第七章 遠くへ、ふたりで
春が初夏に変わろうとしていた。
新緑のまぶしさが街を包み、空の青はどこまでも澄んでいた。
美由紀とレナは、ふたりで小さな旅行に出かけることにした。
目的地は、海沿いの町。レナがかつて家族と訪れたという、思い出の場所だった。
「なんだか、ずっと昔のことみたい」
電車の窓から景色を眺めながら、美由紀はつぶやいた。
レナは隣で頷く。
「でも、今があるからこそ、昔の景色も違って見える気がする。ね、美由紀」
名前を呼ばれるたびに、美由紀の胸はすこしだけ熱くなる。
それは照れとも嬉しさとも違う、なにか深くて静かな感情だった。
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宿は小さな民宿で、海までは歩いて五分ほど。
荷物を置いてすぐ、ふたりは砂浜へ向かった。
風が肌を撫で、潮の香りが胸いっぱいに広がる。
靴を脱ぎ、波打ち際を歩く。
美由紀のスカートが風になびき、レナの髪が揺れる。
言葉もなく、ただ並んで歩くだけで、すべてが伝わるような気がした。
ふと、美由紀が立ち止まる。
「……ねえ、レナ」
「うん?」
「わたし、ほんとうは……こわかったんだ。
あなたとこうやっているのが、夢なんじゃないかって思って」
レナは一歩近づき、美由紀の手を取る。
「夢だったら、何度だって見たい。
でも、これは現実。美由紀がここにいて、わたしがそばにいる。ちゃんと、手をつないで」
その言葉に、美由紀は小さく笑った。
「ありがとう。わたし、ほんとうに、あなたに出会えてよかった」
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その夜、ふたりは波の音を聞きながらベッドに並んで横になった。
部屋の灯りは落とされ、月明かりだけがカーテン越しに差し込んでいた。
「レナ……ねえ、もし……」
言いかけて、美由紀は一瞬ためらう。
けれど、その沈黙をレナがそっと受け止めてくれることを知っていた。
「将来、わたしが……身体のこと、ちゃんと変えていく決心をしたら――」
レナは何も言わず、美由紀の手を自分の胸にそっと置いた。
「わたしは、“いまのあなた”を好きになった。
でも、あなたが未来を選んでいくことも、全部大事にしたい」
ふたりの間に流れるものは、恋愛を超えた信頼のようだった。
痛みも喜びも、これからの迷いも、すべてふたりで受け止めていけるような――。
静かに、ふたりは手を握り合い、目を閉じた。
どこまでも続く夜の海のように、深く静かなやさしさが、そこにあった。