第1話 非能力者保護区
2207年 東京
灰色の空を縫うように、鋼鉄製の柵が街を囲っている。
その柵の内側に位置するのは「非能力者保護区」。
能力因子を持たない者だけが住むことを許された、いわば“安全地帯”だった。
だが、誰もが知っている。
これは守られている街ではなく、隔離されている街だと。
――非能力者保護区の一角、16歳の少女、朝霧アオイはベランダから外を見下ろしていた。
監視塔に立つ兵士が双眼鏡を動かすたび、街路の人々は自然と歩を速める。柵の外からは、黒いスーツ姿の職員が視察に訪れ、その制服の存在が市民に目に見えない境界線を刻んでいた。
「アオイ、朝ごはんできたわよ」
母の声が、狭い二LDKの部屋に響く。
「……うん」
振り返ると、テーブルには味噌汁と焼き魚、少し焦げた卵焼きが並んでいた。父は新聞を広げながら、眉間に皺を寄せている。
「またか……」
新聞の見出しにはこうあった。
《能力者による強盗事件、死者十名。政府は逸脱個体対策を強化へ》
アオイは言葉を飲み込んだ。
こうした記事は珍しくない。毎日のように紙面を飾るのは、能力犯罪、差別デモ報道、能力者弾圧ばかり。
「父さん……能力者だって、全員が悪じゃないよね」
確かめるような彼女の問いに、父は少し黙り込み、新聞を畳んだ。
「……全部が全部じゃない。だがな、力を持つってのは、それだけで人を脅かすんだ。だから政府はこうして保護区を、そしてTHEMISを作ったんだよ」
父は静かに窓の外を指差す。そこからは、遠く東京の中心にそびえ立つ黒い巨塔――THEMIS本部が見える。
摩天楼の中でも異様なまでに黒光りするその姿は、市民にとって秩序の象徴であると同時に、畏怖の対象でもあった。
母がため息をつきながら口を挟む。
「保護区なんて言っても、"潜在能力者"はどこにいるかわからないわ。確実な安全なんて存在しないの。いつ私たちだって被害に遭うか....」
現在、日本には人口の約35%ほどの能力者がいる。
そのうち10%は、能力因子をを知覚できる形で出力することのできる"顕在能力者"。そして残りは能力因子を持ちながらも、それを出力する術を持たない"潜在能力者"である。
「もし私が……」
アオイは言いかけて、唇を噛んだ。
もし、自分に能力因子があったら?
そんな問いは、保護区で暮らす誰にとっても最大の禁句だった。
潜在能力者と無能力者の判別は容易ではない。
能力の発現が起きない限り、いつ爆発するかわからない爆弾を抱えているようなものだ。
母が穏やかに微笑み、話を切るように言った。
「アオイ、そんなこと考えなくていいのよ。あなたは普通の子。普通に生きて、普通に幸せになればいいの」
だが、アオイは知っていた。
自分の胸の奥に、時折ざわめく熱のようなものがあることを。
それが何かを、彼女はまだ言葉にできなかった。