36.公園(1)
父の死の真相を知ってからしばらく経ち、シンシアは再び忙しくしている。
クリスティナとのお茶に、領地管理、騎士団でのイザークとの書類仕事に、領地へ引っ込む準備も行いだした。
領地に戻る準備は、クリスティナが積極的に手伝ってくれている。この五年間は少ない使用人で最低限の管理しかされていなかったヨハンソン家の本屋敷のためにと、キリンジ家で余っているリネンやカーテンまで融通してくれた。
クリスティナは「もう息子達に関係なく、遊びに行くわね!」と張り切っていて、どうやらシンシアはずいぶんと気に入られたようだ。
「ハリーも、待っててね!」とも言っているので、気に入られたのは天使な弟なのかもしれない。
騎士団での聞き取りは、最終的な脱税の総額も確定し、シンシアは役目を終えた。
「あとは、まとめて貴族会議に提出するだけです。議題に上がる日が決まればキリンジ補佐役からお伝えがあるでしょう。
少し大きな案件なので、結論は事前の根回しと検討会なんかであらかじめ決まると思われます。私なんかでも、ヨハンソン家の爵位は残るらしい、と聞いているので爵位は残りそうですね。よかったですねえ。
爵位を継ぐ条件は、罰金刑になるようですよ。厳しい条件にならない事をダレンさん共々願っています。ね、ダレンさん」
書類をトントンと揃えながらイザークが言い、奥のダレンは無表情のまま、こくりと頷く。
何だかんだで、それなりの時間を過ごしたので連帯感みたいなものが育まれた三人だ。
「ダレンさんも健闘を祈ってくれてますよ! シンシアさん」
「私は闘わないのですが、でも、ありがとうございます」
「やれやれー、お疲れ様でした。シンシアさん、ダレンさん」
イザークが晴れ晴れと言い、三人は握手をして解散した。
その後、アランから城でのお茶会の十日後の会議で家門への正式な処分が決定すると聞かされた。
爵位は残り、継承の条件はやはりお金になるようだと言う。脱税して得た利益にペナルティが上乗せされた額が課される見通しらしい。
元々、払うつもりではあったし、貴族会議で正式に課された罰として受けることで、罪を償える気もして、シンシアの心はむしろ軽くなった。
きっと、無条件で爵位が認められれば、自分は一生後ろめたさを抱えたのだろう。
そうと決まれば、いよいよお金の工面を考えてなくてはいけない。
罰金の支払いの猶予はまだ決まっていないが、過去の例からは、十年くらいが妥当なようだ。
(細々と払いつつ、鉱山を活用出来たら何とかはなるかしら……)
支払いがきちきち行われていれば、十年後に延長の申請も出来るようなので、何とかはなるだろう。
これは、いよいよ領地に隠遁する事になるのでは、とシンシアは思う。
そうなると、ハリーが成長すれば弟だけでも王都に送り出してあげたい。与えられる教育も、人との出会いや出来る経験も王都は段違いだからだ。
クリスティナとの縁は大切にしておこう、と考えるシンシア。やはり自分は少し腹黒いようだ。
そんな日々が過ぎ、ハリーの嫡男としての届出も無事に済んで一息ついた頃、王太子妃主催のお茶会まで一週間となったこの日、オーダーしていたシンシアのドレスが侯爵邸へと届けられた。
サロンでトルソーに着せられたドレスをブティックの使いの者と共に確認する。不備はなかったので使いの者を帰し、シンシアは改めて一人でしげしげとドレスを見た。
淡い水色のドレスは、首もとまで詰まったデザインだ。首もととデコルテは花柄のレースになっていて重たい感じではない。スカートはふんわりと広がる形でその裾はレースと合わせた柄が銀糸で刺繍されている。
(……刺繍の糸、銀だったのね)
スカートに刺繍が入る事は聞いていたが、色までは知らなかったシンシアは目を瞬く。
これでは、完全にアランの色だ。
じわじわとシンシアの頬に熱が集まる。
店で水色を選んだ際は、アランを嫌っていないという事を伝えたい一心だったので気にしていなかったのだが、銀色まで加わったこれを自分が着るのかと思うと、かなり恥ずかしい。
こんなドレスを着て果たして平常心でいられるだろか。おまけに本人によるエスコートもあるのだ。
(しっかりしなくちゃ、アラン様はちゃんと吹っ切っているのよ)
シンシアはパチンと両手で頬を押さえた。
そう、最近のアランはシンシアに振られたショックからしっかり立ち直っている。
街への外出後も、まだ少し遠慮がちだったシンシアへの態度は今ではすっかり元通りになり、寂しげだった笑顔も、通常の優しい笑顔に戻っていた。
二人で話す事も増えたが、アランがあまりに元の様子なので結局シンシアは告白を蒸し返していないし、自分の気持ちも伝えていない。
立ち直ったアランに、それを伝えるのは迷惑をかけるだけだと思ったのだ。
(立ち直っているのよね)
それは良いことなのだと思う。
そう、良いことだ。
(立ち直るの、早くない?)
だから、こんな風に思ってしまう自分は最低なのだ。
アランの寂しげな笑顔を見て、胸を痛めながらも安心していた自分に今さら気付いて、自己嫌悪にも陥っている。
更にシンシアは、自分を吹っ切ったはずのアランの笑顔が以前よりも甘く、視線には熱が込もっているようにも感じていた。こんな事を感じる自分は、まだどこかでアランが想いを寄せてくれている事を願っているのだろう。最低だ。
こっぴどく振った相手に、まだ自分への気持ちがあるのかなんて聞ける訳はなく、甘い様子も熱も気のせいなのだと言い聞かせている毎日だ。
(とにかく、アラン様はもう立ち直っているのだし、お茶会当日は、余計な事は考えずにドレスを着よう)
そう決意した所で、廊下から軽い足音が響いた。
「姉上ー、ドレスが来たんだよね。わあっ、キレイだね」
侍女からドレスの到着を聞いたらしいハリーが顔を出す。
「ハリー、ええ、本当に素敵なドレスよ」
シンシアの顔が綻ぶ。
だが、ほんわかできたのは一瞬だった。
「うん! アラーン、ドレス来てるよ!」
ハリーが廊下を振り返ってアランを呼び、シンシアの心臓は一気に跳ね上がった。
(ええっ、もうお帰りなの? 早くない?)
心の準備をする間もなくアランが入ってくる。
「お、お帰りなさい。今日は早いんですね」
「ええ」
やはり、少し甘いと感じるアランの笑顔。
(だから、最近、甘いと思うのよ)
どぎまぎするシンシア。
「アラン、見て見て、姉上のドレス」
「良い仕上がりだね」
「うん、お茶会の時は、ティナがイヤリングも貸してくれるんだって」
「楽しみだね、きっと姉上はお似合いになる」
「僕の背がもっと高ければ、僕が姉上を、えすこーと出来たのになあ」
「ハリー、たとえ君の背が伸びてもエスコート役を譲る気はないよ」
くしゃりと、ハリーの頭を撫でてアランが言う。
(だから、甘いと思うのよ)
シンシアのどぎまぎが加速した。
ハリーは一通りドレスを見ると、アランにこそっと何かを伝えた。
「姉上、僕、ティナと約束があるんだ。後はアランとゆっくりしててね」
天使がそう告げて、駆け足で出ていく。
(ちょっと待って、この状態で二人にしないで)
どぎまぎが加速しているシンシアは慌てるが、止める間もなくハリーはいなくなった。
「…………」
アランとアランの色のドレスに囲まれて、どうしたらいいのかが分からない。
何か適当な会話を、と焦るシンシアにアランが聞いてきた。
「明日、休みが取れたので、ハリーとボルゼー公園に行こうと言っているのですが、一緒にどうですか?」
「えっ、あ、明日ですか」
声が裏返ってしまった。
(三人で、ボルゼー公園……)
焦りながらも、シンシアはなんとか冷静に考える。
(それは、デートみたいになるんじゃ……)
ボルゼー公園は王都で一番大きい公園だ。
園内には昆虫館があり、バラ園だけでも三つある。温室やカフェが点在しており、広場には定期的に屋台も出る。
ゆっくり見て回れば、丸一日過ごせるような場所で、公園内への私用の馬車の乗り入れは禁止だが、無料で乗れる小さな乗り合い馬車が走っていて不自由はない。
シンシアは小さい頃、何度か母と訪れた事があった。
貴族向けではなく、庶民が広く利用する公園だが、きれいに整備されていて貴族にもけっこう人気だ。
気取らない服に身を包んだ貴族達がカフェにいたり、いかにもお忍びっぽいご令嬢が町娘の格好をして芝生に裸足ではしゃいでいたりもする。
ボルゼー公園は身分を問わず、家族や友人の憩いの場でもあり、気取らないデートスポットでもあるのだ。
何なら、初デートの定番スポットである。
ハリーがいるとはいえ、それはデートではないだろうか。
「明日は母と侯爵家の余っているカトラリーを検分すると聞いています。母には相談済みで、それは別日でも構わないと言ってくれました」
「ああ、ティナさんも一緒に行くんですね」
なんだ、とシンシアは息を吐いた。
クリスティナも一緒なら、雰囲気はずいぶん変わる。
きっとアランとハリーの二人で昆虫館を見ている間に、シンシアはクリスティナとカフェに入り、その後もクリスティナと屋台の小物なんかを見て回る事になるだろう。
アランとのデートというより、クリスティナとのデートになるはずだ。
ほっとしたような、残念なようなシンシアだったが、それはアランの次の言葉であっさり覆えされた。
「いいえ、母は行きません。あなたと私とハリーの三人です」
「えっ」
驚くシンシアにアランは続ける。
「ハリーをだしに、あなたをデートに誘っているんです」
「へっ?」
変な声になってしまった。
「なので、少しでも嫌なら遠慮なく断ってください」
「…………」
「未練がましくて申し訳ない。あなたが領地にお帰りになれば、会う機会がなくなるので思い出が欲しいのです」
シンシアの顔に熱が集まる。
「あなたが来てくれるなら、今回は昆虫館は諦める事になっています。ハリーも納得済みです」
「……それなら、ご一緒します」
思わずシンシアは答えた。
アランは目を見開いた後、嬉しそうに顔を綻ばせる。蕩けるような笑顔を向けられてシンシアは真っ赤になった。
「では明日、楽しみにしています」
アランはそっとシンシアの手をとると、口付けを落とすふりだけして、部屋を出ていく。
真っ赤になったシンシアは、アランの色のドレスの前でしばらく佇んでいた。




