33.父の死の真相(1)
街への外出以来、アランはシンシアと目を合わせてくれるようになった。
細心の注意でシンシアと2人にはならないようにするのは継続中だが、目も合うし、領地の事などの話であれば進んで会話もしてくれるようになり、シンシアはほっとした。
ドレスを水色にした事で、自分がアランを嫌っているのではない、というのが少しは伝わったように思う。向けられる笑顔は寂しげなままで、それには胸が締め付けられるのだが。やんわり避けられる事がなくなったのは嬉しい。
そしてアランの母クリスティナからは、外出の翌日、すぐに午後のお茶にと誘われた。
「ずっと娘が欲しかったのよ、シンシアさんさえ良ければ娘になってくれて構わないのよ。アランが嫌なら長男も三男もいるの。どれでも好きなのを選んでね、何とかするから。もちろん、3人とも嫌なら無理にとは言わないわ。
でも、せっかくのご縁ですもの、大切にしたいの。息子達に関係なくお茶して買い物に行きましょうね」
にっこり微笑むクリスティナ。
(これは冗談? それとも本気? 本気だとすればどこまで本気?)
シンシアは途方に暮れた。
嫌味や当てこすりの類いではなさそうで、自分への好意は感じられるのだが、一体何と返事するべきなのか。
全然分からなかったシンシアはとりあえず、若干ひきつった笑顔で「はい」と答えておく。
シンシアとしては、関わり方が掴めないクリスティナだが、一ヶ月後の王太子妃殿下の茶会について相談すると、マナーの確認をしてくれ、主な招待客について教えてくれた。
「アランがあなたから離れるとは思えないから、何とかなるでしょうけど、知っておいた方が安心でしょう」と各家の夫人や令嬢の人柄、家門の特徴を伝えてくれる。
シンシアは社交らしい社交をほとんどした事がないので、これはとてもありがたかった。
「まだ一ヶ月あるし、何度かこういう場を設けましょうね」
クリスティナに微笑まれて、シンシアは感謝とともに次のお茶の約束をした。その後も二度お茶をして、爵位を継いだ後の事なども相談させてもらっている。
最後に外出後、様子の変わった者がもう一人。
シンシアの天使ハリーだ。
ハリーは突如として、“男同士の話”なるものに目覚めた。
貴族の令息らしく、服をばっちり揃えたせいなのか、シンシアと共に茶会に出るからなのか、何か思う所があったみたいだ。
“男同士の話”に目覚めたハリーは、忙しそうなアランにまとわりついては“男同士の話”をしている。
アランとハリーの“男同士の話”は、アランが身をかがませて、その耳元でハリーがこそこそ何かを喋って行われるので、見た目は非常に可愛らしく、とても男同士の話という感じはしない。でもハリー本人は至って真剣で、シンシアが近づくと怒られてしまう。
「姉上、男同士の話を邪魔しちゃダメ!」
目を三角にして怒るハリーの横で、アランは困惑顔の事が多く、弟が何か無理を言っているのでは、と少し心配ではある。
心配ではあるけれど、微笑ましい光景。
アランに口パクで(近づくとハリーに怒られるので、口パクだ)「大丈夫ですか?」と尋ねると、口パクで「大丈夫です」と返ってきた。
そんな風にして、シンシアとアランは告白後すぐの気まずい空気よりは大分マシな日々を二週間ほど過ごした。
***
そんなある日。
シンシアはアランの執務室に呼ばれる。
執務室へ入ると、空気が重い気がした。
部屋にはサムエルも居てシンシアがアランに促されてソファに座ると扉が閉められる。
てっきり領地の話か、城でのお茶会関連の話かと思っていたのだが、違うようだ。シンシアは身を固くした。
「あなたのお父上の死についての話です」
シンシアと向き合って座ったアランが、硬い声で切り出す。
「父の死、ですか」
突然のその話題に、シンシアは驚く。アランの様子から穏やかな内容ではないと分かった。
「はい、よろしいですか」
「お聞かせください」
「まず、どうやって伝えたらいいのか……その、あなたは子爵の自死についてどう思いましたか? 子爵が自ら死を選んだ、という事について、腑に落ちましたか?」
「……腑には落ちませんでした。父はそういう思い切った事が出来ない感じの人だったので」
そろりとシンシアは答える。
「私も同じです。子爵と深く話した事はありませんでしたが、彼には自ら命を絶つような激情はなかった。ただ、状況が状況でしたし、追い詰められれば人は変わります。なので当初は自死として、処理しようとしていたんです」
アランの言葉に、シンシアの体に衝撃が走る。
それは、つまり。
「自死では、なかったのですね」
父は短剣で胸を突いていたと聞いている。
事故や自然にでは、短剣は胸に刺さらない。
他殺という事だ。
すうっと血の気が引く。
サムエルがさっとシンシアの前に紅茶のカップを差し出した。
「ブランデーをほんの少し入れた紅茶です。よろしければどうぞ」
「ありがとうございます」
シンシアはそれをゆっくりと飲む。
喉と鼻に僅かに酒の香りが抜けた。
「ホーツン伯爵家、という家名に聞き覚えはありますか?」
シンシアが落ち着くのを待ってアランが聞いてくる。
なぜいきなり、馴染みのない家名が出てくるのだろうと思いながらも、シンシアは考えてみた。
「遠縁にあたる家だったと思います。親交はほとんどなかったはずですが…………比較的新しい使用人で、そこの紹介状を持って来ていた人がいたと思います」
それは家名だけ知っている家だった。よくある遠縁の付き合いのない家門。そして付き合いはなくとも、遠縁の家からの紹介状付きの使用人はそんなに珍しい事ではない。
「子爵の行っていた密輸の黒幕はホーツン伯爵家です」
「黒幕?」
「密輸を裏で糸ひいていたのは、ホーツン家です。利益も全てホーツン家のものになっています」
「…………」
「帳簿を突き合わせていく上で、密輸で得たはずの利益と、子爵家の支出は明らかに差異がありそうだと、イザーク殿から言われたのがきっかけです。
子爵の屋敷からは隠された財産なども見つかりませんでした。密輸で儲けた金がどこにもないのに、使った形跡もなかったんです。もちろん、金なんて使おうと思えばいくらでも使えますが、子爵にはギャンブル癖もありませんでしたし、何かおかしいな、となりました」
「でも、確かにお金は受け取っていました。密輸分の儲けは独立させて銀行の貸金庫に入れていたはずです。額が大きいから後々少しずつ使うのだと父は言っていました。入金の記録もあります」
この事は、騎士団でイザークにも聞かれて答えている。
「貸金庫は空でした」
「えっ」
「あなたは屋敷から出ず、外部との接点もなかった。あなた一人を騙すのは簡単だったでしょう。他の金庫や領地の本屋敷も一通り調べたが、何も出てこなかった」
「そんな……」
「金がどこに消えたのか不思議でした。加えて、子爵の自死にはどうしても違和感があった。そこで、子爵の死が他殺である可能性を考えました。踏み込みの朝、子爵に手をかける事が出来た者達を洗うと浮かんできたのがホーツン伯爵家紹介の使用人です。彼は子爵に重用されていて執務室への出入りも自由だった」
「その人が、父を?」
「はい。自白済みです。その使用人は伯爵家の送り込んだ連絡役だったようです」
「でも、争った跡はなかったんですよね」
「お父上は、その男にかなり気を許されていたようですね」
黒幕の送り込んだ男に気を許す?
シンシアはそう思ってから、しかし父ならあり得るなとも思った。
その使用人はかなり人あたりがよく、継母とリディアからの受けが良かったと記憶している。脇の甘い父が絆された可能性は高い。
シンシアはその使用人と話した事はない、おそらく自分は避けられていたのだろう。
「じゃあ、お金は」
「その使用人を介して、伯爵家に渡されていました」
「そもそも利益もないのに、父はなぜ密輸を?」
「伯爵家に脱税を嗅ぎ付けられて、バラすと脅されていたようです」
「……そうでしたか」
シンシアは妙に納得がいった。
密輸の規模は大きく、いかにも怪しかった。
父親は本来弱気な人で、一体どういう経緯でそんなものに手を出す事になったのか不思議だったのだ。
脅されていたのなら納得がいく。
妙に納得がいくと共に、やるせなさも感じる。
せっせと脱税なんかして、それによって脅され、密輸の主犯に仕立てあげられ、最期は無理矢理命を奪われた父。
「そうでしたか」
シンシアは再び呟く。
「明日の新聞に、それらの事が載ります。ヨハンソン家の罪は脱税と密輸の協力になります」
「……主犯の罪が脱税だけなら、捕まっていたとしても父の首はつながったままだったでしょうか?」
「密輸は脅されてしていましたし、反省が見られれば、終身の奉仕なども考えられたでしょう」
シンシアはどうしても、自分が幼い頃の気弱な笑顔の父を思い出してしまう。
殺されていなければ、何かが変わっただろうか。
「私が早い段階で気付けていれば、お父上の死を防げたかもしれません」
アランが淡々と続けた。シンシアは首を横に振る。
「それはどうでしょうか。死が早まっただけかもしれません。そこは、どうか決して気にしないでください。私には父に生きていて欲しかったのかも、分からないんです」
サムエルがブランデー入り紅茶のおかわりを出してくれて、シンシアは二杯目のそれを飲んだ。




