43.馬車の中で
城からの帰りの馬車。
アランはシンシアを座らせると、向かいではなく隣に座ってきた。
「…………」
少し身を硬くするシンシア。
「隣はダメでしたか?」
「ダメではないです。ただ、緊張はします」
思えば、両想いだと分かってから二人きりで馬車に乗るのは初めてだ。
「では、ちゃんと距離は取ります」
アランはにっこりして、少し間を開けてくれた。
馬車が走りだし、少ししてからアランが口を開く。
「鉱山の採掘権を売る、には驚きました」
「もったいないと思いますか?」
「そうですね、商売に関わっているので、もったいないとは思います。開発の手間はかかりますが、10年、20年の単位で見れば、罰金を払ってもかなりのプラスだったでしょう。領地の経営はとても楽になったでしょうし、それを元手に事業も出来た」
「分かっています。でも、罰金を免除されてそれをするのは無理でした。貴族としては、未熟だったと思っています」
「未熟という人もいるでしょうし、高潔という人もいるでしょう」
「高潔だとは……私はきっと運が良かったんです。こんなタイミングで鉱山が見つかって、それを売ってお金も払えて、罪の意識が軽くなる。私の自己満足の為だけに神様がくれたみたいな気もします」
「きっとそうなんですよ。ありがたく使いましょう」
アランが微笑む。
「優しいですね。キリンジ家から受けた恩を考えれば売らない方がいいのに。何の恩返しも出来ないままです」
「そこは気にしないでください。あなたとハリーを保護したのは関わった貴族としては当然の事でした。それに公園で告白した通り、私はその当然の事だという建前の元、利己的な思いであなたを保護していたんです」
“利己的な思い”と言われてシンシアは公園での告白を思いだし、少し恥ずかしくなった。
「だから、気にしないでください。あれはとても、あなたらしい決断だったと思います。そして私はそんなシンシアが好きなんです」
「……ありがとうございます」
ドキドキしながらシンシアはお礼を言った。
自分もこの人が好きだなあ、と思う。アランの隣はまだ緊張もするけれど安心するし、話していると、とても落ち着けた。
王太子に向かって『採掘権を売ります』と宣言出来たのも、アランがシンシアを肯定してくれたからだ。
シンシアはそっと隣のアランを見た。
足が優雅に組まれていて、足が長いんだな、と思う。そこに置かれた手は以前に感じたように大きい。
肩にかかる銀髪はさらりとしていて、指通りが良さそうだ。
改めて、素敵な人だなと思う。
そしてシンシアはこの素敵な人が、優しく真面目で、いつだってシンシアの事を考えてくれる人であるのを知っている。
アランの事を好きで良かったな、と思い、出来ればこれからの人生を一緒に過ごしたいな、と思った。それは好きになった時から漠然とあった思いだったが、自分には様々な問題がありすぎて具体的には考えられなかった事だった。
でも、今なら一緒の未来を思い描く事が出来た。
それはとても自然な瞬間だった。
「…………さっき言った事なんですが」
しばらく馬車に揺られてから、シンシアは口を開く。
「さっき?」
「殿下の執務室で、抜け道は使いません、と言った事です」
「ああ、あの時のあなたは、凛々しかったです」
にっこりするアラン。
再びドキドキしそうになって、シンシアは気持ちを落ち着けた。
きちんと伝えなくては、と思う。
「その、抜け道は使いません、と言いましたが、あれはアラン様との結婚を否定した訳ではないです」
「分かっています」
「…………つまりですね、結婚をする気がないわけではないというか、私がこんな事を言うのも変なのですが、結婚について、きちんと考えてみようと思っています」
アランの方を向いてそう伝えると、アランは少し驚いた顔をしてから、恐る恐る聞いてきた。
「それは……プロポーズを受けていただけたと考えていいのでしょうか?」
「はい。領地に戻りますし、採掘権の売り先を探さないといけないので、今すぐという訳にはいきませんが、その、いずれは、と」
じわじわとアランの顔に喜びが広がる。
その目元が、ほんのりと朱に染まった。
「嬉しいです。ますます急がねば」
「急ぐ?」
何を?
きょとんとするシンシアの手がアランが手で包みこまれた。
「鉱山の採掘権の売り先の選定と契約を私に任せてもらえませんか?」
「え?」
「実は少し前から、うちの商団の取引先で、鉱山に興味がありそうな幾つかの家門や商家と、やり取りはしているんです」
微笑むアラン。
「技術や人材の提供を打診していて、その中には共同採掘権の話を出してきている家もあります。勝手に進める気はなかったので、全て相談の範疇で、まだ何も具体的には進めていません。
あなたには、会議の決着が着いて落ち着いたら、その内の良い条件のものを提案しようと思っていました」
「そんな、すみません、何も知らずにお手間をかけていたんですね」
「全て自分の為だったので、気にしないでください」
「アラン様のため?」
「ええ、“全力で口説いて結婚に持っていく”と言いましたよ? あなたはきっと罰金の支払いが終わるか、その目処が立つまで婚姻は結んでくれないと思ったので、元々鉱山の開発はこの一、二年で早急に行って三、四年でそれなりの利益を出すつもりでした。ある程度利益が出てからなら、結婚も受け入れてもらえるかなと」
「…………」
全力って、そういう方向のもあったんだ、と言葉を失うシンシア。
それにしても、協力先や共同採掘先を探すだけなら、商団に利益はないのではないだろうか。
「商団では、仲介料をいただくつもりでしたから、シンシアが気に病む必要はありません」
「あ……はい」
思考が読まれている。
「そういうわけで、素地は既にあるんです。なので任せてもらえませんか?
共同採掘権を提案してきた家門は採掘権の買い取りにも乗ってくると思います。もちろん、そこ以外も候補に入れて探します。条件も出来るだけヨハンソン家に有利になるようにします」
「とてもありがたいです。売ります、と言ったものの、ご存知の通り私には人脈も商才も皆無ですので、相談はしたいなと思っていたんです」
「では、任せてもらえますか?」
「嬉しいですが、負担ではないですか? あなたのお荷物にはなりたくないんです」
シンシアの問いにアランは蕩ける笑みを浮かべた。
「愛するシンシアの為にする事に、負担なんて感じません」
「そ、そうですか」
蕩ける笑顔とストレートな言葉に、シンシアはどぎまぎする。“愛する”の破壊力がすごい。
「……ですが、そうですね」
ここでアランが笑みを深める。
包まれたシンシアの手が、すり、と撫でられた。
「上手に契約出来たら、ご褒美をくれませんか?」
色気を感じる声でアランが言う。
「ご褒美、ですか?」
聞き返しながらシンシアは、馬車の中が狭くなったような気がした。
アランから距離を詰められた訳でもないのに、さっきよりアランが近く感じる。
「ええ、欲しいものがあるんです」
「…………何でしょうか?」
これを聞くのは怖かったが、聞くしかない。
すり、とシンシアの手が撫でられる。
「あなたが欲しいです」
「っ…………」
シンシアは、ぼっと真っ赤になって手を握りしめた。
意味は分かった。
シンシアは男女の営みについては、それなりに知っている。母がハリーを産んだのはシンシアが12才の時で、その時に乳母や母からきちんと教育を受けたのだ。
だから言われた事の意味は分かったし、結婚すればそういう行為があるとも、漠然とは考えていた。
婚約を結んだ時点で体を許す方もいるらしいし、アランとなら、とは思う。というかアランでなければ嫌だと思う。
思う、思うが、
「あ、……あの、それ、は」
「ダメですか?」
「ダメという訳では、ですが」
「ダメではない?」
「ダメではないですが、」
答えてしまってから、これは承諾した事になるのではないだろうか、と、はっとする。
「ダメではないんですけどっ」
慌てて続けようとした所で、そっとシンシアの手が離された。
「ふふ、よかった」
アランがにっこりしている。
馬車の中が、元の広さに戻った気がした。
「え?」
「驚かせてすみません。結婚前にそんな真似をしようとは思っていません」
「あ、そうなん、ですね。すみません、勘違いをしてしまって」
自分が何か盛大な勘違いをしたのではと、さっきとは違う感じで顔が赤くなる。
「勘違いはしていませんよ。願望自体は本当です」
「えっ」
「私だって、欲にまみれた若い男です。あなたに触れたくてしょうがない。その肩と腰に腕を回して抱き寄せたいですし、その唇を味わいたいです」
「っ!」
シンシアは思わず、口を手で覆った。
「でも、あなたは何なら深窓の令嬢以上に男性に不馴れです。手に触れるだけでいつも身を硬くされています。茶会も夜会も経験がなかったのですから、当然です。なので、嫌われたらどうしよう、とそういう方面は攻めあぐねていました」
「攻め……」
シンシアは、アランの“攻めあぐねていました”が過去形なのに、嫌な予感がした。
「嫌がられてはいないと思っていましたが、確信はなくて。先ほどの感じだと、慣れなくて恥ずかしいだけで嫌ではなさそうですね。ほっとしました。もう少し攻められるなと」
何やら爽やかな様子のアラン。
「攻めるのはちょっと」
「少しですので」
「少しですか?」
「少しです」
少しなら大丈夫かもしれない。
「それで、ご褒美なんですけど」
爽やかなアランが話題を戻す。
「あっ、はい」
(ご褒美が欲しい、は冗談じゃないんだ)
何だろう、さっきみたいなものじゃないといいのだが、とそわそわしていると、アランはシンシアを見つめて言った。
「上手く採掘権を売れたら、正式に婚約していただけませんか? 言っておきますが、私はシンシアの過去は気にしてませんし、キリンジ侯爵家に反対する者はいません」
今回の、“婚約”はすとんとシンシアの中に落ちた。
異論も遠慮もなく、素直に嬉しい。
「私で良ければ、喜んで」
笑顔でそう答える。
「あなたがいいんです」
アランはそう言うと、シンシアをそっと抱き寄せた。シンシアの肩と後頭部に手が回されて、シンシアはアランの胸に顔を埋める形になる。
心臓がドキドキと音をたてた。
「今は少し攻めています。嫌ではないですか?」
シンシアは、嫌ではないと首を小さく振った。
アランが笑った気配がして、その腕に少し力が込もる。
心臓の音が伝わりそうで恥ずかしい。
車内に拍動が聞こえるんじゃないだろうか、というくらいにシンシアの心臓は煩く鳴っている。
やがて、
「もう少しいけそうだな……キスしてもいいですか?」
アランがとても優しい声でそう聞いて、シンシアは小さく頷いた。
お読みいただきありがとうございます!
あと二話です。明日の夕方あたりに完結予定です。




