表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/13

第六章 秘密の神社

玲子はバーを飛び出した。


何かに追われるように、必死に走る。


すれ違う人たちが、驚いたように振り返った。


けれど玲子は、それにも気づかなかった。


息が切れ始めて、玲子は立ち止まった。


肩で息をしながら、ショーウィンドウに映った自分の顔を見る。


ひどい顔だった。


こんな場所では、タクシーも拾えない。


玲子はゆっくり歩き出した。


部屋に戻ったのは、日付が変わる頃だった。


玄関の鍵を閉める。


部屋はいつもと同じだった。


安全な場所に戻ってきたはずなのに、玲子の胸の中だけが落ち着かない。


靴を脱ぎ、そのままベッドに腰を下ろす。


靴で擦れて、足のあちこちが赤くなっていた。


寝ていないのに、気づくと部屋に朝日が差し込み始めていた。


玲子はベッドの上に座ったまま、しばらく動かなかった。


身なりは、昨日帰ってきたときのまま。


こんなことは初めてだった。


枕元のスマホに手を伸ばし、画面を開く。


SMSの一番上に、正太朗の名前が表示されていた。


しばらく迷ってから、玲子は短いメッセージを送った。


「ごめんなさい」


送信してすぐ、スマホが一回鳴った。


正太朗からだった。


「大丈夫」


玲子は、その文字をじっと見つめていた。


社交辞令のような一言。


これでもう、正太朗から連絡がくることはないだろう。


玲子はそのまま、後ろに倒れこんだ。


――少し、眠ろう。


起きたら、またいつもの日常に戻ればいい。


嫌な夢を見ていただけだ。


  *


玲子は、小学校のころから転校が多かった。


早いときは、一年でまた転校することもあった。


黒板の前に立つ。


教室の視線が一斉に集まる。


それが怖かった。


「今日からこのクラスに来た、桧山玲子さんです」


低学年のころは、よく泣いた。


担任の先生が代わりに挨拶をしてくれることもあった。


学年が上がるにつれて、泣くことはなくなった。


その代わり、できるだけ目立たないようにするようになった。


高学年になって転校したのが、正太朗のいる小学校だった。


このとき初めて、みんなが覚えやすいようにと、黒板に自分の名前を書くよう言われた。


書き慣れないチョーク。


震える手で書くと、字もガタガタになった。


クスクスと笑う声が聞こえてくる。


――大丈夫、またすぐ転校する。


先生に席を指さして教えられ、玲子は下を向いたまま、その席に向かった。


そして静かに座る。


初日は、興味本位で何人かが話しかけてきた。


「どこから来たの?」

「前の学校どこ?」


けれど人見知りの玲子は、うまく答えられない。


やがてみんな、つまらなそうに離れていった。


気がつくと、玲子は一人になっていた。


いつもなら、一年くらいでまた転校になった。


けれど、このときは長かった。


クラス替えがあっても、玲子の孤立は変わらなかった。


つらいことがあった日は、こっそり近所の小さな神社に寄り道した。


そこは、玲子だけが知っている場所だった。


自分だけの秘密基地のようだった。


天気が良くて気持ちのいい日には、そこで宿題を終わらせた。


ある日、ふと無意識に音楽の授業で習ったばかりの歌を口ずさんだ。


岩や木に反響して、気持ちがよかった。


歌うことが楽しいと思った瞬間だった。


だから――

どこかで、過信してしまっていたのかもしれない。


歌のテストのときも、同じように歌えると。


しかし、現実は違った。


歌そのものの前に、玲子は人前が苦手なのだ。


名前を呼ばれて、玲子は席を立った。


転校のときみたいに、黒板の前ではない。


ある意味、今のほうが地獄だった。


前からだけではない。


四方八方から視線が集まる。


伴奏が流れ始める。


震えながら出した声は、出だしが遅れた。


声が小さいと、最初から歌いなおしさせられた。


今度は声を大きくした。


けれど――音を外した。


クラスのどこかで、クスクスと笑う声がした。


それはすぐに、いくつかに増えた。


「歌詞は覚えてるみたいだから、もういい、次」


先生の一言で、玲子の番は終わった。


玲子は、ゆっくり席に座った。


顔は上げられなかった。


笑い声は、まだどこかで続いていた。


その時間が終わるまで、玲子はずっと下を向いていた。


  *


放課後、玲子はまっすぐ家に帰らなかった。


いつものように、小さな神社へ向かった。


玲子はランドセルを置くと、大きく息を吸った。


そして、さっきのテストの歌をもう一度歌い始めた。


メロディも、歌詞も覚えている。


声が岩や木に反響する。


歌い終えると、胸の奥が少し軽くなっていた。


玲子はランドセルを背負い直すと、神社の階段を下りていった。


  *


ふと目が覚めた。


時計はもうすぐ15時だった。


歩いて帰ってきて疲れていたとはいえ、寝すぎてしまった。


正太朗とのことがあったせいだろうか。


昔のことを夢に見るなんて。


玲子は、眉間に皺が寄るくらい、ぎゅっと目を閉じた。


正太朗は、玲子が神社で一人歌っていたことを知っていた。


いつから?


自分だけの秘密基地が、バレていた。


正太朗のほかにも、そこに誰かいたの?


玲子はいたたまれなくなって、頭まで布団を被った。


――大丈夫。

  もう正太朗と会うこともないんだから。

  すぐに忘れてくれる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ