31.待望の対面と外出(1)
シンシアとハリーは1ヶ月半後に王太子妃が主催する城でのお茶会に招かれる事になった。
シンシアは約10日ぶりに侯爵邸に帰ってきたアランより、アランの執務室でそれを伝えられた。
「ハリーは弟であるときちんと公表するべきです。王太子妃の茶会は名だたる貴族が招待されています。少し気は張るでしょうが、参加する事でしっかりと紹介が出来ます。当日は私がエスコートしますし、心配はいりません。
茶会には王太子も参加しますので、茶会への招待はヨハンソン家の姉弟を王太子夫妻が認めている、という事にもなる。そういう後ろ楯はあった方がいい。
こういう扱われ方は不本意でしょうが、不遇だったあなたに優しく接する事は王家にもメリットがあるので、気にせず招待を受けてください」
いつもより早口のアラン。
「……もしかして、アラン様がお膳立てしてくれましたか?」
シンシアが聞くと、目を逸らされてしまった。
「殿下は幼馴染みでもありますし、大した事ではありません」
「それでも、ありがとうごさいます。招待をお受けします」
大規模な茶会など出たことはないので不安だが、ヨハンソンの家が残り、ゆくゆくはそれをハリーが継ぐかもしれないのであれば参加はしておいた方がいい。
「それで、その……茶会用のあなたのドレスとハリーの服を用意しなければなりません。城に着ていくドレスです。後見している侯爵家のメンツがあるので、きちんと誂えさせていただきたい。あくまでも後見人として贈らせていただくので、他意はありません。これはあくまでも後見人としてですので、遠慮はしないでください。
来週、一緒に街のブティックへ出掛けていただいてもいいですか? もちろんハリーも一緒ですし、ケイティにも同行してもらおうと思っています」
目を逸らしたまま、ますます早口でアランが言う。
シンシアへの、気遣いや遠慮や、後ろめたさみたいな諸々が感じられて、シンシアとしてはひたすらに申し訳ない。
「はい、分かりました」
「よかった」
「それで、あの―」
そこからシンシアは、つっかえながらも、アランが告白してくれた事への感謝を伝えて非礼を詫び、断ったのはアランに理由があるのではなく、罪を犯した自分にあるのだと伝えた。
「お気遣い、ありがとうございます。あなたは優しい方ですね」
目を逸らしていたアランは途中からシンシアを見てはくれたが、伝え終わった後は寂しげに微笑む。
どうやら、シンシアがアランへの配慮からそのように言ったと捉えているようだ。
「あの、」
そうではない。あなたに非はないのだ、遠慮してもらう必要はないのだ、と伝えたくて再び口を開いたものの、何を言えばいいのかが定まらない。
「私は大丈夫です。お気になさらないでください。お忙しいのにお時間をとってしまい申し訳ない」
もごもごするシンシアにアランが優しく退出を促す。シンシアはすごすごと部屋を後にした。
侯爵邸に帰ってくるようにはなったアランだが、アランはこのようにやんわりとシンシアを避けた。
食事はこれまで通りシンシアとハリーとアランの3人で摂るが、アランはシンシアと目を合わさないように気を遣っていたし、たとえ屋外であってもシンシアと2人にならないように配慮しているのが分かった。
たまにシンシアと目が合ってしまうと、困ったように寂しそうに微笑むので、怒ってはいないようだが、寂しそうに微笑まれる度にシンシアの胸は痛む。
どうしたらいいのだろう。もう一度、“無理です”の誤解を説明した方がいいのだろうか。
しかし、これ以上蒸し返すのは悪い気もするし、アランは細心の注意でシンシアと2人にならないようにしているので、そもそも機会がない。
このままでは、外出時はかなり気まずいのではないだろうか、とその日が来るのが億劫にもなっていたのだが、もちろん、その日は来てしまう。
***
「姉上! おはよう、今日はお出かけだね!」
当日、街への外出とあって、うきうきのハリーが朝から飛び付いてきた。
喜ぶハリーを見て、アランはハリーの為に外出を決めたのでは、とシンシアは思う。
キリンジ侯爵家ともなれば、店からデザイナーとお針子を呼びつけて屋敷でドレスを見繕う事も出来たはずなのに、手間をかけて外出にしたのはきっとハリーの為だ。
「おはよう。今日はうんと素敵なハリーの服を選びましょうね」
シンシアはぎゅうっとハリーを抱き締める。
(ハリーがこんなに楽しそうなんだもの、私がうじうじしていてはダメだわ)
アランとは気まずいかもしれないが、ハリーの為にも外出を楽しもう。実際、シンシアにとっても、とても久しぶりの外出なのだ。
うきうきハリーを見ていると、シンシアもちょっとうきうきしてきた。
そして出かける支度を整えて、玄関ホールへと向かうと、アランが申し訳なさそうにこう伝えてきた。
「母が、この機会にどうしてもあなた達に挨拶をしたい、と言ってまして、出かける前に会っていただいてもいいですか? おそらく今なら変なプレッシャーはかけたりしないと思うので、本当に挨拶だけで済むはずです」
アランの母、とはもちろんキリンジ侯爵夫人である。
シンシアは、いちもにもなく頷いた。
ずっと挨拶できていない事が気がかりだったのだ。
「もちろんです。ご挨拶が遅くなってしまい申し訳ないです。きちんとお時間を取った方がいいなら、別で、」
「いえ、それは大丈夫です。母にきちんと時間を取るのは止めた方がよいです。とても長くなります。挨拶が遅れたのはこちらの都合なので問題ありません。では、こちらへ」
アランがシンシアとハリーを応接室へと案内してくれる。
どうやら侯爵夫人は既に部屋で待っているらしい。
シンシアは緊張しながらハリーに「お行儀よくするのよ」と言い聞かせ、アランの後に続いた。
シンシアと侯爵夫人、双方、方向性は違うが待望の対面だったその顔合わせ。
バタンと扉が開き、シンシアを待っていたのは、淡い金髪を優雅に纏め、白と水色のデイドレスに身を包んだきつい眼差しのご婦人だった。
その瞳はアランと同じアイスブルーだ。
「ふふ、やっと会えたわねえ、シンシア・ヨハンソン嬢。初めまして、クリスティナ・キリンジよ」
不敵にも見える笑みを浮かべてクリスティナが言う。
シンシアは表情を引き締め、さっと腰を落として挨拶をしようとしたのだが、それはシンシアの後ろから部屋に入ってきたハリーによって遮られてしまった。
「ティナ!?」
ハリーの驚いた声が響く。
クリスティナがにっこりした。
「ごきげんよう、ハリー。2日ぶりかしらね。ちゃんと遠眼鏡で太陽を見てはいけない、という約束を守れているかしら?」
「うん!あ!……こんにちは、うるわしのレディ。本日のドレスも素敵ですね」
ハリーが何かを思い出したように、少したどたどしく片足を引いて、ぴょこんと礼をした。
「まあとっても上手よ。でも出来たらドレスのどこが素敵なのか、具体的に褒めましょうね」
「…………色とか?」
「本人に聞いたらダメよ。でも色でもいいわね。刺繍がたくさんあれば刺繍を、デザインが流行であればデザインを褒めましょうね。付いてる石を直接褒めるのは良くないわね、お金だけかけた成金ドレスですね、と言っているように誤解されるわ。
そして、褒め方としては、あなたに似合ってます、という事が伝わるようにしましょう」
「はーい」
いきなり和やかに会話を始めるハリーとクリスティナ。
楽しげに慣れた様子でお喋りをする弟と侯爵夫人に、シンシアはぽかんとする。
その隣のアランも、母とハリーの様子に言葉を失っていた。
やがて、気を取り直したアランがクリスティナに聞く。
「…………母上、ハリーとお知り合いですか?」
「うふふ、友達なのよ」
得意気に答える侯爵夫人。
「えっ、ティナはアランの母上なの? あれ、じゃあ、ティナが侯爵夫人なの?」
「うふふ、そうよぉ」
「……侯爵夫人に、おめにかかれまして、光栄でございます」
「堅い言い方ねえ、ステラね」
「めうえの人には、きちんと挨拶しなさいって」
「私とハリーはお友達でしょう。だから、そういうのは止めましょう」
クリスティナがハリーの頭をくしゃりと撫でる。ハリーは、えへへと嬉しそうに笑った。
ハリーとクリスティナのやり取りに、軽く目眩を覚えるシンシア。
(オトモダチ? お友達? )
一体いつの間にそんな事になっているのだろうと驚き、同時に最近ハリーが言っていた“本棟の秘密のお友達”がクリスティナだったのだと思い当たる。
“秘密のお友達”、はとても侯爵邸に詳しくて、アランとステラの事をよく知っていて、虫の話も出来る、とハリーは言っていて、シンシアはてっきり本棟の使用人の連れ子か、侯爵家所縁の子供なのだろうと思っていたのだが。
(侯爵夫人だったのね……)
くらくらしてしまうが、くらくらしている場合ではない。
気持ちを立て直すと、シンシアはクリスティナに挨拶をした。
「弟がお世話になっていたようで、申し訳ありません。そしてご挨拶が遅れました。シンシア・ヨハンソンです。私達をお屋敷に置いていただいている侯爵夫人の温情には篤く感謝しております」
「いいえ、こちらこそ、ご挨拶が遅くて失礼したわ。愚息が余計な気を回したせいで肩身の狭い思いをしたのではないかしら? ごめんなさいね。愚息の申し込みの事も聞いています。あなたにはご迷惑をおかけしたわ」
クリスティナは艶然と微笑んで答えた。
貫禄と自信、円熟した色香が薫る。シンシアは思わず見惚れた。
応接室の空気がクリスティナ一人に支配される。
それを打ち破ったのは、クリスティナその人だった。
「はい! 堅苦しいのはこれで終わりー」
クリスティナがパチンと手を打つ。
「ねえ、シンシアさんとお呼びしていいかしら? 私の事はティナでいいわよ!」
「は、はい、ティナ様」
変わり身にびっくりしながらも、そして可愛らしい愛称の強要に面食らいながらも、何とかそう呼ぶシンシアだ。
「様は嫌よお」
「ティナ……さん」
「いいでしょう。さあ、シンシアさん、ハリー、一緒に街へ出掛けましょうね!」
クリスティナが、うっきうきでそう言い、アランが目をむいた。




