ取れた)方が、お屋敷の応接室に案内してくれた。鼻息の荒い私は意気揚々とそれに従った。
部屋について間もなく出されたお茶と何故か提供された軽食を口にしながら、しばらく待った。
胃に食べ物が入ってから、少しだけ冷静になった頭で、「確かに何をしでかすか分からない狂暴な獣に餌付けをするのは妙案だ……」と、ダカール侯爵家の心配りに感心した。
久しぶりの食事で空腹が和らいだ私は、「何でここにいるんだっけ」と幼い精神状態で困惑しながら、それでもきちんと待っていた。
しばらくすると応接室の扉が開いて、二日酔いで青い顔をしたバルザック様が現れた。
「どのようなご用件ですかな」
彼は単刀直入に言った。
たくましい体を引きずるようにして歩いて、贅沢に設えた椅子に面倒臭そうに腰を落としてから、あからさまに不機嫌な顔をしたバルザック様が、私にそう訪ねたのだった。
お腹が軽く満たされて、今度は眠気に襲われていた私は「どんな要件て何だっけ?」と思っていた。そもそも言葉の意味を理解出来ていなかった。
面倒だから、あと色々と便利だからと、ドレスに縫い付けたポケットから薬品の入った小瓶を取り出して、無言で目の前の机にそれを置いた。
頭が回ってないのはバルザック様もご一緒だったようで、部屋の隅に控えている従者が驚いている様子にも気付かず、目の前に置かれた小瓶のコルク詮を左手だけで器用に抜いて、一気に飲み干した。
不思議と「帰って眠れる」という、安堵と達成感を覚えた私は、案の定そこで意識を手放した。晴々とした気持ちだったという事だけ覚えている。
前世の自分はその時は出てこなかった。
次に目を覚ました時、知らないお屋敷のベッドで寝ている事を自覚して、「前にも似たような事があったな」と思った。
見下ろせばやはり、寝間着に着替えさせてくれている。
そこでようやく、自分が何を仕出かしたかを、寝ぼけた頭がだんだんと思い出していった。
自分の顔がだんだんと青ざめていくのを感じていた。
──この事がもし、私の王妃教育を嬉々として遂行する婦人の耳に入ったら、エリス・マーガリン・サーズデイ王妃教育は次の段階に突入するのではないか。
魂にまで恐怖が刻み込まれていた私は、ただひたすら自身の保身を案じた。早急に対策を練らねばならない。生き地獄が待っている。寝惚けて回らない頭をフル回転した。
ここに至るまでの日々の思い出を振り返りながら、真剣に策を巡らせていると、しばらくして部屋の扉が軽く叩かれた。返事をするとすぐに「失礼致します」と知らせる声が返ってきた。
「お支度をお手伝いさせて頂きます」
部屋に入るなり一礼した侍女達の中で、落ち着きのある者がそう言った。それに頷いてベッドから起き上がった。
可愛らしい侍女の手を借りながら、随分と目減りした度胸で覚悟を決めた。
やはり用意されていた大層なドレスに、着替えさせて貰った。三人の侍女からそうして貰った。
気配りや心配りというのはこうした時に、分かりやすく現れるのだと、王妃教育の中で私は学んでいた。
生物の肉体を持つ以上は、心肺の働きや、身動きをする為の身体の働きが必要として求められる。そうあるからには、状況によってそこに、統一性が求められる。
呼吸が乱れていたり、振る舞いに出たり、つい悪い癖で誤魔化してしまって、それで落ち着きが失われてしまったら、どうしても目立つ。ますます、現実をちゃんと理解出来なくなる。
自分の身体の特徴をよく知って、それを立ち振舞いの中で活かす事が、気配りや心配りの基本だと、私は思っている。状況にしっとりと浸っている、それくらいの気持ちでいると何時も丁度良く馴染む。
子供の無垢な心と、大人の礼節のバランス。
私は何時も、自分の足音に集中して、調子を整えている。ちなみに、立ち居振舞いという表現には抵抗を覚える。間に居が付いているからだ。どうしてもそこでいったん、居ついてしまう。咄嗟に動けない。居を抜いたら居つかないで歩き出せる。スムーズに。そういう感覚が私の中にはある。
余談だった、こういう事にこだわる質なのだろう。
私の支度を整えてくれている彼女達のあり方は、見事なものだった。ダカール侯爵家の教育の姿勢が伺えた。昨晩の私の醜態とは──。そもそも比較するのもおこがましい。折を見て今度、謝りに行こう。礼儀作法の方もあらためて……。
いやほどほどにやろう。講師のご婦人が完璧主義の方なので、張り切るとこちらの身が持たない。
落ち着いた雰囲気の侍女から「お茶のご用意がございます」と勧めて貰った。ものの、集中を切らしたくなかったので私は丁重にお断りした。
用事を済ませると、来た時と同じように礼をとって、彼女達は静かに退室した。
室内に用意されている椅子に腰掛けて、私が今後の対策を真剣に考えていると、しばらくしてまた部屋の扉が小刻みに軽く鳴らされた。間を置いて声が掛けられた。男性の声だった。
思ったより声音が優しかったので、私は安心して、扉の向こうにいる者に入るようにと返した。
「失礼致します。旦那様がお呼びでございます。ご案内を致しますのでこちらへ」
初老の従者が一礼をした後、穏やかな声で言った。案内に従って、他所様のお屋敷の廊下を気まずい気持ちで歩いた。
自分が慣れている歩調で、王妃教育の集大成ともいえる颯爽とした足運びを繰り返した。成長を実感すると気持ちがほぐれる事を、様々な体験の中で私は学んでいた。
英雄様の待つ部屋に到着した。取り澄まして落ち着きのある従者が扉をノックして知らせると、室内から入るようにという答えが返ってきた。
ドアを開けた従者から、さあどうぞ、中へとお入り下さいませという身振りで意思を示された。複雑な気持ちで頷いて、背中に気持ちの悪い冷や汗をかきながら入ると、昨晩の、押し入った際に案内された部屋とは違う応接室だった。心なしかグレードと待遇が上がったように思えた。気のせいかも知れない。
内装を見ずに、なるべく自分の内面に集中して、部屋の中央にある机と、黒皮を張り付けたソファーが向い合わせで置かれている様子だけを確認した。片方のソファーにバルザック様の姿があった。
両腕がある。世間の噂なんて当てにならないと思った。私を見たバルザック様は、妙に畏まった会釈した。
「お掛け下さいませ」
反対にあるソファーを手で示しながら言った。思慮深いと思える程、真面目な顔付きだった。怒り方というものには人それぞれの個性がある。私はそう思っている。果たして英雄バルザック様の場合、どの様なご判断をされるのか。私が腰掛けるとさっそく、バルザック様は話を始めた。
「私の腕も、無事に生えました」
そう言うとバルザック様は、上着の右の袖をたくし上げて、血色の良い右腕を私の前でかざして見せた。
正直なところいまいち話の意図が分からなかったので、失礼にならない程度に、無言で見詰める事にした。
内心では、腕は生えないだろうと思っていた。きっと噂話に便乗しているのだろう、それでも年長者が子供を分かりやすい嘘でからかう、私はその手の冗談があまり得意ではなかった。
「この度の御慈悲、誠にありがとうございます」
英雄のよく分からない一面に困惑していると、私を見詰めて、バルザック様は少ししゃがれた声でそう言った。
私はそれをぽかーんと眺めていた。分からない展開が続いて、完全に頭が追い付かなかった。無言でいる私にご気分を害されたご様子もなく、バルザック様は言葉を続けた。
「エリス・マーガリン様への御恩。ダカール家は絶対に忘れません」
バルザック様は力強くそう言った。確か前にも似たような事があったようなと考えながら、これは遠回しの意味なのではないかとも考えていた。無理矢理押し掛けて、タダ飯食らいやがって、この怨みはらさずにおくものか……。という風な。
「……はっ。はい」
めちゃめちゃ怖いから絶対に蒸し返さないで、無難な返事をした。
失礼極まりない私の反応を見たバルザック様は、この時になぜか、微笑みを浮かべられた。
それから私のお迎えとして、サーズデイ公爵家の馬車が到着するまでの間、戦争中の体験や、騎士を辞めて酒浸りの生活を送っていた後悔など、無口な私を気にした様子もなく、バルザック様は様々なお話をされた。
間もなく、サーズデイ家からのお迎えが来たというのを告げられた。それを知らされた時の私は、めちゃめちゃ安心した。帰ったら何を食べよう、とにかくお腹いっぱいご飯を食べよう。空腹は最高のスパイス。さぞ美味しい食事になるだろう。
最後に、バルザック様は私の両手を握って言った。
「エリス様のお背中はこのバルザックに、お任せ下さいませ」
お顔が恐かった。
「……へい」
半分泣きそうになりながらどうにか出た答えがそれだった。精一杯だった。
どうにか丸く収まったので、馬車に揺られながら、私は安心して帰路に着く事が出来た。
ちなみに、王妃教育は第二フェーズへ移行した。マナー講師のご婦人は、とても良い顔をしていた。
この女性は芸術肌の気質をもっていらっしゃるので、求められる完成度が常に高い。それがもう本当にしんどい。
しかしどうやって把握したのだろう。不思議に思う私を、婦人はニコリと、嬉しそうなお顔で眺めていらっしゃった。
~◎
脳裏に浮かんだ灰塗れの青春から、目を背けようと、とりあえず目の前の現実に集中する事にした。そうしないとうっかり奇声を発しそうだった。
「我が父上は先の対戦において、あまり本気ではありませんでした」
「そうなのか」
「持てる力を全て振るえば、この国もろとも、グレース大陸に風穴を開けてしまった事でしょう」
「ちょっと待て。お前の父親は魔王か何かか」
「違います」
「流石にそうだよな」
「それ以上の何かです」
「は!」
目の前で繰り広げられるライス殿下とヤード様の掛け合いに、まだ続いていたのだと安堵した。下手に話でも振られたりしていたら、ボロが出る所だった。
私はとにかく目立ちたくなかった。みんなと同じという、保護色のような社会迷彩機能を切実に欲した。目立つ存在に祭り上げられたというプレッシャー、その反動で、空気に成りきりたいという想いが強まる。
ヤード様が咳払いを一つ交えてから、あらためて会話を続けた。とりあえず無心を心掛けて眺めた。
──あれ。無心を心掛けるって……?
「あの方は素晴らしい。私の父はそう言いました。自身の身を省みず。身を粉にするようにして救って下さった。口数の少ないそのあり方は、誠実さの現れ。全てを見通されているかのように思えた……」
「いったい誰のことを言っているのだ」
「父がこうまで他人を褒め称える。父にも人の心があったのかと、私は驚愕を覚えました」
「おい。話を聞け」
「ダカール家に生まれてこの歳に成長するまで、私はひたすら、父の重圧に怯えていました。いっそ魔王と暮らした方がどれだけ安らげるかと。特に何をする訳でもないのに、同じ屋根の下で暮らしているだけで、気が狂いそうになるのです」
「とんでもない話だな」
「そして、いざやるとなった時には、とことんやります。試しにあの男に三年の猶予をお与え下さい。この世界を征服してみせます」
「おい。ちょっと待て」
「先の大戦において、父が右腕を切り落としたのは、うっかり手が滑ったからだそうです」
「だから待て」
「その際に発生した謎の衝撃波で、敵の軍勢は壊滅したそうです」
「そんなので壊滅したのか」
「右腕を切り落としたショックで父上は、今まで以上の重圧で、酒浸りの生活をしておりました。我が家はまさに地獄でした」
「ああ」
「そこをお救い下さったのがエリス・マーガリン様です。ぱんぱかぱーん」
「ぱんぱ──。いきなりどうした」
「エリス・マーガリン様が我が家に訪れて、何故だか分かりませんが、父上の右腕が生えました」
「えっ。あっ。すまん。よく分からなかったからもう一度言ってくれ」
「それを救って下さったのがエリス・マーガリン様です。ぱんぱかぱーん」
「それはもう良い。そこじゃない、次を言ってくれ」
「エリス・マーガリン様が我が家に訪れて、何故だか分かりませんが、父上の右腕が生えました」
「何でそうなる」
「分かりませーん。父上はそれ以上の事を話してくれませんでした。ですが、エリス・マーガリン様との婚約を破棄されて、エリス様を深く傷付けたライス殿下は、きっと父上に八つ裂きにされます。大変だーっ!」
「だから。いや何でそうなる」
「容易く予想できる事です。付け加えるならば、気持ちの収まらない父上の八つ当たりは、天地を翻す程の狂騒と化して、この世を地獄へと変えます。あの男はやると決めたらとことんやります。狂乱の魔神の誕生でーす」
「貴様と話していると。いやそれで私にどうしろというのだ」
「エリス様に謝って下さい!」
「お前もか」
「……私はまだ死にたくありましぇん」
「ええい」
熱い議論を交わされていたはずのライス殿下とヤード様が、いつの間にか、私を見ていた。無心を心掛ける、というナッシングとインプットの相反する表現に注意がとらわれていた私は、突然迫ってきた目の前の現実の圧に戸惑った。
腹に気合いを入れて捩じ伏せなければ、思わず吹き出すところだった。油断していた。
“この国の上から順に偉い方々と、この国の未来を背負って立つ若者達の前で、ライス殿下とヤード様に見詰められながら思わず吹き出す女”、面白ぇ女どころの話ではない。最悪だ。私の印象がますますとんでもない事になるところだった。
殿下が「……よりによってあの女に」と呟いている。
本人は、小声のつもりなのだろうけれど、私の耳にはしっかりと聞こえた。
堪えたつもりだったのに、気配を読まれたのだろうか。無我の境地を目指すと、それを心掛けている自分が現れる、という。そういう教えがあるのだと。精進しなければ。日進月歩……。
「ライス殿下ぁー。少々よろしいでしょうか」
「ヤードと大事な話をしている。手短に言え」
「畏まりましたぁー。エリス様に謝って下さい」
「お前もか」
今度は何だろうと思って見てみると、また違う男性が、殿下に話し掛けていた。そう思ったらミード君。
ふわふわな癖毛で、とろけるハチミツのような甘いイメージの金色の髪。少したれ気味な緑色の眼。綺麗な鼻筋。いつも微笑みを表している愛嬌のある口。血色の良い健康優良児という男の子。
ミード・オルステリアス・バルフォート。
彼もまた卒業生として参加している一人だった。
彼のお父様は男爵家の三男という立場にお生まれ、家督を継げず、そもそも本人にその気がなかったので、騎士団に入団された。そして、先の戦争で見事に武功を挙げ、男爵家でありながら名が知られ、その武功によって第三騎士団の団長様に任じられた。そこで今もなお務められている方だった。
騎士団長様のご子息であるミード君は、私に色々と教えてくれるので、本当にありがたい存在だった。
~◎
我が家の侍女が「料理で使う鉄鍋が錆び付いて困っている」と言っていたので、私はさっそく錆び落としクリーナーを錬金術で作った。
それを使ってみたら、鉄の鍋は何故か違う金属になった。軽くて丈夫で錆びに強い。その鍋でスープを作ったら、食べた事のない美味しいスープが出来た。少し怖くなった。
評判を聞き付けたお父様によって、たちまち、屋敷にある金属類は錆び落としクリーナーが施された。次々と謎の金属に変えられていった。お父様は、家族が関わる事となると少々張り切りすぎるところがある。
お母様はそれで「あらあら」と笑っていた。お母様が一番怒っている時は朗らかに笑われている時なので、軽率なお父様の身を案じた。
訳の分からない物を生み出した私は、不安を覚えた。お母様のお説教によって、ぎこちなく歩くようになったお父様におねだりして、魔法研究所と、錬金術師の研究機関に、謎の解明を依頼した。それが巡りめぐって。
──試しに一つ、騎士団の装備に活用してみよう。
という事になったらしい。軽率な方はどこにでも居るのかも知れない。ただその結果、軽くて、丈夫で、錆びに強い、手入れも要らない快適仕様、という、まるで目玉商品のような武具が誕生したらしい。
それで私に対しての騎士様達の好感度が、めちゃくちゃ上がったらしい。
それを聞いた私は思わず、“豆腐の角に頭をぶつけた”ような思いにとらわれた。
それを教えてくれたのがミード君だった。色々な情報を教えてくれるので、大変ありがたい存在だ。
騎士団の装備品に関してはミード君が、彼のお父様から聞いた話なのだとか。
そして、ミード君に話によると、それだけでは終わらないのだそう。魔法師団でも試しに、金属製の短い杖を製作して、錆び落としクリーナーを使ってみたのだと。
軽率な方はどこにでも居るのかも知れない。魔法の威力や精度が、格段に良くなったのだそうな。魔力の消費も抑えられるという優れものが出来上がったのだそうな。魔法師団での評判はとても好意的なものとなったそうな。
あらためて、“豆腐の角に頭をぶつけた”ような衝撃を覚えた。
魔法研究所からも錬金術師の研究機関からも、金属の正体が解明されたという知らせは届いていない。
私は何を生み出してしまったのだろう……。
自分で調べてもぜんぜん分からない。恐いから視界にいれないようにして、それで綺麗さっぱり忘れる事にした。
~◎
「安価で高品質、エリス様の生み出された錆落としクリーナーは最強です!」
「それ本当に錆落としクリーナーなのか」
「塗っただけなのに、謎の金属が出来上がる。錆び付いたという報告はどこからもされていません!」
「それ本当に錆び落としクリーナーなのか」
「商品の保証は全て、我がミード商会が受け持っております」
「それ本当に錆び落としクリーナーなのか」
「だからエリス様に謝って下さい!」
「それ──。なぜそうなる!」
「もう産業として確立されているのですよ! 彼女の生み出すものは我が国の誇る目玉商品なんです。お金が唸るほど儲かるんです。エリス様の発明は、もはや国家事業といっても過言ではない! エリス様をイジメたら誰に何を言われるか分かりませんよ! 周辺の国の商業に関係する者達を敵にすると覚悟して下さい」
「は!」
興奮して喋るミード君を初めて見た。何時も朗らかに笑って「今度は何を作るんですか?」って、私のやる事を全肯定してくれているミード君が。そして、ライス殿下も青ざめたお顔をされていて、やはり少し引いていらっしゃる。
「錆落としクリーナーだけではありません。エリス様の発明された様々な薬は、とんでもない価値を生みます」
「そんな事をしていたのか」
「それが一体どれ程の価値になるか。どれだけ儲かるか。正直、震えが止まらないのです!」
「なるほど。分からん」
「まだ儲かる。まだ儲かる。ミード商会の野望はこれからなんです」
「貴様は欲望に正直だな」
「家柄もあってないようなものだし、騎士になれる才能もありません。なので私はお金儲けで生きていきます」
「知らん。それどころではない」
楽天的なミード君の明るい性格には、何度も助けられた。とにかく私を持ち上げてくれるから、彼と話していると自尊心がぐんぐん回復して、生きる希望が沸いてくる。貴重な存在だ。
私は良い友達を持ったと、心からそう思える。思えばあの無責任な話っぷりは、商売に向いていたのかもしれない。上目遣いでおねだりされると、お望みの物を頼まれるままにほいほい生み出していた。
「という訳でエリス様。ライス殿下との婚約破棄が無事に執り行われた暁には、私と結婚を前提にお付き合いをして下さい。あっ。殿下はエリス様に謝って下さい」
「貴様は何を言っている」
「エリス様のお噂は、すでに、国内外に知れ渡っております。伝説の錬金術師エリス・マーガリンという風に。そんな方との婚約破棄。このままだと我が国は、世界中の商人から嫌われてしまうかも知れません。我が国の将来は大丈夫なのでしょうか? まあそれはともかくエリス様……」
「は! それは本当の事なのか」
私は自分の耳を疑った。なぜお付き合いの話に発展するのだろう。ここで、ふと視線を感じて、向けられている先である観覧席を見た。
そうしたら、「謀の影には常に、この男が潜んでいる」と、貴族達の間で実は恐れられているお父様が、ミード君を睨み付けていた。
“コーストの黒幕が策略を巡らせている”、そのお顔をされている。
そのお隣ではお母様が、潜ませた控え目な笑みを浮かべている。若者の色恋が微笑ましいのか、実は腸が煮えくり返ってらっしゃるのか、私のお母様のお気持ちは判別が難しい。
どちらにせよ、ミード君は目をつけられてしまった様子。大丈夫なのだろうか。
「皆の者、静まれ」
いつの間にか、国王陛下と王妃様が近くまでいらっしゃっていた。お着きの方の声が上がった。
ぜんぜん気付かなかった。色恋に迷ってぼんやりしていたから、気付かなかったら大変な事になっていた。慌てて礼をとった。
「楽にして良い」
陛下がはっきりとしたお声で告げられた。
「ライスよ。エリス譲に謝れ」
「謝りなさい。ライス」
お二人がライス殿下に詰め寄っていた。対応を誤ると不敬なので、自分に来なくてホッとした。
「えっ。父上? 母上?」
「ライス。お前には選択肢がある。素直に謝るのと、王位継承権を失うのと、王族から追放されるのと、お前には三つの選択がある。とりあえずエリス譲に謝れ」
「は!」
ライス殿下がお顔を真っ青にしていらっしゃる。
聖女であるエミリーちゃんは跪いて、主神様にお祈りをしていた。都合が悪い時に良く見掛けるポーズだった。
いつの間にか自由な騒ぎになった。
それでも国家の存亡。
大陸の未来。
貴族社会のあれこれ。
その全てを投げ出したい。
人里離れた場所で思う存分、夢だけを追いかける生活がしたい。
殿下には、本当に頑張って欲しい。
私の隠遁生活が掛かっているのだから。
欲望が渦巻く卒業パーティーを、私は、切実な思いで見守った。
・
私にイジメを擦り付けてパーティー会場で傍観者を興じていた、あの者達の顛末?
“コマの背景”に溶け込んでいらっしゃるそうな。
ですのでどの方も、都合のいいように解釈されているようです。ニャー!
・
親愛なる皆様へ。
しばらく考えて、やっぱり窮屈な生活は嫌だなあと思ったので、色々な世界を知る旅に出ます。
無心を心掛けて日進月歩で、きっとどこでだってやれるはずです。
気が向いたら戻りますし、私も頑張ります。どうか探さないで下さい。
最後に、皆様の健やかな生活を心よりお祈りいたしております。
それではこれで失礼致します。




