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第十章 もう一度だけ

正太朗は、そのまま石段を下り、鳥居をくぐる。


そして、ゆっくりと歩き続ける。


昔、毎日のように飽きるほど歩いた通学路を。


懐かしい校舎が見えてくる。


記憶のままの校舎。


校門だけが黒いペンキで塗り替えられていて、そこだけがやけに黒々と浮いて見えた。


重い金属を引く音がした。


校門が、人一人通れるほど開く。


そこから、五十代くらいの女性が姿を現した。


「本多くんじゃない?」


年月がたっていてもわかった。

正太朗と玲子の担任だった先生だった。


「テレビでいつも見てるよ。有名人になって」


正太朗は苦笑した。


「この学校に戻ってきたんだよ。教頭でね。戻ってきていてよかった。こんなふうに会えるなんて」


先生は嬉しそうに笑う。


「ねえ、サイン、もらってもいい?」


「はい」


「ちょっと待ってて」


先生はそう言って、校舎の中へ戻っていった。


正太朗は校門の前に立ったまま、校庭を眺める。


昼休みなのか、子どもたちの声が遠くから聞こえる。


しばらくして、先生が色紙を持って戻ってきた。


「お願い」


正太朗はペンを受け取る。

さらさらとサインを書く。


「ありがとう!」


先生は色紙を胸の前で抱えて、ファンの一人と同じように笑った。


正太朗は、黙って見下ろしていた。


先生は、そのまま楽しそうに昔話を始めた。


正太朗は、ほとんど聞いていなかった。


この先生が、もう少し、転校生だった玲子に気を配っていたら。


担任として、教室の空気に気づいていたら。


玲子の小学校の記憶は――


最後の卒業式は――


少し違うものになっていたのかもしれない。


やるせなさと苛立ちの芽が、胸の奥に顔を出しかけていた。


正太朗はコートのポケットの中で拳を握りしめた。


これ以上、ここにいたくなかった。


正太朗は一礼して踵を返した。


  *


行きとは違い、車へ戻る正太朗の足取りは速かった。


何かを振り切るように、足早に車に乗り込んだ。


車のドアを閉めた。


正太朗はしばらく動かなかった。


ハンドルに手をかける。


そのまま、額を押しつけるようにして突っ伏した。


何年も経った今更、母親から聞いた玲子の引っ越し先。


ノルウェー。


玲子の母親は言っていたらしい。


日本に戻ってくるかわからないと。


それなのに――

正太朗は玲子と再会した。


けれど、住所も知らない。


玲子は日本に住んでいるのか。


それとも、たまたま一時帰国していただけなのか。


それすら、正太朗にはわからない。


もしかしたら、玲子はもう日本にいないのかもしれない。


正太朗はスマホを取り出した。


『ノルウェー』


日本からの距離を調べる。


約八千六百キロ。


飛行機で、十二時間以上。


表示された数字を、正太朗はしばらく見つめていた。


遠い。


思っていたより、ずっと遠い。


仮にノルウェーまで行ったとしても、玲子に会える保証なんてどこにもなかった。


ダッシュボードに置いたスマホが滑り、フロントガラスにコツンと当たった。


正太朗は、ハンドルを握りしめた。


――もう二度と会えない気がした。


 *


正太朗が都内に着いた頃には、もう夜になっていた。


赤信号で、正太朗の車が止まる。


歩道橋に取り付けられた信号機を、正太朗はぼんやりと見上げていた。


青に変わるのを、ただ待っている。


歩道橋の上を、無数の人影が行き交っていた。


信号が青に変わる。


街灯と信号の光が重なる。


歩いていた人影のひとつの顔が、一瞬だけ浮かび上がった。


「桧山……?」


正太朗は反射的に窓を開けた。


「桧山!」


正太朗の叫び声は、後ろの車のクラクションにかき消された。


「くそっ!」


正太朗はハンドルを叩いた。


後ろの車に鳴らされ、正太朗は車を前に出した。


だが都内の道路は、すぐに詰まる。


正太朗はカーナビに指を滑らせた。


地図を最大まで拡大する。


ここから一番近い駐車場を探す。


次の曲がり角。


路幅は狭い。だが一方通行ではない。


正太朗は車を滑り込ませた。


三台ほどしか止められない小さな駐車場。


運が良いことに、一つだけ空いていたスペース。


正太朗は車を止めた。


ドアを乱暴に閉め、走り出す。


手の中のリモコンに反応して、背後で車が一度だけ光った。


さっき車で曲がった角を、全速力で曲がる。


歩道橋が見える。


今も人影が多い。


あの中に――


歩道橋の階段を駆け上がった。


正太朗は人混みの中を見回した。


どこだ。

いない。


歩道橋の上には、もう玲子の姿はなかった。


運転席から見上げたとき、玲子は右から左へ歩いていた。


そして正太朗が駆け上がってきた階段。


玲子とは階段ですれ違っていない。


とすると――

残りの階段は二つ。


どっちだ。

どっちの階段から降りた?


正太朗は二股に伸びる階段を交互に見た。


ポケットからスマホを取り出す。


玲子の名前をタップした。


呼び出し音は鳴らない。


『おかけになった電話は、電源が入っていないか――』


正太朗は奥歯を噛んだ。


迷っている時間はない。


正太朗は右の階段へ駆け出した。


奇跡なんて信じる柄じゃない。


だけど――


あの横断歩道での再会が奇跡なら。


もう一度だけ。


階段を駆け下りた。


正太朗はそのまま走り出した。


選択は合っていたと信じて。


夜の歩道には、まだ多くの人影。


人の流れを縫うように走る。


そのとき――

人垣の隙間から、見覚えのある後ろ姿が目に入った。


あの朝と同じコート。

メモ帳を出したバッグ。


(見つけた……)


正太朗は声を飲み込んだ。


距離はまだある。


人の流れの向こう、二十メートルほど先。


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