38.公園(3)
手作り市の屋台で、シンシアは小鳥をモチーフにしたブローチを選んだ。
アランが店主の女性にそれを差しだし、会計を済ます。
ハリーはその女店主と一緒に、ティナへのお土産を、トンボモチーフにするか、てんとう虫モチーフにするかで悩み中だ。
「襟元に付けさせていただいてもいいですか?」
小鳥のブローチを手にしたアランが柔らかく聞いてくる。シンシアはこくりと頷いた。
「少し失礼します」
今日のシンシアはくすんだ水色の普段用ドレスだ。襟があるデザインなので、アランは一歩シンシアに近づくと、そっと襟を取ってブローチを付けてくれる。
アランが屈んで手元に集中するので、顔が近い。シンシアは慌てて俯いてアランの手を見た。
(大きな手……)
アランの大きくて節のある手。
もちろん、アランはシンシアに触れるような事はしないけれど、首元と頬の下すれすれにアランの手があって、じんわりとその体温も感じた。
ブローチをいじる手つきは繊細で、真剣な顔にもドキドキする。
赤くなるな、という方が無理な話だろう。
シンシアは顔から火が出るんじゃないかというくらいに真っ赤になった。
「出来ましたよ」
そう声がかかって、アランの手が離れていく。
「ありがとうございます」
とてもじゃないが、アランの方は見れなかった。俯いたまま礼を言ってから、シンシアは横からの視線に気が付いた。
真っ赤なままに視線の方を見るとハリーと屋台の女店主が、シンシアとアランを見ながら「わあぁ」と照れていた。
「何だか、初々しいわね。ちょっと照れちゃうわ、えーと、僕の知り合い?」
女店主が苦笑しながら、ハリーを見る。
「姉上だよ!」
「あら、お姉さんと彼氏のデートにくっついて来たのね」
「うん!」
(彼氏……)
事実ではないし、これは否定した方がいいのではと思っていると、アランが口を開く。
「店主、まだ気持ちを伝えている段階なんです」
「へえ、健闘を祈るわ。僕、邪魔しちゃダメよ」
「うん!」
「…………」
シンシアの顔の熱はしばらく治まりそうもない。
ハリーは結局、トンボモチーフのブローチに決め、綺麗に包んで貰うと大切そうにそれをポケットにしまった。
その後は、もう少し屋台を見て回ってから、だらだらと歩いて噴水広場まで戻ってきた。
広場には朝はいなかったレモネードの店が出ていて、それを買ってベンチに座る。
ぼんやりと噴水を見ながらレモネードを飲み、ふと気づくとハリーが、うとうとしていた。
「ハリー、眠いの?」
「ふん……だいりょーぶ」
もうすっかり目が閉じているハリー。
「おっと」
ハリーの手から滑り落ちそうなレモネードはアランがキャッチしてくれた。
「……そろそろ、帰りましょうか」
こっくり、こっくりするハリーを見てアランが言う。シンシアがほっぺをつんつんしてみても反応しない。
「そうですね。疲れちゃったみたい」
「朝からずっと、張り切ってましたからね」
アランはハリーの前に体を入れると、よいしょ、と言いながらハリーを背負った。
「すみません」
「平気ですよ」
そう言った後、アランは少し思案してからこう切り出した。
「乗り合いの馬車を使って入り口まで行ってもいいのですが、あなたさえ疲れてなければ、このまま歩きませんか? 少しゆっくり話をしたいんです」
ゆっくり話をしたい、にシンシアの心臓が跳ねる。
公園に着いてからはずっと楽しくてそれどころではなかったのだが、今こそ、気持ちを伝えるチャンスなのでは。
「はい、歩きましょう」
どうやって伝えたらいいのかしら、とドキドキしながらシンシアはハリーを背負ったアランと並んで歩く。
昼下がりの公園の並木道、訪れている皆がのんびりと時を過ごしている。人々がゆっくり歩いたり、ベンチに座って談笑している側を時々リスが横切る。
しばらく無言で歩いてから、シンシアとアランは同時に口を開いた。
「「あの、」」
「あ、すみません」
「いえ、こちらこそ」
「……私からでいいですか?」
謝りあった後にアランが言い、そのまま続ける。
「もちろんお気づきでしょうが、あなたが好きなんです」
真っ直ぐに目を合わせて、単刀直入にアランは言った。シンシアは小さく「はい」と答える。
「誤解を与えないように、経緯をきちんとお伝えしようと思います。長くなりますし、耳障りなら止めるので言ってください。迷惑であれば、これっきり金輪際この話題には触れません。
あんなにきっぱりと振られたくせに、厚かましく恥知らずだとお思いでしょうか?」
「大丈夫です。あの、以前にお断りしたのは、その、本心ではなくて……」
シンシアの弁解にアランが微笑んだ。
「ええ、今なら、そのように希望が持てます。だからこんな風にデートに誘いました」
「子爵邸であなたと初めて対面した時から、お慕いしていました」
アランの告白に、シンシアは目を瞬く。
「何ならきっと、遠目に見かけた時から恋に落ちていたのでしょう。あなたはとても美しかったので」
「そんな事は、」
ないはずだ。
シンシアは、いわゆる美女では決してない。
しかも、アランと初めて合った時は、着古した寸足らずのワンピースを纏い、髪はパサつき、肌の血色も悪くてボロボロの状態だった。
「恋に落ちていた私にとっては、あなたはずっと美しいんです。そのお陰で、自分らしくない行動を取りました。あの時はまだ恋に落ちている自覚はなくて、私にそんな事をさせるあなたの美しさが忌々しいくらいでした。当時は視線も不躾で、失礼な態度を取っていたと思います。申し訳ないです」
シンシアは土砂降りの雨の中、子爵邸の門でアランが『こんな時まで、忌々しい』と言っていたのを思い出す。
「あの雨の日にやっと恋を自覚して、話した事のないあなたに惚れているのに自分でも驚きました。その後はあなたも御存知の通りです。浅ましい想いから勝手にあなたを見守ろうと決めて、屋敷に囲いました。
ここは絶対に誤解されたくないのですが、誓って手を出そうとか、言い寄ろうとは考えてはいませんでした。
そもそも想いを告げる気は一切なくて、あの告白とプロポーズは、その……勢いと言いますか、タガが外れたと言いますか、本心ではあったのですが伝えるつもりはなかったものなんです」
告白のくだりでアランの歯切れが悪くなる。
シンシアがそっと窺うと、ばつの悪そうな顔をしていた。
「あなたにしっかりと振られて、私の浅ましい想いは全てバレていて嫌われているのだと思い知ったのですが、時間が経つにつれて、そうではないのでは、と希望を見出だすようになりました…………その、あなたはお茶会用のドレスで私の色を嫌悪しませんでしたし、告白後に言ってくれた、『無理です』が私自身への拒絶ではなかったというのも、優しさからの嘘ではなく、本当の事だったのでは、と」
アランが不安そうにシンシアを見てくる。
「あの、その通りです」
「よかった。殿下やハリーから、あなたの『無理です』は動転して言ってしまったものでは、と言われて、最初はとても信じられなかったのですが、それ以後もあなたが私を避けたりはしなかったので、少しずつ希望は大きくなりました。
ハリーがたくさん気を遣ってもくれましたし」
「ハリーが?」
「ええ、『姉上はアランを嫌いじゃないよ』と教えてくれました。私が落ち込んでいるのを見てられなかったんじゃないかな。
6才のハリーに気を遣われている場合ではないな、と思い、開き直る事にしたんです。もう告白して振られてましたからね。振られた強みで、気持ちはバレているので隠す必要はないな、と。あれだけしっかり振られているので、これ以上の怖いものもなかった。
ついでに図々しくも、あなたから人としての好意を持たれているとは感じたので、もう一度だけ、きちんと想いを伝えようと思いました。
領地に帰られてしまえば、会う事も叶いません。あんな勢いだけの告白で終わりたくはなかったんです。それで、デートに誘って受けてくれたら改めて好きだと伝えようと決めました。
この期に及んでも、二人きりのデートに誘うのは怖くて出来なかったので、ハリーに協力してもらいました」
アランが再び、シンシアを真っ直ぐに見つめる。
「シンシア、あなたをお慕いしています」
「…………」
「結婚したいという意志も変わらないのですが、あの申し込みは早まり過ぎたと後悔しています。あなたの境遇を考えると、いきなり結婚なんて、不安に思うのは当たり前ですから。
でも、こうして気持ちは伝え続けてもいいでしょうか? 口説くという事なのですが」
シンシアの心臓が、どくどくと音をたてる。
「あなたが私に抱いているのは、人としての好意である事は承知で、そこにつけ込んでいるのも分かっています。でも、少しでも希望があるなら、あなたを諦めたくないんです」
「…………あの、」
私も好きなんです、と伝えなくては、とシンシアは思う。
「口説いては、ダメですか?」
アランが切なそうに畳みかけてくる。
「だ、ダメです」
シンシアの言葉に、アランからヒヤッとした空気が感じられて、その歩みが止まる。
シンシアは慌てて、アランを見上げた。
「違います! 嫌だからではなくて、これ以上、あなたに口説かれては身が持ちません。そ、それに、あなたは口説く必要はないんです」
アランのアイスブルーの瞳が揺れる。そこには不安と期待があった。
「私も、あなたが好きです」
シンシアはしっかりと、一音一音区切って伝えた。
アランが信じられない、という風に目を見開く。
「本当です。騎士団の取り調べで付き添っていただいた時から好きなんです。告白をされた時はただ混乱して、でも結婚は無理だと思ったので咄嗟にお断りしたのですが、気持ちは嬉しくて、あんなひどい断り方をしてとても後悔していました。
どうにか、嫌ってない事は伝えたくて、いろいろ、でも、ひどい断り方だったから、もう嫌われてるかな、とか、アラン様はすっかり元通りで、立ち直ったんだわ、とか、でも最近は、もしかしたらまだ好かれてるかも、とか期待までして、あの、ごめんなさい、支離滅裂になってきて……」
後半は自分でも何を言っているのか分からなくなってしまい、シンシアは真っ赤になった。
呆然としていたアランが、そっとシンシアに近づくと距離をなくしてその頬をシンシアの額に寄せた。
びくりとシンシアの肩が跳ねる。
「すみません。抱き寄せたかったのですが、両手が塞がってまして」
「いえ、か、構いません」
シンシアの答えにアランが愛しそうに、頬をすりすりしてくる。
「とても嬉しいです」
アランが吐息とともにそう言って、その吐息がシンシアの耳にかかる。
シンシアは茹で蛸のように赤くなった。
シンシアの様子にアランが笑う。
「そういう事なら、今日からは全力で口説きますね」
笑みを含んだ声でアランが言った。
「えっ、全力? あの、口説く必要はもうないんですよ」
「こうなったら、あなたの身がもたなくなるまで口説いて結婚まで持っていきます」
それは囁き声で色気まで感じられた。
「…………」
湯気が出て、のぼせそうなシンシア。
「あの、お、お手柔らかにお願いしたいです」
シンシアはそう答えるのがやっとだった。
お読みいただきありがとうございます。
やれやれ、やっとくっついた。
今週中には完結できるかなと思います、よろしくお願いします。




