お手洗いに行くたびにコンディションが全快する令嬢 VS 婚約詐欺師
信じられない。
私――末っ子のルビーの目の前に広げられた証拠の数々を見て、心臓が凍りついたような感覚に襲われた。
「これがあなたの婚約者フラウドの正体よ」
長女のダイヤ姉様は冷たい声でそう告げた。彼女の手にはフラウドが父に提出した事業計画書と、その裏で作成していた『失敗させるための工程表』が握られている。
最初から潰すつもりの事業。
結婚を口実に父から多額の出資を引き出し、全てを『ご令嬢のわがまま投資』として私に責任を押し付ける計画。
その証拠書類をダイヤ姉様が見せつけてくる。
「それだけじゃないわ、ルビー」
次女のアクアマリン姉様が、さらに別の書類を積み上げた。
「この男、裏では『ジュエル家の娘は俺の言うことなら何でも聞く』って吹聴してるのよ。頼んでもいない推薦状や保証書を勝手に書かせて、失敗すれば家に『責任を取れ』って巻き込む気満々なの」
そんな証言の数々。商人や貴族から集められた情報。
悔しい。
こんな男を素敵な婚約者として慕っていたなんて。優しい笑顔に騙されて、この人となら幸せになれると思っていた自分が情けない。
そしてなにより――家にまで迷惑をかけるようなやり方をする男だったなんて。
「姉様……私、悔しいです」
私は拳を握りしめながら、二人の姉に告げた。
「このままでは許せない。なんとかこの男を地獄に叩き落したい……!」
その発言にダイヤ姉様の口元がふっと釣り上がる。
「任せなさい。私たち三人揃えば、あんな男は相手にすらならないわ」
「目にもの見せてやろうじゃない」
アクアマリン姉様も不敵に笑う。
そうして、三人で男に地獄を見せる計画を立てていくのであった。
◇
豪商の息子であるフラウドは、今日は大貴族の三女であるルビーとデートの予定であった。
ジュエル侯爵家の応接室で待つ彼の顔には余裕の笑みが浮かんでいる。
――今まで男爵家などの下級貴族の令嬢に声をかけ、婚約するふりをして金や権利を譲渡させては破談を繰り返してきた。
――今回は侯爵家だ。
彼は内心で舌なめずりする。
成功すれば自分の家も大貴族の仲間入りを果たすほどの資産と権限を手に入る。慎重に事を進めてきたが、当のルビー嬢は明らかにこちらを信頼しきっている様子。
さっさと踏み台にしてやる。
そんな邪悪な思いでにこやかに待っていると、ルビーが嬉しそうにやってきた。
「フラウド様、今日は来ていただきありがとうございます」
無邪気な笑顔。
フラウドは内心を押し殺した笑顔で馬車までエスコートする。
「それでは、ちょうどお昼だし昼食としようか。王都で最高のレストランを用意しているんだ」
二人は馬車に乗ってレストランへ。フラウドは上機嫌で席に着くと、さりげなく言った。
「君とのひと時を楽しませてもらっているからね。僕がおごるよ」
ルビーは「まぁ、ありがとう!」と、嬉しそうに声を弾ませる。そして、レストランの目玉である特選牛フィレ肉のローストを頼んだ。
――所詮、令嬢が食べる食事の量などたかが知れている。
――こんなもので信頼を勝ち取れば出資を引き出せるとあれば、安い買い物だ。
フラウドは内心であざ笑う。
そんな思惑が間違いであると知らずに――。
牛フィレ肉のローストに舌鼓を打つルビー。完食する頃に、彼女は「それではお手洗いに……」と席を立った。
フラウドはワインを傾けながら、今後の計画を練る。
ふむ、次は婚約記念にと言って宝石でも買わせるか。それとも――
そこまで考えた時、ルビーがトイレから戻ってきた。
いや、正確にはルビーに扮した三つ子の次女アクアマリンが、ルビーと同じドレスを着て現れたのである。
手洗いで瞬間移動魔法を使い、アクアマリンとルビーは入れ替わっていた。
両親以外にアクアマリンとルビーの見分けがついた人間はこの世に存在しない。ルビーに代わってアクアマリンがフラウドとのデートを引き継ぐのだった。
もちろん、フラウドには見分けがつかない。
一方、アクアマリンと場所が入れ替わったルビーは、先ほどまでいた王都から遠く離れた辺境伯の屋敷の応接間に立っていた。
「やあ、ルビー。久しぶりだね」
そこには、アクアマリン姉様が嫁いだオイスター辺境伯が笑って挨拶してくる。
「変な婚約者に当たってしまって大変だったね。君のお姉さんたちが何とかしてくれるはずさ」
「オイスター様、お姉様をお借りして恐縮です」
「いや、妹の窮地を救いに行く妻も麗しくて素敵なのさ……」
そう言ってうっとりするオイスター辺境伯は、相変わらずの妻バカぶりだった。
そしてふと、苦笑いしてオイスターは言った。
「それにしても、フラウドとかいう男に少しだけ同情するよ。なにせ、アクアマリンは普通の令嬢の三倍はご飯を食べるだろう?」
ルビーは思わず吹き出しそうになる。
ああ、確かに。アクアマリン姉様の食欲は三つ子の中でも群を抜いていた。
そのころ、ルビーに扮したアクアマリンはフラウドの前でメニュー表を広げて言った。
「あー、おなかすいた!なんだか昼食を食べた気がしませんわ!」
その言葉にフラウドは戦慄する。
は……?
さっきまで牛フィレ肉のローストを食べていなかったか?
それなりの量だったはずだが……?
そんな疑問をよそに、アクアマリンは次々と料理を注文していく。
真鯛のパイ包み焼き、一杯丸ごとカニのコース、子羊のロースト香草風味……。
「え、あの、ルビー嬢……?」
さすがに予算オーバーしそうな様子にフラウドの顔が引きつる。
そんなフラウドをよそに、アクアマリンは見る見るうちに料理を平らげていくのであった。まるで底なし沼のような胃袋。優雅な所作で、しかし驚異的なスピードで料理が消えていく。
「んー、美味しいですわ!」
そして、ひとしきり食べ終わったころ、アクアマリンは手洗いに立つ。
よく食べる女だ……
フラウドは舌打ちをする。予想外の出費だが、まあいい。これも出資を引き出すまでの辛抱だ。
ジュエル家を骨の髄まで搾り取ってやる――
そう思っていると、ルビーが戻ってくる。
いや、正確にはルビーに扮した三つ子の長女ダイヤが現れたのだ。もちろん、フラウドには見分けがつかない。
「それにしても素敵なレストランね!なんだかこの外観を見ていると、まるで何も食べていないかのようにお腹がすいてきましたわ!」
ダイヤはにこやかにそう言ってメニュー表を開く。
「ひっ」
フラウドは思わず声が出た。
「フォアグラのソテー、伊勢海老の丸焼き、それから……」
次々と高級料理を注文していくダイヤ。
フラウドの額に冷や汗が流れる。
さっきあんなに食べたのに、まだ食べるのか!?
この女の胃袋は宇宙か……?
ダイヤの食べ方は優雅そのものなのに、料理が消える速度は凄まじかった。
「美味しいですわ。フラウド様、本当にありがとうございます」
満面の笑みで礼を言うダイヤ。
フラウドは引きつった笑顔で頷くしかなかった。
◇ ◇
結局、財布の中身は綺麗さっぱり空になり、フラウドはその場で高額なローン契約書にサインする羽目になった。
青い顔で店を出る。隣にはいつの間に入れ替わったのか、本物のルビーが「美味しかったですね!」と無邪気に微笑んでいた。
もちろん、フラウドにその入れ替わりが分かるはずもない。
その後のデートは王城近くの有名な貴族専用庭園を散歩した。
「まあ、綺麗なお花!」
ルビーは可憐に笑うがフラウドは完全に心ここにあらずだ。
彼の頭の中は先ほどの会計と組まされたローンのことでいっぱいだ。
――くそっ、なんて大食い女だ!
だが、これさえ乗り切れば……ジュエル侯爵家の莫大な資産が手に入る。
出資金さえ得られれば、こんな女はとっとと捨ててやる!
そう思うフラウドの顔は終始ひきつっていた。
その様子を隣で見ているルビーはおかしくてたまらなかったが、もちろんおくびにも出さない。
ひとしきり散歩し、空が茜色に染まる頃。夕方になった。
「フラウド様、この後どうなさいます?」
「ああ、そうだね。そろそろ僕は……」
帰りたい、と言いかけたフラウドの言葉を遮るようにルビーは提案する。
「もしよろしければ、夕食は我が家でいかがかしら?」
「え?」
「明日はあなたもお休みと伺っておりますわ。ですから、多少遅くなっても問題ないわよね?」
その誘いに、フラウドはほっとした息を吐きつつ了承した。
ジュエル家の夕食……!
侯爵家の食事ならば、それなりのものが出るだろう。何より、自分の財布がこれ以上傷まない。
そう思い、フラウドは了承したのだった。
もちろんこの判断も地獄への片道切符であると知らずに……。
ジュエル侯爵家での夕食はフラウドの想像通りに豪華なもので歓待された。
――そうだ、これだ。
俺が手に入れるのは、この生活だ。
豪華な夕食に舌鼓を打ち、すっかり上機嫌になるフラウド。
二人で上等なワインを1本あけた頃、ルビーがふわりと立ち上がった。
「ごめんなさい、少しお手洗いに……」
フラウドは「どうぞ」と余裕の笑みで頷く。
ルビーは廊下に出ると、ルビーに扮した長女のダイヤと入れ替わる。
ルビーは瞬間移動魔法で長女が嫁いだ第三王子の私邸、その応接間に移動していた。
そこには無骨な雰囲気の男が一人、剣の手入れをしながら座っていた。
第三王子のトランプである。
「ルビーか、久しいな」
トランプは職人気質で口数の少ない王子だ。だが剣術の腕前は達者で騎士団からの信頼も厚い。
「トランプ様。ダイヤ姉様をお借りしてしまい恐縮です」
「構わん」
トランプは手元から目を離さずに言う。
「これで素行の悪い貴族を穏便に排除できるなら安いものだ。王族が動けば角が立つからな」
トランプはぎこちなく口の端を吊り上げた。彼なりの笑顔である。
そして、ふと苦笑いを漏らした。
「それにしてもフラウドとかいう男にも少し同情するぞ。なにせダイヤはうわばみだからな。飲み始めると長いのだ」
その頃、ジュエル家の屋敷ではトランプ王子の予言通りに大変なことが起きていた。
「ねえフラウド様!王都の貴族たちはもっと自由であるべきだと思いませんこと!?」
お手洗いから戻ってきた(とフラウドが思っている)ルビーは妙にテンション高く絡んでくる。
フラウドはすでに真っ青な顔で口元を覆っていた。
なんだこの女!?
さっき二人でワインを1本あけたばかりだぞ!?
ダイヤは使用人を呼び止めると、とんでもないことを言い放った。
「もう、ビンでは飲んだ気がしませんわ!樽ごと持ってきてちょうだい!」
「かしこまりました!」
使用人はなぜか嬉しそうに頷くと奥から大きなジョッキとワイン樽を転がして持ってきた。
何となく中身がダイヤ様だと気づいた使用人たちは心得たものである。
「今日は満月だからお祝いよ!」
「「「おおー!」」」
月に一度は必ず来る事象を盾にダイヤは酒盛りを始めた。
「ダ……ルビー様、こちらに一杯ください!」
「あ、ずるい!こっちも!」
使用人たちも次々にジョッキを持ち寄り、どんちゃん騒ぎが始まった。
食堂は瞬く間に宴会場と化し、談笑する者、歌い出す者で溢れかえる。
フラウドが疲れ果てた顔でうとうとしようものなら、
「あら、何を寝ていらっしゃるの!?夜はこれからですわよ!」
と、ダイヤに頬を思い切りぶったたかれて叩き起こされるのだった。
◇ ◇ ◇
地獄の一晩が明け、次の日の朝。
ダイヤはようやく「少しお手洗いに……」と席を立った。
食堂には、使用人たちも床に倒れて寝ている者もいる、まさに大惨事の様相だ。フラウドは生ける屍のような顔で椅子にもたれかかっていた。
こ、これで……やっと、帰れる……
そう思ったフラウド。
だが、もちろん、そうは問屋が卸さない。
お手洗いから戻ってきた(とフラウドが思っている)ルビーは信じられないほどスッキリとした顔をしていた。
「はー、なんだかお手洗いにいったら、寝すぎたみたいに頭がすっきりしましたわ!」
その言葉を聞き、フラウドは青い顔をさらに青く、というより土気色にする。
ど、どういうことだ……!?
この女の体はどうなっているのだ!?
「私、まだまだあなたと一緒にいたいの!」
ルビーは地獄のように疲弊しているフラウドの手を握る。
「今日もお休みでしたわよね?このまま一緒に、山へピクニックに行きませんこと?」
「いや、でも、さすがに……」
「え?もしかして、私のことが嫌いになりましたの?」
「そ、そんなことは……」
「私たち、愛し合っている仲ですわよね?」
有無を言わさぬ笑顔でデートは続行させられる。
ピクニックの合間にルビーは、ルビーに扮したアクアマリンと入れ替わっていた。
山の頂上に着くと、アクアマリンは巨大なバスケットを開いた。
中にはサンドイッチやオードブルが五人前は詰め込まれている。
「さあ、フラウド様!あーん!」
「い、いや、私は自分で……」
「まあ、遠慮なさらないで!」
アクアマリンはまるでひな鳥に餌付けでもするかのように、延々とフラウドの口に食べ物を運び続ける。
断れば「愛が冷めたのですね!?」と泣き真似をされ、フラウドは死んだ魚のような目でそれを口に運び続けるしかなかった。
胃袋も精神も限界に達したフラウドが屋敷に送り返されてきた頃には、すでに夕暮れが迫っていた。
ピクニックで入れ替わっていたアクアマリンは玄関先で「お手洗いに……」と姿を消す。
そして、本物のルビーが入れ替わりで現れた。
すでに、不眠不休の連続デート時間は30時間を超えている。
「ピクニック楽しかったわね!」
「あ……う……」
「さあ、今夜もパーティーですわよ!」
その一言がフラウドの精神の最後の糸を断ち切った。
「ば……」
「ば?」
フラウドは瞳孔の開いた眼で、目の前の可憐な令嬢を指さし叫んだ。
「化け物おおおおおおおおおおっ!!!」
その絶叫を聞いて、ルビーは顔を真っ赤にした。
「なんて失礼な殿方でしょう!」
彼女はわなわなと震えながら、フラウドを睨みつける。
「あなたがそんなひどいことを仰る方だとは思ってもみませんでしたわ!」
この時、事情を知らずに周囲にいた人は「ご令嬢が婚約者からひどい暴言を吐かれて怒っている」と見ただろう。
しかし、ルビーは怒ってなどいなかった。
むしろ大爆笑するのを必死に堪えたがために、顔を真っ赤にしていたのだ。
ま、まさか、化け物だなんて……!
ぷっ、くくく……!
こうして、表向きはフラウドの暴言が原因で婚約は解消された。
フラウドには今までの度重なる婚約詐欺の容疑に加え、今回は高位貴族であるジュエル侯爵家の令嬢を公然と侮辱し、婚約を破棄するに至ったという大スキャンダルが突きつけられた。
義理の妹を怒らせたことに激怒した(ということになっている)オイスター辺境伯らが、彼の裏調査に乗り出す。
悪事の証拠はあっという間に集められ、フラウドの家は爵位を剥奪されたのであった。
◇ ◇ ◇ ◇
「「「カンパーイ!」」」
「今日は本当に自重してくださいね、ダイヤお姉様」
「もう、分かってるわよアクアマリン。失礼しちゃう」
「今回は本当にありがとうございました、お姉さまたち」
「いいのよ、久しぶりに実家の屋敷であんなに派手な酒盛りができて、かえって楽しかったわ」
「私も王都のあのレストラン、気に入りましたわ。今度オイスター様と一緒に行ってみようかしら」
「……はぁ。でも、いいなぁ、二人とも素敵な旦那様がいらっしゃって」
「ルビーも十分素敵なのだから、きっとすぐ素敵なお方が見つかるわよ。ねぇ、ダイヤお姉様?」
「もちろんよ。きっと一番素敵な男性が見つかるに決まっているわ」
「二人ともありがとう……!お姉さまたち大好き!
よし、今日はパーッと飲んで、あんな男のことなんて綺麗さっぱり忘れましょう!お姉さまたちも付き合ってくれる?」
「もちろんよ!朝まで飲み明かすわ!」
「あ、でも、ダイヤお姉様はやっぱり自重してちょうだい。樽は禁止よ」
「ひどい!!」
――今日もジュエル家の最強三姉妹は絶好調なのであった。
【ジュエル家の最強三姉妹紹介】
長女:ダイヤ
第三王子の妻。三姉妹の「肝臓」担当。
普段は冷静沈着、威厳ある王族の妻を完璧に演じている。しかし、一度タガが外れると酒豪どころか「酒乱」と化す。彼女にとってワインはビンで飲むものではなく樽で浴びるもの。「満月だからお祝いよ!」などと意味不明な理屈で宴会を始めるため、狼女の可能性もある。
次女:アクアマリン
辺境伯の妻。三姉妹の「胃袋」担当。
優雅な所作でナイフとフォークを操るが、その食事スピードと量は常軌を逸している。彼女の胃袋は異次元に繋がっていると噂されている。そのくびれたウエストのどこに牛フィレ肉三枚と伊勢海老五尾が消えるのか誰も知らない。
三女:ルビー
本作の主人公。三姉妹の「常識」担当。
姉二人の人外魔境な特技に比べればごく普通の令嬢。……と思いきや、婚約者の悪事を知るや否や「地獄に叩き落したい」と即答し、姉たちの非常識な計画をサポートした。
ちなみにこの三人は瓜二つの三つ子である。普段はダイヤが白、アクアマリンが青、ルビーが赤の衣装を着分けており、メイクも三人で分けているから、実は顔がすごく似ていると知っている人は少ない。
詐欺師ごときに見分けられるはずもなかったのだ。




