37.公園(2)
翌日、昨夜はドキドキしてあまり眠れなかったシンシアが朝食のダイニングに顔を出すと、アランがもう席についていた。
「おはようございます、シンシア」
挨拶と共に溶けそうな笑みを向けられる。昨日より格段に甘さが上がっているアランの笑顔だ。
「おはようございます、アラン様」
甘い笑顔に耳が熱くなるのを感じながら着席したシンシアに、溶けそうな笑みのままアランが話しかけてきた。
「デート日和ですね」
本日、天気は快晴である。
「そ、そうですね」
しっかり、デートと言ってくるアランに声がうわずるシンシア。
昨夜は何度も、明日は本当にデートなのだろうか、デートなのだとしたら人生初なのだが、本当の本当にデートなのだろうか、と部屋で一人、もじもじしたりしていたのだが、やっぱり今日はデートみたいだ。
そして、これも昨夜、何度も考えた事だが、デートに誘ってくれたという事はアランはまだ自分の事を好きでいてくれていると自惚れていいのだろうか。
「誘いを受けてくれて、本当に嬉しいです。昨夜は緊張してあまり眠れなかった」
爽やかで眩しい笑顔が向けられる。
昨日からアランの様子が変わっている。何というか、甘さに遠慮がなくなっていて、シンシアはひたすらどぎまぎする。
シンシアの戸惑う様子にアランが悲しそうに眉を下げた。
「あまり構えずにいてもらえると嬉しいのですが……困らせてしまっていますか?」
「いえ! 驚いてるだけです。デートなんて初めてで、腰が引けてしまっているんです。困ってなんかいません」
もう二度と、自分がアランを嫌がっている、などという誤解はされたくないので、シンシアは勢い込んでそう伝えた。
「そうですか。よかった」
アランが安心してほっと息を吐く。下がっていた眉がふわりとほどけた。
その様子から、とても嬉しいことに、アランはまだ自分を好いてくれているようだと分かって、シンシアは目が潤みそうになる。
(私も、あなたが、好きなの)
それを伝えたいと思う。
アランには、シンシアがアランを嫌っているとか、その態度に困っている、と思って悲しんでほしくない。
シンシアは、今日のデートで機会を見つけて自分の気持ちを伝えようかな、と思った。
昨日、アランは『思い出が欲しいのです』と言ったけれど、シンシアはもう、ただの思い出になりたくなかった。
結婚については、まだ考えられないし、アランの考えも変わっているかもしれない。
求婚は完全に勢いでなされたもので、キリンジ侯爵家には何の相談もしてなかったに違いない。
でも、アランはシンシアを好いてくれていて、自分もアランが好きなのは間違いない。
もしかしたら、このデートは結局、“思い出”になるかもしれないけれど、両想いだったという事は伝えておきたい。何とかして伝えよう、とシンシアは決めた。
「おはよう!」
ダイニングにうきうきのハリーがやって来る。
三人で朝食を食べ、馬車に乗ってボルゼー公園へと向かった。
***
「うわあ、広いね」
公園入り口の車寄せに馬車を停めて、公園へと入る。入り口から真っ直ぐに続く広い並木道と芝生にハリーが感嘆の声をあげた。
馬車ではなぜか、デート当事者のアランやシンシアよりも緊張していたハリーをシンシアは心配していたのだが(お陰でシンシアはあんまり緊張しなかった)、公園に着いてハリーの緊張は消し飛んだようだ。
「姉上! リスだよ! リスがいる!」
ハリーは大興奮で木の上へかけ上がったリスを追いかける。
「驚かせないのよ。そーっと見るのよ」
シンシアの言葉に口を押さえて、リスを観察するハリー。口を押さえる必要はないのだが、必死な様子が微笑ましい。
シンシアとアランもハリーの元へと行き、三人でリスを見上げた。
「姉上は、リスを見た事あるの?」
「昔、ここに来た時に」
「そっかあ」
「よく来られていたんですか?」
アランが聞いてくる。
「頻繁には来ていませんが、小さい頃に何度か来た事は覚えています」
「そうですか。私は兄と弟とよく来てました。すれ違っていたかもしれませんね」
眩しそうにアランが微笑む。
「そうですね」
少し頬を赤くするシンシアをハリーがニコニコしながら眺めていた。
並木道をしばらく進むと、噴水の広場に出た。
もちろん、噴水に大興奮のハリー。
なぜ、あんなに高く水が上がるのかをしきりに気にして、アランが真面目に説明してくれる。
シンシアは噴水の仕組みなんて気にした事もなかったので、そこを疑問に思える弟を誇らしく思い、説明出来るアランにはひたすら感嘆した。
噴水を堪能したハリーが、広場に待機していた公園内の乗り合い馬車に乗りたがり、三人はポニーの引く小さな馬車に乗り込む。
馬車とは言っても荷車に近く、客席には手すりがあるだけで屋根はない。
公園内を眺めながら、ゆっくりと進む馬車なのだ。
「小さいお馬って可愛いねえ。あっ、アラン、おっきなちょうちょさんだよ! 姉上、またリスだよ! 二匹もいるよ! 」
馬車に座っているだけだが、とても忙しそうなハリー。公園内を散歩している犬にも興味津々だ。
シンシアは昨夜、本日は緊張し過ぎて変な感じになってしまうのでは、とも心配したのだが、これなら大丈夫そうだ。
ごとごとと馬車に揺られながら、せっかく馬車に乗ったのだし、このまま公園奥のバラ園まで行き、バラを見てからバラ園の隣のカフェでお昼にしようか、となる。
馭者が、公園中央の広場で手作り市の屋台が出ている事を教えてくれて、昼食の後はそこを目指すことに決まった。
「僕、バラ園も屋台も初めてだよ! お小遣いもあるんだ、姉上、欲しい物があったら言ってね」
目をキラキラさせるハリー。
ハリーはこの日の為に、クリスティナの片付けを手伝い、小遣いをもらっているらしい。
「ありがとう、楽しみね」
「うん!」
しばらく馬車に揺られて着いたバラ園では、隣国から贈られたバラだの、昔の王妃殿下が品種改良したバラだの、とにかく珍しいバラだのを眺めた。
「バラはね、おくる本数でいろいろ意味があるんだよ。ティナから教えてもらったんだ」
ハリーが訳知り顔でバラの本数ごとの花言葉を教えてくれる。
「昔、侯爵様はティナに17本のバラをおくって、ティナは、げきど、したんだって」
17本のバラの花言葉は“絶望的な愛”だ。
シンシアは少し青ざめて、これ、聞いてもいい話だったかしら、とアランを見る。
「大丈夫です。我が家では有名な話です。父は何も考えずに贈っただけなんです」
アランの答えにほっとするシンシア。
そんな概ね平和なバラ園が終わり、隣のカフェにてお昼はサンドイッチとスコーンを食べた。
昼食後は、予定通りに中央広場の手作り市へと繰り出す。
ハンドメイドのブローチや、組み紐、木の玩具から、細工の凝ったランプや大掛かりな彫り物まで、いろいろ並んでいる。
そんな中をシンシアはハリーと連れ立ってゆっくり見て回り、アランは二人の後ろにそっと付いてくれて、人混みでハリーがはぐれないようにと気を遣ってくれた。
まるで護衛みたいな感じになってしまっているアランに申し訳なくなるシンシア。
「楽しめてますか?」
振り返って聞いてみると、蕩ける笑顔で返された。
「私はよく来ていましたし、平気です。それにあなたとハリーとこうして居られるだけで楽しいですよ」
その眼差しは熱っぽく、やはり、アランの甘さが一段も二段も上がっている。シンシアはまた頬が熱くなった。
「姉上、何か欲しいものあった?」
手作り市を一通り見終わってからハリーが聞いてくる。
「私はいいの。ハリーが欲しいものを買いなさい」
「ええー、ダメだよ。僕が姉上に買いたいんだよ。ねえ、さっき見てたキラキラしたブローチは? 姉上の目と同じ綺麗な緑色の」
ぷうっとむくれながらそこまで言って、ハリーがはっと我に返った顔になった。
「…………たいへん」
我に返ったハリーは、小さく呟く。
「ぼく、今日の使命を忘れてた、二人をくっつけるんだったのに」
ハリーの声は小さくて、シンシアには聞き取れなかった。
「ハリー、どうしたの? 何が大変なの?」
「あ、うん……えーとね……そうだ! 僕、ティナにお土産の約束してるの」
「そうなの? 大変じゃない、まずそれを考えないと」
「うん、だから、僕はティナにブローチを買うね、姉上はアランに買ってもらってね」
「え?」
「さあ、選びに行くよ! アラン、姉上の分、お願いね」
「えっ、ちょっと、ハリー」
ぐいぐいとハリーによって、手作りブローチの屋台まで連れて行かれる。
ブローチの屋台に着くと、ハリーはすぐに店主の女性にクリスティナの特徴と好みを伝え、お小遣いを見せてブローチを選び出した。
(ハリー、放置しないで)
シンシアはちらりとアランを見る。
アランはにっこりして、遠慮がちに「贈らせていただいても?」と言ってくれた。
シンシアは、嫌とは言えなくて困ってしまう。
「嫌とかではないのですが……」
「お茶会のドレスを贈るのは母に取られてしまったので、できればお贈りしたいのですが、受け取ってもらえますか?」
「ハリーの言った事は気にしなくていいんですよ」
「いえ、実は機会を伺ってはいたんです。それに、下心もあります」
「下心……」
「好きな方に何かを贈りたいと思うのは自然な事です。でもあなたはきっと、高価なものは理由がないと受け取ってくれないでしょう? こういう気軽なものなら受け取ってくれるかも、という下心です」
「…………」
一体、これに何と返せばいいのだろう。
さらりと“好きな方”とも言われてしまい、顔全体が熱い。
「……あの、では、喜んで」
何とかシンシアが答えると、アランがほうっと嬉しそうに顔を綻ばせた。




