29.告白後(3)
王太子視点です。
王太子フィリップは自身の執務室で、共に仕事をしている銀髪の補佐役を眺めていた。
幼馴染みでもある銀髪の美形の様子が、一週間ほど前よりおかしい。
正確に言うと、様子がおかしいのは数ヶ月前からで、その理由はこの幼馴染みが恋をしたからである事は既に知っている。
だが、ここ一週間はそれが特に顕著なのだ。
普段はほとんどしない凡ミスを連発するし、たまにぼんやりと虚空を見つめている。
凡ミスはどこまでも凡ミスで、仕事に支障が出るほどではないし、ぼんやり虚空を見つめるのは一瞬で、やってるのが目の前の美形でなければ気になるほどの事でもない。
だが、フィリップの幼馴染みでもあるアランがそれをやっているのはおかしい。
フィリップより2つ下のアランは、年下のくせに昔から何でもそつなくこなして隙がない奴だったのだ。
(あの薄幸美人絡みなのだろうな)
フィリップはアランが恋をしている相手、鳶色の髪の子爵令嬢を思い出す。
(家にも帰ってないもんなあ)
この一週間、アランは自分の家であるキリンジ侯爵邸には帰らずに、城で寝泊まりしている。
仕事は確かに忙しいが、帰れないというほどではない。それにアランは、侯爵邸に彼の恋の相手であるシンシアとハリーの親子がやって来てからは、以前なら泊まっていくくらい遅くなっても、せっせと屋敷へ帰るようになっていたのだ。
それがこの一週間はぱったりと帰っていない。
(何か、あったんだろうなあ)
アランの様子がおかしくなった一週間前、フィリップはそのアランより、件のシンシアとハリーが親子ではなく、姉弟であったと知らされている。
「弟だったのか。おめでとう、良かったじゃないか」
アランのシンシアへの気持ちを知っていたフィリップはとても軽くアランを祝福したのだが、祝福されたアランは目に見えて落ち込んでいた。
子持ちだと思っていた惚れてる女が、清い身だったのなら、喜ぶべき所だと思ったのだが違ったようだ。
それから一週間。補佐役は少しおかしいままだ。いい加減、気になる。
なのでフィリップは、この日の仕事終わりにアランを酒に誘ってみた。
「アラン、たまには2人で飲まないか? どうせ今日も城に泊まるんだろう?」
「いいですよ」
アランがあっさり承諾して、フィリップとアランはアランが城に与えられている私室にて、酒を飲みだした。
琥珀色の魅惑の液体をグラスに注ぎ、乾杯をして口をつける。
酒の誘いを断らなかったのだし、隠されはしないだろう、と思ってフィリップは特に前置きはしないで聞いてみた。
「なあ、何があったんだ。この一週間のお前変だぞ」
「…………」
銀髪の美形は黙り込む。
前置きなしは力業すぎたようだ。もう少し酒が進んでから切り出すべきだったかもしれない。
「こういうのが続くと、仕事に支障も出る畏れもある。早めに言ってくれないか」
フィリップは切り口を変えてみた。アランは仕事や責任感で責められると弱い。
「シンシアに求婚して、断られました」
アランが短く答えた。
「……きゅうこん?」
アランの口から出たその言葉を繰り返す。
あまりに簡単に伝えられたので、フィリップは最初“きゅうこん”と“求婚”が結びつかなかった。
きゅうこん?
…………球根?
「まさか……求婚? 結婚を申し込んだのか?」
「はい」
「でも、気持ちも伝えないって言ってたじゃないか、いつの間にそんな深い仲に? 聞いてないぞ」
「仲は全く深くはなっていません」
「は?」
「シンシアとは、今まで通りです」
「? つまり、気持ちも伝えていないままなのか?」
「はい」
「……何でそこから求婚してるんだ?」
フィリップの問いにアランが項垂れる。
こんな姿、初めて見たかもしれない。
「勢いあまってつい」
細い小さな声。
見たこと無さすぎる幼馴染みの様子に、口角が上がりそうになってしまうフィリップ。
楽しんでる場合じゃないぞ、と己を叱咤する。
「勢いで結婚を申し込むなよ。……いや、そういうのもありだとは思うが、お前はそういうタイプじゃないだろう。どうしてそんな事になったんだ?」
年上らしく、上に立つ者らしく、余裕と労りのある声色でフィリップが聞くと、アランは淡々と事情を説明してくれた。
どうやら息子が弟だと分かって、はずみでプロポーズまでしたようだ。
そういえば、彼女と父親による近親相姦の噂にはかなり思い詰めていたな、と思い出す。
「それで、断られたんだな?」
フィリップのこの確認は、アランの傷口にべったりと塩を塗り込んだらしい。
銀髪の幼馴染みは、はあああ、と長いため息を吐いた後、ぐいっと琥珀色の液体をあおると、ソファの背もたれに身を預けた。
幼馴染みが見たことのない、退廃的な色気を纏って遠くを見る。
「『無理です。ごめんなさい』と言われました」
「うわ、直球だな」
直球というより、ひと突き、とか、串刺し、に近い気もする。
「当然です。私は当初、彼女の家を潰すつもりで子爵家に出入りしてましたし、彼女はその時の私を知っています」
「ああ、まあなあ」
それを頼んだのはフィリップなので、申し訳ない。
「彼女を侯爵邸に保護したのは、不純な気持ちからです。それも透けて見えていたのでしょう」
「いや、でも、教会や騎士団の施設で保護されるより、居心地はよかったと思うぞ?」
「いいえ、きっと気持ち悪かったでしょう」
アランは再び、深く息を吐く。
どんどん落ち込むアラン。くいっと酒を飲んだ。
「さすがに気持ち悪いはなかったんじゃ、ないかなあ」
慰めるフィリップ。
(このまま飲ませたら、もしかしたら泣くかな?)
そして慰めつつも、少し泣かせてみたくなってしまうフィリップ。
「とりあえず、今日は飲めよ。まあ、ヨハンソン嬢の断り方もどうかと思うが、お前もタイミングがひどかったと思うぞ。もう少し、いろいろ匂わせて、相手の反応を見つつ、いけるかなって時にやれよ……いや、でも、そうだな。ヨハンソン嬢の場合、匂わせたら避けられそうだな、うん、だから、最善は尽くせたんじゃないか?」
「そもそも、気持ちを伝える気はなかったんです」
「言ってたもんなあ」
「はい」
2人でしばし無言で酒を飲む。
「なあ、でもさ、『無理です。ごめんなさい』はヨハンソン嬢らしくなくないか? 少し話しただけだが、彼女はきちんとした女性だった。お前が嫌で断るにしても“ありがたいお話ですが”くらいの前置きはするだろうし、“無理です”じゃなくてもっと婉曲な言い方をする人だと思うんだよ。
彼女はひどく動転して、心にもない事を言ったとか……ないかな?」
フィリップのふわっとした慰めに、アランが睨んでくる。
「無責任な慰めはやめてください。疑問の余地を挟ませない断り方は、見方によってはとても彼女らしいです」
「そう、なんだ」
「ええ」
きつい目付きのまま、強く頷くアラン。
しっかり惚れているんだな、と感心してしまう。
アランはまた無言で酒を飲みだした。
「エラに言って、誰か紹介してもらうか?」
エラ、とはフィリップの妻で王太子妃のダニエラだ。
「恋を忘れるには、新しい恋が一番だろう。まあ、今のお前なら、夜会でも出ればあっという間に相手は見つかるだろうけど」
いつもは言い寄る隙のない冷徹ブリザードが、傷ついて弱り、何やら色気まで出しているのだ。
アランさえその気になれば、簡単に新しい出会いはありそうだ。
「不要です」
「そうか? 未亡人限定で探すという手も」
「殿下、不要です」
先ほどより強く睨まれて、フィリップは黙った。
「そういえば、妃殿下のお茶会はどうなりそうですか?」
フィリップがダニエラの名前を出したことで、思い出したアランが聞いてくる。
「ああ、ヨハンソン家の姉弟を招くことで快諾してくれた。招待客はエラの友人がほとんどで、少しキツいご婦人方はヨハンソン家とは離しておくよう席順も考えてくれるらしい」
「ありがとうございます」
「構わない。弟くんは、ハリーだったかな? いろいろ妙な噂があったからな。姉と弟として王太子妃の茶会に出て、噂は払拭しておいた方がいい。俺もエラも、悲劇のヨハンソン嬢に寄り添えるのは都合がいいし、俺にとっては君の願いを叶えられるのは嬉しいことだ」
「本当に感謝しています」
「お前、彼女が絡むとしおらしいな。屋敷にはそろそろ帰れよ。伯爵家の件もそろそろ決着つくだろう? あんまり仕事に逃げるな。向こうには避けてるって伝わってるだろうし、感じ悪くなるぞ」
「あと3日くらいあれば、彼女の前で笑えるようになると思うので、そうなれば帰ります」
「3日で?」
無理そうだが。
「はい、茶会の件も、伯爵家の件も、話さないといけませんし」
「まあなあ」
「殿下に話せて少しすっきりしました。今日は誘っていただいてありがとうございます」
そう言って、フィリップの補佐役はそこはかとない色気を漂わせて、寂しげに笑った。




