39.迫り来る甘い身の危険
ただのおまけ的な話です。
話は進みません。
公園デートから侯爵邸に帰ると、玄関ホールではクリスティナが待ち構えていた。
クリスティナはハリーを抱えたアランの幸せそうな様子に、二人の事情を一瞬で悟ったようだ。
にっこり笑うと「お帰りなさい、楽しめたようね」と言うと、いつものお喋りは一切せずに引っ込んでしまう。
何だか逆にとても恥ずかしくなるシンシア。
根掘り葉掘り聞かれるのも困っただろうが、察せられるというのは、それはそれで恥ずかしい。
侯爵夫人と共に出迎えてくれたサムエルも、クリスティナと同じく一瞬で全てを理解したらしい。満足そうに頷きながらすぐにアランからハリーを受けとる。
「ハリー坊っちゃんは、私がお部屋にお連れしておきますね」
そう言って、自分はお邪魔だとばかりにこちらもそそくさと引っ込んでしまった。
(ああ、ちょっと待って)
あわあわするシンシア。
帰りの馬車では、向かいに座ったアランに甘く見つめられて蒸発するんじゃないかという思いだったのだ。
両想いは嬉しいけれど、全力で口説かれるのは恋愛事に免疫が全くないシンシアとしては少し困る。
「シンシア」
アランに呼ばれる。
シンシアの名前を呼ぶその声は既に甘い。
「は、はい」
「今日はありがとうございました。楽しかったです」
もちろん、その笑顔も甘い。
「私も、楽しかったです。こちらこそ、ありがとうございました」
「気持ちも受け取っていただいて、本当に嬉しかった。おまけに真っ赤になって慌てるあなたはとても可愛いくて、夢のようでした」
可愛いと言われて、シンシアは再び真っ赤になった。
「またお誘いしても構いませんか?」
「はい、もちろん」
アランはうっとりと笑うと、シンシアの手をそっと取って、振りではなく口付けを落とした。
あっという間に手が熱い。
「部屋までお送りします」
口付けた手をそのまま握って、アランはシンシアを部屋まで送ってくれる。
廊下を歩きながら、まだ夕方の早い時間なのに、これからどうなるのだろうと軽いパニックになりそうなシンシア。
アランがシンシアの嫌がる事なんてするはずもないが、今のシンシアならアランと部屋に二人きりなだけで卒倒しそうだ。
胸のドキドキは、もはやときめきではなく、極度の緊張のような気がしてきた。
でも部屋まで来たアランは、入り口でそっとシンシアの手を離した。
「離れがたいのですが、あなたの許容量がパンクしそうなので今日はこれで。ゆっくり休んでください」
「あ、はい」
手を離されたら離されたで、寂しい気もする。思わずアランを見上げてしまうと、アランが切ないため息を吐いた。
「そんな顔をされると、自制が効かなくなります」
再びシンシアの手が掬い上げられ、今度はそれはアランの頬へと添えられた。
さらりとした頬の感触が手に伝わってくる。
「……あなたが好きです」
「は、はい、わたしもです」
苦しげに告げられて、シンシアはすぐに答えた。もうすれ違いはしたくない。
「はあぁ……だから、自制が効かないって」
「大丈夫、ですか?」
「大丈夫です」
シンシアの指にそっとアランの唇があてられる。
指先の柔らかい感触にドキドキして、自分の手がアランの口元にある、という絵にくらくらしてしまうシンシア。周りの空気が薄い気がする。
(倒れるんじゃないかしら)
アランは唇をあてたまま、くすりと笑った。
「そろそろ、限界そうですね。涙目になってる、可愛いな」
シンシアの手が解放され、代わりに目尻の涙がそっと拭われた。
「この涙は、悲しいからとかではなくて」
「分かっています。真面目に説明してくる所も、かなりぐっときますね。はあ、俺の方が身がもたない……」
「アラン様?」
アランは一度、シンシアの方へ腕を伸ばそうとして逡巡した後にそれは引っ込めた。
「とにかく、今日は楽しかったです。ゆっくり休んでください」
アランは優しく言うと、そっと扉が閉められる。
その日、シンシアはドキドキが止まらなくて眠れなかった。
***
翌朝のダイニング。
「おはようございます、シンシア」
「おはよう! 姉上」
眩しい笑顔の銀髪の美形と金髪の天使。
朝から何だかありがたみを感じてしまう。
「姉上、アランから聞いたよ。二人はうまくいったんだよね。よかったあ、僕ね、ずっと、かげながら、応援してたんだよ」
ハリーが本当に嬉しそうだ。弟に恋愛事情が筒抜けなのは恥ずかしいが、ここは素直に喜んでおこう。
「ありがとう、ハリー」
「うん! えへへ」
誇らしげに胸を張るハリー。
テーブルには昨日買ったブローチの包みが置いてあって、朝食後クリスティナに届けるようだ。
「それは、ティナさんへのブローチ?」
「うん、そうだよ。昨日のアランの真似して付けてあげるの」
ハリーの言葉にシンシアの顔の温度が上がる。
「ハリー、アラン様の真似は別にしなくてもいいんじゃないかしら」
あの場面をハリーがクリスティナに説明して、更に再現されるのは、かなり恥ずかしいと思う。
「えー、しなくちゃダメだよ。姉上、すっごく嬉しそうだったよ。アランはすっごくカッコよかった。僕もティナにしてあげるんだ」
どんどん上がるシンシアの顔の温度。
アランを見ると、にっこりされた。
「あの時のあなたも、とても可愛いかったです。抱き締めて告白してしまおうかと思うくらいに」
「…………だきしめて」
「ほらね! 可愛かったって」
(朝から、もう身がもたない気がする)
昨日から、甘いドキドキが過ぎると思う。
シンシアは、そわそわしながら朝ごはんを食べた。




