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8.侯爵邸(2)

少しですが、出産についての描写があります。


シンシアはほとんど何の飾りもない紺色の普段用ドレスに身を包む。ドレスは肌触りが良くて動きやすい。きっと良いものなのだろう。

こんないいもの、自分が着て良いのだろうかと思うが、シンシアの着ていた服はびしょびしょに濡れ、泥も付いていたので、ありがたく借りるしかない。

靴も柔らかな室内履きが用意されていた。こちらも、ピカピカに磨きあげられた屋敷の中を自分のボロ靴で歩く訳にもいかず、ありがたく履かせてもらった。


それにしても、服も靴もサイズが合っているのは何故だろう。たまたま自分と同じような背格好の侯爵家所縁の方でも居るのだろうか。



「問題なさそうだわ」

「ええ、ぴったりとはいかないけれど」

「丈が合ってて良かった」

「本当にね、目測での背丈だけを言われた時はどうしようかと思ったわ」

「髪と肌はこれから磨けばいいわね」

「ええ、どちらも磨けば光るはず」

「とりあえず、肌のくすみはお化粧で何とかしましょう」

「ええ、腕が鳴るわ」

侍女達がドレスを着たシンシアを満足そうに見ながらシンシアに聞こえないようにひそひそと囁きあう。


「こんな良い服をお借りしてすみません」

「とんでもないです。客人をもてなすのは当然の事です」

恐縮するシンシアに胸を張って答える侍女達。


その後、侍女達はシンシアの髪の毛を結い上げてセットしようとしてきたのでそれは何とか止めて、髪はリボンで緩く纏めるだけにしてもらった。


シンシアからすると、侍女達はシンシアの立場を勘違いしているとしか思えないのだが、自分から「私は罪人なんです」と言うのも変だし、驚かせて怯えさせてしまうかもしれない。

結局、罪人である告白は諦めてその後は薄く化粧までしてもらう事になった。



そうして身支度を終えたシンシアの元へ、サムエルがやって来た。

シンシアを見てサムエルは少し目を見開いた後、満足そうになって口を開く。


「ハリー坊っちゃんに会いたいとの事ですね」

「はい。熱の具合も心配ですし、出来れば付いていてあげたいのですが」

「お医者様は風邪でしょうと言われて、熱さましの薬をいただいております。様子を見るのはもちろん構いませんが、看病はダメです」

サムエルがきっぱりと首を横に振る。


「シンシア様、あなたにも休息は必要だと思われます。無理をして坊っちゃんの風邪をもらってしまっては、私がアラン様に叱られてしまいます」


ですから、様子を見るだけですよ、と念を押してからサムエルはシンシアをハリーの元へと連れて行ってくれた。



ハリーはシンシアの部屋と同じ棟の、下の階の部屋が与えられていた。シンシアと同じくこざっぱりした部屋で、でもこちらの部屋には早速小さな本棚が設置され、その前には子供用の可愛い机と椅子まである。

子供連れであるのはついさっき分かったはずなのに対応が早い。さすが侯爵家だ。


本棚には絵本とぬいぐるみが入っていた。

ハリーは6才なので、絵本はともかくぬいぐるみ遊びはもうしないだろうが、体が小さいので低年齢に見られているのだろう。

これならきっと4才で通る。

ほっとしながらシンシアは広いベッドで寝ているハリーに近付いた。


「熱冷ましが効いて、今はよくお休みですよ」

サムエルが言い、シンシアはそっとベッド脇の椅子に腰かけてハリーの顔を見た。シンシアの天使はすうすうと満足そうに眠っている。


とにかく早くにシンシアを姉ではなく母として接するよう伝えておきたいのだが、無理矢理起こす訳にはいかない。

どうしようかと迷いながらもそっと額を撫でるとうっすらとハリーの目が開いた。

ぐっすり眠っているのかと思っていたが、知らない場所で眠りは浅かったようだ。


「……ねうえ」

掠れた声でハリーが呼ぶ。その声には明らかな安堵の色が混じっていた。

シンシアはさっと体を乗り出すと、後ろのサムエルに聞こえないように囁いた。


「ハリー、私が分かる?」

大切な事を伝えたり注意する時の低い声で聞くと、ハリーが目を瞬く。


「はい」

ハリーは神妙な顔で返事をした。

シンシアがこの声で話す時は大事な事が伝えられるのだと知っているのだ。


「よかった。ハリー、よく聞いてね。これから先、私の事は母で通しなさい。そしてあなたは4才です。あなたの身を守るためなの、できる?」

ゆっくりとそう伝えるとハリーはぽかんとしたが、すぐに神妙な顔に戻ると何も聞かずにこくりと頷いた。


弟は熱で朦朧としながらも、閉じ込められていた離れを出た事や侯爵家の馬車に乗った事、この屋敷での扱いに驚いていたに違いない。

賢い子だから、何かが起こったことを察してはいるようだ。


「私もこのお屋敷の中にいるの。心配しないでゆっくり休みなさい。元気になったらちゃんとお話しましょうね」

自分は明日にでも騎士団の牢屋に行くのかもしれないが、今の弟にそんな事を伝えるつもりはない。


「うん」

シンシアが微笑んで額を撫でると、ハリーはまた目を閉じて安心したように眠りに落ちた。

今度こそぐっすり眠ったようで、髪をかきあげてやってもぴくりともしない。


もう一度ハリーの額に手をあてて、熱の具合を確かめる。サムエルの言うように薬が効いているのだろう、雨の中で背負っていた時よりずっと低く平熱に近い気がする。



「また眠られましたか?」

「そうみたいです」

「では、シンシア様もお部屋で医師の診察を受けてください」

「医師の診察?」

「はい、随分と雨に打たれておりましたし、坊っちゃんの風邪をもらっているかもしれません。顔色も少しお悪いです。失礼ながら子爵家での様子も少しお聞きしております。お身体をお悪くしている可能性もございます。アラン様も必ず診察を受けさせるようにと仰っていました」


「……」

シンシアは少し考えた末に、自分を屋敷に置くからには変な病気を持ち込まれては困るのだろうな、という結論に至る。


「分かりました」

「ハリー坊っちゃんにはベテランの侍女を付けておきますので、何の心配もございませんよ」

サムエルがそう断言し、シンシアはとてもほっとする。


今まで離れを空けてハリーを一人にする時はいつも不安だったのだ。ハリーの調子が悪い時は特にそうだった。弟に誰かが付いていてくれるのはこんなにも安心するのかと驚く。

シンシアはサムエルに心からのお礼を言った。


「礼には及びません。私はアラン様よりあなたに不自由や不便や心配が一切ないようにと申し付けられておりますので」

サムエルの言葉にシンシアは再び冷たいアイスブルーの双眸を思い出す。


アランはわざわざ一番細やかで気配りのきくサムエルを付けてくれたのではないだろうか。銀髪の美形は冷たく事務的な印象の人だが、自分を気遣ってくれているようだ。

なぜ自分が気遣われているのかはさっぱり分からないのだが。


「では、こんなに有能なサムエルさんを付けてくれたキリンジ侯爵令息様にも感謝を」

シンシアがサムエルを讃える形でそう言うとサムエルは嬉しそうに微笑んだ。


「ところで、キリンジ侯爵令息様はいつお戻りになりますか?こんなによくしていただいたお礼を言いたいのですが」

アランにはまず最大級の謝意を表して、それから、こんなによくしてくれている理由を聞きたい。自分がいつまでハリーと共にいられるのかも確認しなければとも思う。


「主が戻りましたら、シンシア様が会いたがっているとお伝えします」

「よろしくお願いします。あの、お時間がある時でよいので」

「承知しました。あなたのご希望となれば時間は作ると思われますけどね」

「え?」

「今のはただの一人言でございます、お忘れください」

サムエルはにっこりして、シンシアを部屋へと送ってくれた。



部屋に戻るとサムエルと入れ違いで、白衣を着た中年の女性の医師がやって来た。

「医師のステラ・ヒューイットよ。家名はあるけど家はもう出てるの。だからステラでいいわ」

化粧気のない顔でにっと笑いながら簡単に自己紹介され、早速問診が始まる。


女医さんなんて珍しいなと思い、てっきり男性の医師に診察されると思っていたシンシアは少しほっとしながら簡単な質問に答え、脈や心音を確認された。


「少し痩せすぎね、食事はこれからしっかり摂りなさい。慢性的な疲労もあるようだから、睡眠もとってしばらくはとにかく休むように、いいかしら?」

一通りの診察が終わり、さばさばした雰囲気のステラが早口で言う。


「はい」

シンシアが答えるとステラは頷き、そこで部屋で控えている侍女達を振り返ると退室を促すように顎をしゃくった。

侍女達は一礼してさっと部屋を出る。

扉もしっかりと閉められた。


「あの?」

突然の人払いにシンシアが驚いていると、ステラはシンシアを安心させるように微笑んだ。


「答えたくなければ答えなくてもいいんだけど、質問をいいかしら?」

「どうぞ」


「お嬢さんは18才だと聞いているの。息子さんがいるのよね?」

ステラの質問にシンシアはびくりとする。

心臓がドキドキしそうになって、意識してゆっくりと呼吸をした。


「はい」

「その子が4才とも聞いたわ。あなたは14才で出産したの?」

「…………はい」

シンシアは用心深く返事をした。

大丈夫、声は上ずってはいない。


シンシアの返答にステラは天井を仰いで、大きくため息をついた。


「…………」

いきなり嘘がバレたのかと、固まるシンシア。

そんなシンシアにステラは困ったようにまた微笑んだ。


「あなたを責めたんじゃないの。はあぁ、低年齢での出産は怖いのよ。あなたは今も細いし体が出来上がっていたとは思えない。骨盤も未発達だったはずなの、相手の男は何を考えて…………ごめんなさい、事情を詮索する気はないわ」

ますます固まるシンシアにステラは言葉を切った。


「出来れば出産の際にダメージを受けていないかも、確認したいのだけれど」

その言葉にシンシアは青くなる。

そんな確認されれば、すぐにシンシアが乙女だと分かるだろう。


嘘がバレる。

バレたら、ハリーまで捕まる。

あの子を牢屋に入れるなんて、絶対にダメだ。


でも拒む上手い理由が見つからないまま、シンシアが無言で必死に青い顔を横に振ると、ステラはあっさりと引いてくれた。


「そうよね。無理強いはしないわ。ここでゆっくりして、余裕が出てきたら、私の診察を受ける事を再考してみて」

ステラの言葉に体から力が抜ける。


(よかった。危なかった……)

そうしてすっかり油断したシンシアに、次の言葉がかけられた。


「いろいろ大変だったんじゃないかと思う。出産も赤ちゃんを育てるのも、よく頑張ったわね」


ゆっくりと、労るようにそう告げられた。


それは主にシンシアの出産や、出産に至る経緯を労るものだったのだが、シンシアには“赤ちゃんを育てるのも”の方が響いた。


ハリーを1才から育てたのはシンシアだ。

父は13才のシンシアと1才のハリーとを離れに押し込め、誰も付けてはくれなかった。

使用人の中には、時々シンシアとハリーに同情的な者もいて、こっそり助けてくれる事もあったが、そういった者達は父に解雇されていきハリーが3才になる頃にはいなくなった。


それからは、本当に一人になった。

ハリーは天使で癒しで一番大切なものだったが、幼い弟との2人暮らしは、時に心細さを誤魔化しようがなく何度も挫けそうにもなった。

特に今回のようにハリーが体調を崩した時などは、誰にも相談出来ずにおろおろ見守るしかなくて、それは本当に辛くて大変な時間だったのだ。


知らずに、シンシアの目から涙が落ちる。


「大丈夫?」

ステラがタオルを差し出し、シンシアは自分が泣いている事に気付いた。


「あ、ごめんなさい」

びっくりしながら、タオルで涙を拭うが涙は止まらない。

「あれ?ごめんなさい」

「いいのよ」


シンシアの涙はしばらく止まらず、ステラは優しく側にいてくれた。




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