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第三章 夜の電話

玲子は、少し歩いたところで足を止めた。


さっき渡したメモ帳のページ。


書きかけの文字が、ふと気になった。


そっと振り返る。


正太朗はまだそこにいた。


玲子に渡されたメモ用紙を見つめたまま、微動だにせず固まっている。


玲子は視線を戻す。


メモ帳のページに残った、書きかけの文字。


本多正太朗


玲子は、目を瞬かせる。


思い出した。


小学校のころ。


女子に人気があった男の子。


でも本人は、それを気にしている様子もなかった。


得意げな顔をするわけでも、自慢してカッコつけるわけでも、へらへらするわけでもない。


ただ、いつも普通にしていた。


玲子は、その女子の輪には入れなかった。


遠くで見ていただけだ。


だから。


話したことなど、一度もないはずだった。


(どうして……)


どうして、覚えているんだろう。


席は近かった気がする。


でも、同じ係になったこともない。


放課後に話したこともない。


まして。


追いかけてくるほどの理由なんて。


さっきの言葉が、頭の中でよみがえる。


『連絡する!』


玲子は、小さく息をつく。


(……何を話すんだろう)


玲子はもう一度だけ振り返る。


正太朗は、もう背を向けて歩き出していた。


  *


玲子が帰宅したのは、夜だった。


靴を脱ぎ、部屋に入って電気をつけた。


壁のフックにバッグを引っ掛け、部屋の静けさに、朝の出来事がふとよみがえる。


玲子は首を振った。


考えても仕方がない。


そもそも連絡が来るとは限らないのだから。


リビングのローテーブルに置かれていたリモコンを手に取り、なんとなくテレビをつける。


画面が光る。


なにか音が欲しくてつけただけのテレビ。


玲子は結っていた髪をほどきながら、洗面所の方向に足を向ける。


流れてきた伴奏に、玲子の足は止まった。


曲が進むごとに確信する。


友人に誘われていったコンサートの帰り。


あの公園で、一人で歌ったバラードだった。


玲子はテレビの前に立ち画面を見つめた。


(あれ…?)


カメラのアングルが一瞬、ボーカルの斜め後ろで踊っている男を捉えた。


一瞬だった。


巻き戻すこともできない。


カメラが少し引いて、グループ全体を映す。


さっきよりは小さいが、顔を確認するには十分だった。


「…本多…くん?」


次の歌手に変わり、歌い終わり、CMに変わったあとも、玲子は茫然としていた。


映像も音もなにも入ってこない。


脳裏に浮かぶのは朝の光景。


朝、目の前にいた人が、テレビの中で踊っている。


そんなこと、あるのだろうか。


ほどきかけの髪が顔にかかり、玲子ははっと我に返った。


手を洗いながら、ふと顔を上げると、鏡に自分の顔が映っていた。


どんな顔をしているのか、自分でもよく分からなかった。


リビングのほうから、メッセージの着信音が鳴った。


SMSだ。


玲子は手を拭き、リビングに戻った。


ローテーブルの上でスマホが小さく光っている。


画面を見る。


知らない番号からのメッセージだった。


一瞬ためらって、メッセージを開く。


『本多です。今、電話してもいいかな?』


玲子はスマホとテレビを交互に見つめた。


さっきまで画面の中で踊っていた人からのメッセージ。


電話。


どう返事をすればいいんだろう。


何を話せばいいんだろう。


玲子が考えていると、スマホが鳴り始めた。


一回きりの通知音じゃない。


電話の着信だ。


「返事してないんだけど…」


テレビの音声と着信音で、静かな部屋が一気に騒がしくなった。


マナーモードのままにしておけば、気づかなかったと言い訳できただろうか。


いや、それも失礼な気がする。


どうしよう。


手の中ではスマホが鳴り続けている。


玲子は大きく一つ深呼吸して、通話ボタンを押した。


「…はい」


「よかった。出てくれて」


玲子が小さく電話に出ると、電話の向こうから安堵の溜息が聞こえた気がした。


何度も電話を鳴らさせてしまった申し訳なさが募り、玲子は言葉を探した。


「返事する前にかかってくると思わなくて……」


「あ、ごめん」


「違うの…! そういう意味じゃなくて…ごめんなさい…」


「謝らなくていいよ」


電話の向こうで、正太朗が小さく笑った。


「返事待つ間、落ち着かないくらいなら、かけちゃおうと思って」


緊張していたのは、正太朗も同じだった。


うじうじしてるなんて自分らしくない――そう思って発信ボタンを押した。


「あれ……今、テレビついてる?」


玲子は正太朗の声に促されるようにテレビを見つめた。


テレビの画面は、もう別の歌手に変わっていた。


「え?」


「音、聞こえたから」


玲子はテレビを見つめたまま言った。


「うん」


「CRAQは見た?」


玲子の鼓動が、ドクンと一つ大きな音をたてた。


スマホを持つ手に、力が入る。


なんて言えばいいんだろう。


聞くべき?


あれは、本多くんだったのかって。


「もしかして、気づいた?」


電話の向こうで黙り込んでしまった玲子に、正太朗は自分から切り出した。


朝、再会したときの玲子の表情から、正太朗をCRAQのメンバーだと認識していないことに想像がついていた。


「似てると思って、すごい画面見ちゃった…」


「うん。あれ、俺。」


玲子の中で、同級生の本多正太朗=CRAQのショウが確定した瞬間だった。


「知らなかった」


「そっか」


ということは、最近見たコンサートに正太朗がいたということにもなる。


「あのさ。今度会えない? ご飯でも」


玲子の鼓動が、また一つ大きく鳴った。


「……え」


名前を見て、ようやく思い出したくらいなのに。


その人がテレビに出ている人で、しかも今、本当に電話をかけてきて、こうして会話をしている。


「でも……誰に見られるかわからないし。ファンとか」


「あんまり気にしなくていいよ」


何を根拠にそんなことを言うのだろうか。


正太朗からすれば、芸能人だろうが、その前に一人の男という感覚なのだろう。


だが玲子には、その一言があまりにも軽く聞こえた。


正太朗はCRAQのメンバーなのだ。


その人気ぶりは、実際コンサートに行った体験から嫌というほど感じている。


「じゃあ、人気のない店だったらいいかな。あ、変な意味じゃなくて。知り合いがやってるバーがあるんだ。奥にちょっと影になった席があるから、そこなら……」


「……バー?」


「うん。静かな店」


沈黙が落ちた。


迷っているのか、断る言葉を探しているのか。


正太朗は、緊張しながら玲子の返事を待った。


電話の向こうで、小さく息をつく気配がした。


「……わかった。そこなら」


約束の日程まで決めて、電話を切った。


正太朗は、待ち受け画面に戻ったスマホをしばらく見つめていた。


断られたら――最悪、押し切るつもりだった。


それでも、渋々といった調子ではあったが、玲子は了承してくれた。


正太朗は運転席で、胸の前に小さくガッツポーズを作った。



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