28.告白後(2)
「はあーー、もう、そういう事は早く話しなさい。結構心配したのよ? 初対面で泣かれたし、どんな深刻な傷を抱えているのかと……うーん、まあ、でも、深刻は深刻だったわね」
シンシアが話し終わると、ステラは呆れながらそう言って、すっかり冷えた紅茶をごくごくと飲み干した。
「嘘をついていたのに、怒ってないんですか?」
「怒るわけないわよ」
「怒るわけがないでしょう」
ステラとアランの声が揃う。
「侯爵邸に来た後は、どうして話してくれなかったのですか?」
アランが聞いてくる。
その様子にも責めるような響きはない。
「来た当初は、自分達がどうなるかがはっきりとは分かりませんでしたし、近いうちに爵位が失くなって平民になるので、その機会に姉弟に戻ろうと思っていたんです。平民なら住む地区の役場に届出するだけですし」
シンシアの答えにアランがはっと息を呑んで、片手で顔を覆った。
「爵位……そうだよ、爵位、どうする? 出生届はシンシアの庶子で用意してる、正式な嫡男だったとは…………まず急ぎで嫡男の出生届の手続きを―」
顔を覆ったアランがぶつぶつ言う。
「嫡男の手続き? あの、アラン様?」
シンシアが声をかけると、アランは手を外してシンシアを真っ直ぐに見た。
「シンシア、ヨハンソン家の爵位は失くなりません」
「…………え?」
「失くならないんです。ヨハンソン家を断罪する前に王太子殿下に爵位の存続を望みました。最初はこちらからの一方的な願いで、聞き届けられるかの確証はなかったのですが、今は王家も爵位を残す方が望ましいとなっていて、貴族会議への根回しも順調です」
「爵位が、残るのですか?」
「伝えるのが遅くてすみません。変に期待をさせたくなくて、確実になってから伝えるつもりだったんです。それなりに厳しい条件はつくと思いますが、残ります」
「残るんだ……」
シンシアは呆然と呟いた。
爵位の剥奪と家名の断絶は免れないと思っていたので、残るときいてただひたすらに驚く。
アランが子爵家に出入りしだした時から、いや、父親の悪事を知った時から、家の事は諦めていたのだ。
「残る……」
シンシアがまず感じたのは嬉しさだった。
シンシアにとってヨハンソンの家は、母のもので、シンシアは12才までその母に、長子として家を誇りを持って守るようにと教えられてきたのだ。
ヨハンソン家はそれなりに歴史のある家門で、母は自分の家に愛を持っていた。
だからどうしても、嬉しいと感じてしまう。家が残るのは母の意志が残るようで嬉しかった。
罪を犯している以上、手放しで喜んでよいものではなく、嬉しいと思った自分が恥ずかしくもあった。
でも、嬉しかった。
「喜ぶのは恥ずべきことですが、嬉しいです」
「王家は王家で目論見も、事情もあります。恥じなくていい」
アランが王家がヨハンソンの家を残したい理由を説明してくれる。
「―そして、シンシア。ヨハンソン子爵家が残るのなら、ハリーが正式な嫡男だと証明して届出なくてはなりません」
「あ」
シンシアはハリーを見た。
「僕?」
自分が注目されてハリーがぴんと背筋を伸ばす。
アランはハリーに向き直って優しく笑った。
「そうだよ。爵位の継承は男児が優位だ。君はまだ成人していないから、成人するまではシンシアが子爵だが、ハリーが成人すれば君に爵位継承の権利がある。もちろん、成人してすぐにという訳ではないし、手続きをすれば爵位をシンシアに譲る事も出来る。でも、それには君を嫡男だときちんと届出しておかないといけない。それも、会議でいろいろ決定する前にしないと、後々ややこしくなる」
「…………僕が、ししゃく様になるってこと?」
ハリーが自分が理解できた精一杯の事を聞いてくる。
「そうなる事も出来る、という話だよ。どうするかはゆっくり考えたらいい」
「……うん」
不安そうなハリーの頭をシンシアはそっと撫でた。
「姉上はずっと一緒?」
「ずっと一緒よ」
「なら、どっちでもいいよ」
「ダメよ。いっぱい勉強して、よく考えて決めるのよ」
「……分かった」
「でも、今さら遡って嫡男の出生届なんて出来るでしょうか?」
ハリーが生まれたのは6年も前の話だ。
「出産に立ち会った医師がいるはずですよね? 探しだして証言してもらいます」
「おそらく、父によって口止めされています」
「何とかしましょう。離縁した元子爵夫人にも連絡をとってみます。彼女なら条件を出せば証言してくれるでしょう」
アランは少し黙って考えた後、そわそわと立ち上がる。
「すみません、折角のお茶の席ですが、私は城に戻りますね。ハリーの事は急ぎでやった方がいい」
そう言ってダイニングの出口へと向かった。
シンシアは慌てて立ち上がり、ハリーに「ごめんね、席を外すわね」と謝るとアランの後を追う。
「待ってください! 何か手伝います。手続きの書類をいただければそれを埋めるくらいは出来ます」
これはヨハンソン家の事で、シンシアとハリーの事なのだ。ここの所、ただでさえ忙しそうなアランに全てを任せる訳にはいかない。
「ありがとうございます。サムエルがハリーをあなたの庶子で届出するための書類を準備してくれています。それを大幅に変更して手続きを進めるのがいいかと」
「分かりました。過去に遡って届出をした事例はあるでしょうか? あれば参考にしたいのですが」
「幾つか集めてあります。ただ庶子の事例ばかり集めたので、それも集め直さないといけませんね」
「集め直します」
「では、サムエルに――」
アランとシンシアが話し合いながら足早にダイニングを出ていく。
ダイニングには、ステラとハリーと侍女達が取り残された。
***
「行っちゃったわねぇ」
ステラはそう言いながら、ポットよりやはり冷えてしまっている紅茶をカップに注いで、くいっと飲んだ。
「うん、行っちゃったね」
ハリーも同じ様に呟いて、テーブルの上のクッキーに手を伸ばす。
端からゆっくりとかじって、食べかすを落とさないように丁寧に食べた。
「……ねえ、ステラ先生、さっきさ、アランは姉上に、結婚を申し込んだよね?」
クッキーをゆっくり食べてから、ハリーはそろりと聞いた。
聞き間違いなんかではなかったとハリーは思う。
だって、みんな、固まっていたもの。
「申し込んだわねえ」
ステラが、ふふふと思い出し笑いをして、侍女達は曖昧な笑みを浮かべた。
「アランは、振られたの?」
「そのようね、お嬢さんはばっさり断ってたわね」
侍女達が遠い目で残念そうに頷く。
ステラは「あのタイミングはないわねー」と続けた。
「でも今、仲良しだったよね」
「あー、まあ、そうね。今のはお互い逃避してたのでしょうね」
「とうひ?」
「逃げてるのよ、どちらも今はどうしたらいいのか分からないんじゃないかしら」
「じゃあ、逃げるのやめたら、結婚する?」
「どうかしらねえ」
「しないの? 僕、2人に結婚してほしいよ、姉上とアランとずっと一緒にいたい」
「欲張りさんね」
「僕、アランが好きだよ。姉上もアランが好きだと思う」
「あら、そうなの? 男として?」
“男として?”にハリーは少し面食らう。
男として、とはどういう意味だろうか。アランは立派な大人の男性だ。背も高いし、ハリーを軽々抱き上げてもくれる。それに虫にも詳しい。ハリーはそんなアランに男として、憧れてもいた。
という事は、姉のシンシアもそうなのでは?
きっと、そうだ、とハリーは思った。
「うん! きっと姉上も男としてアランが好きだよ!」
ハリーの断言にステラはおかしそうに笑った。
「適当に言っちゃダメよ」
「う……」
ステラの指摘にハリーはつまる。
確かに今のは適当だったかもしれない。
「ごめんなさい。でも…でも、好きは好きだよ。シンシアは朝ごはんにアランがいないとちょっと寂しそうなんだよ」
ハリーはシンシアの事になると、誰よりも詳しいのだ。誰も気づいてないけど、ハリーには分かる。
でも、この事はシンシアに言ったら恥ずかしそうにしていたので、ハリーはステラにだけ、こそこそと教えた。
「それは朗報ね」
「ろうほう?」
「よい報せって事よ。それ、アランがうじうじしてたら教えてあげなさい……あなたの新しいお友達のクリスティナには絶対に教えちゃダメよ」
ステラはにっこりして、ハリーの頭をくしゃくしゃと撫でた。




