23.シンシアの日々
「シンシアは今日はお城へ行くんだよね?」
シンシアが城の騎士団へと出向く日の朝、ハリーがシンシアに聞いてきた。
「そうよ。今日はお昼からなの。昼食は早めに食べて行くからお昼は一緒できないけど、お茶の時間には帰れるから、帰ってきたらお茶を一緒にしましょうね」
「うん。今朝はアラン、いないんだね」
ハリーが自分とシンシアの分しか用意されていない食卓を寂しそうに見回す。
「お城にお泊まりしたんですって。お忙しいのよ」
アランは最近、忙しそうにしている。帰りが遅い事も増えていて、シンシアは本日の騎士団への付き添いを遠慮したのだが、頑として受け入れてもらえなかった。
前回、王太子が待ち構えていた事でアランの警戒心は強くなっていて、今日はわざわざシンシアの出発の時間に合わせて一度帰ってくるようだ。
それを聞いて心苦しくもあったけれど、ほっとしてしまったシンシアは、ここの所アランに頼りすぎだな、と思う。
前に王太子にエスコートされた時も、不快ではなかったけれど、隣がアランでない事に心細いような気持ちにシンシアはなった。
シンシアの中で、アランがいるのが、当たり前みたいになってしまっている。
こんな事ではいけない、しっかりしなくては、と強く思う。
今まで一人で何とかしてきたのだ。そしてこれからも一人で何とかしていく。だから、誰かが居る事に慣れてはいけない。
シンシアはきゅっと唇を噛んだ。
「僕も今日は忙しいんだよ。朝はステラの授業があるから、シンシアとは遊べないんだ」
そんなシンシアに天使な弟が、きりりとした顔で告げてきた。
弟のハリーは、ステラが家庭教師をしてくれるようになった当初から楽しそうにその授業を受けていたが、少し前から更に前向きになったように思う。
勉学の面白さに気づいてくれたのは嬉しいことだ。
「頑張ってね。私も午前中は領地の事、頑張るわね」
「うん! みんな忙しいねえ」
ハリーがにっこりする。
シンシアはシンシアで、最近は少し忙しい。
騎士団での聞き取りに加えて、ヨハンソン子爵家の領地管理の仕事もしだしたのだ。
爵位が保留中のヨハンソン家の領地管理は、後見であるキリンジ侯爵家の管轄になっている。アランの命を受けたサムエルが、領地の本屋敷の家令と実務的なやり取りをしていたのだが、そのサムエルより、決断が必要な事項はシンシアに決めてもらいたい、とお願いをされてしまった。
それは本来アランが決めるべき事だ、とシンシアは断ったのだが、アランからも慣れているシンシアの助言が欲しいと言われて、シンシアはサムエルと共に領地管理を行いだした。
元々、父の仕事を手伝っていたし、現地の細かい事は本屋敷の家令が問題なく取り仕切ってくれているので、大きな支障はない。
ヨハンソンの領地は、爵位が剥奪されれば王家にお返しするはずの領地だ。返す際は問題ない状態でお返ししたい。
なのでシンシアは出しゃばらないように、でも不備がないようにと励むことにしたのだ。
本屋敷の家令はシンシアの母の頃から仕えている人で、6年前までは夏の帰省でシンシアが行く度によくしてくれていた人だった。
家令は今回の事件を聞いて新聞も読み、シンシアの身をとても案じていたようだ。
シンシアが手紙で簡単に、短い間になるかもしれないけれど、よろしく頼みたい旨を伝えると、《お元気にされているのか》とか《旦那様の言葉を鵜呑みにして臥せっているとばかり思っていた、苦しい時期に何も出来なくて申し訳ない》とか《すぐには難しいかもしれないけれど、いつか本屋敷にも顔を出して欲しい。使用人一同、お嬢様に会って、何も出来なかった事をお詫びしたい。何よりお元気な姿をひと目でも見たい》と、長い長い返事が返ってきた。
ハリーの存在は知らないようで、もし本当に会いに行ったら大騒ぎだろう。
平民となってから領地に行くのは、時間的にも経済的にも難しそうだが、機会があれば家令にはこっそり会いに行ってもいいかもしれないな、とシンシアは思っている。
そういうわけで本日も、サムエルと領地から来た手紙に目を通し、相談ごとを一緒に考えて必要であれば解決策を提示したりした。
***
領地の事に目を通した後は、早めのお昼をさっと食べ、わざわざ迎えに来てくれたアランと馬車に乗って城へと向かう。
「帰りはあなたのお帰りに合わせて、一緒に帰るつもりです」
アランがいる事に慣れてはいけないと思っているのに、そのまま一緒に帰れると聞いて気持ちが浮わつく。
「そうなんですね、ハリーとお茶の約束をしているんです。良ければ一緒にどうですか?」
少しウキウキしながら誘うと、アランが優しく笑って「ええ、是非」と言い、シンシアの胸は、とくんと鳴った。
城に着いて、いつもの騎士団の部屋へと入る。
「シンシアさん、こんにちは。お昼時にすみません。最近、抱えている議題がどれも佳境でしてねえ、こんな変な時間しかとれないんです」
イザークが眉尻を下げて迎えてくれて、シンシアは早速、イザークがチェックした帳簿の不備の部分を記憶とファイルを頼りに直していく。
それを再びイザークが確認している間に、シンシアは本来イザークがする表帳簿と裏帳簿の突き合わせも行った。
待っている間が暇だからと始めたもので、こうした方が作業も早い。
「今さらですけど、シンシアさんはそんな事までしなくていいんですよ。僕はお給料も貰っていますが、シンシアさんには出てないでしょう」
「我が家の事ですし」
「だからって、タダ働きは感心しないなあ」
「でも、効率もいいでしょう」
「確かにそうですけどね。おかげで進捗率は良いです。この調子ならあと2回ほどで全て見直せそうです。しかし、これがシンシアさんのタダ働きの上に成っているのはどうかと思いますねえ」
「でも今の私は、キリンジ侯爵家の穀潰しなんです。それが申し訳なくて。
少しでも早くこの作業が終わって、会議で決着が着いたらそれだけ早くアラン様も私を手離せるでしょう? 出来るだけ早く、侯爵邸を出るべきだと思うんです。なので、これは私にとって必要な労働です」
渋い顔をするイザークにシンシアがそう言うと、イザークがぽかんとする。
「え? いや、キリンジ補佐役があなたを手離すとは……あれ? 伝わってないの、いや、伝えてないのか……うわあ、あの人、何やってんだ。まず、伝えろよ」
「イザークさん?」
「シンシアさん。あなたも、もう少し考えた方がいいです。
初日にキリンジ補佐役が僕の事を射殺す目付きで睨んでた事とか、送り迎えの最中も騎士がシンシアさんを見ただけで、そちらに飛ぶキリンジ補佐役の殺気の事とか、迎えに来た時にあの人が、あの冷徹ブリザードで有名なキリンジ補佐役があなたに注ぐ柔らかい眼差しとか、そういう事についてしっかり考察した方がいい」
「? はあ」
これ以上、この話題を続けられるのは居たたまれないので、シンシアはわざとよく分からない、という風に相づちをうった。
「ダメだあ、全然考えてくれる気がしないぃ」
「アラン様は最初の印象ほど、冷たい方ではないですよ。誤解されやすいだけなのでは?」
「そんな訳ないですよ! ちょっとダレンさん、ダレンさんも何とか言ってくださいよ!」
イザークが、いつも部屋の隅で彫像のように立っている強面の騎士に助けを求める。
「…………」
シンシアがダレンを振り返ると、無言で残念そうな顔をされた。
「ほら! ダレンさんも、ああ言ってますよ!」
「何も言ってなかったかと……」
「呆れ返っていたじゃないですか!」
「そうでしょうか」
「そうですよ! あのダレンさんが勤務中に表情を動かすなんて、すごく珍しい事なんですよ! シンシアさんはことの重大性に気づくべきです!」
「イザークさん。そろそろ口を動かしてないで手を動かしましょう。私とあなたの大切な時間です」
「ダメだあ、伝わってないぃ……はあ、もちろん手も動かしますけどね! シンシアさん、しっかり考えた方がいいですよ 」
そんな感じで、この日もシンシアはイザークと書類仕事をして、部屋を後にする。
帰りがけにイザークにもう一度、アランの態度についてしっかり考察するように言われ、ダレンには、やっぱり残念そうな顔をされた。
そうして部屋を出て、騎士団の入り口へ向けて廊下を歩いていると、「ちょっと」と険のある女の声がシンシアを呼び止めた。




