24.絡まれたシンシア
呼び掛けられてシンシアが振り返ると、赤いドレスに身を包んだ令嬢が立っていた。
ドレスは豪華でそれなりの身分の令嬢だと思われた。あちらから声をかけられたのだし、シンシアは黙って簡単に腰を屈める。
「あなたが、噂のヨハンソン嬢ね?」
「はい。シンシアと申します」
令嬢の物言いは攻撃的だった。シンシアは用心深く令嬢を見る。
「私はバンツ伯爵家の娘ですの」
「お初にお目にかかります」
「あなた、図々しいのではなくって?」
「え?」
「え? じゃないわよ。この世の不幸を全て背負ってます、みたいな顔しているけれども、お父上の罪を告発もせず、ぼんやりお手伝いまでしていたのでしょう? それなのに、のうのうと出歩いて、キリンジ様に甘えてエスコートまでさせているなんて図々しいわ」
「……不快な思いをされたのなら、申し訳なかったです」
シンシアは出来るだけ感情が声に出ないように気を付けて答えた。
この伯爵令嬢の言うことは間違ってはいない、とシンシアは思った。
ぼんやりと手伝った訳ではなかったし、告発はしたかったし、のうのうとなんて歩けなかったけれども、それはシンシアの主張であって、見ようによってはそう見えるのだ。
だから、目の前のご令嬢が間違っている訳ではない。こういう事を言われるのも覚悟の上で、城まで来ている。
そして、アランには頼ってしまっていた。
周囲からは甘えているようにも見えたのだろう。
シンシアは、ふうっと小さく息を吐く。
「今後は弁えるように気をつけます。それでは、私は失礼します」
「はあっ? 待ちなさいよ!」
バンツ嬢はシンシアを離してはくれないようだ。令嬢の大声に周囲の騎士達が注目しだした。
「あなたねえ、キリンジ様からとっとと離れなさいよ! あの方はね、あなたを憐れんでいるだけなのよ、それとも何? 色仕掛けでも使ったのかしら?」
「はい?」
そんなものは一度も使った事がないので、シンシアの声も思わず尖った。
自分がそんな風に言われた事も不快だが、それに落ちた事になるアランにも失礼だ。
「ふん! 使用人に足を開くような女なのでしょう? おまけにその子供まで産んで」
ハリーの事を持ち出されてシンシアの顔色が変わる。
「あら、なあにその顔、あなたに卑しい出自の卑しい子供がいる事くらい、新聞に出てないだけで知ってる人は知ってるのよ」
得意になったバンツ嬢がそう続けた。
最愛の弟を卑しいと言われて、シンシアは頭に血が上るのが分かった。
これは安い挑発で、平静を保つべきだと思うが、どうしようもない。シンシアは思い切りバンツ嬢を睨み付ける。
「な、何よ、今度はえらく反抗的ね」
シンシアの怒りにバンツ嬢はたじろぎ、しかしすぐに何かを思い付いてニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
「ねえ、あなたは知ってる? あなたの卑しい子供の父親の噂。こうなるともはや、おぞましい子供よね。ふふ、ここではっきりさせてもいいのかしらねえ、ねえ、子供の父親ってだあれ?」
「…………」
シンシアは困惑して黙った。
噂とは何だろう。ハリーがおぞましい? あの天使が?
何か変な噂が流れているのだろうか。
「あらあら、答えられないのねえ、答えられないような人なんでしょう? キリンジ様にはどうやって言い寄ったの? 言い寄ったのでしょう? だってあなたは、考えるだけでおぞましい相手にも体を許すような身持ちの緩い女ですものね、実の」
「ご令嬢、騎士団への関係者以外の立ち入りはご遠慮願いたい」
廊下が凍ると思われるほどの冷たい声が響いた。
シンシアの隣にすっかり馴染んだ気配が並ぶ。
見上げると、見慣れた銀髪が目に入り、そのアイスブルーの瞳は今までで一番冷たい光をたたえてバンツ嬢を睨んでいた。
「キ、キリンジ様」
バンツ嬢はアランに睨まれて、おどおどと後ずさった。
「伯爵令嬢ともあろう方が、ずいぶんと低俗で悪趣味な噂を流しているようですね。心底、軽蔑します」
「ち、違うんです」
「違わないでしょう。言い訳はいりません。お帰りください」
決してレディに向けるものではない、ひどく冷たく鋭い声でアランは言った。
バンツ嬢の目に涙が溜まる。
「ひどいわ」
ポロポロとバンツ嬢は泣き出した。
「ひどいのはそちらでしょう? 泣けば許されると思っているんですか?」
容赦のないアランに、バンツ嬢の涙はますます込み上げる。
あまりに冷たいアランの態度に、シンシアはバンツ嬢が可哀想になってきた。
「あの、応戦した私も悪かったですし、その辺で」
「すみません、あなたには不快な思いをさせました」
「いえ、私よりも、あちらが」
バンツ嬢はしゃくり上げて泣き出している。絡んできたのはあちらだし、どうやら根も葉もない噂でハリーを貶されたようで腹は立ったが、実害はなかった。
冷静に思い返すと、バンツ嬢はアランを想うあまりシンシアを攻撃してきたようだ。
騎士達の何人かが、見かねて令嬢を宥めてくれ出す。
「何とか収めておくので、ヨハンソン嬢はお帰りください」
「言われた事は気にしなくていいですよ」
シンシアにも慰めの言葉をかけてくれて、さあさあ、と帰るようにと促される。
「帰りましょう」
「あ、はい。あの、ありがとうございます」
アランの腕が差し出され、シンシアは騎士達にお礼を言ってその場を後にした。
帰りの馬車でアランより、バンツ嬢が過去にアランに何度か言い寄っていて、それを断っていた事を伝えられた。
やっぱりそうだったのだな、とシンシアは思う。
全くの他人事とは思えなくて、ほんの少しだけ、バンツ嬢に同情した。
「すみません、あなたに逆恨みをしたのでしょう。こちらの事情に巻き込んでしまって申し訳ない」
アランは終始謝り、シンシアが令嬢にどんな事を言われていたのかを詳細に知りたがった。
「大丈夫です。そんな大した事は言われていません」
ハリーの出自について言われた事を話せば、アランにも何か聞かれるかもしれないと思って、シンシアはバンツ嬢から言われた詳細は伏せた。
それがかえってアランを心配させてしまったようだ。屋敷に帰ると「あなたはとにかく休んでください」と言われて部屋に押し込められそうになったので、ハリーとお茶の約束があるのだと主張すると、ダイニングまで丁寧に連れて行かれて座らされ、アランがハリーを呼びに行った。




