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6.忌々しい女(2)


裏帳簿はシンシアの伝えてくれた場所に確かにあって、帳簿の筆跡は全てシンシアによるものだった。


この後、アランは任務の遂行に手心を加える事になる。


裏帳簿まで確認出来たのだ、後は一刻も早く踏み込んで証拠と子爵を押さえるだけのはずだった。

しかしアランはその時期をずるずると延ばす。

自分にはいろいろと言い訳をしながら、一ヶ月もの猶予を置いた。


子爵にアランの本当の目的を勘づかれたり、裏帳簿の隠し場所を変えられたりすれば自分はどうするつもりだったのだろう。

後から考えても自分の行動が理解できなくて無性に苛立ったが、この時のアランも常に苛立っていた。


苛立ちながらもアランは侯爵家の私兵を使って、ヨハンソン家でのシンシアの現状を調査する。屋敷に潜入させるのは危険すぎたので、外から様子を確認するだけだったが、それでもシンシアへの冷遇はすぐに調べがついた。


子爵家で見るシンシアの様子から予想はしていたが、令嬢とは思えない扱いを彼女は受けていた。

手入れのされていない離れに押し込められ、世話をする侍女は付けられていなかった。

水場の使用は早朝か夜更けのみ許されていて、食事は屋敷の厨房で余ったものを貰いに行く毎日。

シンシアの干した離れのシーツは目を離すと汚されたし、使用する薪やランプの油もかなり制限されているようだった。

午前中と午後とシンシアは屋敷の中へと入り、しばらくすれば離れへと戻って行く。この時間に子爵の悪事を手伝わされているのだろう。


アランは強い怒りを覚えながら報告書を読む。

報告の中での唯一の救いは、シンシアは離れでこっそり動物でも飼っているようで、彼女が離れから屋敷へ出かける際はいつも笑顔で、行ってきます、と声をかけている事くらいだった。


そんな調査の中で、5年前に町の警邏隊にシンシアを名乗る少女が助けを求めた記録も見つけた。

少女の訴えの内容までは記されていなかったが、シンシア・ヨハンソンを名乗る少女が家から逃げ出していた、という事実だけでも使えるとアランは思った。

少女はその後、ヨハンソン家の使用人に無理矢理連れ戻されていた。


これで、シンシアは逃げるほど嫌がっていたのに、連れ戻され脅されて、本人の意思と関係なく悪事を手伝わされていたのだと主張が出来る。

シンシアの当時の年齢と、現在にまで至る待遇を併せると無理矢理手伝わされていた事は明らかだ。

それなら十分に情状酌量の余地がある。


ひとまずは、これで安心だ。

この調査結果があれば、子爵家に踏み込んでその罪を暴いたとしてもシンシアの首は飛ばない。

アランはほっとした。


ここで、一段落のはずだった。


しかし、これで落ち着くと思われたアランの苛立ちは全く収まらなかった。


アランはシンシアが騎士団に拘束されるのも嫌だったのだ。

他の男があれの腕を掴んで拘束する事を想像しただけで吐き気がして、一時の間でも騎士団の牢にシンシアが入るかと思うと背筋がひやりとした。


収まらない自分の苛立ちに気付いて、驚き呆れた後、アランは王太子に直談判する。

任務が成功した暁の褒美について、シンシアの無罪放免に、ヨハンソン家の爵位の保留とその爵位の将来的なシンシアへの譲渡、そしてアランによるシンシアの後見を望んだのだ。


アランの嘆願は、激しい怒りと混乱を無理矢理抑え込んで為された。

王太子はそんなアランの様子とその内容に目を丸くする。


「ミイラ取りがミイラなのかな?」

王太子がひとしきり驚いた後で探るように聞いてくる。

「罪なき者が裁かれるのが、我慢ならないだけです」

「そう?それにしても、後見とはねえ」

「ヨハンソンの領地では最近、小さいですが鉱山も発見されています」

「自然のものは不確かだからと、君はそういうの興味なかったよね」

「人は変わります」

仏頂面で押し通すアラン。自分でも何故こんな要求をするのか判然としていないのだ。仏頂面にもなる。王太子は面白そうな顔になった。


「ははは、君にこんな熱い一面があったとは、驚きだな。いいよ、その条件を呑もう。正式な会議にはかける事になるが何とかなるだろう。シンシア嬢へ爵位を渡すことについては何らかの条件は付くと思うけどいい?」

「構いません。彼女は決着の着くまでの間、キリンジ侯爵家で保護します。後見人ですし」

アランは礼をすると、王太子の部屋を辞そうとした。

「あ、一つ聞きたいんだ」

「はい」

「裏帳簿を見つけたのはいつ?」

それは一ヶ月も前だった。


「……一週間ほど前です」

「ふーん?」

王太子はニヤニヤしながらアランを見送った。




***


子爵家への踏み込みの朝、アランは土砂降りの中、王国騎士団と共にヨハンソン子爵家へと向かう。

侯爵家の騎士数人と侍従のサムエルも従わせている。彼らにはシンシアの保護を命じていた。


アランは自分のシンシアへの気持ちからはずっと目を背け続けていた。

シンシアは、アランに訳の分からない行動をさせる忌々しい女のままだ。


そして、アランは出会うのだ。

子爵邸の門の前で、


傘もささずに濡れそぼり、痩せた体にぴったりとびしょ濡れの衣服を張り付け、小さな子供を背負って出ていこうとするシンシアに。


こんな時ですら、彼女は美しかった。


勝算の薄い逃げの一手をかけ、足は泥だらけで美貌は見る影もないはずなのに美しい。

むしろ、未来を掴み取ろうとしているシンシアは、アランが今まで見た中で一番美しかった。


本当に忌々しいほど美しい女だ。


その美しい女は、アランに目もくれずにその脇を通り過ぎようとする。

その時、アランはこの一ヶ月の自分の苛立ちの本当の理由を知った。


アランは、シンシアが自分を頼らない事に一番苛立っていたのだ。


シンシアはアランを頼ってもよかったはずだ。

彼女はアランの目的に気付いていて、アランの身分も知っていたし、子爵家では冷遇されていた。

アランと接触の機会くらい作れただろうし、窮状を訴えてアランに助けてと縋ってもよかったのだ。

せめて相談くらいはするべきだったのではないだろうか。


そんな素振りは一切なかった。

そういう事を考えもしなかったのだろう。

責めるのはお門違いだというのは分かっている。

分かっているが、苛立っていたのだ。

自分に頼らないシンシアに。

シンシアに頼られない自分に。


「待ちなさい」

咎めるような口調で命じた。

シンシアが身を震わせる。

自分に怯えるシンシアにますます腹が立った。それが、身勝手なものだとも承知していた。


「何か私に言うことは?」

怒りが声色に滲む。


「み、見逃してください」

震える小さな声。

でも涙声ではない。シンシアの肩も震えてはおらず、俯く女は泣いてはないと分かった。


いっそ泣けよ、とアランは思った。


なぜ、この女は泣いて助けを求めないのか。

泣けばその手を取ってやれるのに。

それに、その背中の子供は一体何だ?

アランの中で苛立ちばかりが募る。


目の前には、この一ヶ月、何とかして救おうとした美しい女がいるのに、素直に手を差しのべる気にはなれなかった。

自分が女一人の為にらしくない事をしたのを認められなかった。


「どうか、お慈悲を」

嘆願には質問で返した。


「背中の子供は?」

まずはここから解決しなくては。

アランの中のどうしようもない苛立ちと困惑、その困惑の半分ほどはその子供が占めている。

土砂降りの中、明らかに断罪のタイミングで逃げるシンシア。

彼女はおそらくこの瞬間をずっと狙っていたのだ。そんな大切な人生の岐路に大切そうに背負っている子供。


答えの予想は出来ていた。

それでも、アランはシンシアの答えに強い衝撃を受ける。


「私と使用人との間に出来た子です」


きっぱりと強い声で宣言された事実。

そうだろうとは思っていたが、本人の口から聞いて、がんと頭を殴られた気分だった。

今まで感じた事のないどす黒い思いが胸に渦巻く。


子供だと?

使用人と?


シンシアと愛を交わした男がいると思うと、身が焼かれるようだ。

そして、一瞬、ほんの一瞬だが、アランのどす黒い嫉妬は、その行為は無理矢理であったに違いない、そうであってくれ、と願った。


願ってから愕然とする。

彼女の幸せと健康を思うなら、そこは合意の愛のあるものであった事を願うべきなのだから。


己の浅ましさと罪深さにアランは舌打ちした。

油引きの外套ごしにあたる雨粒がやけに痛い。


最悪だ。

天を仰ぎたい気分だった。

自分は最悪の最低野郎だ。


認めよう。

そう思った。


潔く、認めよう。

俺はこの女に一方的に惚れている。

ほとんど喋ってもいないのに、頭がおかしいとしか思えないが。

とにかく、惚れているのだ。


なら、為すべき事は一つだ。

白々しいことに全て手配はしてあるのだ。彼女を保護するための騎士と侍従、侯爵家の馬車も門の外に待機している。

侯爵家の屋敷では彼女の為の部屋と服が準備してあり、侍女は風呂に湯をためているはずだ。


「逃がしません」

尚も逃げようとするシンシアにそう告げると、アランは忠実な侍従を呼んだ。





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― 新着の感想 ―
[一言] シンシアの気持ちがよく分かります。誰かに助けを求めて信じて貰えなかったら、人が助けてくれる存在では無くなる事。私にも身に覚えがあるので… シンシアは幸せにならなきゃ。凄く切ないです。
[良い点] この回の後半の描写が本当に本当に好きで何度も読み返してます。痛切な感じがすごく好きです。このときの「最悪」な気持ちが報われる場面を見たいです、楽しみにしてます!
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