32.待望の対面と外出(2)
「母上? 一緒に出かけるとは?」
アランがきつめの口調でクリスティナに聞く。
「あら、ちゃんと知ってるのよ。これから王太子妃殿下のお茶会用のシンシアさんのドレスとハリーの服を誂えにブティックまで行くのでしょう?」
「そうですが、あなたが来る必要はないでしょう」
「振った相手とそんなとこに行くなんて、シンシアさんだって気まずいわよ。私も同行してあげます。
それに不甲斐なくも、あなたはもう振られたんだから、私がシンシアさんと買い物に行けるのはこれが最後かもしれないのよ。誘いたいのをあなたの為を思ってずっと我慢してたのに、振られるなんてひどいわ。私から最後の機会まで奪わないでちょうだい。
加えて、振った相手からのドレスなんて気持ち悪いでしょう?ここは、ヨハンソン家を後見しているキリンジ家の夫人として、私がシンシアさんのドレスを見立てて、贈らせてもらうわ。ね、振った相手からよりその方が気楽よね、シンシアさん」
「あ、いえ、あの」
振った、振ったと連呼されてしまい、居たたまれなくなるシンシア。アランの方はとてもじゃないが見れない。
(あああ、振ったわけでは……いえ、でも、手酷く振ったことになるんだわ)
どうしよう。泣きそうだ。
「母上、シンシアが困っています」
「煩いわねえ、振られたくせに。大体、振られたのに名前で呼ぶってどうなの?」
クリスティナの辛辣な突っ込みにアランがピシリと固まる。
「大丈夫です! 今さら呼び方は変えないでください」
シンシアは咄嗟に助け船をだした。
「まああ、優しいのねシンシアさん。いい子だわ、ハリーが天使だからこんな天使を育てた方もきっといい子だと思っていたけど、ほんといい子。はあぁ、アラン、逃した魚は大きいわ……」
「母上、ですからシ、……」
シンシアが困っています、と続けようとしたのだろう。“シンシア”と呼ぶのを躊躇して言葉に詰まるアラン。
「あの、シンシアで大丈夫です。本当に」
自分の名前を言いよどんでしまったアランに、泣き顔みたいな困り顔になりながらシンシアは言った。
そんなシンシアにアランが「すみません」と寂しそうに微笑み、シンシアの胸が、ツキンと痛む。
(もう、好きです、って言った方がいいんじゃ……)
寂しそうなアランに想いが募ってしまうシンシア。
「ぅん?…………あら?」
寂しげな息子の微笑みと、その想い人の困り顔を見比べたクリスティナが何かに気づく。
ハリーがそのスカートをくいくいと引っ張って、ひそひそと囁いた。
「ステラ先生が、今は引っ掻き回したらダメだって」
「……そのようね。私だって侯爵夫人ですもの。空気は読めるのよ、ハリー。これは、そうね」
こっそりやり取りをするハリーとクリスティナ。
「でも、まあ、これだけ気まずいなら、今日は私がいた方が良さそうね」
「うん、僕も今日はティナが居た方が心強いかな。でも、余計なことはしちゃダメだよ」
「大丈夫よ、任せなさい」
クリスティナが、ばちんとウィンクする。
「さあお三方! 行くわよお!」
という訳で、馬車にクリスティナとハリー、シンシアとアランの4人で乗って街へと繰り出した。
***
いかにも高級そうな店の前で侯爵邸の馬車は止まり、「お待ちしておりました」とドアマンに迎えられる。
「キリンジ様、ヨハンソン様、お越しいただきありがとうございます。そして、侯爵夫人までお越しいただくとは嬉しゅうございます」
ブティックのマダムがにこやかに出てきて、シンシア達を奥の部屋へと案内する。
「本日はヨハンソン家のご令嬢のお茶会用のドレスと、ご令息の服だとお伺いしております。こちらの部屋でごゆっくりお選びください」
広い部屋は特別な顧客をもてなすためのものであるようだ。中央には大きなソファが配置され、テーブルにはティーセットが用意されていた。
部屋の壁際にはたくさんの生地サンプルやドレスのデザインが並び、ハリーの為の可愛らしいサイズのブラウスやジャケット、半ズボンも用意してある。
案内された部屋の凄さに身が堅くなるシンシア。
「シンシアさん、遠慮しないでね。いつか娘が出来たらしたかったのよ、こういうの。何なら今だけ、お義母様って呼んでくれてもいいのよ」
「母上」
「ティナ」
クリスティナの無茶ぶりにアランとハリーの鋭い声が飛ぶ。
「やあねえ、冗談よ。さ、まずはハリーの服を選びましょうね。どれにする? ふりふりの王子ブラウスにする? それともシックなものが好きかしら? 色は水色にしましょうね、私の瞳の色なのよ!」
「そういうのは恋人同士でするんだよ」
ハリーが、知っているんだぞ、という風に胸を張る。
どうやら、ステラやケイティや侍女達からいろいろ教わっているようだ。
「友愛や親愛でもするのよ。仲良しお嬢さん達や家族でお揃いにしたり、お互いの色を着合ったりもするからいいのよ」
「そうなの? じゃあ、水色がいいな。ティナとアランの色だもんね」
「ねー」
和気あいあいとハリーの服が決められていく。
やがて、淡い水色のリボンタイ付きのブラウスに、グレーのベストと半ズボン、ベストのポケットからハリーによって主張された緑のハンカチーフ(シンシアの瞳の色らしい。シンシアとハリーは揃いの新緑の瞳なので、ハリーの色でもあるのだが)を覗かせたハリーが試着室より出てくる。
「姉上、似合ってますか?」
ハリーはまっすぐにシンシアの前までやって来て、緊張ではにかみながら聞いてきた。
「とっても素敵よ、ハリー。本当に小さな紳士だわ」
シンシアは弟の立派な姿にじーんとしてしまう。
この数ヶ月でハリーはすっかり肉付きがよくなり、背も少し伸びた。病的に白かった肌も日にも焼けて健康的だ。
そんな弟がきちんと正装している様子は胸にくる。
「ティナさん、アラン様も、本当にいろいろありがとうございます」
シンシアは深々とアランとクリスティナに頭を下げた。素直な感謝だった。
「当然の事です」
「そうよ、気にしないで。さあ、感動している暇はないわよ。この後はもう、お昼も予約してあるの、次はシンシアさんね」
「え、お昼?」
「前から行ってみたかったカフェがあるの、気取った店じゃないから大丈夫よ。さあ、ドレスを決めるわよ」
この後は4人でランチもするようだ。
「という訳で、希望の色や生地はあるかしら?」
「特にはありません。流行にも疎いのでお任せします」
シンシアが告げると、クリスティナの目がキランと光った気がした。
「じゃあ、ハリーとお揃いの水色にしましょうね。私の目の色」
「母上!」
アランが焦ってクリスティナを止める。
「なあに」
「水色は止めておきましょう。私の色でもあります。その、誤解される可能性があります」
クリスティナの瞳の色とアランは瞳の色は同じアイスブルーなのだ。そんな色のドレスを着てアランのエスコートで茶会に参加すれば、妙な勘繰りをされるだろう。
「別に後見だし平気よ。ドレスは私から贈ったと皆様にはお伝えするわよ」
「それでも、邪推はされます」
「ええー。ですって、どうする、シンシアさん?」
クリスティナに聞かれて、シンシアはどきりとした。
ここで否定する事は、アランとの仲を疑われるのが嫌だ、という意思表示になってしまう。だからといって肯定する事は、別に疑われても構わない、という事になるのではないだろうか。
試されているようで、シンシアは返答を迷った。
迷ったが、でも、肯定する事にする。
ハリーとのお揃いは楽しそうだし、それに、アランの色を纏うのは全然嫌ではないのだ。
嫌ではない事はきちんと伝えたかった。
「私も水色でいいと思います。ハリーと一緒は嬉しいですし、ティナさんとアラン様の目の色は素敵な色ですから」
少しでも、自分がアランを厭っていない事が伝わればいい、と後半部分を付け足す。
「ふふふ、なら水色で決まりね」
クリスティナが何やら確信犯的な笑みを浮かべ、お針子達が様々な水色の生地を並べだした。
「大丈夫ですか? 不快では?」
生地を選ぶ横で、アランがひそひそとシンシアに聞いてくる。
「不快ではありません。綺麗な色です」
シンシアがドキドキしながら答えると、アランは困惑顔になる。
「不快ではないんですか?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
「しかし、」
「はいはーい、しつこいわよ。さ、デザインも決めましょうね。シンシアさんはこう、トラッドな感じがいいかしらね」
食い下がるアランをばっさり遮るクリスティナ。
この後、クリスティナと店のデザイナーの薦めるままにシンシアのドレスは決まり、店を出た後は流行りのカフェでお昼を食べて、4人が侯爵邸に帰ってきたのは夕方近くになった。




