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ストロング檸檬讃歌

 お酒は楽しく、節度を守って飲みましょう。

 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとしとは、徳川家康の言葉である。

 後の世に神君と崇められし人にとってもそうなのだから、私のような凡人にとって人生とは、実に苦しみと悲痛にまみれたものであるのも当然だろう。

 そして、多くの人間は背負う重荷に耐えかねて膝を屈してしまう。人には誰しもに道があるとしても、その遠路の終点までたどり着くことが出来るのはほんの一握りに過ぎない。

 まだ三十を少し過ぎたばかりだというのに、私の人生は斜陽に差し掛かっている。明日の旭日を望むことの出来ない夕暮れだ。後何年ほど生きるのかは知り得ぬことであるが、その、長いのか短いのか分からない一生を、薄明と暗闇の中で彷徨いながら過ごすことになるだろう。

 こんな私が、それでもまだ人生というものを――それが、停滞と後退とを繰り返しているだけの非生産的の歩みだとしても――投げ出さずに続けられているのは、酒と煙草あってこそなのである。

 より具体的に言うのであれば、ストロング檸檬と、フィリップモリスである。

 人生で飲んだストロング檸檬の缶を積み上げれば、雲を越え、空を突き抜け、月にだって届くだろう。

 煙草につけた火をすべて集めれば、富士の樹海だって一瞬のうちに焼き尽くせるに違いない。

 昨今は我が国も治安が悪化し、庶民であってもインターネットなどを使えば簡単にドラッグを入手できるという風聞を聞く。しかし私にしてみれば、ストロング檸檬と煙草とが合法であるという善政の下で、獄中の人となる危険を顧みずにそういった物に手を出す人々の気が知れない。


「あな(みにく)

 (さかし)らおすと

 酒飲まぬ

 人をよく見ば

 猿にかもに()――」


 人は古く万葉集の時代から、酒を呑まぬ人間を猿と卑下してきた。

 最もこれは、酒と無縁の人からすれば、酒を呑んでは傍若無人に騒ぎ立てる酔漢こそが猿のようだ、という反駁もあるかもしれない。しかしそういうのは、酔漢の中でも最も悪辣な類であり、私のように、部屋に籠りきって悲嘆と高揚を繰り返しながら、それを胸三寸より外に出すことのない無害な酔漢にまで当てはめないでいただきたい、と強く思う。

 喫煙についても同じで、私のような愛煙家は、度重なる重税のためにいつも懐にからっ風がふき、しかも世間からは暴風の如き非難の嵐を受けている。しかしそれらは、どこまでも場を弁えぬ非常識な喫煙者だけに向けられるべきであり、それらと一緒くたにして石を投げられるのは筋違いだと思う。


「――もう一本、開けるか」


 そういうことを考えて、また心が鬱蒼としてきた。ちょうど一缶飲み終えたところなので、私は冷蔵庫から新しい缶を取ってきて、開ける。プルタブが破られ、炭酸が空気に触れて弾ける心地よい音が聞こえた。

 音楽というものを解する芸術性を持たぬ身ではあるが、ストロング檸檬の缶が開く時、そして、マッチの先端に火が燈る時の天籟(てんらい)は好きだ。これらの音は、その後に続く酩酊と紫煙を連想させてくれる。もしいよいよストロング檸檬と煙草を禁じる決議されれば、私は炭酸をひたすらに開け、マッチを擦るだけの廃人になることだろう。

 開いたストロング檸檬の缶に口づけ、舌を湿らせる。

 甘く、その中に、炭酸に混じった刺激的な酸味がある。

 この酸味こそが、私が数あるストロングの中で檸檬を愛してやまない理由なのだ。

 ストロング缶にも色々あり、ほとんどの種類について、私は一度は呑んでいる。しかし他のすべてのストロング缶を足しても、これまでに飲んだストロング檸檬にはまったく及ばない。

 人生の苦痛から目を背け、しかし完全に逃避することの出来ない凡俗な私にとっては、甘美の中にも酸いがあるということを突きつけられることで、どうにか明日もまた、生きていくための最低限の活動が出来るのである。

 葡萄や桃などは、甘すぎる。そもそもストロング缶というのが、度数だけが無駄に高く、様々な体に毒となる混ぜ物を含んでおり、そのくせ口当たりがよくて飲みやすいという百害あって一利なしの酒であることを前提としてもなお、これらは甘美なる毒としか言いようがない。

 人生の苦痛が限界に達して、少しも悲痛を想起するようなものに触れたくないという時に、一本か二本ほど飲むことはあるが、それにしたって、必ず檸檬と共に飲むことが前提である。あのような、ひたすらに甘いだけの酒を呑み続けていれば、次の日には一歩だって部屋の外に出ようと思えなくなるに違いないのだ。

 ならば逆に、無糖ドライはどうかと聞かれれば、あんなものは酔い覚ましのチェイサーに過ぎない。休日の朝に仕事が舞い込んできた時に、酔いを醒ますための迎え酒として常備はしているが、そんなことがなければ、決して口にすることのないものである。

 やはり――檸檬こそが、至高のストロング缶なのだ。

 これからも私は、命が尽きるその時まで、ストロング檸檬を飲み続けるだろう。それがたとえ、モルヒネを投与して体を蝕みながら延命を続ける末期患者の如き行為であるとしても、ストロング檸檬の酒精と、フィリップモリスのニコチンとタールなくしては、私は明日を生きることが出来ないのだ。

 ここに書いたストロング感はあくまで「私」のものであり、現実の作者の価値観とは一切無縁であることをここに明記しておきます。

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